アフガニスタンでイスラム主義勢力タリバンが復権してから2年半。全土を覆う貧困と食料不足、さらに外国からの援助が大幅に削減される中、人々は最悪の人道危機に直面している。なかでも僻地(へきち)に暮らす女性たちは十分な医療インフラがなく、命がけの出産を強いられる。そんな女性や新生児の命を守りたい、と日々奮闘する助産師たちの姿を、写真家の林典子さんが現地で取材した。

15カ村にたった1人の助産師

アフガニスタン最北端のバダクシャン州。頂が雪に覆われた山々に囲まれた美しいコクチャ川を見下ろしながら、狭い山道を車で走り続ける。羊の群れを誘導する羊飼いやロバにまたがり移動をする子どもたちとすれ違いながら到着したのが、小さな村の診療所だ。今は11月中旬。あと1カ月もすれば、豪雪地帯で知られるこの州では、村々へと続く山岳地帯の道路の多くが雪で遮断され、国内の他の地域から孤立する。

朝10時、この村の診療所の分娩(ぶんべん)室で助産師のハディジャ(28)は新生児を取り上げると、すぐに力なく首を横に振った。生まれたばかりの男児の手足はぐったりとして、呼吸も停止していた。

山間部の村に住む母親のアシア(20)は、近くに医療施設がないため、3日前から自宅で出産をしようとしていた。しかし自力では産むことができず、ようやくこの日の早朝に、夫と叔母に付き添われこの診療所にやってきた。3時間かかったという。アシアの体力は限界で、我が子に目を向ける余裕もない。分娩台の上で仰向けになり、目を閉じたままだった。分娩室の扉の向こうでは50人ほどの妊産婦や、産後健診に訪れた女性たちが、ハディジャの診察を待っている。この診療所は15の村に約6千人が暮らすこの地域で唯一の医療施設。助産師はハディジャただ一人なのだ。

診療所で出産を介助するハディジャ(27)。約6千人が暮らすこの地域唯一の医療施設で働く、ただ一人の助産師=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

ハディジャは、すぐに人工呼吸器のバッグバルブマスクを赤ちゃんの口と鼻に当て、空気を送り込み、小さな胸に指を当て心臓マッサージを始めた。20年以上前に2人を死産した経験のある、清掃係のエワズビビ(46)は、部屋を暖かくするためにストーブにまきを入れると、アシアのもとに歩み寄って彼女の肩に手を添え、心配そうに赤ちゃんの様子を見つめた。ハディジャは赤い毛布で赤ちゃんを包み、繰り返し蘇生措置を続けた。

数分後、ようやくかすかな産声が、緊張感と沈黙で静まり返った分娩室に響いた。

20歳の母親アシアが出産した新生児が呼吸をしていないため、蘇生措置が行われた=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

ハディジャによる蘇生措置を受け、呼吸を始めた新生児=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

豪雪、助産師不足、児童婚……命がけのお産

アフガニスタンの妊産婦・新生児死亡率は、世界でも最悪の水準にある。「妊産婦死亡」とは、妊娠中、出産時または妊娠終了後満42日未満の女性が死亡することを指す。世界保健機関(WHO)などによると、アフガニスタンの妊産婦死亡率は出生10万人あたり620人(2020年)。主な原因は、出血多量や、感染症、閉塞(へいそく)性分娩を含む分娩合併症などだ。

特にバダクシャン州は、国内でも妊産婦死亡率が最も高い地域の一つだ。中国、タジキスタン、パキスタンと国境を接し、約100万人が暮らすバダクシャン州の大部分が険しい山岳地帯で、交通や医療インフラが整っていない。冬になると豪雪で数カ月にわたり道が遮断される地域も多く、医療施設へのアクセスが難しくなる。出産が迫った女性たちをタンカーやロバに乗せ、家族や隣人が付き添い、何日もかけて診療所へ向かうこともある。

また、2021年にタリバンが政権を握って以降、遠方への外出の際に男性家族の同伴を義務付ける「マハラム制度」が国内全土で課されていることで、陣痛などの緊急時に女性が1人で遠くの病院や診療所へ行くことが難しくなっている。地方の保守的な地域では以前から女性が親族の男性に付き添われて移動する習慣はあったが、より厳しくなったという。

アフガニスタン国内でも妊産婦死亡率が最も高い地域に暮らすアサド(28)、娘のサキナ(4)、息子のアフマッド(8)。アサドの妻はサキナを出産直後に感染症で命を落とした。「娘と息子には、あなたたちのお母さんは強くて本当に素敵な女性だった、と伝えています」 =2023年11月、バダクシャン州バハーラク郡、筆者撮影

WHOは人口1万人当たりに最低16人の助産師を推奨しているが、アフガニスタンの平均は3.7人。バダクシャン州内の助産師は多く見積もって約200人。バダクシャン州の女性の識字率は10%以下と他の州に比べても極めて低く、州内での助産師不足の深刻な問題と直結している。アフガニスタン保健調査(Afghanistan Health Survey)によると、同国の出産の41%が専門的な知識や技術を持たない親族や隣人などによって介助が行われているというが、バダクシャンでは約60%だと言う。

また、長年の厳しい経済状況により家庭の負担を減らすため女児を結婚させるケースも多い。結婚後すぐに妊娠をすれば幼い身体への負担があり妊産婦死亡のリスクが高まる。こうした地理的、社会的、文化的、経済的な要因が重なって医療サービスへのアクセスが限られるため、緊急事態時の迅速な対応が遅れ、適切な治療を受ける前に出血多量や感染症などで命を落とすことが、この地域で妊産婦死亡率が高い要因になっている。

山道を歩く女性たち。約100万人が暮らすバダクシャン州の大部分が険しい山岳地帯。冬になると数カ月にわたり道が大雪で閉鎖され、医療施設へのアクセスが難しくなる=2023年11月、バダクシャン州ファイザバード、筆者撮影

生後9カ月の娘を抱く母親のマジョバ(32)。「私の実家は貧しく、14歳の時に結婚をしました。初めての出産は15歳の時でした。私の身体は小さかったのでとても苦しかったです。私は教育を受けることができなかったので、娘には教育を受けて将来は地域のために貢献できる女性になって欲しいと願っています。私は苦労をしてきたので、年のわりに老けて見えるとよく言われます。それでも困難を受け入れ、私は強くなりました。子どもたちにとって常に良い母でありたい、そう思いながら生きています」=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

女性たちの悩みを相談される役目も

ハディジャは、助産師の役目についてこう語る。

「私の仕事は、女性の出産を助けることだけではありません。私の診察室に来る女性たちの中には、外では決して話すことの出来ない家庭内のプライベートな事情を打ち明け、相談してくれる患者さんも多くいます。義母や夫との関係に悩んでいる女性たちからは、夫婦で幸せに暮らすためにはどうしたらよいのか、何年も妊娠出産を繰り返し身体の負担を感じている女性からは、避妊について夫をどう説得したらいいか、といった相談を受けます。私を信頼してくれている地域の女性たちの支えになりたいという思いが、仕事への強いモチベーションになっています」

アフガニスタンの公共医療施設では、ピルや、二の腕に避妊具を埋め込み3年間避妊効果を得ることができる「皮下インプラント」などの避妊法は無料で提供されている。しかし、女性が避妊を望んでも夫の同意がないと避妊薬を受け取ることはできないことになっている。夫と面談をし、直接同意を得た上で避妊薬の処方を認める助産師もいれば、女性に口頭で「夫の同意を得ている」と言われれば、夫との面談をすることなく希望する避妊薬を提供する助産師もいる。

「同意」の確認の仕方は助産師に委ねられるが、「男性の多くは妻の避妊に反対する傾向がある」と、バダクシャン州各地の村々での診療経験のある助産師は言う。ハディジャも夫の同意について女性に確認をするというが、何年も出産を繰り返し授乳が続き、健康リスクが高く、避妊が必要だと思われるケースについては、ハディジャ自身が患者の夫たちに会い、説得することもあるという。

妊産婦の診察をするハディジャ(中央)=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

「私の患者さんのほとんどは初等教育すら受けておらず、文字を読むことができません。そのため、薬に書かれている説明書を理解することもできないのです。少なくとも読み書きができれば、自信にもつながると思うのです。家庭内で問題があった時にも、夫と対等に話し合おうという気持ちが込み上げるのではないかな、と思うのです」

州都のファイザバードで2年間助産学を学んだハディジャが、自宅から歩いて15分の場所にある地元の診療所で働き始めたのは7年前。1日約50人の女性たちの健診と同時に、出産の介助もしている。勤務時間は金曜日以外の週6日、朝8時半から夕方4時半。それでも出産を控えた女性が診療所に来たという連絡が入れば夜中でも、同居する兄が運転するバイクに乗って診療所に向かう。分娩室の向かいにはハディジャの仮眠室があり、兄も出産が無事に終わるまで夜通しそこで待機しているという。「一晩で3、4人の出産を担当することも珍しくありません。2023年だけで500人以上の出産の介助をしました。助産師の数が明らかに足りないのが現状です」

診療所から帰宅後、自宅のサンダリー(こたつ)に座るハディジャ。「今は独身ですが、結婚をしても助産師の仕事を続けていきたいです」と言う=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

自宅で出勤前に化粧をするハディジャ=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

ハディジャ(中央)と父モハメド・アリ(63)、母ビビ・ハリマ(62) 。 「両親は、仕事で疲れて帰宅する私の健康をいつも気遣って、励ましてくれます。私の仕事を誇りに思ってくれているのです」 =2023年11月、バダクシャン州の自宅、筆者撮影

ボランティアのヘルスワーカーが自宅を「保健所」に

バダクシャン州の山岳部のコミュニティーでは、医療従事者の不足や地理的な厳しさを乗り越えて住民の健康管理や予防ケアをするために、コミュニティーヘルスワーカー(CHW)が活動している。2003年からアフガニスタン各地の農村地や山岳部の村々で始まったこのシステムでは、国連児童基金(ユニセフ)の地元パートナー団体がヘルスワーカーに数カ月にわたり集中的なトレーニングを実施。彼らは自宅の一角を「コミュニティーヘルスポスト(保健所)」として使用し、ボランティアとして地域の住民たちの健康管理を担っている。

ハディジャの診療所から車で20分ほど走った集落では、コミュニティーヘルスワーカーのメルマー(70)と息子のヌルアディン(27)が自宅の中庭に面した6畳ほどの部屋をヘルスポストとして使用し、地域の177世帯、約2千人を担当している。メルマーは16年前に診療所で半年間トレーニングを受け、活動を始めた。けがの治療や薬剤の提供、新生児や子ども、妊産婦への基本的なケアを行っている。

自宅の敷地内のコミュニティーヘルスポストで16年前からコミュニティーヘルスワーカーとして活動するメルマー=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

息子のヌルアディン(27)が運転するバイクで、妊産婦の様子を見にいくメルマー。地域の住民のけがの治療や薬剤の提供、妊産婦のケアなどを行っている=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

27歳の妊産婦の家を訪ねるメルマー=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

胎児の頭の位置などを確認するメルマー=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

ユニセフ・アフガニスタンは、現在アフガニスタン全土で約3万人のコミュニティーヘルスワーカーを支援。バダクシャン州では976人(男性488人、女性488人)のコミュニティーヘルスワーカーが活動している。地域の保健担当者がそれぞれのヘルスポストを毎月訪れ、ヘルスワーカーたちの活動をフォローアップしているという。またヘルスワーカーたちも毎月最寄りの医療施設を訪れ、報告書の提出や知識・技能習得のためのワークショップなどに参加することになっている。

メルマーが地域の住民の治療や健康管理のために使う医薬品やサプリメントなどはユニセフから定期的に補充されている。出産の介助をすることもあり、2023年は約30件の出産の介助をした。そのほとんどが夜間で、ハディジャが勤務する診療所まで車で行くことができない女性たちだった。

「ボランティアでの活動ですが、地域の女性たちを助けることが高齢になった母の生きがいにもなっているんです」と、息子のヌルアディンは言う。

メルマーの息子ヌルアディン、息子の妻ハシネ(23)、孫のサルハゴ(3)とモハメド・エクバル(8カ月)。ハシネは義母メルマーの介助で2人の子どもを出産した=2023年11月、バダクシャン州、筆者撮影

助産師を志す女性たち

バダクシャン州の州都ファイザバードから車で西に9時間ほど走った北部の中心都市マザリシャリフ。ここでは国連人口基金(UNFPA)が、高い妊産婦・新生児死亡率を下げるために、国内のパートナー団体Agency for Assistance and Development of Afghanistan(AADA)と共同で2年間のコミュニティー助産師教育と3カ月間のインターンシップ制度を合わせた育成プログラムを行っている。このプログラムには北部の僻地の村々から派遣された58人の若い女性たちが参加しており、彼女たちは今年、研修を終えたら故郷の村に戻り助産師として活動することになっている。タリバンが政権を握って以来、国内では女子の中等教育の禁止や大学への進学などが大幅に制限されているが、大学での助産分野の専攻や女性の医療従事者の活動などは認められている。

北部サレポル州にある人口1千人の村の出身であるモカダス(19)は「私の村はとても貧しくて、たくさんの女性たちが出産の時に亡くなったのを目の当たりにしてきました。冬は寒く、道路は雪で封鎖され、移動できなくなってしまうのです。私の姉が出産の時に苦しんだ姿を見て、助産師になりたいと思い、このプログラムに応募しました」と話す。

助産師育成プログラムに参加するサレポル州出身のモカダス(中央)=2023年11月、バルフ州マザリシャリフ、筆者撮影

北部のへき地の村々から派遣され、助産師育成プログラムに参加する女性たち。 研修が終わったら、それぞれの故郷に戻り助産師として活動する=2023年11月、バルフ州マザリシャリフ、筆者撮影

人口約4万人の州都ファイザバードを流れるコクチャ川=2023年11月、バダクシャン州ファイザバード、 筆者撮影

巡回医療で埋める助産師の空白

「大丈夫。赤ちゃんは順調に成長しています。もしも陣痛が始まったら、必ず私に電話をしてください。すぐに駆けつけますから」

紅葉が残るバダクシャン州バハーラク郡の川沿いの民家の一室。助産師のアニサ(24)は妊産婦ファザラの腹部にラッパのような形になっているトラウベ聴診器を当て、胎児の心音を確認するとこう伝えた。すでに妊娠9カ月のファザラが助産師の健診を受けるのは、この時が初めてだった。

巡回医療チームの助産師であるアニサが、ファザラの家を訪れたことを知り、この集落に暮らす3人の妊産婦が集まってきた。全員が妊娠8カ月を過ぎていたが、診療所が自宅から離れているため産科医や助産師を受診したことはなかった。

UNFPAは医療施設までのアクセスが困難な地域に暮らす母親と子どもの健康をサポートするために、2013年から巡回医療チームを立ち上げ、現在29の州で199のチームが活動している。バダクシャン州には13の巡回医療チームがあり、それぞれのチームは、リーダー、助産師、看護師、心理カウンセラー、ワクチン接種担当者、コミュニティーの長老などと医療チームとの橋渡し役となるコミュニティーモーバライザーの6人で構成されている。

アニサのチームは州内で医療施設がない13村を担当し、1日1村、13村を13日ごとに巡回している。村に到着すると、近隣に暮らす住民が集まりやすい場所を拠点にして診察を行う。拠点となる場所に診療に来ることが難しい女性については、直接車で自宅を訪問することもある。出産が迫っている妊産婦やその家族には連絡先を伝え、産気付いたら必ず連絡をするように伝える。そして連絡があれば、夜であっても女性の家に向かうという。アニサがUNFPAの巡回医療チームに入ったのは1年前。それまでは州内の他の病院に勤務していた。アニサは巡回医療チームに参加してから、約60人の女性たちの出産を自宅で介助したという。アニサの夫ナシール(31)もワクチン接種担当者として、同じチームで働いている。

アニサがファザラを訪ねた日の朝、チームが村のモスクに拠点を置くと、すぐに生後29日の息子ユノスを抱いた母親のビビキャランがやってきた。自宅で出産をした際、ユノスの体重は2千グラムもなかったという。母乳も出ないビビキャランは栄養失調と診断された。冬に豪雪地帯となるこの村に暮らす彼女の家の土壁は隙間だらけで冷たい風が吹き込む。ドアの代わりには布が1枚かけられているだけだ。日雇いで働く夫の1日の稼ぎ200アフガニ(約400円)では6人の子どもを健康に育てるのは難しい。

自宅を訪れた巡回医療チームの助産師アニサの診察を受ける妊娠9カ月のファザラ(右)と友人のナジグル(左)=2023年11月、バダクシャン州バハーラク郡、筆者撮影

自宅で生後29日の息子ユノスを抱くビビキャラン。母乳が出ず、栄養失調と診断された=2023年11月、バダクシャン州バハーラク郡、筆者撮影

飢えと貧困、最悪の危機に立ち向かう助産師たち

アフガニスタンでは長年の貧困や食料不足、さらに貧弱な交通インフラにより、国内の特に辺鄙(へんぴ)な地域で暮らす人々が栄養失調になりやすい。国連世界食糧計画(WFP)によると、現在アフガニスタンは過去25年の間で最も深刻な飢餓のリスクに直面しており、国民の約4割に当たる約1500万人が食料不足に陥っていると発表している。特に妊娠中に栄養失調になると、出産後は貧血になりやすく母乳育児に問題が生じ、その結果子どもも栄養失調になることが多いという。ユニセフが2023年にバダクシャン州で治療をした、急性栄養失調の子どもは約8万2千人。2024年には、アフガニスタン全土で290万人近くの子どもたちが急性栄養失調に陥ると予想されており、これは国内の5歳未満の子どもたち全体の3分の1以上に相当する。

また、タリバンによる実権掌握以後、これまでアフガニスタンの医療制度を支えてきた国際社会の支援が多数打ち切られ、多くのドナーが撤退した。そのため、国内の医療施設が閉鎖に追い込まれるなどしており、この状態が長期化すれば妊産婦・新生児死亡率がさらに悪化するのではないかと懸念されている。

夕方、山岳地帯の村でバレーボールをして遊ぶ人たち=2023年11月、バダクシャン州ファイザバード郊外、筆者撮影

「仕事はずっと続けていきたいです。やりがいを感じています」と話す助産師のアニサ=2023年11月、バダクシャン州バハーラク郡、筆者撮影

バハーラク郡の村で1日の診療を終えたアニサは、州都ファイザバードへと続く狭い山道を走る巡回医療チームの車窓から、暗くなっていく遠くの雪山を眺めていた。この地域の冬はアフガニスタン国内で最も長く、大雪と極寒で女性の出産環境はさらに厳しくなる。

「毎日移動を続けながらの巡回診療、これから大変になりますね」。こう語りかけると、彼女はすぐにこちらを振り向いて言った。

「それでもこの仕事はずっと続けていくつもりです。たくさんの女性たちが亡くなっているこの地域で、たった1人の女性の出産を助けることができるだけで、十分にやりがいを感じるからです」

(文中敬称略)