メルマーの息子ヌルアディン、息子の妻ハシネ(23)、孫のサルハゴ(3)とモハメド・エクバル(8カ月)。ハシネは義母メルマーの介助で2人の子どもを出産した=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
胎児の頭の位置などを確認するメルマー=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
27歳の妊産婦の家を訪ねるメルマー=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
20歳の母親アシアが出産した新生児が呼吸をしていないため、蘇生措置が行われた=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
胎児の頭の位置などを確認するメルマー=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
20歳の母親アシアが出産した新生児が呼吸をしていないため、蘇生措置が行われた=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
診療所で出産を介助するハディジャ(27)。約6千人が暮らすこの地域唯一の医療施設で働く、ただ一人の助産師=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
息子のヌルアディン(27)が運転するバイクで、妊産婦の様子を見にいくメルマー。地域の住民のけがの治療や薬剤の提供、妊産婦のケアなどを行っている=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
自宅の敷地内のコミュニティーヘルスポストで16年前からコミュニティーヘルスワーカーとして活動するメルマー=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
ハディジャ(中央)と父モハメド・アリ(63)、母ビビ・ハリマ(62) 。 「両親は、仕事で疲れて帰宅する私の健康をいつも気遣って、励ましてくれます。私の仕事を誇りに思ってくれているのです」 =2023年11月、バダクシャン州の自宅、筆者撮影
自宅で出勤前に化粧をするハディジャ=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
診療所から帰宅後、自宅のサンダリー(こたつ)に座るハディジャ。「今は独身ですが、結婚をしても助産師の仕事を続けていきたいです」と言う=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
妊産婦の診察をするハディジャ(中央)=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
生後9カ月の娘を抱く母親のマジョバ(32)。「私の実家は貧しく、14歳の時に結婚をしました。初めての出産は15歳の時でした。私の身体は小さかったのでとても苦しかったです。私は教育を受けることができなかったので、娘には教育を受けて将来は地域のために貢献できる女性になって欲しいと願っています。私は苦労をしてきたので、年のわりに老けて見えるとよく言われます。それでも困難を受け入れ、私は強くなりました。子どもたちにとって常に良い母でありたい、そう思いながら生きています」=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
山道を歩く女性たち。約100万人が暮らすバダクシャン州の大部分が険しい山岳地帯。冬になると数カ月にわたり道が大雪で閉鎖され、医療施設へのアクセスが難しくなる=2023年11月、バダクシャン州ファイザバード、筆者撮影
アフガニスタン国内でも妊産婦死亡率が最も高い地域に暮らすアサド(28)、娘のサキナ(4)、息子のアフマッド(8)。アサドの妻はサキナを出産直後に感染症で命を落とした。「娘と息子には、あなたたちのお母さんは強くて本当に素敵な女性だった、と伝えています」 =2023年11月、バダクシャン州バハーラク郡、筆者撮影
ハディジャによる蘇生措置を受け、呼吸を始めた新生児=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影
「仕事はずっと続けていきたいです。やりがいを感じています」と話す助産師のアニサ=2023年11月、バダクシャン州バハーラク郡、筆者撮影
夕方、山岳地帯の村でバレーボールをして遊ぶ人たち=2023年11月、バダクシャン州ファイザバード郊外、筆者撮影
自宅を訪れた巡回医療チームの助産師アニサの診察を受ける妊娠9カ月のファザラ(右)と友人のナジグル(左)=2023年11月、バダクシャン州バハーラク郡、筆者撮影
自宅で生後29日の息子ユノスを抱くビビキャラン。母乳が出ず、栄養失調と診断された=2023年11月、バダクシャン州バハーラク郡、筆者撮影
人口約4万人の州都ファイザバードを流れるコクチャ川=2023年11月、バダクシャン州ファイザバード、 筆者撮影
北部のへき地の村々から派遣され、助産師育成プログラムに参加する女性たち。 研修が終わったら、それぞれの故郷に戻り助産師として活動する=2023年11月、バルフ州マザリシャリフ、筆者撮影
助産師育成プログラムに参加するサレポル州出身のモカダス(中央)=2023年11月、バルフ州マザリシャリフ、筆者撮影
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