アフリカから地中海を越えて欧州を目指す移民・難民が今年、再び急増を始めた。舞台は世界で最も危険な「死のルート」と呼ばれる地中海中央部で、今年に入ってすでに1千数百人が死亡または行方不明になった。彼らの多くが目指すのはイタリア最南端のランペドゥーサ島。透き通った海で知られ、「死ぬまでに一度は行きたい」と世界中の旅行者が憧れる絶景の島で、何が起きているのか。

「舟が宙に浮いて見える」と言われるほど透明度の高い海=2023年5月4日、イタリア・ランペドゥーサ島

ボートが次々転覆、2日半で32隻救助

数日ぶりに海がなぎ、晴天が広がった5月5日午前10時半。コバルトブルーの海でバカンス客が波とたわむれるビーチから300メートルほど離れた埠頭(ふとう)が、にわかに慌ただしくなった。

イタリア沿岸警備艇が接岸すると、洋上で救助された黒人たちが次々と姿を見せた。裸足の人や赤ちゃんを抱いた母親の姿もある。みなうなだれて生気を失い、岸壁に立った瞬間に何人もがよろめいた。

国際移住機関(IOM)によると、救助されたのはギニアとコートジボワール、マリ、セネガルなど西アフリカ出身の計46人。3歳と5歳を含む子どもが5人、女性も12人いた。

体温を保つ金色のシートにくるまった人たち。はだしの人もいた=2023年5月5日、イタリア・ランペドゥーサ島

前日の夜明けごろ、地中海を挟んで約180キロ南西にあるチュニジア第2の都市スファックスを鉄板でできたボートで出航し、ランペドゥーサ島沖に流れ着いた。警備艇に助けを求めようと何人かが立ち上がったはずみにボートが転覆し、全員が海中に投げ出された。救助が間に合わず、若いギニア人女性が水死した。

「彼女が連れていた12歳のおいは、ショックでふさぎ込んでいます。本当に悲劇ですが、ここでは頻繁に誰かが海に落ちて死んでいます」

IOM地中海調整事務所広報官のフラビオ・ディジャコモさん(51)は険しい表情を見せた。

警備艇から埠頭に上陸する人たち=2023年5月6日、イタリア・ランペドゥーサ島

だが、これはまだ始まりに過ぎなかった。

「この後も続々と上陸しますよ。天候が回復すると密航が始まるのです」

その見立て通り、午後からほぼ切れ目なく警備艇が接岸し、大型バスと救急車がせわしなく行き来した。夜には洋上で見つかった男性の腐乱した遺体も運び込まれた。未明にも沖合で再びボートが転覆。37人が救助されたが、ブルキナファソ人の男性ら3人が行方不明となった。

地元メディア・アグリジェントニュースの記録によると、7日午後までの2日半で救助されたのは実に計32隻1842人で、死者・行方不明者は計5人に上った。なぎで華やぐ絶景のビーチとは対照的に、埠頭は絶命が相次ぐ嵐のような週末だった。

救助と搬送は夜通し行われた=2023年5月6日、イタリア・ランペドゥーサ島

新型「鉄板ボート」は耐久30時間、最も危険なボート

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の統計によると、海を渡るイタリアへの密航者は2023年に入って一段と加速し、6月25日までで約6万人と、前年同期の2.3倍になった。

出発地や顔ぶれも例年とは違っている。

これまではリビアが最大の出発地だったが、2023年はチュニジア発が爆発的に増えた。4月末までに2万4379人と前年同期(2201人)の11倍となり、全体の6割を占めた。密航者の顔ぶれも、西アフリカ出身の黒人が多い。

週末の一斉到着で混雑するホットスポット=2023年5月7日、イタリア・ランペドゥーサ島

そして最も危険な変化は、チュニジアから新型の「鉄板ボート」が使われ始めたことだ。

埠頭には長さ7メートルほどで、薄い鉄板を溶接しただけのさびたボート4隻が波に揺れていた。数人乗りの近海の釣り船のようなたたずまいだが、これに40人ほどがすし詰め状態で乗ってくるという。傍らにあったリビア発の木造船も粗末なものだが、長さ10メートルほどで一回り大きく、甲板がついた二重構造になっている。

イタリア沿岸警備艇が着岸した埠頭。手前が錆びた鉄板でできたチュニジア発のボート、その奥の木造船がリビア発で使われる密航船=2023年5月7日、イタリア・ランペドゥーサ島

ディジャコモさんは、「見たことのない新型です。溶接がずさんで非常にもろく、波にさらされると30~40時間しか持たずに真っ二つに割れてしまいます。今まで見てきた中で最も危険なボートです」と、怒気を込めた。

この種のボートでチュニジアから島までは24時間ほどだが、風向きや針路の間違いなどで48~72時間かかることもある。解体した鉄板は瞬時に沈み、木造船のようにしがみついて救助を待つことすらできない。

手前がチュニジアから急増している鉄板ボート、その奥が木造の密航船=2023年5月6日、イタリア・ランペドゥーサ島

ディジャコモさんは言った。「我々が把握しているよりはるかに、はるかに多くの死者がいるでしょう。発見される前に沈んでしまうからです。非常に、非常に、非常に深刻な緊急事態です」

6月14日には移民数百人を乗せてリビアからイタリアに向かっていた漁船がギリシャ沖で沈没し、80人以上が死亡、数百人が行方不明になったとみられる事件も起きた。IOMの推計では、この悲劇も含めた地中海中央部の6月28日までの死者・行方不明者は1724人で、すでに前年同期の倍以上に達している。

ただ、救助を担う沿岸国の当局と、難民を支援する欧州系NGOの足並みはそろっていない。

イタリア政府は2017年から、NGOによる捜索救助船の存在自体が密航を助長しているとして、活動を制約する姿勢を強めてきた。とりわけ移民排斥を掲げる現メローニ政権では、NGOの捜索船を港に長期間足止めしたり、時間と燃費がかかる遠方に寄港させたりするケースが目立っている。ギリシャの沿岸警備隊も、沈没した漁船をロープでつなぐなどしていた対応が批判を浴びている。

航空機で海上を監視する独系NGOシーウォッチのクルー、ルカ・マレリさん(22)は「密航船があまりに多くてイタリア沿岸警備隊だけで救助しきれない時ですら、NGO船はイタリア北部に行くよう指示されて捜索救助の海域にとどまることができません」と、対応のちぐはぐさを指摘する。また、メローニ政権は4月11日、移民急増に対応するため6カ月間の「非常事態」を宣言したが、それにも怒りの矛先を向けた。

「もう20年以上も続いてきた問題です。いまさら非常事態なんて言い出すのは、移民の権利を根拠も示さず剥奪(はくだつ)するためのこじつけに過ぎません」

子どもたちだけの難民も

救助された移民・難民は、埠頭から大型バスで5分ほど走った内陸部にある「ホットスポット」と呼ばれる仮収容施設に向かう。定員は約400人で、48時間以内にイタリア本土の受け入れ施設に移送される決まりだ。だが現実には、密航船の到着は好天日に集中するため過密になりがちで、この週末も滞在者は約2千人に膨らみ、地面にボロボロのマットレスを敷いて大勢が屋外で横になっていた。

週末の一斉到着で混雑するホットスポット。マットレスを屋外に敷いて横になる姿も=2023年5月7日、イタリア・ランペドゥーサ島

フェンス越しにのぞくと、中東、アフリカからアジアまで様々な顔ぶれが行き交っている。あどけなさの残る少年や、幼児の姿も少なくない。

エリトリア人の少年(16)は5年前、両親に送り出されて、無期限の徴兵を強いられる母国から逃れた。同じ境遇の少年たちとスーダンやエチオピアなどを転々とした後、リビアから120人乗りの木造船で出航し、3日間漂流した後に救助されたという。

「遠い道のりでした。書類がないから飛行機に乗ることもできません。砂漠からリビアに入ったら殴られて、ほかのリビア人に売り飛ばされて……。本当につらかったです」

保護が必要な子どもは、受け入れ先の手配に時間がかかることも少なくない。フェンスの向こうから私に話しかけてきたチュジニア人の少年(14)は「もう1カ月と11日目です。ここは汚すぎてよく眠れません。食事もわずかで、飢えています」と訴えた。

兄妹と一緒に海を渡ったチュジニア人の少年(14)は、翻訳機能の付いた私のスマートフォンに「もう1カ月と11日目。汚すぎてよく眠れない。食事もわずかで飢えている」とフランス語で訴えた=2023年5月6日、イタリア・ランペドゥーサ島

子どもを支援するNGOセーブ・ザ・チルドレン・イタリアによると、今年島に到着した子どもは約2500人。プロジェクトコーディネーターのリサ・ビエロガリツさん(40)は、「低年齢化が進み、保護者がいない12歳以下の子もいます。教育や医療を受ける手立てもありません」と、話す。最も弱い立場なのが少女たちだという。「多くが西アフリカでの強制結婚や女性器切除(FGM)から逃れてきますが、道中でも、旅費の見返りとしての性的暴力や誘拐、強制売春の危険にさらされています」

島のパラレルワールドに接点なく

目の前の美しい海で繰り返される悲劇を、島民は複雑な思いで見つめている。

観光ガイドのエマニュエレ・ビラルデロさん(70)は、「昔はイタリアに行きたいから駅はどこか、なんて聞いてくる人もいてね。島に駅なんかないのに。そんな彼らが命を危険にさらす前に助けるべきだと私は思うが、残念ながら嫌っている人たちもいる」と話す。

アフリカ大陸に面した島の南端にある「欧州の門」と名付けられたモニュメント。そばに濡れた形跡のある衣類やバッグが放置されていた=2023年5月8日、イタリア・ランペドゥーサ島

埠頭から300メートルほどのビーチでは海水浴客がくつろいでいた=2023年5月1日、イタリア・ランペドゥーサ島

島の難民問題を描いた2016年のドキュメンタリー映画「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」で、監督のジャンフランコ・ロージさんは、片目が弱視の少年の視線を通じて、島民や観光客の日常と、難民の悲劇が交わらずに存在する構図を浮かび上がらせた。

それでも当時はまだ、二つの世界にわずかながら接点があった、と2017年まで島の市長を務めた難民支援活動家ジウシ・ニッコリーニさん(62)は振り返る。

「柵は簡素で、過密状態の施設を昼だけ抜け出すのも黙認されていて、島民や観光客と一緒にサッカー中継を見ることもあったんですよ。話しながら彼らの境遇を共有できる瞬間があったのです。でも新型コロナ対策を口実に警備が強化されて以来、二つの『パラレルな暮らし』は無残に切り離されました」

ホットスポットは今、高さ3メートルほどの頑丈な鉄柵で覆われ、周囲の高台には兵士の詰め所が点在する。私がフェンスに近づこうとすると、距離をとるよう何度も注意された。

厳重な警備が敷かれたホットスポット=2023年5月6日、イタリア・ランペドゥーサ島

13年間この島に通うイタリア公共放送RAIのシニアリポーター、アンジェラ・カポネットさん(57)は、「この問題と向き合い続けてきた島民は、とても疲弊している」と語る。

「なぜ母国を逃げてきたのか理解する機会があった頃と違って、今は100人とか200人とか、数字でしか分からないからです。テレビ中継中に車中から『やめろ、彼らじゃなくて私たちの話をしろ』と怒鳴られることもあります」

過密状態の収容施設、移送に軍も投入

過密な状態が続き、収容者に対する「非人道的な待遇」として批判が高まったホットスポットの運営は6月以降、政府当局からイタリア赤十字社に移管された。それに先立ち、イタリア内務省は5月7日、定期フェリーや民間機だけではなく、軍用機や軍用船まで投入して、一時は定員の9倍まで膨れ上がったホットスポットから収容者をイタリア各地に搬送した。

シチリア島に向かうフェリーを待つ人たち=2023年5月6日、イタリア・ランペドゥーサ島

フェリーターミナルに9日午前10時、シチリア島への移送を待つ移民約200人が座り込んでいた。目的地に近づける高揚感からか、カメラを向けると親指を立てたり、笑顔で手を振ったりする人たちもいた。

シチリア島に向かうフェリーを待つ人たち。ピースサインを見せる人も=2023年5月6日、イタリア・ランペドゥーサ島

最後尾に座っていた黒人青年3人はコートジボワール人で、チュニジアのスファックスから別々の鉄板ボートに乗ってきたという。なぜ海を渡ったのか尋ねると、チュニジアで学校に通っていたという青年は眉をひそめた。

「ひどい状況でした。チュニジア人たちが僕の家まで来て物を壊したりして、嫌がらせが止まりませんでした。だから僕たちは出ていくことにしたんです」

チュニジアからの黒人移民の大量脱出。

突然使われ始めた粗末で危険な鉄板ボート。

移民・難民急増のカギを握るその二つの新たな現象は、密航船の出港地スファックスで重なり合う。私は機内から彼らが命がけで渡ってきた地中海を眼下に見ながら、チュニジアに向かった。

シチリア島に向かうフェリーに乗船する人たち。スマホで撮影する人も=2023年5月8日、イタリア・ランペドゥーサ島