ウクライナから日本へ、アンナさんが聞いた「女性たちの思い」
現在、2千人以上のウクライナ人が日本へ避難しています。戦争で一変した暮らしについて、自身も避難民であるアンナ・シャルホロドウスカ―さんがインタビューしました。

現在、2千人以上のウクライナ人が日本へ避難しています。戦争で一変した暮らしについて、自身も避難民であるアンナ・シャルホロドウスカ―さんがインタビューしました。
2022年2月にロシアによる軍事侵攻が始まったウクライナでは、今も激しい戦闘が続き、多くの人々が祖国を出て海外に避難を余儀なくされています。日本政府はロシアによるウクライナ侵攻が始まってから、2千人余りのウクライナからの避難民を受け入れています。その1人、アンナ・シャルホロドウスカーさんは2022年5月28日にウクライナのマリウポリ市から避難してきました。現在、支援を受けながら国際NGO「プラン・インターナショナル」のアドボカシースタッフとして働くアンナさんが、ウクライナから日本へ避難してきた女性4人にインタビューをしました。ある日突然、人生が大きく変わってしまった女性たちが経験した不安と試行錯誤の日々、そして新たな出発にかける思いが伝わってくる記録です。(構成=玉懸光枝)
最初に紹介するのは、インナ・コブザルさん(47)です。2022年6月3日に次男イワンさん(15)とともにキーウ市を脱出して来日しました。同年7月31日に来日した夫のオレクシさんと長男のダニロさんも一緒に、現在は家族4人で東京・葛飾で暮らしています。日本語の習得に苦労しながらも、日本を第二の故郷だと言う彼女たちの姿からは、新しい環境下で子どもたちに教育を受けさせ、生活環境を整え、夢を実現するためにはどうしたらいいのかが伝わってきます。
一家が日本を避難先に選んだのは、一足先に来日した友人から「避難民の受け入れ態勢が整っている」と聞いたためでした。インナさんは次男とチェコ共和国で、夫と長男はポーランドでそれぞれビザを申請し、それから2週間程で来日しました。ウクライナから距離が離れていることは気掛かりですが、日本での暮らしには少しずつ慣れ、自分たちと同じように祖国から逃れてきたウクライナ人や、生活面で助けてくれる日本人とも親しくなりました。もっとも、言葉の壁は日々、感じています。
一家が現在住んでいるアパートは家賃がかからず、食費も困窮していませんが、交通費が家計を圧迫していると言います。イワンさんが週に5日、インターナショナルスクールに通学しているほか、ダニロさんはサッカーの練習、夫のオレクシさんは語学学校に通っているためです。
夫妻は、イワンさんに日本語を習得して、社会に溶け込んでほしいと思っていますが、一方でウクライナの学校のオンライン授業も受けさせています。「イワンはよく頑張って両方の宿題をこなしています」と、インナさんは言います。ただ、今後については悩みもあります。インターナショナルスクールで勉強を続けても卒業証明書がもらえません。そうかと言って、日本の学校への編入は言葉の問題があり、学年も2学年下になります。2学年下への編入は本人も乗り気ではなく、それよりも語学学校で日本語を学びたいと希望しているそうです。
もっとも、この問題は特殊なケースかもしれません。近々、ウクライナに帰ることを明確に決めている親の場合、子どもをわざわざ日本の学校に通わせることはせず、ウクライナの学校のオンライン授業だけ受けさせているケースが多いためです。
長男のダニロさんはウクライナの大学の4年生で、オンラインで勉強を続けています。今年、卒業する予定ですが、今はサッカーの練習に打ち込んでいるため、進路はまだ決めておらず、サッカーを続けながら働ける職場を探していると言います。ダニロさんをはじめ、来日後もウクライナの大学で勉強を続けている学生たちは、オンライン学習は大変便利だと思っているそうです。
夫のオレクシさんは最近、日本語学校に入学し、奨学金をもらえることになりました。修了すれば、N3レベルの日本語能力証明書が発行されます。またオレクシさんは、ダニロさんと一緒に週に2回、2時間ずつ、モルドバ人から無料で日本語を習っているそうです。
一家は将来、ウクライナ料理を提供するレストランを日本で開きたいと考えています。夫妻はまず、自分たちが日本の飲食業界で働き、経営ノウハウを内側から学びながら資金を蓄え、高度な日本語を習得しようと考えているそうです。言葉の問題をのぞけば、彼らは家族が共に暮らせる今の生活に満足し、将来の夢を語り合える幸せをかみしめています。困難に直面しながらも自分たちなりに解決策を見出し、進み続ける一家の姿に鼓舞される人は多いでしょう。
次にインタビューしたのは、ドニプロ県から避難してきた23歳のオレシャさんです。舞台美術を学び、マーケティングの学位も取得した彼女は、ウクライナでファッションブランドの映像制作と、ソーシャルメディア・マーケティングの仕事をしていました。
戦争が始まってから家族と一緒にウクライナ西部に移ったオレシャさんは、日本語のビデオ教材で平仮名やカタカナの勉強を始めました。幼い頃から日本の文化やアニメに興味があったため、勉強は苦ではなかったと言います。その後、ワルシャワにある日本大使館で面接を受けました。ビザが下りるまでは非常に不安でしたが、無事に取得。ポーランドの空港で大使館員にエスコートされて搭乗し、日本でも手厚く出迎えられて、感激したと話しています。
日本人も日本語も大好きで、居心地の良さを感じているオレシャさんですが、生活面では苦労もあります。
例えば、今年2月中旬にホテルを出て埼玉県内のアパートに移ったのを機に、1日3度の食事と社会サービスの支援が受けられなくなりました。代わりに日々の手当が増額されましたが、光熱費や食費、交通費などが支給額内で収まるか不安で、極力、外出を控えて節約しています。これは、他のウクライナ人も共通して頭を悩ませている問題です。各自治体が用意してくれるアパートは、場合によって家賃の一部を自分で負担しなければならないうえ、光熱費も自分で支払わなければなりません。手当の約4分の1を光熱費として徴収する自治体もあるため、食費を確保するために交通費を節約している人は少なくないのです。
また、日本の難解な書類にも苦労していると言います。ウクライナ人の知り合いにも相談しますが、彼らの経験や回答が誤っていることがあります。自動翻訳では意味が通らないことも多く、役所に相談しても部署をたらい回しされることがあります。自治体に通訳ができる人がいるようにしてくれるか、書類のウクライナ語訳が作られたらいいのに、と感じているそうです。
オレシャさんは、ウクライナでの経験を生かし、日本でも映像制作を通じてファッション業界とつながり、自身の可能性を開花させたいと話します。そこで、ウクライナ避難民支援のボランティア団体「ひまわり」の活動にビデオ係として参加し、撮影技術の向上に努めながら、仕事を探しています。
言葉の壁は厚く、一時は自信をなくして諦めかけたこともあるそうですが、「私にとって、仕事は趣味であり、生活の一部」だと話す彼女は、自分の夢を実現するために、日本語の習得に本気で取り組んでいます。来日して2カ月間、滞在先のホテルで開かれていた日本語講座に参加した後は独学で勉強を続け、今年4月からは語学学校に通い始めました。授業料は、彼女の努力に感銘を受けた学校側が、一定期間、無料にしてくれたそうです。
ウクライナをとても恋しいと思っていて、一刻も早く戦争が終わることを祈っているオレシャさんですが、不安定な状況の中でも、力強く生きていこうとしています。仕事を通じて刺激を受け、好きなことにより創造的に取り組むためにベストを尽くす彼女が、夢を叶えて日本で活躍できるよう、ぜひ応援をお願いします。
キーウ大学で映像制作を専攻しているエリカさん(22)は2022年4月、日本にいる友人を頼って来日しました。日本政府の支援制度を利用したため、避難はとてもスムーズで、苦労はありませんでした。エリカさんは、日本人職員が皆、非常に協調的で、責任を持って仕事に取り組むため、日本語が分からなくても大丈夫だった、と振り返ります。必要書類と紙に書いた質問事項を見せるだけで対応してくれた政府機関もあったそうです。
もちろん、日本での生活には日本語が必要で、勉強を進めています。「書くこと」は難易度が高く、まだ着手していませんが、「話し言葉」はそれほど難しくない、と言います。
日本語が分からず、習得も進まず生活に苦労しているウクライナ人が多いことを考えると、彼女の話は注目されます。語学を勉強する時には、「何のために学ぶのか」という目的をはっきりと意識することが重要だということだと思います。日常のコミュニケーションのためであれば、彼女のように「書くこと」の学習は後回しにして、話し言葉や語彙力を高めることを優先するのが効果的かもしれません。一方で、日本語能力のレベルを証明しなければならなかったり、希望する仕事で日本語の読み書きが求められたりする場合には、「書くこと」の習得は不可欠でしょう。
エリカさんは専門の勉強も続けており、将来はビデオコンテンツプロデューサーとして、英語や日本語を使いながら働きたいと考えています。現在はキーウ大学でオンラインで勉強を続けています。同大学は、学生のほとんどがウクライナを出て行ったことを踏まえ、オンライン教育のシステムを整えており、日本語の勉強と専門の勉強を両立するのは難しくないと言います。
彼女は最近、在日ウクライナ人の支援や、祖国ウクライナへの貢献にもつながるアルバイトを始めました。在日ウクライナ人にインタビューし、さまざまなチャンネルで配信される映像を制作する仕事です。この視聴料がウクライナへの経済支援につながるとともに、ウクライナ人の新たな雇用を生み出すことも期待されています。
アルバイトは月に数回、土曜日だけですが、エリカさんは「自分が日本から祖国の力になっていると実感できるのは、この活動のおかげ」と、話します。彼女は、すべてのウクライナ人が祖国で起きていることを忘れるべきではないと訴えます。私も彼女と、このプロジェクトに参加する中で、同じように感じています。このプロジェクトが、経済面、そして情報面で少しでもウクライナの役に立つことを心から願っています。
エリカさんは、「ハローワーク」の紹介でこの仕事を見つけましたが、その過程で知ったのは、仕事探しのプロセスが複雑であり、かつ、「日本語ができないと求人がほぼない」ということです。ウクライナ人が1人で仕事を探して面接を受け、就職にこぎつけるのは難しいのです。「職探しのプロセスがよりシンプル、かつ合理的なものになるか、日本政府が提供する求人情報がより充実すれば、就労して自立することを望むウクライナ人たちが、もっと容易に仕事を見つけられるはずだ」と、エリカさんは言います。また、ほかのウクライナ人と同様、日本政府の支援には感謝をしていますが、交通費の高さを実感しており、節約を心掛けています。
エリカさんは将来、ウクライナに戻るのか、日本に残るか、まだ決められずにいます。「今後、どちらを選択しても、困難な時にかばってくれて、受け入れてくれた日本を一生忘れることはない」と話しながら、今はただ、祖国の戦争が一刻も早く終わることを願っています。
ドニプロ県プシュカリフカ村で生まれ、個人経営の診療所で看護師をしていたリューボウ・スビトワンさん(34)は、戦争で解雇されたのを機にポーランドに出国しました。
子どもの頃から日本に憧れていた彼女は、友人から日本政府がウクライナ難民を受け入れていると聞いて背中を押され、2022年夏に来日しました。日本政府の支援制度を利用し、ポーランドを出る時から日本に到着するまでオペレーションが綿密に計画されていたため、何も心配はなかったと言います。
1人で来日したため、最初は孤独でしたが、最近は他のウクライナ人や日本人とも知り合い、新しい友人もできました。現在は東京都昭島市の社宅に住んでいます。まだこの国に適応できているとは言えませんが、日本語の勉強の傍ら、公園やカフェを巡って日本の文化に触れるように心掛けています。
現在の家に入居した時は、家具や家電は昭島市から提供されたため、追加の費用はかかりませんでした。日々の食費と交通費、日用品代は日本政府から支援を受けています。なかでも、食費と薬代は欠かせません。彼女には糖尿病による障害があり、定期的に薬を服用しなければならないうえ、自分の身体に合う日本食を探していろいろな食材を試すためにお金がかかります。ただ、経済的な支援はおおむね十分で、先々に備えて貯蓄したり、必要なものを買ったりすることはできている、と言います。
彼女の頭を悩ませているのは、将来の見通しが立たないことです。日本語学校に通っているものの、日本語はとても難しく、言葉の壁が厚いため、授業だけでは足りないと感じているのです。仕事を見つけるためには日本語能力が不可欠ですが、時々、やる気が削がれそうになると言います。
彼女は、日本でも医療分野で働くことを望んでいるわけではありません。日本で看護師として働くためには医療用語の知識が求められますが、日本語が不自由なこともあり、失敗するのが怖いのです。
彼女は今、無理なく、体調を悪化させずに働けること、高い日本語能力が必要ないこと、そして夜間勤務ではないこと、の三つの条件さえ満たされていれば、どのような職種でも働きたいと考えています。日本語の勉強と両立できる仕事なら、うれしいと言いますが、まだそうした仕事は見つかっていません。日本政府からの支援は一時的なものであることは理解しているため、将来に備え、今のうちに仕事を見つけなければいけない、と彼女は言います。
(このインタビューの後、彼女は動物病院での看護師の仕事を得ました。彼女の仕事は週に1度ですが、ドクターや同僚といっしょに働くことはとても楽しく、彼女はこの仕事を得たことを喜んでいます。動物たちのために働くことは、彼女にとって心の癒しにもなっています。ただ、ひとつ問題なのは言葉の壁ですが、それも、仕事のおかげで日本語を勉強する資金を得ることができました。)
日常生活での課題は、健康保険、銀行、公共料金などの手続きが難しいことです。定期的に送られてくる通知書も、訳してくれる人がいなければ理解できません。
また、最大の課題は医療です。常用しなければならない薬は定期的に受け取ることができていますが、ウクライナと日本では治療方針が大きく異なります。ウクライナでは半年ごとにかかりつけの病院で検査や追加治療を受けていましたが、日本の医師からは「それはウクライナの治療システムで、日本では必要ない」と言われ、戸惑っていると言います。
以前から勧められていた精密検査は、「通訳サービスが手厚い」と勧められた新宿の病院にようやく予約を入れ、受診を待っているところだそうです。その病院では、普段は医師の説明を英語に通訳してくれるそうですが、彼女がほとんど英語を話せないため、初診時は昭島に住む通訳が電話で対応し、2回目以降はウクライナ語かロシア語の通訳が同席してくれることになったそうです。
リューボウさんは、さまざまな困難を抱えながらも日本での暮らしがとても好きで、日本政府の支援にも満足していると言います。「将来、面白い仕事をしながら日本語の勉強を続け、日本中を旅して伝統行事や芸術に触れ、文化を知りたい」と、目を輝かせます。すぐには難しいかもしれませんが、このような彼女の好奇心は、将来、きっと何かの形で花開くことでしょう。
日本を第二の故郷のように感じている一方で、彼女はウクライナの戦争が一刻も早く終わるように祈っています。いつかウクライナの人々の心と体の傷を癒すことができるようになりたい、と心から願っています。
〈インタビュアー〉
国際NGOプラン・インターナショナル/アドボカシー・グループ
アンナ・シャルホロドウスカーさん(27)
私は祖国で教師をしながら、メディアで働いたりボランティア活動に参加したりしていましたが、戦争によって何もかも捨て、来日しました。幸い、WELgeeの支援を受けて現在の仕事に就くことができました。希望通り、ウクライナの人々の支援につながる形で働けることになり、うれしく思っています。生活には徐々に慣れてきましたが、今は日本語の習得が課題です。今回、私と同じように戦争を逃れてウクライナから来日した避難民たちの経験や思い、将来の夢についてインタビューすることにしました。対象者は、プラン・インターナショナルの活動目標と対象も鑑み、最も支援が必要だと思われる三つのグループ——「母親」「25歳未満」「障害者」から4人の女性を選びました。彼女たちの率直な声を日本社会に伝えることで、ウクライナ避難民の受け入れが一層進むことを願っています。 インタビューした女性たちのように、私も祖国のことが心配で、早く戦争が終わることを祈っています。故郷の復興と、破壊されたインフラや街の再興、そして祖国のすべての人々の傷が癒され、幸せと安全な人生が戻るように祈っています。
〈特定非営利活動法人WELgeeとは〉
2018年設立。母国での紛争や迫害などから日本に逃れてきた人々の中で、就労を通じて日本で人生を再建したいと希望する者を対象に、育成から就労、定着まで一貫してサポートする人材紹介事業を行う。日本にいる難民に伴走し、志と可能性を引き出すことで、未来をデザインできる状態を作るとともに、日本人、日本社会と難民とのパートナーシップを生み出すことを目指している。
プラン・インターナショナルでは、今回紹介した4人を含む、ウクライナから避難してきた若い女性や、子どもを持つ母親を対象に実施したアンケート調査を今後、発表する予定です。