「学び場」はゴミ集積場 教育受けられないタイの移民児童
タイでは近隣国からの移民や避難民が増加しています。彼らはさまざまな形でタイの経済を支える存在ですが、その子どもたちは十分に教育を受けられずにいます。

タイでは近隣国からの移民や避難民が増加しています。彼らはさまざまな形でタイの経済を支える存在ですが、その子どもたちは十分に教育を受けられずにいます。
ミャンマーやカンボジアなど近隣国からの移民や避難民が増えているタイ。彼らは、少子高齢化が進むタイ国内においては重要な労働力として経済を支える存在だが、その子どもたちの生活環境は厳しい場合が多い。特に教育環境については、タイ政府が公教育に受け入れる方針を示したにもかかわらず、実態はなかなか学校への就学が進んでいない。兵庫県立大学名誉教授の野津隆志さんが現地の実情とともに解説する。
人口547万人を超えるタイの大都市バンコクには、複数の巨大なゴミ集積所がある。ゴミ集積所の周りには移民労働者が家族とともに暮らしている。そのうちの一つ、バンコク・プラウェート区のゴミ集積所は、見渡す限りの敷地に巨大なゴミ袋が山積みになっている。私は2024年2月にこの場所を訪れた。毎日、生ゴミから粗大ゴミまでさまざまなゴミを満載したトラックが絶え間なく入っている。トラックが止まると作業員が集まり、一つひとつ手作業でゴミの分別をする。作業に当たる労働者は、ほとんどがミャンマー人である。
ゴミ集積所の片隅に、古い木材やベニヤ板を使った手作りの建物があった。周りは回収されたペットボトルで覆い尽くされている。建物の中をのぞくと、狭い空間で十数人の子どもたちが熱心に勉強していた。
ここは、ゴミ集積所周辺のコミュニティーに住むミャンマー人がボランティアで子どもたちに勉強を教えている私塾である。ボランティア教師は学校に通うことができない子どもが多くいるのを見かねて塾を開設したという。月に500バーツ(約2200円)の謝礼をもらっているが、支払えない家庭からはもらっていないという。
タイでは1990年代以降、隣国のミャンマー、カンボジア、ラオスなどから多くの移民労働者が移住し、さまざまな仕事に就いてタイ経済を支えている。正式な労働許可を持つ移民の数は335万人を超える(2024年8月、タイ労働省統計)。さらに、労働許可証を持たない「不法就労者」も200万人から300万人いると推定されている。急速に少子高齢化が進むタイにおいて、移民労働者は経済発展に不可欠な存在となっている。移民労働者は、家族を伴い移住する場合も多く、こうした子どもたちのための私塾の増加を招いている。
前述したバンコクの私塾は、「マイグラント・ラーニングセンター(MLC:Migrant Learning Center、移民学習センター)」と総称され、タイ全国に100カ所以上が存在する。MLCを支援するNGOによれば、タイ全国で約2万人の移民児童がMLCで学んでいるという。
MLCは多様である。私が訪れたような小さな私塾から1千人を超える大規模校まである。設備が貧弱で机や椅子のない施設や、親たちがボランティアで作ったかやぶき屋根の施設もある。一方都市部には、廃校になった学校の校舎を借りて、大規模に運営しているところもある。
MLCが多様であることは、タイに居住する数百万人の移民の家族が決して一様ではないこと、そして、地域によって、また親の経済状況によって子どもの教育への期待が多様であることを示している。
低賃金で不安定な仕事に従事する親は、将来母国に帰国するのか、あるいはタイで永住するかといった見通しがない。そのため、とりあえず安い授業料で子どもを受け入れてくれるMLCに通わせている。少数だが経済的余裕のある移民家族は、質の高いMLCで子どもを学ばせる。
MLCに数年通わせて、ある程度の読み書きができるようになれば、あとは親の仕事や家事の手伝いをさせた方がいいと考える親もいる。私は親たちに「なぜMLCを途中でやめたのか、卒業するまで行かせないのか」と尋ねたことがある。親たちは「子どもは体重が30キロだ」と答えた。私はその回答の意味がすぐには分からなかった。よくよく聞いてみると、「子どもは体重が30キロを超え、もう働けるほど大きくなったので勉強は必要ない」という意味だと分かった。教育より労働が重視される家庭状況なのである。
MLCを取り巻く最も大きな問題は、持続可能性を欠いていることである。MLCはタイ国内にありながら、タイ国内の行政機関とはまったく無関係に存在する「無認可教育施設」である。多くのMLCはタイ政府からの支援がなく、運営資金の多くを海外のNGOや民間からの寄付に頼っているため、安定的な運営が望めない。教員給与の未払いや突然の閉校などが頻繁に起こる脆弱(ぜいじゃく)な存在である。また、タイの公教育機関との接続や連携を定めた法令や規則がないため、子どもはMLCでの学習を終了してもタイの学校に進学できないといった制度基盤の弱さを抱えている。
タイでは移民労働者が増加した1990年代以降、移民児童の教育問題が注目されてきた。当時は移民児童がタイの公立学校へ入学するための規則もなかったため、MLCに通うか、そうでなければ児童労働に従事するかという選択肢しかない深刻な状況にあった。
そのため、タイ政府は2005年に移民児童にもタイの学校での教育機会を与えるための閣議決定を行った。この決定により、タイ国籍を持たない子どもでも、タイの国立学校(日本の国公立学校にあたる)への入学が認められるようになった。授業料無料はもちろん、制服代、給食代まで政府予算で負担することになった。
当初、この決定に基づくタイ語教育や教員増員など受け入れ態勢の整備は、関係者の努力にもかかわらず急速には進まなかった。
しかし近年では、タイ政府による受け入れのガイドライン作成など施策の推進もあり、移民児童の国立学校への就学者数は徐々に増加してきている。
タイ教育省の就学統計によれば、ミャンマー、カンボジア、ラオス国籍の児童数は、2014年の約7万5千人から2023年には約12万人まで増加している。しかし移民児童を支援するNGOによると、同数程度の子どもたちが不就学のまま取り残されていると推定されており、移民児童の不就学問題は依然として深刻である。
不就学問題が解消しない要因は複雑であるが、大きな要因の一つは、現場に「受け入れ格差」が存在していることである。移民児童を受け入れない学校は、むしろ受け入れている学校より多いかもしれない。
私が話を聞いた校長たちは一様に、「教員不足」「教室不足」「教員の負担増」といった理由を挙げて、受け入れに消極的である。特に都市部の進学校では、移民児童の入学により全体の学力が低下することへの懸念から、移民児童を受け入れたがらないのが実態だという。背景にはタイ人保護者の移民に対する否定的な感情への配慮もあるだろう。そのため、受け入れに積極的な学校に移民児童が集中し、移民児童数の方がタイ人児童より多い学校も存在する。
入学条件としてタイ語能力や、親の労働許可証を求める学校もある。タイ語ができない移民児童を受け入れる学校では、年齢にかかわらず小学1年生として入学させることが一般的である。しかし、特別なタイ語授業や個別指導は行われず、高学年に当たる体格の良い移民児童が、小柄な1年生と一緒に授業を受ける光景も見られる。こうした状況は、移民児童の学習意欲を低下させ、不就学につながる可能性も懸念される。
NGOによる移民児童の就学支援もタイの各地で展開されている。ある地域での就学支援プロジェクトでは、国際機関の資金援助のもと、NGO職員の献身的な努力により就学できる子どもが増えた。しかし、国際機関の資金援助の終了とともにNGOが撤退したため、小学校に入学する移民児童の数は激減したという。就学できる児童の増加を目指すあまり、資金援助終了後も見通した持続可能な制度構築に至らなかったためではないかと思われる。
このように、「すべての子どもに対し教育を受ける権利を保障する」というタイ政府の方針の実現のためには、持続可能性を視野に入れた制度構築が重要な課題である。
2024年9月13日、バンコクで、新しい考え方による移民児童の教育促進プロジェクトのオープニングセレモニーが開催された。このプロジェクトは、タイ教育省やタイの自治体、チュラロンコン大学やタマサート大学といった研究機関とともに、笹川平和財団、国際労働財団や横浜を拠点とするNGO「野毛坂グローカル」といった日本の民間の国際協力団体がパートナーとなり実施するものである。
その主要な特徴は、持続可能な制度の構築をめざしたものであることだ。そのためこのプロジェクトでは、日本側の団体とタイ教育省の担当部局が密接に情報交換を行い、日本の多文化共生施策の経験から得られた知見やノウハウもタイ側と共有することで、将来的にはタイ政府主導で移民児童への教育支援が全国的に展開されることを目指している。
また学校現場では移民児童がタイの学校教育にスムーズに適応できるよう、タイ語のできない移民児童のために、タイ語準備クラスを開設し、より効果的にタイ語を学べる仕組みを構築する。
さらに移民の集住コミュニティーでも地域住民を巻き込み、移民に対する偏見や差別を解消し、移民児童の就学を支援するためのボランティア育成も計画している。具体的には、タイ人の保護者たちを対象とした啓発セミナーを行い、ボランティアが移民児童の家庭を訪問し、就学に関する情報提供、学校への同行や学習支援などを行うことで、就学を促進する。
今年の11月から都市部のバンコク都や、地方のラヨン県タップマー市ではじまる実証モデルが、タイ全土における移民教育改善のモデルケースとなることを期待したい。