12歳のビシュヌ君のほおがげっそりとこけているのは、飢えのせいではない。朝晩、吸引しているヘロインのせいだ。

2年前、2021年にクーデターを起こしたミャンマー国軍は、各地の少数民族武装勢力を攻撃し、ビシュヌが住む東北部シャン州の村も激しく空爆された。1年前、両親と共に避難した町で、小遣い稼ぎにヤギの世話をしていた時に「嫌なことが忘れられるよ」と、他の子からヘロインを教えられた。「よく眠れる。おなかもすかないし、やらないと足が痛くなるんだ」。今は、ヘロインの売人が来る墓地で寝起きしている。「友達と会えるから学校が好きだったんだけど」。遠い過去を語るようにビシュヌ君は言った。

寝ぐらにしている墓地で、支援者からの弁当を食べるビシュヌ君=シャン州、提供写真

ミャンマー国軍のクーデターは、国内に経済の混乱と無法状態を引き起こし、「違法経済」が成長する絶好のチャンスをつくり出した。その一つ、違法薬物ビジネスは爆発的な勢いで広がっている。餌食になっているのは、ビシュヌ君のようなミャンマーの子どもや市民だけではない。大量生産で価格が暴落した薬物は、犯罪組織や少数民族武装勢力、腐敗した国軍兵士や警察官を介して国境を越え、アジア太平洋地域の各国で依存者を生み出している。巨額の利益は、賄賂や資金洗浄(マネーロンダリング)を通して行政や司法のシステムを害し、合法経済を圧迫しつつある。

違法薬物ビジネスは今、気候変動や感染症などと共に、人の尊厳や生存をおびやかす「新たな脅威」と呼ばれる。国連薬物犯罪事務所(UNODC)東南アジア大洋州地域事務所(バンコク)のジェレミー・ダグラス所長は、「地域全体が大きな打撃を受ける」と警告し、各国が連携して対策を打ち出すよう呼び掛けている。しかし各国は取り締まりには力を入れるものの、根本的な問題解決に取り組むことには腰が重く、いまだに地域としての戦略はできていない。

クーデターをきっかけに広がる「脅威」の一端と、それにあらがう人々の試みを見た。

人類とは数千年の歴史

麻薬は実は、人類とは数千年来の長い付き合いだ。ケシから採れるアヘンは、古代から鎮痛剤として知られ、エジプトやギリシャでは紀元前から使用されていた記録がある。苦痛を取り除く物質は、人が生きる上で必要とされてきたものなのだ。

中でも心身に苦痛を与える戦争では、欠かせないものだった。第2次世界大戦では日本軍とドイツ軍が覚醒剤を使い、ベトナム戦争では多数の米兵がヘロインや大麻を使ったことが知られている。

「覚醒剤」と呼ばれるメタンフェタミンは、1893年に日本で初めて合成された。疲労感が消え高揚感が高まることから、日本軍は「士気高揚」のため、などとして兵士らに与えた。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は1945年12月、日本軍が備蓄していた大量の覚醒剤を製薬会社へ放出するよう指示した。その後、製薬会社が「疲労防止」などをうたって市販した覚醒剤の中でも、「ヒロポン」の商品名で市販されたメタンフェタミンは人気で、多数の市民が依存症になった。

生存と尊厳を脅かす違法薬物産業

現代の問題は、違法薬物ビジネスが、貧困地帯や法の支配が届かない地域の状況につけ込み、力を蓄えて成長し、司法や金融などにまで広く影響力を持つようになったことだ。

ビジュヌ君が住んでいたミャンマー北東部シャン州の村は、隣国のラオス、タイが接する山岳地帯の一角。「黄金の三角地帯」と呼ばれ、ヘロインなどの麻薬や覚醒剤の一大産地として知られている。貧しいこの地域では、ヘロインの原料、ケシは農家の貴重な換金作物だ。

シャン州は、ワ州連合軍(UWSA)やタアン民族解放軍(TNLA)、民族民主同盟軍(MNDAA)といった少数民族武装勢力が、自治を求めて国軍と対立してきた。彼らは麻薬で得た資金で武装し、中でもUWSAは、支配地域のジャングルの奥に大規模な薬物製造工場を持つことで知られている。

「ケシ栽培をしていれば生活の心配がなかった」と、シャン州出身の元ケシ農家の男性が言う。少数民族武装組織に「税金」を納めれば、警察に摘発されることもなかった。ケシからアヘンを採取する2月ごろには中国人ビジネスマンや民兵、国軍兵士らが次々と訪れて、良い収入になった。

ミャンマー北東部シャン州のケシ畑=UNODC提供

UNODCによると、2014年ごろからケシ畑は減少した。国際社会が代替作物の栽培を支援したこと、それに民主化と経済改革が進んだ影響で、農家はケシ以外の収入源を得たからだ。民主化運動指導者アウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が2016年に政権を握ってからは、ケシ栽培に頼らない農家がさらに増えた。

その一方で、新たに増えたのが覚醒剤の製造である。ケシ栽培には人手や時間がかかり、ヘロイン製造には大規模工場が必要だ。それに比べて覚醒剤は化学物質を合成するだけで、小さな製造スペースで足りる。短期間にシャン州全域に製造所ができた。

政治経済の混乱は増産に直結

ミャンマー国軍がクーデターを起こした時、UNODCのダグラス所長は違法薬物の大増産を予測したという。「過去を見れば明らかだった」からだ。1988年の軍事クーデターやアウンサンスーチー氏の拘束などで西側諸国が経済制裁を科したり、経済が停滞したりする度に、違法薬物の生産は増えていた。

UNODC東南アジア大洋州地域事務所のジェレミー・ダグラス所長=UNODC提供

政治と経済の混乱は、違法薬物の増産に直結するーー。ダグラス所長はクーデター後に開かれた違法経済に関する国際会議の場で、大増産の可能性を警告した。

予想は的中した。4、5カ月が過ぎた頃、タイやラオスで記録的な量のミャンマー産覚醒剤が押収され始めた。大半が、メタンフェタミンとカフェインなどを混ぜて作る錠剤型の覚醒剤「ヤーバー」。2021年の押収量は、史上最高の10億錠を上回り、覚醒剤全体の押収量も171.5トンと記録的だった。大増産で値段は暴落し、タイでは1錠10~20バーツ(40~80円)と、10年前の5分の1から10分の1になり、携帯電話やインターネットを利用したさまざまな売り方で、年齢や貧富に関係なく社会のあらゆる層に蔓延(まんえん)している。

さらに、2014年から減少していたケシ畑の面積が増加に転じたことが分かった。2021年は前年比で33%増の400平方キロに拡大。経済が崩壊し先行きが見えない状況では、農家はケシ栽培に戻るしか生きる選択肢はなかったのだ。

ケシの実=UNODC提供

「走る覚醒剤製造工場」使われる日本車

「薬物を製造しているのは誰なのか。興味深いのは、それが分かっていることです」と、ダグラス所長は言う。中でも、覚醒剤を大増産しているのは、覚醒剤を専門に製造している小規模グループ。2021年の製造量は前年比で4倍増に跳ね上がった。

小規模グループで覚醒剤の製造と輸送をしていたという40代後半の男性に、タイ国境付近で会った。

「10年前は森の中に建てた小屋で作っていたが、今は違う」。自宅で薬品を調合して、製造機と共に車に積み、車を走らせながら作るという。この「走る覚醒剤製造工場」に使われるのは日本車だ。

輸送の方法はさまざまだ。シャン州から車で最大都市ヤンゴンや西部ラカイン州の港へ。若者を雇い山岳地帯を数日かけて徒歩で中国やラオス、タイへ。警察に見つかれば、最悪の場合は射殺されるリスクがあるが、成功すれば高い報酬がもらえる。国境線の川を小舟で行き来し、対岸の中国に密輸する組織もある。

国内外のあらゆる組織の人々が輸送に関わる。国軍兵士、反軍政・親軍政勢力の民兵、各地の当局者や警察官らに賄賂や「税金」が支払われる。男性が運んだ小包の宛名がミャンマー警察の「麻薬対策特別部隊」だったこともある。非政府組織「国境を越えた犯罪に対するグローバルイニシアチブ」(本部ジュネーブ)は、違法薬物ビジネスには、ミャンマー国軍の中枢が関与していると指摘している。あぶく銭をつかむチャンスに誰もが群がっている状況なのだ。

大きな利益を生むのは高純度の覚醒剤である。さまざまなブランドのお茶のパッケージに詰められて陸の国境を越え、洋上で漁船から別の船に積み替えられ、日本や韓国、オーストラリア、ニュージーランドに向かう。日本向けは、台湾と香港の犯罪グループが介在するという。UNODCによると、シャン州では1キロ1千米ドル(約13万円)の覚醒剤が、タイでは3倍に、日本では300倍以上の値段になる。大きな利ざやを狙えるのが日本なのだ。

違法薬物が詰められていたお茶のパッケージ=UNODC東南アジア太平洋州地域事務所で、筆者撮影

押収だけでは解決にならない

東南アジアの各国警察は取り締まりを強め、覚醒剤やヘロインを続々と押収している。2月にはマレーシアで高純度の覚醒剤2トンが押収された。

しかし、「押収だけでは、解決にならない」とダグラス所長は指摘する。覚醒剤の原料となる化学物質の多くが国際的な規制の対象外で、インドや中国、ベトナムから合法的に輸入できる。増産は簡単なので、押収されても密造組織には打撃にならない。

必要なのは犯罪組織が「マネーロンダリングをしにくくなる政策」なのだ。例えば、原料の化学物質の輸出入を管理し、違法なカネの流れを止め、汚職を摘発する。規制当局を含めた複数の分野の関係者が議論し、各国が連携して地域戦略を打ち出し、実行する。

「何もしなければ違法薬物ビジネスはさらに拡大して影響力を持ち、公衆衛生や司法、金融制度が大きな影響を受けてしまう」。ダグラス所長は繰り返し緊急性を強調するが、東南アジア各国は地域戦略の策定に、正面から取り組もうとしない。違法薬物ビジネスがのさばるのは、根深い汚職や不安定な治安情勢が後押ししているからだが、これは複雑な利害が絡む、リスクをはらんだ問題なのだ。

「今後数年は増産が続く」とダグラス所長は予測している。明るい見通しはないが「(我々の取り組みには)地域のことを考える強力なパートナーがいることが重要だ」と、日本に期待する。「日本は域内の国々に信頼され、発言力がある。日本との連携で、犯罪組織解体に向けた戦略構築へと、各国を動かすことができる。それは日本にとっても利益になるはずだ」

〈ミャンマー取材協力 Nay Ye Hla〉