「詩作禁止令」に抗議 アフガニスタンへの連帯で詩集が生まれるまで
「詩を書きたい」。アフガン詩人の訴えが、世界の詩人の心を動かし、詩集『詩の檻はない』に結実しました。この文学的抗議は、どのように生まれたのでしょうか。

「詩を書きたい」。アフガン詩人の訴えが、世界の詩人の心を動かし、詩集『詩の檻はない』に結実しました。この文学的抗議は、どのように生まれたのでしょうか。
表現の自由や女性の人権を抑圧するアフガニスタンのタリバン政権に対し、世界各地の詩人たちが詩作で声を上げた。その詩集を世界に先駆けて発行したのは日本の詩人たちだ。『詩の檻(おり)はない』(デザインエッグ社)に結実した思いを、玉懸光枝さんがつづる。
アフガニスタンでイスラム原理主義勢力のタリバンが首都カブールを制圧し、アメリカ軍が完全撤退して2年が経った。2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ、いわゆる「セプテンバーイレブン」以来、20年にわたりアメリカが主導してきた「テロとの闘い」や、西側諸国が進めてきた民主化支援の下で、社会参画を果たしてきた現地の女性たちは、教育を受ける権利や経済活動の自由を再び奪われた。公開処刑の復活など恐怖政治が全土を覆っている。
タリバン統治に対する異議や民主主義的な価値観も封じられ、地元記者への脅迫や暴力が続くなど、表現の自由も著しく制限されている。今年1月には詩の創作も禁じられた。
こうした中、首都カブールの陥落から丸2年にあたる8月15日に日本で一冊の本が刊行された。『詩の檻(おり)はない』。アマゾンの予約数ランキングで1位を記録するなど発売前から話題を呼び、日本ペンクラブをはじめ、文壇関係者からも注目されている。「アフガニスタンにおける検閲と芸術の弾圧に対する詩的抗議」という副題がつけられている通り、アフガニスタンの現状を強く危惧する各国の詩人が連帯して抗議の意思を示し、表現の自由を訴える詩集だ。
きっかけは、一人の女性詩人の訴えだった。ソマイア・ラミシュさんは、アフガニスタン西部のヘラート州で議員として活動しながら詩作を続けていたが、タリバン復権を受けて国外に逃れた。現在はオランダを拠点にウェブサイト「バームダード(夜明け) 亡命詩人の家」を立ち上げ、創作を続けている。表現者への抑圧が強まる祖国の状況を強く危惧した彼女が2月にSNS上で「世界の詩人たちへ」と題し、「詩作禁止令に抗議する詩を送ってほしい」と、連帯を呼びかけたのだ。これに応え、カナダやベルギー、インド、ナイジェリアなど、さまざまな国や地域の詩人たち約100人から次々と詩が寄せられたという。
日本で詩の募集や取りまとめの先頭に立ったのは、企業勤めのかたわら詩人として活動する北海道旭川市の柴田望さんだ。アフガニスタンに関する情報サイト「ウエッブ・アフガン」を通じてソマイアさんの訴えを知った柴田さん。それまでアフガニスタンに縁がなく、現地の情勢にも詳しくなかったため、アフガニスタンの支援団体やソマイアさんに連絡を取って詩作禁止令が事実であることを確認したうえで、SNS上で積極的に拡散し、自身も「暁」という詩を詠んでソマイアさんに送った。「詩を書いたり読んだりする行為は世界を認識するための方法の一つであり、どう生きるかを模索する行為。詩人が詩を発表する場所を求めていると聞いた以上、放っておくことはできませんでした」と、柴田さんは振り返る。
しかし、欧米の詩人や文学団体がソマイアさんの呼びかけに応えて続々と声明を発表し、抗議の姿勢を打ち出したのとは対照的に、日本の文学界は慎重な姿勢を崩さなかった。「詩を送ると出版費用として多額の請求が来るのではないか」と不安がる人もいれば、「よその国の政治的な話に口を挟むべきではない」と指摘する人もいて、柴田さんは驚きと歯がゆさを感じたという。それでも、20代から30代の若手を中心に賛同してくれる詩人は少しずつ増え、3月上旬の締め切りまでに日本各地からソマイアさんに送られた詩は36編に上った。
集められた詩は、当初、「バームダード」上に掲載される予定だったが、まずフランスで書籍化されることが決まり、大学関係者の協力を得て、日本語で寄せられた詩をフランス語に翻訳する作業が進められた。並行して日本でも出版できないかとソマイアさんから相談された柴田さんは、逆に英語やフランス語で寄せられた詩の日本語訳や編集、校正に取り組み、表紙の装丁も急ピッチで進めた。文学者や研究者、写真家、イラストレーターなど、幅広い人々が趣旨に賛同して協力してくれた。
『詩の檻はない』というタイトルは、ソマイアさんの呼びかけをいちはやく受け止めて世界に広げたフランスの詩人で小説家のセシル・ウムアニさんによる詩の一節「No Jail Can Confine Your Poem」からつけたという。
柴田さんは、自身について「これまで日本の詩の世界でやっていくことに懸命で、海外にあまり目が向いていませんでした」と話す。アフガニスタンが置かれている状況も、今回の呼びかけを通じて初めて知った。そんな柴田さんがソマイアさんの訴えを無視できず熱心に動いた背景には、「旭川の詩人として」2つの理由があった。
第一に、旭川が詩人の小熊秀雄(1901~1940)や今野大力(1904~1935)らとゆかりが深いためだと柴田さんは言う。2人とも一時期、旭川に居を構えて旭川新聞の紙上に多くの詩を発表し、市はその功績をたたえて1968年に小熊秀雄賞を制定している。2人が生きた第2次世界大戦前夜は、言論弾圧が厳しさを増し、文壇にも閉塞(へいそく)感が漂い始めていた時代だった。実際、今野大力は後にプロレタリア文学に傾倒し、治安維持法で検挙され拷問により亡くなった。「自由にものが言えなくなっていく時代に自由や理想を謳(うた)い上げた旭川の先人たちに敬意を表し、表現の自由や権力の問題に敏感でありたい」と柴田さんは話す。
第二に、旭川で詩誌『青芽』を創刊し、71年にわたり運営し続けた詩人の富田正一(1927~2021)の存在も大きい。柴田さんは、戦時中、通信兵として死地へ赴く特攻隊員たちを多く見送った経験を抱えながら詩人の創作の場を守り続けてきた富田氏から指名を受け、2017年に後継誌『フラジャイル』を創刊した。「自由に表現できる世の中を作ろうという富田氏の思いを受け継ぐ者として、活動の場を求めるアフガニスタンの詩人たちの訴えに応えなければいけないと思いました」と、熱く語る柴田さん。詩や芸術が政治利用されることを警戒する声もあることは承知しているものの、「詩を書きたいという詩人を応援したいという意思を持つことは政治以前の話」であり、「根源的な存在の問題に関わる人類の思いに触れることこそ、詩の営み」だと言い切る。
日本語版『詩の檻はない』には、世界各地から寄せられた詩のなかから日本人36人と海外21人の作品が収められている。BBCペルシャ語放送や英インディペンデント紙で大々的に報じられるなど、国際社会の関心も高い。8月下旬には、旭川市内で出版記念イベント「世界のどの地域も夜」が開かれ、ソマイアさんのビデオメッセージも放映された。ソマイアさんは、「タリバンの復権以来、アフガニスタンでは、芸術がことごとく破壊され、詩作も禁じられて悲劇的な状況が続いていますが、時間の経過とともに世界から忘れられつつあります」と、危機感をにじませ、日本語版の出版が実現したことに謝意を表明。最後に「すべての人間が自由になるまで、いかなる人間も自由とは言えません。今も抑圧されているすべての人々の人間性が解放される日まで、引き続きご協力ください」と訴えると、会場からは拍手が湧き起こった。
国が力で人々の自由を奪い、言論を封じ込めているのは、残念ながらアフガニスタンだけの話ではない。クーデターを起こした軍による弾圧が続いているミャンマーや、ロシアから侵攻を受けているウクライナ、長期政権が対抗勢力を徹底的に排除して総選挙を形骸化し、独裁化を進めているカンボジアやニカラグアなど、市民が抑圧下におかれて心身や生命の危機にさらされる状況は、今も世界各地で見られる。これまで生きてきた経験や知識の枠では受け止めきれない情報もあるだろう。しかし、だからこそ、新しい時代へと進んでいくためには、「あり得ない」「信じられない」と切って捨てるのではなく、今、同じ時代を生きている誰かが抱える大変な思いを理解しようという「想像力」が必要だと柴田さんは考えているのだ。
さらに柴田さんは、「近年、各国に広がっている強権主義は、かつて日本社会にもあり、それによって多くの人々が亡くなったという歴史を思えば、世界で今、起きていることは、決してひとごとではありません」と続けた。他国の情勢に目を向けるということは、自分たちの歴史について考えることだというのだ。「過去について考えるということは、現在や未来について考えるということであり、自分がどう生きていくのかという問題にもつながっているのです」
『詩の檻はない』は、今年11月にフランス語版も出版されることが決まっており、日本から集まった36編の詩もフランス語に翻訳されて掲載される。さらに、12月にはソマイアさんを日本に招く構想もあり、招聘(しょうへい)準備も始まった。「ゆくゆくは詩の分野以外にも交流を広げていけたら」と、柴田さんは希望を膨らませる。
アフガニスタンへの思いを通じてつながった世界の詩人たちによる文学的な抗議が、今、静かなうねりを起こし始めている。