アフリカと欧州を隔てる地中海中央部で命を落とす移民・難民が急増し、今年すでに死者・行方不明者が1千数百人を超えた。チュニジアから新型の「鉄板ボート」を使った黒人移民の脱出が相次いでいるためで、取材中にも洋上で女児の遺体が見つかった。世界で最も危険な「死のルート」の出発点で何が起きているのか、彼らの渡航先であるイタリア側での取材に続き、最前線から報告する。

深夜の洋上で怒号、漂う黒人女児の遺体

チュニジア中部スファックスの沖合9キロ。6月2日午前1時、真っ暗な洋上にチュニジア沿岸警備隊の小型艇がライトを向けると、ゆらゆら揺れる小さな鉄板ボートが照らし出された。浮輪を首にかけた40人がすし詰め状態で、子どもや赤ちゃんの姿もあった。
小型艇が近づくと、「行かせてくれ!」「貧困に引き戻さないでくれ」と口々に訴え始めた。

警備隊のボートが反対側から挟み込むと、数人が立ち上がって身ぶり手ぶりで大声を上げた。「どうして止めるんだ」「黒人だからって我々を差別してきたじゃないか!」

赤ちゃんの叫ぶような泣き声は怒声でかき消され、むせ返るようなオイルの臭いがあたりに立ち込めた。説得に応じて全員が小型艇に移ったときには、30分近くが経っていた。みな服はびしょぬれだった。

洋上で見つかった密航船には子どもたちも大勢いた=2023年6月1日深夜、チュニジア中部スファックス沖

甲板で出身国を尋ねると、コートジボワール、ブルキナファソ、ギニア、ガンビア、カメルーンとサハラ砂漠以南の国名が次々と挙がった。「つまりアフリカ中だよ」と若い男性が言った。

私が同行した深夜から早朝までの14時間で、警備隊はこの海域で5隻の密航を阻止し、計210人をチュニジア側の港に連れ戻した。全員がサハラ以南の出身者で、多くは密航料2千~3千ディナール(約9万~14万円)を払い、小さな鉄板ボートに40人以上で乗っていた。

密航を阻まれたのは5回目というナイジェリア人の機械工アリ・モハメドさん(24)は「また試みる」と言い切った。イスラム過激派「ボコ・ハラム」に兄を殺害され、4年前に故郷を逃れてサハラ砂漠を越えた。「黒人は見たくもないというこの国から脱出したい。危険なのは分かっている。でも他に選択肢がないんだ。ドイツで学び、家族を養える仕事に就きたい」

密航船から沿岸警備隊の船に移る移民たち。子どもたちも大勢いた=2023年6月1日深夜、チュニジア中部スファックス沖

密航が阻止されて警備隊の本船に移る移民たち=2023年6月2日、チュニジア中部スファックス沖

早朝に密航が阻止されて警備隊の本船に移送される移民たち=2023年6月2日、チュニジア中部スファックス沖

海上捜索が終わった午前9時すぎ、穏やかな海面を高速で進んでいた小型艇が突然、減速した。

「赤ちゃんだ」と声が上がった。小型艇が引き返すと、洋上を漂う水草とあぶくの中に、ピンクのカバーオールが仰向けに浮いていた。

なんだ人形か。私はそう思い、ほっとした。目や口が人形のように、不自然なほど大きかったためだ。
でもすぐに間違いだと気付いた。それは人間の赤ちゃんだった。死後時間が経っていたのだろう、顔はぱんぱんに膨らみ、白目が飛び出て、上下の唇はめくれ返っていた。隊員がボートフックで手繰り寄せ、素手で服をつかんで引き揚げ、黒い遺体袋にそっと収めた。

AFP通信によると、この海域で2日前に2隻が沈没し、11人が死亡、36人が行方不明になっていた。赤ちゃんはその一人で、行方不明のカメルーン人女性の娘の可能性があるという。

洋上で見つかった黒人女児の遺体は遺体袋に収納された=2023年6月2日、チュニジア中部スファックス沖

身元不明遺体と鉄板ボートの墓場

これまで、地中海中央部の密航は無政府状態のリビア発が大半だった。中東・アフリカからアジアまでの移民・難民が、木造船でイタリアを目指してきた。リビアの隣国チュニジアから密航するのは、スファックス沖にあるケルケナ諸島からの地元チュニジア人がほとんどで、海難事故も比較的少ないルートだった。

チュニジアの状況が一変したのは2022年末ごろからだ。沖合の島ではなく沿岸部から、木造船ではなく見慣れない鉄板ボートで密航する黒人移民が急増した。彼らはチュニジア人ではなくサハラ以南の各地から集まった人々だ。チュニジアは一気にリビアを抜いて海域最大の密航拠点となった。

密航拠点の浜にはさびた鉄板ボートが打ち捨てられていた=2023年5月21日、チュニジア中部ラルーサ

警備隊によると、出発地は遠浅の海が続く海岸線80キロに点在する。その一つ、漁村ラルーサの埠頭(ふとう)には、押収された鉄板ボートと木造船数十隻が山積みになっていた。

鉄板ボートは、全長7メートルほどで薄い鉄板を粗雑に溶接しただけのつくりで、150キロ先の目的地、イタリア最南端ランペドゥーサ島の埠頭で私が見たのと同じ代物だ。積み上げられたボートの底や壁面には無数の穴やくぼみがあり、底には赤さびで変色した女児の靴が1組残っていた。

押収されて山積みになった密航用の鉄板ボートと木造船=2023年6月1日、チュニジア中部ラルーサ

押収された密航用の鉄板ボートにはさびで変色した女児の靴があった=2023年6月1日、チュニジア中部ラルーサ

地元漁師アミール・イスマイルさん(28)は、近くの浜から5月初めの早朝、「少なくとも25隻が一斉に出航した」と証言した。鉄板ボートはシートで覆われ、その中にサハラ以南出身者が身を潜めていたという。私がランペドゥーサ島にいた5月5~7日、チュニジア発の計20隻が救助された時期と符合する。出航は取り締まりの裏をかくように、昼夜を問わず行われているという。

地元漁師アミール・イスマイルは1日で6体の遺体を回収したこともあるといい、「もう海が嫌になった」と話した=2023年5月21日、チュニジア中部ラルーサ

「猟銃や刃物を持った密航組織の連中が、トラックで鉄板ボートを運び込んできます。連中は密航するアフリカ人を金づるとしか見ていません。その先の運命なんて、どうでもいいんです」

漁に出て1日に遺体を6体発見して、足をひもで結んで浜に運んだこともある。「遺体は腐敗していて、手は魚に食べられ、顔も原形をとどめていませんでした。子どもの遺体が犬に食べられているのを見た時には戦慄(せんりつ)しました。もう海が嫌になりました」

浜辺に住む小学校教諭ナジュラ・チャルビさん(43)も、連日のように遺体や骨を目にしてきた。「長い時間が経って頭蓋骨(ずがいこつ)や骨になった遺体が風で浜に打ち上げられてきます。その海で漁師が魚を取っているのを見て、魚が食べられなくなってしまいました」

スファックス保健局によると、移民の遺体は今年3月から急増し、5月21日時点ですでに700体を超え、前年1年分を上回った。99%がサハラ以南出身者という。35体収容の遺体安置所に、1日で220体が運び込まれたこともあった。国際移住機関(IOM)の推計では、地中海中央部の6月28日までの死者・行方不明者は1724人で、前年同期の倍以上に達している。

スファックス保健局長ハテム・シェリフさん(58)は、「24時間態勢で対応しており、大きな負担です。遺体を保管してDNA鑑定し、墓地に埋葬するまで1体2千ディナール(約9万円)かかります」と困惑を隠さない。ほとんど身元が分からないため、番号を付けてスファックスの墓地に葬るという。

郊外の墓地には数字だけが記された墓が並んでいた=2023年5月22日、チュニジア中部スファックス

大統領の「ヘイトスピーチ」

なぜ、チュニジアからサハラ以南出身者の大量脱出が始まったのか。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の分析によると、チュニジア発の密航ルートにサハラ以南出身者が目立ち始めたのは22年10月。当初はコロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻で深まった経済難でチュニジアを去った出稼ぎの長期滞在者が多かったが、その動きに拍車をかけたのが23年2月にチュニジアのカイス・サイード大統領が行った演説だった、と指摘する。その結果、今年1月から4月末までのチュニジアからイタリアへの密航者は、前年同期の11倍超へと激増した。

市場の外では黒人の女性たちがアフリカの食材を売っていた=2023年5月20日、チュニジア中部スファックス

サイード大統領はどんな演説をしたのか。

チュニジアの国営通信によると、サイード大統領は2月21日の国家安全保障会議で、サハラ以南からの非正規移民が「暴力や犯罪をもたらした」と非難。「チュニジアの人口構成を変える犯罪的企て」が進んでおり、「チュニジアをアラブとイスラムの国から、アフリカの国に変えてしまう謀略だ」と主張した。

チュニジアの人口、約1200万人のほとんどがアラブ系のイスラム教徒で、サハラ以南出身者は2万人余りとされる。「国家乗っ取り」の危機をあおる大統領の演説は、以前からSNSで拡散されていた過激な陰謀論や黒人へのヘイト(憎悪)に「お墨付き」を与え、社会の不満を黒人に向けた。

警察によるサハラ以南出身の非正規移民の一斉摘発が始まり、黒人に対するヘイトクライムや解雇、住居からの追い出しが相次いだ。コートジボワールやギニアが自国民を守るために飛行機を手配して送還したり、アフリカ連合(AU)がサイード大統領の演説を非難し、「過激なヘイトスピーチ」を慎むよう求める異例の声明を出したりと波紋が国内外に広がった。

市場の外では黒人の露天商が目立つ。警官が来るとすぐに立ち去った=2023年5月20日、チュニジア中部スファックス

地元NGO「経済・社会的権利のチュニジア・フォーラム」の広報担当ロンダネ・ベンアモールさん(47)は、「社会や経済状況について誰もが非難できる新しい敵、スケープゴートをつくり出すことで、サイード大統領が『救世主』として再び支持を取り戻せるかどうかの正念場だった」と指摘する。

デモで独裁政権が倒れ、民主化運動「アラブの春」の先駆けとなったチュニジアはその後、政争と汚職が繰り返され、清廉なイメージで政治経験のない憲法学者サイード氏が19年の大統領選で圧勝。首相を解任して議会を閉鎖し、大統領に権限を集中させる憲法改正を実現させるなど、独裁回帰を進めた。

だが、物価高や失業率の高止まりに対処できず、強権化の仕上げとなる22年12月と23年1月の2回の議会選の投票率はともにわずか11%ほどにとどまり、国民にそっぽを向かれた形となった。唐突な反移民演説は、その3週間後のことだ。

街で暮らしぶりを尋ねると、生活苦の矛先をサハラ以南の移民に向ける訴えが相次いだ。

チュニス郊外で求職中のロフマ・デュアディさん(38)は「ウクライナ侵攻以来、物価がさらに値上がりして暮らしは悪くなるばかりで、肉も野菜も買えません」と、ため息をつき、「私たちに仕事がないのは、移民が低賃金で働くからです。もう出て行って欲しい」と、不満をぶつけた。

スファックスの路上でスマホを販売するムハンマドさん(44)は「米や牛乳が市場で品不足になったのは、移民が膨大な量を食べるからだ。やりたい放題だった彼らに大統領がレッドラインを示してくれた」と、演説に喝采を送った。

「安・近・短・死」な選択肢

居場所を失ったサハラ以南出身者たちの一部は、チュニス市内の国連機関の事務所前の路地に逃げ込んだ。今もなお数十のテントが並び、約200人が寝泊まりしている。

シエラレオネ人の高校生リチャード・フォンベさん(15)は演説の夜、共同生活していた家を追い出された。「ナイフを手にしたり、犬を連れたりしたチュニジア人が家に来て、『出ていけ』と言うんです。石を投げられたり、熱湯を浴びせられたりした人もいます。抗議デモをしたら警察に催涙弾を撃たれました。この国で黒人に安全な場所はありません」とおびえる。

シエラレオネ人の高校生リチャード・フォンベは大統領演説の夜に家を追い出され、今は路上のテントで暮らす=2023年5月23日、チュニス

シエラレオネ人の建設作業員ジョセフス・トーマスさん(30)は、バケツにくんだ水で8歳の息子の体を洗っていた。「息子にどうして学校にいけないの?と聞かれたんだ。ただただ悲しくて、言葉が出なかったよ」とつぶやいた。

シエラレオネ人の建設作業員ジョセフス・トーマスは路上で息子の体を洗っていた=2023年5月23日、チュニス

リベリア人の機械工ジョセフ・ミルクさん(28)は、演説の直後に職を失い、不法滞在の罪で2カ月余り収容された。「とにかくチュニジアを脱出して、どこでもいいから安全な国に行きたい」

追い詰められた移民たちが活路を求めたのが、鉄板ボートだった。

木造船が在庫不足で高騰するなか、格安で手っ取り早くつくることができる代替品として昨夏から出回り始めたが、沈没が相次ぎ、チュニジア人はすぐに密航に使わなくなった。だが、身の危険が迫った黒人移民にとっては、沈没して死ぬ危険性にさえ目をつぶれば、安く、近くから、すぐに密航できる「安・近・短」な新たな選択肢に映った。カネのにおいをかぎ取った犯罪グループが参入し、民家で素人が溶接しただけの粗悪品が乱造された。

チュニジア国家警備隊が5月に一斉逮捕した密航手配業者74人の中には、サハラ以南出身者もいた。報道官フセムエディン・ジュバブリさん(48)は「隠れ家を用意し、鉄板ボートを組み立ててエンジンを載せて出航するまで、密航をすべて外国人自身が仕切るかつてないケースまで出てきた」と話す。

新たな密航ルート「開通」の情報は口コミやSNSで拡散し、新たな移民を引き寄せるのが常だ。

UNHCRは今年に入って、イタリアへの経由地としてチュニジア入りするサハラ以南出身者が増えていると分析する。スファックス大で移民問題を研究するズヘイル・ベンジャネット教授(46)は、「中継点だったリビアが政治的に安定し、イタリア政府のテコ入れもあって取り締まりが強まりました。移民はリビアやアルジェリアからの圧力、あるいは自らの意思でチュニジアに向かっています」と、潮流の変化を指摘する。

夕暮れ時、隣国アルジェリアからスファックスに続く幹線道路を車で走ると、黒人の小集団とたびたびすれ違った。若い男性数人組が多いが、幼子の手を引く家族連れもいた。非正規入国者はバスやタクシーには乗れないため、みなうつむきながら黙々と歩いていた。

擦り切れたジャンパーを着たブルキナファソ人の建設作業員バラア・ホウシニさん(20)はサハラ砂漠を越え、アルジェリアを経てここまでたどりついた。直線距離でも3千キロ近い旅路だ。

「神のご加護があれば、あと少しで欧州です。貧しい親には頼れません。生きていくためには、自力で乗り越えて行くしかないんです」

そして細い杖を手に、再びスファックスへ歩み始めた。

ブルキナファソ人の建設作業員バラア・ホウシニはスファックスへ歩き続けた=2023年5月20日、チュニジア中部シディブジド