「誰も取り残さない教室」へ カンボジアに新しい公教育のかたちを
目覚ましい経済成長の陰で公教育の質が課題とされるカンボジア。現地に根付く日本のNPOが、まず先生たちの意識を変えることで学校を変えようと取り組んでいます。

目覚ましい経済成長の陰で公教育の質が課題とされるカンボジア。現地に根付く日本のNPOが、まず先生たちの意識を変えることで学校を変えようと取り組んでいます。
カンボジアでは、1975年からのポル・ポト派政権下で、教員を含む多くの知識層の命が奪われました。約50年前に教育基盤が壊され、カンボジアの教育省によると、現在も義務教育(日本の中学校までに相当)の修了率が57%程度であるカンボジアで、新しい公教育のかたちをつくろうと奔走する日本のNPOがあります。認定NPO法人「SALASUSU(サラス―スー)」共同代表の青木健太さん(41)に、カンボジアの教育をめぐる現状と、「誰も取り残さない教室」を目指した公教育改革事業について、話を伺いました。
――SALASUSUではもともと、貧困層の女性が人身売買の被害に遭うことを防ぐためにバッグや雑貨づくりの仕事をつくり、彼女たちの経済的自立を支援していました。女性たちがつくった商品をカンボジアや日本で販売していましたが、2023年に日本での販売を中止し、公教育の改革事業に注力することを決めました。その背景は。
教育事業自体は、ものづくり事業の中でも行っていました。というのも、カンボジアで2008年に工房を設立してすぐ、「働くためには教育が必要だ」と気づいたからです。例えば「約束の時間を守る」「求められる品質を維持する」「わからないことは聞く」など、仕事をするうえで僕たちが当たり前だと思っていた価値観は、当時のカンボジアの農村の人たちにはまったく通じませんでした。
背景を聞くと、小中学校での学びを途中でやめざるを得なかった人たちが多く、ライフスキルを身に付けるための教育を受けた経験が圧倒的に足りていないことがわかりました。2013年ごろには経済成長下のカンボジアで雇用の数が増えてきたので、僕たちも仕事をつくるだけでなく、職業訓練のような形で教育プログラムを展開していました。
ものづくりや教育事業などを幅広く展開していた僕たちですが、その後コロナ禍を経て、本当に注力すべきことは何か、社会の中で果たすべき役割は何かを問い直しました。僕たちがずっと応援したかった、貧しい家庭出身の子、学びの速度が遅い子、なかなか自分で将来を描けない子たちにどこで一番会えるかというと、それは公教育の場です。
それなら、もうものづくりにこだわり続けるのではなく、もっと広い層にアプローチできる公教育改革の事業に注力しようということで、みんなで意思決定をしました。
――カンボジアの公教育の現状を教えてください。
カンボジアの公教育は近年大きく改善していて、2000年に34%だった小学校修了率は2023年には86%を超えているという調査もあります。しかし教育の質は高いとは言えず、世界銀行などの調査によると、10歳時点で必要な読み書きと文章の理解ができる子どもはわずか10%といわれています。日本は96%です。
カンボジアでも金銭的に余裕のある家庭の子どもは私立学校や塾に通うことができますが、貧困層にとっては公立校が教育を受けられる唯一の選択肢です。公立校の授業は教師が一方的に話すスタイルが多く、たとえ生徒は授業がわからなくても「わからない」と伝えることができないことが多くあります。
さらに教員養成の仕組みもまだ十分でなく、教師の質は千差万別です。子どもは授業についていけなくなると学校に来なくなる。教育を受けないと職業選択の機会が限られ、貧困から抜け出せなくなる。こうした負のサイクルがあります。
――SALASUSUは具体的にどのような事業を展開していますか。
カンボジア北西部のシエムレアプ州などで学校の先生に向けた研修事業を展開しています。なぜなら「誰も取り残さない教室」をつくる一番の鍵は、学校の先生にあると考えたからです。先生が「一方的に教える」のではなく、「生徒をよく観察する」「意見を聞く」「学び合いをサポートする」、そんな役割に徹したら、学校という場が大きく変わるはずです。
――SALASUSUが掲げる「誰も取り残さない教室」とはどのようなものでしょうか。
生徒たちが安心してその場にいられて、安心して息ができる教室です。たとえば、わからないことをわからないと言える、教室に行ったときに誰かが自分のことを待っていてくれる、教室をそんな場所にしたいと思っています。
特に家庭の基盤が脆弱(ぜいじゃく)な貧困層の子どもたちにとって、家庭の他に息をつける場所があるということは非常に大切です。それが学びの前提であり、生きる力につながりますから。学びの場から排除されていない、学校は自分がいてもよい場所なのだと思えることが、第一歩だと思います。
具体的には、シエムレアプ州の中心部から車で45分ほどのクチャ村という農村にある、ものづくりの工房だった場所を「実験校」として再出発させました。実験校と近隣の学校に加えて、2023年からは教員養成大学とその付属の公立小中学校4校でも研修を提供しています。
僕たちは先生に、「生徒は未熟な存在だから、知識を提供しなければいけない」という思い込みを捨ててほしい、と伝えています。生徒の尊厳や学びたいという意思、周囲との関わり合いを尊重してほしい、ということです。先生たちは、良かれと思って生徒たちに知識を与えようとしがちですが、そのスタイルは横に置いて、まずは生徒の様子を「見る」ことから始める授業をつくっています。
先生も、次は自分の話す時間を5分減らしてみよう、明日は生徒たちにこう座ってもらおう、など地道な試行錯誤を繰り返しながら、生徒たちの様子を「見る」ことに集中すると、生徒の小さな変化に気づくようになります。「この子は集中できる時間が長くなってきた」「この子は体で学ぼうとしている」など、先生たちが生徒を見る解像度が上がっていくと、子どもたちもその視線を感じ取り、自発的に学ぼうとする生徒が少しずつ増えていきます。
――日本の感覚で「公教育改革」というと、中央官庁や自治体、学校以外の第三者の介入が非常に難しいように思えます。また、カンボジアの学校関係者の中には、わかりやすく目に見える「学力」を重視する方たちもいるのでは。
僕たちはカンボジアに工房をつくった2008年から、ずっと現地で活動しています。そうした実績と現地でのネットワークがあることは、今の公教育改革事業を肯定的に受け止めてもらえる土壌になっていると思います。また、カンボジアはかなり柔軟に民間のNGOや市民が教育領域に参入していますが、それは1990年代にカンボジアが成長する過程において、海外の組織や外国人が国の立て直しに大きく貢献したということの証左でもあります。
カンボジア政府や資金提供者からは、もっとPISA(Programme for International Student Assessment:生徒の学習到達度調査)の点数を上げるための取り組みや産業人材育成をしたほうがいいのでは、と言われることもあります。
読解力や計算力で測る学習指標ももちろん大切ですが、民主主義を支える市民の育成は、個人の尊厳を大切にすることから始まると思うのです。長い目で見たら、それが学習意欲につながり、国の経済成長にも寄与するはずだと。その前提として、学びのプロセスに自分が包摂されて、その中で主体性を持って取り組む経験が大事だということを、工房で働いていた女性の姿から、僕は確信しています。
大きな変化が生まれるまで時間のかかる試行錯誤ですが、時間はかかるものだと思っています。
――本質的な変化は時間がかかるものということに賛同する一方、子どもの学齢期という点で見ると、教育に変化が起きても起きなくても子どもたちはどんどん大きくなります。そうした時間軸はどのように捉えていますか。
それは本当に難しいところです。ただ、学校の改革は、ゆっくりであればあるほど持続的になるという実証研究もありますし、僕たちも時間のかかる土壌づくりを担っているという自負があります。
長い目で見ると、生徒と教師だけではなく、地域や親も巻き込んだコミュニティーで支えあっていかないと変わっていかないと思います。そうした変化にたどり着くためにも、長く、ゆっくり、変えていく。速く変えるというのは人に何かを強制することでもあり、そういった暴力的な変化では、起きた変化が根付いていかないんですよね。早急に、ある意味暴力的に何かを変えようとすると、既存のシステムから反発を受ける。
こうした視点から、僕たちは「時間がかかる」ということに誠実であることを心がけています。実際に事業について説明する際も、「ワークショップを通してこんな変化がある」、「数年の授業で生徒や学校がこう変わるだろう」などということは言わないようにしています。現場でそのスタンスをとることはジレンマがありつらいことでもあるのですが。
そのうえで、学校で起きた変化のデータを取り始め、指標をつくり始めているところです。データを取れるようになると、変化が目に見えて政策形成にもつなげることができます。
成果がすぐ出るわけでも、分かりやすく誰かを助けるというわけでもないですが、時間軸や空間軸を広くとるということ自体が、公共という概念なのではと思っているところです。
――そうした息の長いものに取り組むには、何が大事になってきますか。
変化を起こしたいと考え、活動する僕たち自身が、事業に手ごたえややりがいを感じ、自分の内側にエネルギーを感じていることが大事だと思っています。教育に携わると、自己変容や内省をせざるを得ません。自分は何者なのかとか、自分のなかにこんな偏見があったとか、そうした自分に気づき、自分も変わっていく。その変化を楽しめているかどうかが大事だと思います。
――今後の展開をどのように考えていますか。
公教育をどう変えていくかというのは世界の課題でもあります。先生たちが「自ら学び、変わっていく」ことを応援する人が増えたらいいなと思いますし、そのためにカンボジアでの取り組みを広く知らせていくことは大事だと考えています。
ただ、僕たちもみんなでがんばって事業をつくってきていますが、もしかしたら、教育事業としては壮大な失敗に終わるかもしれない。お金が集まらなくて事業がつぶれるとか、さまざまな仮説を立ててやってみたけどうまくいかないとかで、「あれだけ長い時間をかけたのに結局失敗だったね」となるかもしれません。
それでも、このプロセスにかかわった先生や子どもたち、あるいは僕たち自身の中で生まれた内発的・自発的な変化は消えません。事業としてはたとえ失敗に終わったとしても、その失敗さえも社会の学びになるよう試行錯誤しながらオープンに発信していきたいです。