無国籍の子にも教育機会 様々な形態の「移住民」に向き合うタイ
経済成長を続ける東南アジアのタイ。40年にわたり難民支援、教育協力などに取り組む秦辰也さんが、変わるタイ社会の課題を国境を越える人の移動を通して考えました。

経済成長を続ける東南アジアのタイ。40年にわたり難民支援、教育協力などに取り組む秦辰也さんが、変わるタイ社会の課題を国境を越える人の移動を通して考えました。
経済成長を続ける東南アジアのタイ。労働力の送り出し国である一方、近隣諸国から多くの移民労働者や避難民が流入している現実もあります。東南アジアで40年にわたり難民支援や教育協力などに取り組む「シャンティ国際ボランティア会(SVA)」副会長の秦辰也さんが、国境を越える移住民の現実を通して見たタイ社会の「今」をつづります。
炎天下にまぶしく光る近代的な高層ビル、縦横に延びた都市高速を颯爽(さっそう)と走る電気自動車。郊外に進出したショッピングモールも目立つ。
4月末、19年ぶりに日本からバンコクに移住し、本格的に生活をスタートさせた。筆者が初めてこの地を踏んだのは1984年4月。タイの最も暑い月で、NGOのボランティアとしてカンボジア国境の難民救援活動に参加するためだった。2005年までは、バンコクに散在するスラム街や国境の難民キャンプなどで教育協力に携わった。その後、日本の大学で16年間教壇に立ち、研究もしてきた。今回のタイ再赴任で何が見えるのか。特に、人の移動と昨今の課題を通して「教育」が持つ可能性を考えてみたい。
第2次世界大戦後のタイにおける人の移動は、もっぱら地方から都市への出稼ぎだった。主に東北や中部の農民たちが職を求めて首都バンコクへと向かい、一極化が急速に進んだ。ここ40年でタイの人口は、5千万人から6600万人に増加したが、バンコクの人口は約500万人から倍以上の1100万人(都民登録者数は約550万人)を突破したといわれる。急速な都市化とまではいかないが、現在も人口は毎年1.5%を超える速さで膨張している。
この過程で首都圏のあちこちに形成されてきたのが貧困層が暮らす「スラム」だ。タイでは公式には「人口密集コミュニティー(チュムチョン・エアット)」という。これまで政府関係機関やNGO、地域住民が、主に居住環境の整備に取り組んできた。同時に、これらの「コミュニティー」で育った子どもたちの教育や地域の公衆衛生の向上、住民への保健・医療サービスの提供なども行われてきた。
代表例はタイ最大のスラムがあるバンコクのクロントイ区で、43カ所あるコミュニティーでは、公立の小中学校はもとより保健所やクリニックなどが設置されてきた。先の新型コロナのパンデミックの時も、コミュニティーに近い仏教寺院が救急センターになったり、港湾公社が所有する広大な土地に住民たちの交渉により仮設病棟が設けられたりもした。
ここ20年の間にコミュニティーで顕著な傾向が、高齢化が進み高齢者の独居者が増えたことと、少子化と一部移転に伴いピーク時には1800人余りいたコミュニティー中心部の小中学校の生徒数が、500人にまで減少したことだ。その一方で、十分な社会保障が得られない、近隣国からの移民労働者とその家族の児童数が徐々に増えている。
1970年代、タイはベトナム戦争やカンボジア内戦の影響で多くのインドシナ難民を受け入れた。しかしその後、難民の数はミャンマー難民を除いて減少し、人の移動は移民労働者や不法滞在者へと置き換わった。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2023年末現在、タイにはミャンマー難民が9万801人、都市難民と庇護(ひご)希望者が約40カ国から5213人、無国籍者(国境周辺に住む少数民族など)が約59万人いるという。
タイは労働者の送り出し国でもあり、労働省によると年間約6万人を台湾や韓国、日本などに送っている。ハマスへの攻撃で停止していたイスラエルへの送り出しも6月末から再開し、年内に1万人規模を目指している。一方近隣国にとってのタイは、出稼ぎ先、経由地、人身取引の犯罪拠点など様々な顔を持つ国だ。陸路で国境を越えて頻繁に人々が移動するため、タイにおける強制移住者(居住地から強制的に移動させられた人々)の問題は、難民、避難民、不法移民、移民労働者、人身売買の被害者など、さまざまな形態が混在している。
歴史的にタイは何世紀にもわたって、戦争、紛争、水害、干ばつといった問題から逃れてきた近隣国の避難民を受け入れてきた。しかしタイ政府は、難民条約(1951年、難民の地位に関する条約)と議定書(1967年、難民の地位に関する議定書)を現在も批准していないため、UNHCRに直接登録され支援を受けている人を除き、公式には戦争や紛争、迫害などによって越境してきた人々を「条約難民」として認めていない。
こうした背景から、タイで強制移住者として人道的な保護を求める人々を正規の移民労働者と区別するのは、その時の政府の判断次第となっている。近年では建設業や製造業、農業、漁業、サービス業など関連企業の労働者のニーズによっても、政策が大きく左右されているといえるだろう。
筆者が関わるNGOの活動地域の一つであるバンコクの西のサムットサコーン県はタイを代表するシーフード産業の町だ。ここではミャンマーからの移民労働者の数が圧倒的に多く、中心部のマハチャイは、「リトルヤンゴン」と呼ばれるほどにぎわっている。人口約60万人の県内で労働省に登録されている移民労働者の数は、今年5月現在で28万6千人余りに上る。そのうち、約26万3千人がミャンマー人である。数字上では県内人口の4割がミャンマー人ということになる。
筆者が度々訪ねているマハチャイ郊外のワットシリモンコン小学校は全校生徒727人のうち、タイ人はわずか2.75%の20人。96%以上にあたる701人は、ビルマ民族、モン民族、カレン民族などのミャンマー人で、カンボジアやラオスから来た子たちも数人いる。
今年から校長に就任したヌットプラウィ・バオニットさんは、「移民労働者の増加で、コロナ禍前からミャンマーからの児童数が急増し、教師たちも対応するのが難しい」と話す。また、「教室不足に加えて校舎の老朽化も激しく、崩壊寸前で建て替えが急務だが、建設資金が足りない」と窮状を訴えた。4年ほど前までは市内にミャンマーの子どもたち専用の「移民学校」があったが、教育省の方針で閉鎖された。ここ数年は、正規、非正規を問わず移民労働者の家族であることが証明されれば、可能な限りそうした子どもたちを受け入れたため、生徒数が急増したという。
タイ労働省によると、2024年5月現在、タイ国内で働くミャンマー人の正規労働者数は約230万人だが、非正規の数は把握が難しい。特に2021年2月の軍事クーデター以降はミャンマー国内の情勢が悪化した。全長2400キロ余りの国境でミャンマーと接するタイにかなりの数の強制移住者が逃れてきていることは想像に難くない。そしてミャンマーからの移住者たちが、正規、非正規にかかわらず、労働者としてタイの経済を支えている現実もある。
タイが極めてユニークなのは、強制移住者のすべてを「条約難民」として認めるわけではない一方で、国籍の有無を問わずすべての子どもたちをタイの教育機関で受け入れていくという方針を示していることである。だが、その判断は国境に接した行政区かどうかや教育機関自体の方針によっても異なり、法律上の権限によってまちまちのようだ。
ターク県のミャンマー国境沿いにあるターソーンヤーン郡の中学・高校を訪ね、奨学金の授与式に参加した時、近年の状況変化を聞いて驚いた。もともとこの郡にはカレン民族のタイ人が多く生活しているが、スティン・カムナン校長によれば国境を流れるモエイ川を越えてミャンマーから来たカレン民族の子どもたちや、郡内にあるタイ最大のメラ・ミャンマー難民キャンプから通ってくる子どもたちも受け入れているという。中には国籍がない子どもたちも多く、同じカレン民族としてできる限り教育の機会を提供したいと話した。
タイは1913年に「国籍法」を制定しており、原則的には自国で生まれた子どもに対しては合法的な証明ができれば国籍の取得を認める「出生地主義」の立場を取ってきた。しかし、山岳地帯やへき地で出生が証明できず住民登録ができない場合や、ミャンマーで生まれて紛争から逃れてきたり、環境や経済的な理由で非正規労働者として越境したりする場合も多く、先述したように「無国籍」になる子どもたちが多い。
政府はこうした子どもたちの増加は、将来的に国家の安全保障を脅かすものと捉えて受け入れを規制してきたが、ここ20年で緩和傾向がうかがえる。同郡で話を聞いたアカラプン・プーンシリ郡長は、「タイで大学の卒業資格を得ることは、国籍の取得にとても有利になる条件だ」と、無国籍の子どもであっても就学支援の機会があればタイで未来が開けることを示唆した。
近年人の移動が激しさを増し、とりわけミャンマーからの越境者が後をたたないタイ。緩和の傾向はあるものの、強制移住者かどうか、自主的に移住した正規の移民労働者かどうか、そして国籍の有無は、今も政府や行政当局側にとって公的サービスの対象かどうかの重要な判断基準であり、当事者とその家族にとっては保護を受けられるかどうかの分水嶺(ぶんすいれい)である。近隣国からの移住者への人道的配慮と無国籍の子どもたちへの教育機会の提供は、誰一人とり残さないための喫緊の課題といえるだろう。