インドに食品の流通革命を 姉妹が有機野菜の産地直送で起業した理由
「不公平で不平等な世界を変えたい」。学生時代に抱いた思いを実現すべく、インドで有機野菜の宅配事業を立ち上げた八田舞さん、飛鳥さん。その挑戦の現実とは。

「不公平で不平等な世界を変えたい」。学生時代に抱いた思いを実現すべく、インドで有機野菜の宅配事業を立ち上げた八田舞さん、飛鳥さん。その挑戦の現実とは。
インドに渡ると決めたのは2010年、アメリカの大学を卒業し、日本に帰国して2年が経った頃だった。
アメリカの大学で国際関係学を勉強していた頃、世界には、社会の不公平さを訴えている人たちが多く存在することを知った。同時に、授業で初めて聞いた「フェアトレード」という考え方に興味を持った。フェアトレードとは、新興国や途上国の原料や製品を適正な価格で継続して購入することにより、立場の弱い生産者や労働者の生活改善と自立を目指す仕組みだ。世界には、「先進国」と呼ばれる国々に製品を供給するために、不当に長時間労働を強いられたり、搾取されたりしている生産者や労働者がいる。そのことを知った時、自分もいつか、社会の公平な仕組み作りをしたいと思っていた。
インドに渡ると決めてから、SNSサイトで求人を見つけ、首都ニューデリーから260キロほど離れた砂漠のラジャスターン州の州都ジャイプールに本社を置く手織り絨毯(じゅうたん)会社に就職することが決まった。面接はなかった。世界中に手織り絨毯を輸出しており、絨毯の織り手に適正な賃金と良い労働環境を提供することを掲げている会社だった。
インドで初めて暮らしたジャイプールには、居住している日本人や外国人がとても少なく、インド独特の習慣や文化に慣れるのに苦労した。双子の妹の飛鳥も、大学生の頃から、社会問題をビジネスを通して解決する仕組みを作りたいと考えており、私の渡航から2年後の2012年に、日本で勤めていた会社を退職してインドに移住した。
私も妹も、「環境や外的な要因にかかわらず、それぞれが自らの可能性を最大化することができる社会を作りたい」との思いがあった。そして2013年からは、それぞれ別の日系企業で働くことを決め、日系企業などの外資系企業が多く集まる新興都市のデリーの隣町、グルガオンへ移住した。
グルガオンで働きながら、私たち姉妹はかねて持ち続けた思いを実現しようと準備をした。そして、インドで起業する決意をした。移住して6年後(妹は4年後)の2016年、私たちは「HASORA(ハソラ) Organic India」を創業した。
HASORAの原点は、祖父母の住む山梨県の畑にある。私たちは小さい頃から、祖父母の畑仕事を手伝い、新鮮な野菜を収穫した。その野菜で、祖父母や両親が、おいしくて健康な食事を作ってくれた。そんな食卓にはいつも笑顔があり、幸せな時間があった。その原点と、インドで日本人として自分たちがやるべきことがつながった時、インドで起業する覚悟ができた。
起業にあたり、インドの食や野菜について様々な調査をした。その結果、農村部の生産者側にも、都市部の消費者側にも課題があると分かった。詳しくは後述するが、HASORAは、「安全でおいしい食を通じて生産者と消費者の双方をつなぎ、人々の可能性を最大化させたい」という理念を掲げた。生産者が農作物を適正価格で販売でき、都市部の消費者は安全でおいしい食を購買できる仕組みを作るという私たちのチャレンジが始まった。
グルガオンを始め、インドの都市部の消費者が抱える深刻な問題は、食の品質と安全性だった。
2013年にグルガオンに住み始めてから特に苦労したことは、新鮮で安全な食材を確保することだった。日本では当たり前にできたことが、簡単にはできない。インドはアジアの中でも、最も煩雑な流通経路を持っている国の一つだ。野菜についても、複雑な流通が大きな問題になっている。
野菜や果物などの商品が生産者から消費者の元へ届くまでには、通常五つから八つの中間業者が入り、収穫からスーパーの店頭に並ぶまでになんと5日間以上かかってしまうケースが多い。当然、鮮度は落ちる。高級スーパーで販売されている野菜でもしおれていたり、傷んでいたりして買う気も起きない。カビが生えている野菜が売られていて驚いたこともあった。サラダなど生で食べられるような新鮮な野菜がなく、外国人駐在員の間では「生野菜のサラダ」がごちそうだった。
さらに、「食の安全性」に不安を訴える人が非常に多かった。商品の流れが全く見えず、運搬方法や保存方法も分からない。インドでは、鮮度を保つために、防腐剤や光沢剤を使うことも少なくないし、残留農薬の問題もある。2013年ごろは都市部でもまだ食の安全性に関心があるインド人が少なかったため、商品に産地は明記されておらず、もちろん生産者やどんな農法で育てられたかの情報もない。日本ならその農作物をどこの産地で、誰が、どのようにして生産したかなどの情報を、消費者が知ることが当たり前になってきた。しかし、インドではそれらの情報は、全く分からないのが現状だった。
一方、生産農家には、インドの従来の流通では公平に取引ができないという深刻な問題がある。
インドでは、農作物は主に政府管轄の卸売市場を介して流通される。私たちがヒアリングを行った農家のほぼ全てが、この市場に農作物を直接持って行ったり、集荷業者を利用したりしていた。
前述のように、生産者から都市部の消費者に農産物が届くまで、インドでは多数の中間業者を介さなければならない。そのため、生産者に還元される利益は非常に少なくなってしまう。市場の平均的な買い取り価格は、最終的な小売り販売価格の5分の1程度で、ひどい時は10分の1程度になることもある。例えばトマト1キロの販売価格は30インドルピー(約50円)ほどで、その場合に生産者への買い取り価格は6インドルピー(約10円)以下になってしまう。さらに、農産物の価格は市場の需要と供給によって大きく変動するため、常に不安定だ。
インドの農家の大半は小規模農業を営んでおり、冷蔵貯蔵の設備などが十分ではない。このため、農作物の供給が多くなる収穫期には低価格での販売を強いられ、せっかく育てた農作物が非常に安く買いたたかれる。インドでは革新的なことで道は険しいが、新しい「産地直送モデル」を作り、生産者に還元される利益を確保していく必要性を感じた。
私たちが起業した2016年当時、スーパーマーケットなどで有機野菜を見かけることはまだ少なかったが、2020年以降、環境や人体に負荷をかける恐れのある農薬を使わない「無農薬・有機農法」がインドでも注目を浴びてきている。
背景には、新型コロナの感染拡大がある。
インドでは新型コロナが爆発的に感染拡大し、インド人の健康に対する意識・食の安全性への関心が急激に高まった。インドの感染者数は世界ワースト3となり、医療崩壊も起きて深刻な状況だった。そんな中、新型コロナに感染しても重症化しないように免疫力を高める健康な食として、無農薬・有機栽培の食品のニーズが広がった。
このため2020年以降は、スーパーマーケットや宅配で有機食品を扱う企業が急増した。より安全な農作物をより鮮度がよい状態で消費者に届けるため、「産地直送」という考え方も広がっていった。私たちが起業した時、多くのインド人が、「有機野菜はインドではまだまだ浸透しない」と言った。しかし、わずか数年で、社会環境は大きく変化し、都市部では産地直送や有機栽培は、身近なものになったのだ。「健康的な食」をインド市場に広げる大きなチャンスと感じている。
社会環境や市場のニーズが大きく変化する一方で、生産者や流通の仕組みは、その変化にまだ追いついていない、と感じる。
インドの農業従事者は、教育を受ける機会が少なく、読み書きができない人も少なくない。また、農業や農薬の使用方法について正しい知識を身につけていない人も多い。インドのような広大な国で、組織化されていない農家を相手に、農薬使用を規制したり、関連法規を徹底したりすることは難しい。
私たちが住むハリヤナ州で、農家グループにヒアリングをしたところ、農薬使用時の健康被害を訴える人があまりにも多くて驚いた。多くの場合、呼吸器や皮膚に影響が出るのだ。彼らは、農薬や除草剤を使わない農法に切り替えたら、自分や家族だけではなく、牛などの家畜までも元気になったと教えてくれた。農家訪問とヒアリングを重ねる中で、生産者が直面する課題がより明確になった。そして、HASORAでは、より安全な食を提供できるように「無農薬・有機農家」に限定して取引を開始することにした。野菜に、品質と安全性が高いという付加価値を付け、差別化して販売できると考えた。
ただ、有機野菜をせっかく作っても、「売る場所がない」ことが分かった。手間暇かけて農薬を使用せずに栽培した野菜も、卸売場で取引すれば、他の普通に栽培された野菜と同じ値段で取引されてしまう。農家の人たちからは、有機農家から直接買い取り、消費者へ届ける仕組みや場所を作って欲しい、と懇願された。
輸送時間の問題があるので、私たちはまず、グルガオンから数時間圏内の有機農家を開拓し、取引を開始することにした。HASORAではトラックを買う資金がなく、輸送を依頼できる業者もなかったため、公共交通機関のバスや電車を駆使して農作物を産地からグルガオンへ運んだ。しかしこれが、トラブル続き。野菜を積んだバスが、荷を下ろさないままグルガオンを通過してしまったり、途中で荷物が落下したり、他の業者が間違えて持っていってしまったり。さまざまなトラブルを解決しながら、HASORAには少しずつ輸送のノウハウが蓄積されていった。
外部環境の変化が激しいインドでは、経営を続けるためには自身も常に変化を続けなければならない。未来を予測し、社会に価値を提供し続けなければ、事業は続けられない。
有機野菜の宅配事業からスタートしたHASORAだが、今ではその他に肉類や魚介類、添加物を使用しない加工食品、米など様々な食品を取り扱うようになった。また、2020年の新型コロナ感染拡大によるロックダウン以降は、外国人駐在員の家族が帰国し、単身のお客様が増えるという変化があった。そのため、より手軽に健康的な食を提供できるよう、お弁当やサラダ、おかず、カット野菜などの販売も開始した。
2023年、HASORAは、さらなる変化のタイミングにいるように思う。
今年は3月に念願の自社店舗をオープンし、5月にはオーガニックや日本食材を販売する店舗とこだわりの食材を使った日本食カフェも開始する予定だ。イートインもテイクアウトもできるようにする。創業に掲げた思いやミッションは今も変わらないが、有機野菜の宅配という枠を超えて、Wellbeing(ウェルビーイング、健康で幸福な状態)を包括的にサポートするブランドへ成長したいと考えている。
インドには糖尿病や心臓病の患者数が非常に多く、都市部では精神疾患で悩む人も多い。今後は「安全な食×ヘルシーな日本食」をコンセプトに、無農薬・有機野菜の材料を使用した日本食の提供やサブスクリプションプランをインド人顧客向けに展開していく予定だ。
また、日本の優れた伝統的な食文化や食材をインド人により知ってもらえるように、料理教室やワークショップなどの実施も検討している。さらに今年は、インド国内に加工品の生産拠点を作り、インド発自社ブランドの食品を生産し、日本を含む国外で認められる商品作りにも取り組み、大学生の時に志したフェアトレードの形をさらに実現したいと考えている。
心と体が元気になる人を増やすことで、人々の可能性を最大化する。HASORAは、インドで学び、考え、そして七転び八起きをしながら走り続ける。
〈はった・まい〉
HASORA Organic India共同代表。サンフランシスコ州立大学国際関係学部卒業。2010年にインドに渡り、ジャイプールラグズカンパニーへ入社し、ジャイプール本社にて、日本のバイヤー向けの営業を担当。その後、ウッタラカンド州の山村開発NGOにて、農村開発、エコルーラルツーリズムの企画に携わり、日本の大学生へ農村滞在型のスタディーツアーを実施。2013年からグルガオンの日系旅行会社にて国内外の旅行手配を担当。2016年からHASORA Organic Indiaの共同創業者。
〈はった・あすか〉
HASORA Organic India共同代表。カリフォルニア州立大学国際関係学部卒業。日本帰国後、起業家支援会社で社会起業家支援プログラムの担当を行うなど、特にアーリー・ベンチャーを中心とした起業支援に携わる。2013年4月からリクルートホールディングスの海外法人であるRGFインドに入社。日系企業を中心にインド人・日本人双方の採用支援に従事。インド生活の中で、食の安全性に課題を感じ、インドにて産地直送の仕組みを作るべく、双子の姉と2016年にHASORA Organic Indiaを設立。