いつかロナルド選手のように ケニアのスラム街、サッカーに賭ける夢
ケニア・ナイロビにあるアフリカ最大のスラムの子どもたちが参加するサッカーリーグ「キベラA-GOALリーグ」。サッカーに夢を託す子どもたちを取材しました。

ケニア・ナイロビにあるアフリカ最大のスラムの子どもたちが参加するサッカーリーグ「キベラA-GOALリーグ」。サッカーに夢を託す子どもたちを取材しました。
東アフリカ最大の都市、ケニア・ナイロビ。市街地の中心部から車で20分ほどの場所にあるグラウンドで、サッカーの「キベラA-GOALリーグ」が開かれている。参加しているのは、子どもたちで、その多くはアフリカ最大のスラムとも言われる「キベラスラム(キベラ)」に住んでいる。2023年3月、キベラに暮らす子どもたちの生活環境を改善しようと、現地のサッカー関係者が日本の支援団体と協力し、子どもたちのためのサッカーリーグを創設した。食料難や高い犯罪率など、多くの社会問題が凝縮されたスラムで、サッカーに夢を託す子どもたちや、その成長を見守る大人たちの姿を取材した。
2024年10月上旬の深夜、ジョモ・ケニヤッタ国際空港に降り立った。空気はひんやりとしていて、まもなくこの年2度目の雨期を迎えるナイロビの気候は、東京に比べてはるかに過ごしやすかった。ホテルの敷地に入るゲートでは警備員と訓練された犬が車のトランクや内部を点検した。厳重なセキュリティチェックが、不安定な社会情勢を映し出しているようだった。ケニアでは、イスラム系組織によるテロが発生しており、政府が厳重な警戒態勢を敷いているという。
キベラの入り口で出迎えてくれたのは、サッカーリーグの運営メンバーの1人で、キベラで小学校を運営するコリンズ・ワソンガさん(37)。外国人が独り歩きをすることは危険なので、観光客向けにキベラを案内しているワソンガさんと一緒に、キベラを歩いた。
キベラ内の5地区のうち、最大であるサラゴンベ地区は、ワソンガさんが育った場所でもある。露店が立ち並ぶ道路から、大人2人がすれちがうのがやっとの細い路地に入る。入り組んだ路地はまるで迷路のようで、土壁の住宅が所狭しと立ち並んでいる。ところどころにある小屋は、有料のトイレだという。20シリング(約24円)の料金が払えない場合は、「その辺」で用を足す。実際、ボール紙の上に乗せられた便を見かけた。これを片づけるのは住人で、川や屋根の上に、ボール紙ごと放り捨てるのだという。
頭上には、細い電線が張りめぐらされており、しばしば火災を引き起こす。それぞれの住居まで水道がつながっていないため、住人はポリタンクを手に、水くみ場まで歩いていく。そもそもスラム内の電気や水は、外部から違法につないだ電線やホースで引き込んでいるという。
地区を流れる小さな川の脇には、ゴミが山のようにあふれていた。昨年5月、雨期の大雨の影響で、この川が氾濫し、川沿いに立つ多くの家が被害にあった。マイク・ニャブトさん(27)は「これまで3回ほど洪水を経験しているが、今回は最悪だった。仲がよかったおじが流され亡くなった。ショックだったよ」。ニャブトさんによると、地区では子どもを含む5人が亡くなったという。友人の一人も、家の中のものを全て流された。「たくさんの人が家をなくした。とても貧しいエリアだけど、僕たちは服をあげたり、お金を出し合ったりして、お互いに助け合ったんだ」。今は、土壁に当時の洪水の跡が見られるが、人々は暮らしを取り戻している。
キベラには、スラムを横断するように走る線路がある。1日5本、電車が通るというが、人々は線路沿いにもさまざまな露店を出している。線路を伝って少し歩くと視界が開け、地区を一望できる丘に出た。「チョコレートシティーにようこそ」とワソンガさんが言った。赤茶色にさびたトタン屋根が並んでいる様子はたしかに、板チョコレートのようだ。
見渡す限り続くスラムの光景に圧倒されていると、子どもたちが、空気が抜けてボールの形を保てない、おんぼろのボールを蹴ってサッカーを始めた。みんなサンダルで、コートもゴールもないがお構いなしにボールを蹴る。それを見たワソンガさんは「ここからみんなスタートするんだ」と言った。
サッカーリーグが行われているのは、キベラの外れ、ウッドリー地区の一角にあるサッカーグラウンド。乾燥した赤土のグラウンドは、子どもたちが駆け回ると土が舞い上がる。石がむき出しになっている場所もある。決していい環境とは言えないが、訪れるキベラ周辺のサッカー関係者はみな、「リーグができたことで、子どもたちを取り巻く環境は大きく変わった」と話す。
9月に開幕した2024年の後期リーグは、U9(9歳以下)、U11(11歳以下)、U13(13歳以下)、U15(15歳以下)、U15女子の五つのカテゴリーに分かれている。キベラ内外にある112チームが参加し、子どもたちの数は1629人にも及んだ。12月8日に閉幕するまで、1405試合が行われた。
リーグの運営責任者で、ケニアのトップリーグ「ケニアプレミアリーグ」でも選手として活躍したケネス・アモロさん(36)は「10年以上前、キベラの中で開かれるリーグ戦があったが、運営費がまかなえずに続けることができなかった」と話す。チーム同士のコミュニケーションもほとんどなく、練習試合もままならない状況だったという。
「裕福なエリアにあるアカデミーは、キベラのチームとはなかなか試合を組んでくれない。彼らは心の底で『スラムのチームだから、選手たちが何か盗むんじゃないか』と思っていたことでしょう」。子どもたちは目的もなく、ただボールを蹴るだけだった。
かねてから、アモロさんたちはリーグの創設を願っていた。なぜか。貧しい暮らしを強いられるスラムでは、生活の中に多くの危険が潜んでいる。犯罪に手を染めたり、違法薬物に走ったりする子どもたちも少なくない。リーグ戦を開催できれば、毎週末、定期的に試合が行われ、子どもたちを健康的に忙しくすることができるからだ。
一番の課題は運営費だった。あるとき、アフリカ在住の日本人男性に相談したところ、クラウドファンディングで約180万円の資金を集めることが出来た。日本人男性は、アフリカの支援をする日本の一般社団法人「A-GOAL(エー・ゴール)」の一員だった。A-GOALはクラウドファンディングに加え、複数のスポンサー企業を募り、2023年3月に「キベラA-GOALリーグ」を創設した。
A-GOALは、青年海外協力隊(現・JICA海外協力隊)としてケニアに派遣経験があった岸卓巨さん(39)が代表となり、2021年に日本で設立された。前年、新型コロナの感染拡大で打撃を受けたアフリカのために立ち上げた緊急支援プロジェクトがきっかけだった。経済の悪化に伴い、スラムに住む人々が失業し、日々の食料を買うお金を稼げなくなっていく。そうした声がケニアの知人から届き、岸さんはアフリカ各地に送る食料や支援金集めに奔走した。
もともとスポーツクラブのコーチたちと交流があった岸さんは、行政の手が届きづらいスラムのコミュニティーに対する支援は、地域に根ざしたスポーツクラブを通じて行う方法がいいと考えた。結果的に、多くの支援物資をスムーズに届けることが出来た。以来、キベラに対する支援を定期的に行っている。サッカーリーグでは、資金調達や物資の援助、広報活動などで運営を支えている。
アモロさんは「A-GOALの支援はサッカーだけでなく、コミュニティー全体に良い影響を与えている。彼らとはこれからもずっと一緒に仕事をしていきたいと願っている」と言う。
グラウンドに集まる多くのサッカーチームの中に、異色のチームがある。Wanabujo(ワナブジョ)は、ストリートチルドレンが集まるチームだ。多くのメンバーはホームレスで、生きるために物乞いをしたり、ゴミの山からプラスチックや金属を拾ったりして生計を立てている。一昨年のリーグ戦を見に来た子どもたちが、「自分たちも参加したい」と志願してきた。ワソンガさんは「全ての子どもたちに参加してほしい。それがこのリーグの狙いだから。ストリートからでも大歓迎。彼らは熟練した、とてもいい選手だよ」と話す。スワヒリ語で「子どもたちと一緒に」という意味の「Watoto Pamoja」という言葉から、チーム名を付けた。
このチームのメンバー、エマニュエル・ニャンディカさん(16)もストリートチルドレンだ。路上生活を始めたのは2017年ごろ。キベラに借りた家に、母親と姉、2人の弟とともに住んでいたが、学校に通うためのお金が払えなくなり、食料にも不自由するようになった。家賃も払えなくなったため、家を引き払い、路上暮らしを始めた。母親は仕事を求めてウガンダ国境の町ブシアに移り住んだ。姉は現在、ナイロビ市内で家政婦の仕事に就いているが、2人の娘がおり資金援助はほとんど望めない。弟たちは、それぞれ路上や教会で出会った支援者から援助を受けて学校に通っているという。「僕はいつかメカニックになりたい。勉強をするために、僕も誰かに少しでもお金を出してもらえないか、考えているところなんだ」
9歳で学校をやめ、路上で暮らしてきたニャンディカさん。廃棄されたゴミの中から、ペットボトルを拾い集め、売ったお金で生活している。収入がある日にはトウモロコシの粉で作るケニアの伝統食、ウガリを買って食べる。しかしペットボトルは約1キロで20シリング(約24円)。1食約100シリング(約120円)のウガリを買うために、5キロものペットボトルを集めて売らなければならない。「ごはんを食べずに寝る夜もあるよ。食べ物がないのは、本当にきつい」。夜は市場の外れで眠り、朝が来るとまたペットボトルを拾いに行く。その繰り返しだ。
「友達とサッカーをしている時間はとてもリラックスできる。リーグに参加するようになってからは、ぼんやりしている時間もなくなって、悪いことに手を染める心配もないよ」。路上でもがきながら暮らす子どもたちも、ともに汗を流し、サッカーをする喜びを感じている。
キベラ東部のライニサバ地区にあるグラウンドで、夕暮れ時、子どもたちがサッカーの練習に打ち込んでいた。子どもたちを見つめる大人の中に、かつてここでサッカーコーチをしていたモリス・オニャンゴさん(49)がいた。「20年以上前、私たちはこのグラウンドで7カ月間、子どもたちがプレーできる大会を開いていた。でもそのときは、誰も純粋にサッカーを楽しめる状況ではなかった。見ている人がペンキの缶やビンを投げ入れてとても危険だったし、あるときは漏電で火災が起き、ゴールポストの近くまで煙が流れ込んできた。あわてて試合を中断したよ」。ライニサバ地区は、キベラの中でも特に危険な場所が多くあり、犯罪も多い。オニャンゴさんは、生きるために盗みを働き、警察に撃ち殺された人を何人も見てきた。
オニャンゴさんは、グラウンドで子どもたちに交じってボールを蹴っている男性を指して言った。「彼はここでプレーしていた子どもの一人だ。かつてはとてもいい選手だった。だが不幸なことに、サッカーをやめざるを得なくなった」と話した。
その男性、アイザック・オティエノさん(22)はこちらに近づいてきて「ケニアのサッカーは停滞しているけど、ここでプレーしている子どもたちの中には豊かな才能があるんだ」と話しかけてきた。
オティエノさんは13歳の時、母を亡くした。仕事で客と待ち合わせるために外出した先で、窃盗犯と警察の撃ち合いに巻き込まれたのだという。3発の銃弾を受け死亡した。「母を失って全てを失った。アフリカでは父親よりも母親が生活を支える中心にいる。生きていくために学校をやめ、サッカーをやめ、お金を求める生活が始まった。それはきつい経験だったよ」。それからしばらくして、中古スニーカーの販売を始めた。現在も不安定な状態だが、オティエノさんは前向きな気持ちを忘れないようにしている。「僕はサッカーをやめざるを得なかったけど、時間があればこうしてボールを蹴るようにしている。サッカーは僕の人生の一部だから」。いつか子どもたち向けのサッカー教室を開くのが夢だという。
「子どもたちは、どんな立場に置かれていようと、どこに住んでいようと、強く生きていれば自分たちの思いを成し遂げることができる。アイザックのおかげで、今自分はここにいるんだ、そう思ってほしいんだ」。夕日が差し込む広場の隅で、オティエノさんは語った。
辺りが暗くなるとともに、グラウンド一帯は独特のざわめいた雰囲気に包まれる。オニャンゴさんは「これでもだいぶよくなったが、夜は警察も来たがらない場所だ。ここではいとも簡単に襲われて盗まれる」と言う。このエリアを拠点とするチーム、フューチャースターズのコーチ、アブディ・ノールさん(28)が、足早に案内してくれたのは、グラウンドから歩いて3分ほどの場所に住むファブリカン・ンブラさん(14)の自宅だ。トタンの壁に囲まれた狭い路地の先にある木製の階段を上り、奥の部屋で母親のアン・ンブラさん(32)が迎えてくれた。
ファブリカンさんは、6畳ほどの居室に、母親と3人のきょうだいの合計5人で暮らしている。家賃は月4千円ほど。父親は7年前、酒に酔って、事故に遭い亡くなったという。父親は稼ぎがなく、亡くなる前もその後も、アンさんは1人で家族を養っている。朝早くから自宅の外でヘアサロンを開くが、客が来ない日もある。「食費に洋服代、家賃、学費を払わなければならないけど、とても厳しい」。ファブリカンさんは、公立学校に通っているが、学費が払えず学校が立て替えている状態だ。このまま支払えないと、ファブリカンさんは学校に通うことができなくなるという。
ファブリカンさんは、フューチャースターズの一員として、A-GOALリーグに参加している。リーグが始まる前は、練習試合が組まれることも少なかったが、今は毎週試合が開かれる。緊張感のある公式戦を経験し、「サッカーがうまくなった」と感じている。ただ、ファブリカンさんにとって一番大きいのは「試合の後に、ごはんを食べられる」ことだ。試合の後には、選手の保護者らがいつも炊き出しを用意してくれる。ファブリカンさんは今は週の半分は1日1食で過ごす。厳しい生活の中で、ファブリカンさんに生きる力を与えるのは何か、と問うと「僕はサッカー選手になりたい。その夢を達成するためにがんばっている」と答えた。
サッカー少年に聞けば、ほとんど誰に聞いても、それぞれのあこがれの選手がいる。中でも元ポルトガル代表のスター、クリスティアノ・ロナルド選手の人気は高い。
ブラントン・シオソさん(14)も、ロナルド選手にあこがれるサッカー少年の一人だ。シオソさんはA-GOALリーグに参加することで、夢の実現に一歩ずつ近づいている。一昨年、リーグでのプレーの様子がスカウトの目にとまり、国内から選抜された20人ほどのメンバーと一緒に、年代別のケニア代表のトレーニングに参加した。今後も継続的に選ばれることができれば、近い将来プロ選手としてデビューする夢が開ける。
シオソさんが住んでいるのは、キベラから車で20分ほど離れた場所にあるカワングァーレのスラムだ。地区の強豪チーム、アストン・ローマU15の主将で、ストライカーとして活躍している。コーチのムニル・ラマザンさん(39)は「15歳以下のカテゴリーでは、一番の逸材」と胸を張る。ラマザンさんは、シオソさんが9歳の頃、路上でサッカーをしているのを見て技術の高さに驚き、チームに招き入れた。
シオソさんは現在、中学校に通っている。ムスリム系の学校だが、シオソさん自身はキリスト教徒だ。学校を訪れると、国語の授業中だった。教諭のムルワ・ニコラスさん(34)は、シオソさんの成績はトップレベルであると話す。「彼は規律正しく、責任感が強い。完璧な生徒です」と評価する。
だが、やはり生活環境は厳しい。家はスラムにある小さな一室。母のマリオン・シニョウワさん(38)は「夫がタクシーの運転手をしているけど、収入はとても少ないし、私は何も資格や特技がなく、できる仕事がない。だからブラントンがサッカー選手として成功して、必ずこの苦しい生活を変えてくれることを信じている」と話すと、シオソさんは「いつか家族が自分たちの家を持てるようにしてあげたい」と答えた。
シオソさんには、ロナルド選手の他に、もう1人のアイドルがいる。マイケル・オルンガ選手だ。Jリーグでも圧倒的な得点力を見せ活躍したナイロビ出身のオルンガ選手は、ケニア工科大を卒業し、母国では「エンジニア」のニックネームで親しまれている。シオソさんは「もしサッカー選手になれなくても、厳しい生活から抜け出すために一生懸命勉強したい」と、学びにも意欲的だ。「だけど今はとにかく努力して、世界最高のサッカー選手になりたい。そしていつかここに帰ってきたときに、ボールやジャージをたくさん寄付して、子どもたちがもっといい環境でサッカーを楽しめるようにしたい」と語った。
A-GOALリーグを実質的に運営しているのは、アモロさんがトップを務める約20人のオーガナイザーたちだ。リーグの試合後には、アモロさんとワソンガさんが運営するコミュニティースクール「アガペ・ホープ・フォー・キベラ(アガペ)」のオフィスで、遅くまでミーティングを開き、リーグをもっとよくするために、何をするべきかを話し合う。
「以前はキベラにあるたくさんのチームのコーチ同士は仲良くなかったし、お互い関係ないといった感じだった。だけどリーグが出来て、大人たちも互いに学び成長しようという雰囲気になった」とアモロさんは言う。「だけど一番すばらしいのは、子どもたちがサッカーに夢中になっている姿を見ることだ」
アモロさんは、ナイロビから車で約3時間離れたナクルで生まれ育った。生活は貧しく、学費が払えずに10歳で学校をやめたが、サッカーは続けた。20歳でプロ選手になり、31歳で現役を引退した後も、指導者としてサッカーに関わっている。「僕の人生は、サッカーそのものなんだ」
18歳の時、アモロさんは参加したサッカー大会で、運命的な出会いをした。当時、キベラのサッカーチームに所属していたワソンガさんとの出会いだ。お互い貧しい家庭環境であったこともあり、すぐに意気投合した。
アモロさんは地元でプロ選手としてデビューした後、チームを移籍することになり、2009年にナイロビに移り住んだ。ワソンガさんの家に泊まり、共同生活をする中で、お互いの思いを共有し始めていた。ワソンガさんは、キベラで生まれ育った。キベラ内の学校で学び、サッカーもしていたが、家は貧しく、小学校卒業後は学校に行かず、16歳頃から、チームメートとともに非行に走った。
22歳の時、転機が訪れた。いつものように仲間とともにバイクで出かけた。通行人のバッグを奪おうとした時、警察官に撃たれ、仲間は死んだ。ワソンガさんは足に銃弾を受けたが、命からがら逃れたという。「私は生き残り、チャンスをもらったような気がした。2度目の人生は、自分だけじゃなく、他の人のために捧げると心に決めた」。同年、ワソンガさんはアモロさんとともに、コミュニティースクールの運営を始めた。初めは4~5人の子どもたちしかいなかった。アモロさんとワソンガさん、校長のローズ・アコスさん(35)は、お金がなく学校に通うことができない子どもたちを歩いて探した。
今、アガペには、3歳から11歳までの子どもたち約100人が通っている。コンテナで作られた教室の中で、子どもたちは歌い、学ぶ。アガペは支援金で運営しており、学費は全て無料だ。キベラには約20の公立学校があるが、アガペのような学費無料の非公式のコミュニティースクールも多く存在する。
ギフト・シルビアさん(8)は5歳の頃、母に連れられて隣国ウガンダからキベラに移り住んだ。母はアボカドの行商をしていて、家に帰ってくるのは夜の8時過ぎ。「ママは毎日働いていて、私が休みの日はママが仕事に行けるように1人で読書をするようにしている」と言う。母と妹と、狭いスラムの一室で暮らす。部屋は3人寝るのがぎりぎりの広さだ。妹は常に病気がちで、シルビアさんは将来医者になるのが夢だ。
午後3時過ぎ。授業が終わると、子どもたちはいったん自宅に帰る。土ぼこりで汚れた制服を洗濯し、宿題を済ませてから遊びに出かける。ラッキー・シェファードさん(7)とジュニア・シャネルさん(9)の兄弟も、ポリタンクを手に、歩いて5分ほどの場所にある水くみ場に行き、洗濯を始めた。人なつっこい子どもたちは、ふざけながら楽しそうに、そして当たり前のことのように、せっせと服を洗う。
校長のアコスさんは「多くの子どもたちは、キベラの外の世界を知りません。外の暮らしを想像しようにも、彼らにとってはここが世界の全てなのです」。アガペでは、キベラの外に出かける機会を少しでも作りたいと、主に男子向けにはサッカー、主に女子向けにはチェスのプログラムを実施している。「私たちは、子どもたちの視野を広げたい。本を読むだけではなく、自分の目を開いて、いろいろな場所に行くことができるようになってほしい。キベラで生まれたからと言って、キベラで育つ必要はない」とアコスさんは話す。
A-GOALリーグの試合日には、アガペの庭で、子どもたちの保護者らがボランティアで朝早くから炊き出しの準備を始める。1日約1千人の子どもたちが、試合後の食事を楽しみにしている。子どもたちは手を洗い、持参した食器を手にし、大きな鍋の前に行列を作る。
ある日のメニューは、キャベツとトマトの煮込みと、伝統食ウガリ。またある日のメニューは、豆の煮込みとごはん。主食と主菜を用意し、栄養バランスを考えて作られている。フランクリン・シコーリさん(11)は「今日はキャベツがおいしかった。家に帰ったら、ごはんを食べられるか分からないから、ここで食べられたら安心だよ」と満面の笑顔だ。
女子チームには、生理用品も配布する。生活環境が不衛生なスラムでは、生理用品は必需品だが、多くの家庭では購入する余裕がなく、行き届きにくいのが現状だという。また学校に通えなかったり、仕事に就けなかったりする若者たちが、犯罪や薬物だけではなく、望まない妊娠をすることも大きな問題になっている。
キベラのようなスラムの治安の悪さは、若者が就ける仕事が少ないことが原因の一つだと、NG-CDF(ケニア政府による開発基金)キベラ事務所のマクスウェル・オチュペさん(35)は指摘する。
アモロさんは言う。「ここでは、頑張って勉強をして、大学を卒業したとしても、ちゃんとした仕事に就ける保証なんかないんだ」。そしてこう続けた。「私は今、こうして一杯の紅茶を買えるようになったが、自分が貧しい出自だということを忘れたくない。何も持たずに生まれ育ったキベラの子どもたちだって、サッカーを通じて立派な人間になれるということを伝えていきたい」
試合が行われる週末の夕方、アガペの庭は子どもたちであふれかえる。日が暮れた後も、近くにあるたくさんの教会からはにぎやかな音楽が鳴り響いている。子どもたちはいつのまにか散り散りにそれぞれの「家」に帰っていった。
その様子を見たアモロさんは言った。「彼らは今日一日走り回って、おなかも満たされて、家に帰ったら疲れてすぐに寝てしまうだろう。つまりそれこそが、A-GOALリーグが目指すことなんだ」