子どもたちと笑顔を見せるコリンズ・ワソンガさん(右から2人目)=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
A-GOALリーグの運営責任者を務めるケネス・アモロさん。右はコリンズ・ワソンガさん=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
A―goalリーグが開かれる会場のグラウンドでは、子どもたちが元気に走り回っていた=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
グラウンドで子どもたちが蹴っていたサッカーボールは、革がはがれてすっかりぼろぼろだった=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
白熱する試合の様子を寝そべって見守る子どもたち=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
試合で激しく競り合う子どもたち。グラウンドに赤土の土ぼこりが立った=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
A―goalリーグに参加している選手が手にしていたスパイク。底がすり減り、革も破れていたが、サンダルで出場する選手もいる中で、スパイクは子どもたちにとって大切なサッカー用具だ=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
A-GOALリーグの会場で笑顔を見せる子どもたち=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
ストリートチルドレンのチーム「ワナブジョ」の選手たち。ユニホームはないので、試合に臨むときはビブスを着て出場する=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
「ワナブジョ」に所属するストリートチルドレンのエマニュエル・ニャンディカさん=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
A―goalリーグの試合に臨むストリートチルドレンのチーム「ワナブジョ」の選手(左)=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
A-GOALリーグの試合後、炊き出しが行われる「アガペ・ホープ・フォー・キベラ」の庭は、多くの子どもたちでにぎわいを見せる=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
日が暮れた後、多くの人でにぎわうライニサバ地区の通り=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
ライニサバ地区の一室に家族と住むファブリカン・ンブラさん=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
ライニサバ地区に住むファブリカン・ンブラさん(左)の自宅。練習後は部屋で洗濯をする=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
教室で授業に臨むブラントン・シオソさん(中央)。クラスメートにはやし立てられ、少し照れくさそうな表情を浮かべた=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
年代別ケニア代表に選ばれているブラントン・シオソさんは「17歳でプロデビューしたい」と夢を語った=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
コミュニティースクール「アガペ・ホープ・フォー・キッズ」で学ぶ子ども=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
「アガペ・ホープ・フォー・キベラ」に通うギフト・シルビアさんの居室。わずかなスペースに、家族3人で暮らしている=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
夕暮れ時、多くの人でにぎやかなライニサバ地区のグラウンドを歩くアイザック・オティエノさん(中央)=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
A-GOALリーグが開かれた日の夜、「アガペ・ホープ・フォー・キベラ」のオフィスでは、夜遅くまでリーグを運営する関係者たちが話し合いをしていた=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
A-GOALリーグの試合後、食事とともに、女子の選手には生理用品が配られる=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
試合会場で、ワソンガさん(右)と話すA-GOALケニア支部リーダー(当時)の平塚里奈さん=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
日が暮れた後も、キベラの中にあるグラウンドで練習をする子どもたち。所属チームのコーチは「放っておいたらみんな、真っ暗になるまでサッカーをしているよ」と笑いながら話した=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
小高い丘の上で遊ぶ子どもたち。カメラを向けられ、ポーズをとってみせた=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
A―goalリーグの試合で、コーナーキックを蹴る選手=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
コリンズさんとケネスさんが運営するコミュニティースクール「アガペ・ホープ・フォー・キッズ」の校庭=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
A-GOALリーグの開催日は、「アガペ・ホープ・フォー・キベラ」の庭で炊き出しが行われ、子どもたちが行列を作る=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
へこんだボールを蹴ってサッカーをする子どもたち=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
ぼろぼろのボールでサッカーをしていた少年。ふと立ち止まり、カメラを見つめた=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
市街地の幹線道路は、多くの車が行き交っていた=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
赤茶色のトタン屋根が見渡す限り続くキベラスラムの街並み。「チョコレートシティー」と呼ばれるゆえんだ=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
2024年の春に起きた洪水の影響が残る川の近くを、黒い犬がうろついていた=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
赤茶色のトタン屋根が並ぶキベラスラムの住宅街=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
キベラスラムの中を流れる川沿いは、2024年の春に起きた洪水の影響が今も残っていた=2024年10月、ケニア・ナイロビ、筆者撮影
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