文化人類学→コンサル→グローバルヘルス。東大入学式で語った「夢」
東京大学入学式で祝辞を述べた馬渕俊介さんは、グローバルファンドで保健システム・パンデミック対策部長を務めている。なぜグローバルヘルスなのか、その思いを聞いた。

東京大学入学式で祝辞を述べた馬渕俊介さんは、グローバルファンドで保健システム・パンデミック対策部長を務めている。なぜグローバルヘルスなのか、その思いを聞いた。
地球規模の課題解決に最前線で取り組む人たちに、with Planetの竹下由佳編集長がその思いを聞きます。今回は、エイズ、結核、マラリアの三大感染症への対策に取り組む「グローバルファンド」で保健システム・パンデミック対策部長を務める馬渕俊介さんです。
世界では現在も数百万人の命を奪っている、エイズ、結核、マラリアの「三大感染症」。
この三大感染症対策に取り組む国際機関「グローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)」で2022年3月、保健システム・パンデミック対策部長に就任したのが馬渕俊介さん(45)だ。
世界の保健医療の課題に取り組んでいるが、東京大学では文化人類学を専攻し、卒業後は国際協力機構(JICA)に入構。ハーバード大ケネディスクール公共政策修士号を取得後、コンサルティング会社「マッキンゼー・アンド・カンパニー」、世界銀行、ビル&メリンダ・ゲイツ財団で働いたという経歴を持つ。
医療従事者ではない立場から、なぜ世界の健康「グローバルヘルス」に取り組もうと思ったのか。私たち一人ひとりはどう貢献できるのか。今年4月には、母校である東大の入学式で祝辞を述べ、学生たちに「夢」を探し続け、行動し続ける大切さを訴えた馬渕さんに、思いを聞いた。
――4月12日、東大の入学式で祝辞を述べ、「夢」を持って行動し続けることなどの重要性を訴えました。どのような思いを込めたのでしょうか?
私が大学生の時に知っていたらよかったな、と思う話をしようと思っていました。
大学生の頃、当時から英語を話せて「国際的」だったわけでは全くありませんでした。ですが、その時に決めていたのは「大学では自分がやりたいと思えるような仕事や分野を決める」ということです。そのためにあらゆる授業を受講して、関心のあることをやり、文化人類学に出会いました。
文化人類学者になりたいと思い、中米・グアテマラの村でホームステイをするなど、様々な国を旅しました。ただ、そこで美しい文化と裏腹にある「世界の理不尽」を感じたんです。子どもが病気になっても医者もおらず薬もない状況や、地域に残る差別から仕事の機会のない若者たちの姿です。それぞれの文化を尊重しながら、そうした理不尽に立ち向かうサポートをしたいと思うようになったんです。
本当に自分がやりたいと思う「夢」に関する仕事をしないと、うまくいかない時も続けられません。成功の指標が「自分がどう貢献をしたか」よりも、「他人がどう自分を評価しているか」になってしまい、ある意味他人の人生になってしまいます。
自分の「夢」に関わる仕事をやってほしい。夢は探し続けて、行動し続ける人しか見つけることはできません。そんな思いを込めました。
ーー大学では文化人類学を専攻し、卒業後はJICAに入構。その後、コンサルティング会社「マッキンゼー・アンド・カンパニー」を経て、世界銀行で保健医療システム改善の仕事に携わりました。グローバルヘルスの分野には直接つながらないように見える経験もしていたのですね。
世界銀行では、西アフリカのエボラ出血熱の緊急対策の仕事をしたのですが、この時に今までの経験がすべて組み合わさって、効果的な対策ができたのです。
通常1年半くらいかかるプロセスを45日でやったのですが、マッキンゼーで身につけたプロセスを組み直すビジネススキルが役に立ちました。文化人類学も同様です。
エボラは、人が亡くなった時に感染力が高くなります。現地では、死者に触れてお別れをする儀式を大切にしていたため、感染が爆発していました。現地の人々の考え方を尊重しながら、安全で尊厳がある埋葬方法を考えることで、対応できたのです。自分の経験や知識すべてを組み合わせて問題解決に挑むことが重要だと感じました。
ーー新型コロナウイルスのパンデミックを経験し、感染症への関心は高まったと感じていますか?
明らかに高まったと思います。国民がワクチンやPCR検査、ロックダウンのタイミングなど、対応策について話したり知ったりすることは今までありませんでしたよね。
ただ、コロナの前からずっと続いている、エイズ、マラリア、結核という、ある意味でより大きなパンデミックや、保健医療に関する世界の不平等への関心を高めたかと言われると、そういう実感は残念ながらそんなにありません。
例えば結核は、今年の世界の死者数はコロナよりも多くなるのではないかという指摘がありますが、人々の結核への関心は残念ながらまだあまり高くありません。また、コロナをきっかけにグローバルヘルスを知り、この分野の仕事をしたいと思う人が増えるかなとも思っていました。しかし、増えてきたという実感もまだそんなにありません。
ーーどうして行動につながらないのでしょうか?
少し距離が遠いのかもしれません。例えば、私自身も当初は、保健医療やグローバルヘルスという分野は、医師や看護師が取り組むような仕事で、全くトレーニングを受けていない自分には関係ないと思っていたんですね。
実際にパンデミックなどを経験して関心が高まっても、その仕事をするというところにいくには少しギャップがあるのではないかと思います。
ただ、感染症が自分たちの安全を脅かし、経済にも影響を与えるということを、身をもって知ったのは今こそ、すごく大事なタイミングだと思います。
ーー馬渕さんご自身も医療従事者ではなく、当初は「関係ない」と思っていたとのことですが、どのようにして「ギャップ」を超えたのでしょうか?
私は、グローバルヘルスに関心を持つきっかけが二つありました。
一つは、JICA退職後に学んだハーバード大公共政策大学院の卒業式です。マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏がスピーカーでした。
ゲイツ氏が財団を立ち上げてヘルス分野の活動をしていることは知っていましたが、卒業式では、グローバルヘルスの面白さや、世界最高の頭脳がそうした問題に立ち向かうべきだ、といったことを語っていました。
医者ではない人がどんどん飛び込んでいて、民間のノウハウが保健医療サービスの改善に生かせる土壌ができつつあると感じました。
もう一つは、その後入社したマッキンゼーでのノウハウです。
南アフリカのオフィスにいたときに、昔マッキンゼーで働いていたアーネスト・ダルコー氏というコンサルタントが、アフリカでのエイズ対策プログラムのオペレーションの改善に、スーパーマーケットでのオペレーションを改善するノウハウを生かしたという例を知りました。
民間のノウハウがヘルスの分野で生かせ、人を救うことにつながるんだという感覚が持てました。医療の専門知識を持つ人はたくさんいる中で、そうではないノウハウを持ち込んで仕事をすることが逆に価値のあることなんだと感じるようになりました。そこから、自分もやってみようと思うようになったんです。
色んな貢献の仕方があると分かってもらえたら、もう少し身近なものになるのではないかなと思います。
ーーグローバルヘルス分野の仕事の面白さや意義はどのようなところにありますか?
一つは、結果がすぐに見えて、数字にもなります。また、現場に行くと目に見えるんです。
例えば、生まれたばかりの赤ちゃんが入るインキュベーター(保育器)が、たびたび電気が止まってしまうという課題があれば、それがどのくらい改善できたかは目に見えてわかります。
改善が目に見えることに加え、「自分事」になりやすい分野だと思います。
私自身、妻が双子を出産した際に、痛感したことがあります。
1人目の子が出てきた時に息をしていなくて、心臓もほとんど止まっていました。後からわかったことですが、空気の入る管が出産の直前に切れてしまっていて、全く呼吸ができない状態が続いていたんです。
2人目の子が出てくる前に急に血圧と心拍が下がり、急きょ帝王切開に切り替えました。対応が遅れていたら、3人とも亡くなっていたと思います。
これは、たまたまその時住んでいたアメリカでの話です。高度な医療を受けることができたから、命を救ってもらうことができました。もし医療体制の整っていない国で出産していたら、全員亡くなっていたと思います。この医療を、受けられない人たちがいるのです。改善させることが、目に見えて命を救うことにつながります。
もう一つは、課題解決に必要なのは医学的な知識だけではないということです。
例えばコロナのワクチンは開発されましたが、問題となったのは「ワクチンが届かない」という不平等でした。届けられるべきサービスが届かないというのは、マネジメントや政治の問題です。たとえ医学的な専門知識がなくても、解決のために貢献できるという意味ではすごく面白い分野だと思うんです。
ーーなるほど。馬渕さんは2020年10月から2021年4月末まで、世界保健機関(WHO)の委嘱による「パンデミックへの備えと対応のための独立パネル」に事務局の中心メンバーとして加わり、提言をまとめました。そこでも、中国からの報告の遅れや、WHOによる調査の遅れなど、「対応の遅れ」を指摘していましたね。
もちろん最初は、医療としての解決策がわからないという問題もありましたが、情報を受けてどう判断するかというところで、WHOを含めた国際社会の対応には、多くの問題がありました。
ーー今後のパンデミックへの備えを考えた時に、国際的な対応の司令塔となるべきなのはやはりWHOでしょうか?
基本的にはWHOだと思います。ただ、WHOが全てをできるわけではありません。WHOは科学的な見地に基づいて、対策への道筋を作る。何かあった時に、国の主権との関係がある中でもすぐに現地に行き、情報を公開して、世界に伝えることができるか。これはWHOの課題です。
また、グローバルな危機対応では、どの機関が何をやって、どのように対応するのかをグローバルレベルでシミュレーションし、仕組みを明確にした上で対策することが重要です。
いま、すでに結核やエイズといったグローバルな課題があります。既存の病気への対策をきちんと仕組みを作ってやりながら、有事に備える。これをもっとやらないといけないと思いますね。
ーーおっしゃる通りだと思いますが、ウイルスは目に見えず、自分の身近なところで広がっている病気でないと、なかなか一人ひとりの「パンデミックへの備え」の意識も高まりにくいように感じます。
危機を乗り越えると、「のど元過ぎれば熱さを忘れてしまう」のは大きな課題です。
これから気候変動が進めば、マラリアを媒介する蚊の生息域が広がったり、災害が頻発したりして、感染症がさらに脅威になることは目に見えているんですね。
例えば、気候変動への対応と並行して、感染症の問題を扱うことが重要です。これからコロナのような「未知のウイルス」が広まることも起こりうるので、世界全体で対応する必要があります。感染症は安全保障上の課題でもあります。日本は、国防の一環として対応する必要があるということを、メッセージとして伝えることは大事だと考えています。
〈まぶち・しゅんすけ〉
1977年生まれ。東京大学卒業後、JICA入構。2007年にハーバード大学ケネディスクール公共政策修士号取得。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、ジョンズ・ホプキンス大学で公衆衛生修士号、世界銀行在職中に同博士号を取得。世界銀行では2014~2016年、西アフリカで大流行したエボラ出血熱の緊急対策のチームリーダーを務める。2018年9月からビル&メリンダ・ゲイツ財団で戦略担当副ディレクター、シニアアドバイザーを務め、2022年3月からグローバルファンドの保健システム・パンデミック対策部長。