南米で2番目に妊産婦死亡率が高いボリビア。その主な原因は、医療機関と連携しない自宅での出産だといわれる。現代医療に恐怖心を抱く先住民族の女性たちの多くは、伝統的な介助による出産を希望するのだ。そんな妊婦の心に寄り添い、安全なお産をさせるための取り組みや、伝統的なお産を支える助産師たちについて、写真家の林典子さんが現地で取材した。

先住民族の女性たちが抱く「恐怖心」

ボリビアの都市ラパスから約100キロメートル南に位置するパタカマヤ市のボリビアーノ・エスパニョール病院。8月中旬の早朝、ヘンリー・フローレス医師のもとに、7人目の子供の出産を控えた、40歳のセノビアが母親に付き添われてやってきた。

「一般的な婦人科の分娩(ぶんべん)室と、伝統的な分娩室での出産どちらがいいですか?」。こうフローレスが尋ねると、セノビアは「異文化間分娩室」での出産を選んだ。

異文化間分娩室とは、現代医学に恐怖心を抱く先住民の女性たちのために、伝統的なお産の介助方法を尊重しながら出産をすることができる医療施設内の空間だ。

フローレスと看護師は、天井に届くほどの大きさのヒーターで部屋全体を暖め、立ったままの垂直位分娩にも備えて身体を支える木製の柱の下にマットレスを敷いた。この日、病院には伝統的なお産を介助できる助産師は不在だった。しかし、フローレスは、20年近く先住民族アイマラの助産師たちと共に出産に立ち会い、彼女たちから伝統的な分娩の方法を学び、伝統医療についてのワークショップにも参加してきた。都市部のラパスで育ち、教育を受けたフローレス医師の祖母はアイマラだというが、「差別をされるから」という理由で、家庭内での会話はスペイン語だった。そのためフローレスは、医者になってからアイマラ語を学んだという。

「現代の医療技術はもちろん発展していますが、女性の健康のために伝統医療の良いところも取り入れたいと考えます」

フローレスによれば、アンデス高地の文化における出産は、本来、暖かい家の中でマテ(アンデス地方のお茶)を飲んだりチョコレートを食べたりしながら、家族に囲まれて行われるものだという。「だから、現代の産婦人科の分娩室に見られる白い壁やステンレス製の医療器具、メタルのベッドなど無菌的な寒い空間で、アイマラ語を話さない医師によるお産の介助に抵抗を感じる女性が多いのです」。フローレスはこう語ると、異文化間分娩室の木製の扉を開き、前日に出産したばかりの女性が休む室内に入っていった。

ボリビアーノ・エスパニョール病院の「異文化間分娩室」で、出産を控えるセノビア(40)と母親(中央)、ヘンリー・フローレス医師(右端)=パタカマヤ市で

男児を出産直後にベッドで休むセノビア=パタカマヤ市で

南米で2番目に高い妊産婦死亡率

世界銀行によると、ボリビアはベネズエラに続いて南米で2番目に妊産婦の死亡率が高い。妊娠中や出産時に死亡する女性の数は、2020年は10万人あたり161人と公表されている。しかし、ボリビアで妊産婦が死亡するケースのほとんどは、医療機関と連携をしていない自宅分娩での出血多量や感染症が原因であり、その多くは統計には反映されていない。そのため、実際の死亡者数はこの数字よりもはるかに多い。

病院へのアクセスが難しいということのほかに、この地域で自宅分娩が多い理由には、近代的な医療施設での出産に対する抵抗感が根強いということがある。ボリビアでは、ケチュアやアイマラ民族など先住民が全人口の約半数を占める。その中には今でも伝統的な慣習や文化に根ざした生活を送る女性が多く、このことが自宅での出産率が高くなる一因となってきた。

フローレスが勤務するボリビアーノ・エスパニョール病院は2001年に開院した。当時20代だったフローレスには、忘れられない記憶がある。出産直前に産婦人科を訪れたアイマラの女性が、立ったまま出産する伝統的な垂直位分娩をしようとしたが、介助の仕方が分からなかったのだ。この年にこの病院で生まれた新生児は163人だったが、同じ年に出産後の予防接種のために病院で受診した乳児は451人だった。つまり病院で生まれた約3倍の赤ちゃんが自宅分娩で産まれていた。パタカマヤ市の人口の約9割は先住民族のアイマラであり、近代的な医療施設での分娩に対する抵抗感と、さらにボリビアの病院での出産の40%以上を占める帝王切開への抵抗感もある。

ボリビアでは国民皆保険制度により、医療施設での出産は無料で受けられる。さらに妊産婦・新生児死亡率減少と母子の健康改善のために、2009年に開始された給付金支給制度(Bono Juana Azurduy)により、医療施設での出産と産前産後の健診を行うことで、満額1820ボリビアーノス(約4万円)を支給されることになっている。それでも病院での出産を避け、伝統的な助産師に200~300ボリビアーノス(約4300円〜6500円)を個人的に支払ってでも、また、命の危険を冒してでも自宅分娩を選ぶ妊産婦がいるのだ。

フローレスは、地元の女性たちや伝統的なお産を介助する助産師たちに、妊産婦が病院で出産をしたいと思うようになる条件を聞いて回った。フローレスの調査などに基づき、人道医療支援に取り組むNGO「世界の医療団」の支援で2008年に設置されたのが「異文化間分娩室」だった。

ボリビアの医療施設での出産の40%以上を帝王切開が占める。2022年に国内の病院で行われた出産16万2777件のうち、7万7719件は帝王切開による分娩だった(保健省統計)=パタカマヤ市で

帝王切開で出産をするダニエラ(21)=パタカマヤ市で

現代医療と伝統的お産の連携

異文化間分娩室は、赤い壁と木材の床でデザインされ、木製のベッドやキッチン、調理器具も備えられている。自宅にいるような感覚を持つため、家族も出産に立ち会い、産後も数日間、この部屋で料理などをしながら過ごす。妊産婦が望めば、訓練を受けた先住民の助産師によるメディカルハーブ療法や伝統的な垂直位分娩など文化的な慣習を尊重した手順で出産を迎えることができる。異文化間分娩室は、地元の人々に支持され、医療施設での出産を促す効果があった。2011年には院内に新たに2部屋の異文化間分娩室が追加され、ボリビア各地の医療施設にも取り入れられるようになっていった。

伝統的な助産師が使うメディカルハーブ。体を温めるために使うカモミールや、その他腹痛や頭痛、高血圧、感染症に効く薬草やクリーム状にして腹部をマッサージするためのレモンなど=アヨアヨ市で

NGO「世界の医療団」は2008年にボリビアーノ・エスパニョール病院に設置して以降、同国内の医療施設に、37カ所の異文化間分娩室を設置してきた。ボリビアでは、2006年アイマラのエボ・モラレスがボリビア初の先住民族出身の大統領に就任。任期中の2013年には先住民の伝統医療を認める法律が可決された。

伝統医療への理解や法的整備が追い風となり、今後も各地に設置を予定しているというが、ボリビア事務所のスージー・バルガスは「そのプロセスは決して簡単ではなかった」と語る。

「大学で現代医療を学んだ医師たちの中には、伝統的な助産師と医療現場で協力することは過去に逆戻りする後進的なやり方だ、と強く抵抗をする医師もいました。私たちの目標は伝統的な助産師が私たち支援団体のために活動することではありません。彼ら自身がボリビアの医療システムの中に入って働くことなのです」

そこで、文化人類学者や社会学者たちと協力し、先住民の女性たちが病院での出産に抵抗を感じる文化的背景や価値観について研究した結果を資料にまとめ、現代医学と伝統医学の両方を取り入れていくことの必要性を、現場の医師や行政の担当者たちに何年もかけて説得していったという。

伝統的助産師の中には妊産婦の手の静脈に触れることで、赤ちゃんの性別や位置、胎動がわかるという助産師もいる。また長期間生理がこなかったNGO職員の女性が、伝統的助産師によるハーブ療法などの診療を受けた翌日に生理がきた、というエピソードもある。こうした診療は科学的には実証できない現象だが、近代医学が入ってくる以前は「医療」として成り立ち、先住民族の女性たちを長年支えてきたのだろう。

妊娠8カ月のエステファニ(29)の自宅で産前ケアを行う助産師のアナ。エステファニの身体を毛布で包み、両足の間にカモミールとお湯を入れた鍋を置き身体を温める=エルアルト市で

ボリビアの妊産婦死亡率は依然として高いが、こうして、病院と連携した助産師が働く異文化間分娩室が各地に設置されるようになった。さらにボリビア保健スポーツ省内の伝統医学・異文化局にはRUMETRABと呼ばれる伝統的な助産師の登録制度がある。NGOや自治体などが主催する助産師を対象にしたセミナーなどへの参加、長年地域で助産師として活動してきた実績や地元の自治体からの推薦などが登録の条件となっており、これまでに105人が登録されたという。伝統医療を担う先住民の助産師が自治体や医療機関と連携しながら、妊産婦死亡率を減らすための活動の一環だ。

「妊産婦死亡率を減らすためには、医師や看護師だけではなく、専門的な知識を持った助産師の役割も今後必要になるはずだ」とフローレスは言う。

5千人の出産に立ち会った助産師

自宅で第2子を産むことにしたデリア(32)の出産を手伝う助産師のアナと夫のアバット(34)=エルアルト市で

ボリビア西部エルアルト市内の標高3940メートルに位置するデリアの家に、先住民の助産師アナ・チョケが来てからすでに4時間が経った。デリアの陣痛は2分おきに来ていた。

「痛い!アナさん、もう我慢できない!」。デリアはそう叫ぶと、彼女の身体を支えている夫アバットの腕を強く握りしめた。義母トマーサがその様子を見守る。

アナが働くエルアルト市内の診療所には、一般的な分娩室の向かいに「異文化間分娩室」が併設されている。ここで出産すれば、緊急事態が起きても迅速に適切な処置を施すことが可能になる。それでもデリアは自宅で出産をしたいと願い、アナも彼女の意志を尊重することにしたのだ。

「泣かないで。泣くと体力を消耗するから」。アナはこう語ると、胸ポケットからコカの葉が入った袋を取り出し、デリアに差し出した。痛みを緩和し、体力を付ける効能があるとして、古くからアンデス地域で使われてきた万能薬だ。数枚のコカの葉を摘むと、デリアは口に含み、かみ始めた。

「寒い……」。力なくデリアがつぶやく。アナはとっさにヒーターの上で温めていた、スカーフを取り上げデリアの足元に掛けた。そして、お湯の入ったマグカップにカモミールを浸した。スプーンで少しずつ飲ませ身体を温めるためだ。デリアの表情が再び険しくなった。「また始まる?」。アバットはそうささやくとデリアのおなかに両手を添えた。

クリニック内の「異文化間分娩室」を訪れたデリアのお腹の上から胎児を回し、横向きになっている胎児の位置を直す助産師のアナ。エルアルト市

第2子を身ごもったデリアがアナの診療所を訪問したのはこの3日前。別の病院の担当医から、お腹の赤ちゃんは順調に育っていると言われていたが、腹部に強い痛みを感じたため医師から預かったエコー画像を手にこの小さな診療所のアナの元を訪ねたのだ。ベッドに横になったデリアの腹部を両手で触った瞬間、アナは胎児が横向きになっていることに気づいた。すぐにエコー画像を確認し、デリアにこう伝えた。「赤ちゃんの頭が左向きになっています。なんで医師はこのエコー画像を見て、横位の状態になっていることを伝えなかったのかしら」。アナは30分ほどかけてお腹の上から胎児を回し、位置を直した。

妊娠6カ月を過ぎた妊婦の胎児の位置を治すことは特に慎重に行っているという。2時間以上の時間をかけてゆっくりと胎児の位置を回すこともあるというが、へその緒が赤ちゃんの首に巻き付く危険性などリスクを伴う場合はマッサージを行わない。それぞれのケースを慎重に判断し診療をしている。デリアはベッドから起き上がると身体が軽くなった、と感じたという。

3日後、おなかが張り痛みを感じたデリアは病院へは行かず、アナに直接連絡をして自宅に来てもらうことにした。6年前に第1子を帝王切開で出産して以降、背中や腰の痛みに加え、体に不調を感じるようになった。そのため緊急帝王切開になる可能性は絶対に避けたかったのだ。この日は土曜日。アナの勤務日ではなかったが、働き始めたばかりの診療所のデスクに置き忘れた患者の診察記録ノートを取りに戻っていた。午前10時半、ちょうど帰宅するために乗り合いタクシーに乗り込む直前に携帯電話が鳴った。デリアの夫アバットからだった。「妻が嘔吐(おうと)をしているんです。今すぐ家に来てください」。デリアの容体を確認したアナは、様子を見にいくことにした。外出する際は常に携帯している医療用手袋とキャップ、マスクはカバンの中にあったが、お産の介助をする際に持参するせっけんやタオル、医療用ガウン、巻き尺などは携帯していなかった。

(上下とも)激しい陣痛に耐えるデリアをサポートする義母トマーサと夫のアバット=エルアルト市で

「深呼吸して。もう少し!」。アナはデリアの子宮口を確認した。デリアはベッドで仰向けになったまま、彼女の身体を後部で支える夫の首に両腕を回し、再びいきみ始めた。すでにデリアの体力は限界だった。午後4時20分、ようやく産声が夫婦の寝室に響いた。アナはへその緒を切ると、毛布で新生児を包みベッドにそっと置いた。緊張感から解き放たれた夫のアバットは妻のデリアの額をなでた。トマーサは、深呼吸をしながら部屋のドアを開けた。

しかし、アナだけは神妙な面持ちでデリアの両足の間に座り込んだまま無言で下を向いていた。しばらく経っても、胎盤が出て来ないのだ。出産後に速やかに胎盤が出ないと子宮が収縮せず大量出血を起こし、妊産婦死亡の原因になることもある。約30分後、アナは手を子宮内に差し入れて胎盤を取り出すことにした。処置を終えるとアナは、体力が回復するまで身体を暖めてしっかり休み、担当医のいる病院でできるだけ早く産後の健診を必ず受けるようにデリアに伝えた。「こんなに大変なお産は久しぶりでした。赤ちゃんが誕生したばかりで喜んでいる家族を混乱させてしまうから、言わなかったけれど」。アナは帰りの車の中でこうつぶやいた。病院での帝王切開後に苦しみ、二人目は自然分娩で産みたい、とアナに連絡をする妊産婦は多くいるという。帝王切開後の自然分娩は難産になる場合も多いというが、アナはこれまでの経験と病院との連携もある状況下で、出来るだけ女性の希望をかなえるために個々のケースに向き合っている。

4時間後、デリアは第2子を出産した。助産師のアナは「異文化間分娩室」で週5日働きながら、現代の医療施設とも連携。緊急時には病院へ行くよう説得するなど、妊婦と病院との間に入り、妊産婦ケアをしている

63歳のアナが初めてお産の介助を手伝ったのは、8歳の時。伝統的な助産師として働いていた祖母の仕事に付き添った時だった。分娩後に胎盤が出てこない時の対処法は何度も祖母から教わったという。15歳の時には一人で出産を介助するようになっていた。

これまで約5千人の出産に立ち会ってきた。その間、国際機関や自治体が主催する訓練セミナーにも参加し、エコー画像の見方などの基本的なことはもちろん、解剖学的な知識など現代医療についても学んできた。デリアの出産の前日には、エルアルト市保健管理局が主催するワークショップで、学術医や汎米保健機構PAHO)の専門家らと共に伝統的助産師と医師の連携のあり方について講演を行っていた。新型コロナウイルス感染症のパンデミック下で医療施設の病床が足りなかった時期には、夜中でも電話を受け、1日10人以上の患者の自宅で分娩を介助することもあったという。しかし、ボリビアの全ての伝統的な助産師がアナのような経験があり、医療機関との連携が行われているわけではない。へき地に暮らす助産師たちへの訓練なども今後さらに必要になる。

デリアが出産した男児の体重を測る助産師のアナと夫のアバット、義母トマーサ=エルアルト市で

医療における文化の多様性とは

「私のひいおばあちゃんは伝統的な助産師でした。生命が誕生する瞬間に立ち会える素晴らしい仕事だと思い、大学で助産学部に入ったんです」。ラパス市内に住む34歳のクリスティーナは、大学の授業の一環で田舎のコミュニティーを訪れ、伝統的な助産師たちからハーブの使い方を学び、その代わりに緊急時の対応の仕方などを彼女たちに伝え、お互いの知識や技術を共有したという。「保健・医療における文化の多様性を尊重することの大切さを学ぶきっかけになり、助産師としての視野が広がった貴重な経験でした」

ボリビアでは国連人口基金(UNFPA)と米州開発銀行(IDB)の支援を受け、国内の3大学に5年制の助産学部が設置されている。2022年までに合計466人が助産師の資格を得て卒業している。だが、現在国内で助産師として公共の医療施設で働いているのはわずか90人。限られた国家予算の中で医師の雇用が優先され、助産師の公募枠が少ないことや、そもそも助産師という専門職について保健省の認知度が低いことなどが理由だという。ドナーであるIDBが助産師の教育のために保健省に対して金銭的な支援を行うと同時に、助産師の公募枠を確保するように働きかけていることで現在90人の雇用が成り立っているのが現状だ。クリスティーナも卒業後、医療機関で専門知識を生かし助産師として働くために応募をしたが、これまでに採用されたことはなかった。「今後、助産師の公募枠が確保され、毎年継続されていくための予算を確保する政策を国や地方自治体が作ることが不可欠です」と、UNFPAボリビア事務所の職員、グスタボ・タピアは言う。

助産師を目指し、ボリビア南部タリハ県の大学の助産学部で学んだクリスティーナ(34)=ラパス市の自宅で

ラパスの街並みと遠くに望む標高6439mのイリマニ山=ラパス市で

ボリビアでは専門的な助産師によるリプロダクティブヘルス、妊産婦、新生児ケアのニーズが12%しか満たされていない。国連サミットで採択された持続可能な開発目標の一つは、出生10万人に対して妊産婦死亡率を70人未満に減少させること。それを達成するためには2030年までに助産師の充足度を12%から75%にまで上げる必要があり、そのためには国内の公共医療施設で雇用される助産師を現在の90人から約1千人にしなくてはならない。妊婦健診は、無料で受診できるにもかかわらず全体のわずか33%だという。大学で学んだ助産師や、保健省設置の訓練を受けた医療施設と提携している伝統的助産師を含め、女性たちのケアを専門的に行う助産師の雇用を拡大することが妊産婦死亡率を減少させるために必要だ。

UNFPAボリビア事務所代表で助産師でもある木下倫子は「ボリビアの保健省によると、2022年に3万5470人の10歳から19歳の女性が妊婦健診を受けています。つまり1日平均97人の19歳未満の女性が妊娠をしています。こうした思春期の男女を対象にした健康を守るための性教育や、家庭内やコミュニティーでの暴力の予防を伝えることも助産師の役割として必要とされています。また産婦人科医が不足している過疎地域では先住民族の女性が多く、ボリビアの妊産婦死亡率全体の68%をこうした先住民族の女性たちが占めています。助産師が公共の医療施設で働き、妊産婦一人ひとりのニーズや文化にあったケアをすることが妊産婦と新生児の健康につながります」と話す。

使命感を持って

アナの介助によって自宅で出産をしたデリアは、「出産数日前、体に違和感を持ち、以前アナさんにお産を介助してもらった親類に勧められて診療所を訪ねたのです。自宅で家族に囲まれ、経験豊富なアナさんに委ねて介助をしてもらうことで、心から安心できました」と語った。出産から1週間が過ぎ、デリアの体調は徐々に回復していた。

一方アナは、この日も診療所の異文化間分娩室内で妊婦健診を行っていた。その間も、アナの携帯電話にはひっきりなしに電話がかかっていた。アナによる出産の介助を予定している妊婦からの相談や、自宅での産後マッサージを希望する女性たちからの電話だ。

「女性たちの健康を守るために、伝統医療と現代医療の連携は今後ますます強くなる必要があると思います。女性が望む出産の方法を尊重しながら、赤ちゃんを無事に誕生させることは常に重い責任を伴いますが、助産師の仕事は私の使命だと思っています」と、アナは静かに言った。(文中敬称略)

伝統的な助産師たち

セフェリナ・ママニ・フェンテス(48)ビアチャ市

アナ・チョケ (63)エルアルト市

ジュディ・ヒメナ・カストロ(28)エルアルト市

オズワルド・ペレス(54)エルアルト市

バレンティーナ・ティコナ・ユーパンキ (55) エルアルト市

アセンスィア・ティコナ(51) エルアルト市 

ベルタ・サントゥーサ・クリスピン・メンドーサ (86) ラパス市

アデラ・キスぺ・アレホ (50) アチョカヤ市

ファウスティーナ・オノフレ(50)エルアルト市

ルペルタ・トラ テコチェ(70)パタカマヤ市

アブドン・ナタリオ・ スントゥーラ・コスメ(83)ラパス市

エウへンニャ・コリラ(65)ビアチャ市