SDGsの一歩先へ。「プラネタリーヘルス」を掲げる長崎大の挑戦
「地球の健康」のために、私たちは何ができるのでしょうか。「プラネタリーヘルスへの貢献」を戦略目標に掲げる、長崎大学の河野茂学長にその理由や思いを聞きました。

「地球の健康」のために、私たちは何ができるのでしょうか。「プラネタリーヘルスへの貢献」を戦略目標に掲げる、長崎大学の河野茂学長にその理由や思いを聞きました。
地球規模の課題解決に最前線で取り組む人たちに、with Planetの竹下由佳編集長がその思いを聞きます。今回は、大学を挙げて「プラネタリーヘルス」に取り組む、長崎大学の河野茂学長です。
地球の健康を考え、行動する。この「プラネタリーヘルスへの貢献」を戦略目標に掲げるのが、長崎大学だ。同大によると、「プラネタリーヘルス」を掲げる大学は日本では初めてだという。
「プラネタリーヘルス」とは、気候変動や生物多様性の危機、海洋汚染など、地球に危害を与えている様々な課題によって、人間の健康も脅かされているという考えから生まれた概念だ。新型コロナウイルスの感染拡大により、国境を越える感染症への対応の重要性は改めて浮き彫りになったが、人間の健康のためにも、地球規模の問題への取り組みは喫緊の課題となっている。
1857年にオランダ軍医が長崎奉行所西役所の一室で始めた医学伝習が医学部の起源となった長崎大学。同大には、熱帯地域で流行している疾患などを研究する「熱帯医学研究所」、大学院には「熱帯医学・グローバルヘルス研究科」もあり、感染症の研究や教育、国際協力に貢献してきた経緯がある。なぜいま、「プラネタリーヘルス」なのか。実現のためにはどうしたらいいのか。河野茂学長に聞いた。
――「グローバルヘルスに貢献する大学から、プラネタリーヘルスに貢献する大学へと進化する」を2020年1月、目標に掲げました。なぜ、「プラネタリーヘルス」なのでしょうか?
長崎大学は医学部が最も古い学部で、熱帯医学研究所も含めて「グローバルヘルス」を大きな軸にしてきました。しかし、医学・歯学・薬学部以外に、経済学部、教育学部、工学部、水産学部、環境科学部、多文化社会学部、情報データ科学部と七つの学部を抱える総合大学です。大学を挙げて、一つの方向を向くことのできるものはないかと考えていました。
「人間の健康」というと、どうしても生命に関わるものという印象が強くなりますが、「地球の健康」というと、すべての問題が包含されます。
感染症や気候変動だけではなく、戦争や人種間の問題、貧富の格差など、様々な問題が人間の活動によって引き起こされ、地球のキャパシティーを超えてしまう危険性があります。総合大学であるからこそ、「プラネタリーヘルス」に取り組むべきではないかと考えました。
――「プラネタリーヘルス」は全ての人にとって重要なものですが、教育・研究拠点である大学が取り組む意義はどのようなところにあるとお考えですか?
大学の存在意義の一つは、学生への教育です。経済学も、教育学も、工学も、「地球の健康」を軸にすると必ず接点ができます。自分のことだけではなく、「地球が健康であるために自分は何ができるのか」という広い視野で学生たちには考えてもらいたい。
例えば、経済の発展だけを考えると、地球へのダメージが大きくなります。経済を学ぶ学生にとっても、人々の生活とのバランスを考えながら、どうやって解決していくのか。こうした視点を持って学び、考え続けてほしいと考えています。
学生たちが卒業後、どのような仕事に就いても、残りの人生を生きていく上で「地球の健康」を考える意義は非常に大きいですから。
また、長崎県は水産県の一つです。海が汚れてしまっては産業が成り立たないし、水産資源も限られています。どうすれば地球の健康を守ることができるかを考え、解決策を考えることは、地域貢献にもつながります。
――「プラネタリーヘルスへの貢献」のために、具体的にはどのようなことに取り組んでいるのでしょうか?
2021年度の新入生から、プラネタリーヘルスの考え方を知ってもらう入門講義を全学部で必修にしました。2年生以降は、それぞれの専門課程の中にどう「プラネタリーヘルス」を位置づけて学ぶか、各学部で考えているところです。
2022年10月には、新たな大学院課程として「プラネタリーヘルス学環」を開設しました。
この学環では、公衆衛生を学び、論文を書くだけではなく、実際に社会でそれをどのように政策として落とし込むかを専門に学びます。両方のスキルを身に付けるプロフェッショナル人材を育てるための大学院です。定員は5人で、看護師など公衆衛生に関連する実務経験を持つ優秀な学生が国内外から集まりました。
特に新型コロナの感染拡大で、専門的な知見を持って医療政策を実現できる人材の必要性があぶり出されたと思います。
ただ、私たちが取り組むだけでは、プラネタリーヘルスの実現は望めません。大学内での意識の共有はもちろんですが、国内外の社会との連携が重要です。
プラネタリーヘルスの世界的なネットワークとしては、米ハーバード大学に事務局がある「Planetary Health Alliance」があります。長崎大は2020年から加盟し、社会へ行動を呼びかける「サンパウロ宣言」に賛同。その日本語版を東京大学、東京医科歯科大学、京都大学、大阪大学、熊本大学と共同で公表しました。
また、市民向けの「リレー講座」を毎年実施していますが、2021年度からは「プラネタリーヘルス」をテーマにしています。2022年度の講座では「SDGsの一歩先へ」と副題をつけました。SDGsは2030年までの達成を目標にしていますが、2030年以降も地球の健康を考え続ける必要があるとの思いを込めました。
――新型コロナのパンデミックを経験する前と後で、プラネタリーヘルスの重要性は変化したとお考えですか?
新型コロナのパンデミックは、人間の活動が広がり、動物との接点が非常に多くなり、新しいウイルスとの遭遇の機会が増えていることが要因として指摘されています。
100年に1度の爆発的な感染拡大にもなり得るということもわかり、いかに地球の健康が自分たちの健康にとって重要かということは、十分に認識が広がったのではないかと思います。
また、何が正しい情報なのか、自分の頭で考え、判断する力を養う必要性も高まったと思います。そもそも感染症とは何で、ワクチンや薬はそれに対してどのように対処するものなのか、基本的な知識や考え方を小学校の頃から教えていくことも重要ではないでしょうか。
――今年5月には、長崎で主要7カ国(G7)保健相会合が開かれます。政策決定者にはどのような議論を望みますか?
今後、また新たな病原微生物が出てくるかもしれません。新型コロナへの対応で経験したことを、次のパンデミックに備えてG7としてどのような連携ができるか、議論してもらいたい。特にG7はお金持ちの国々です。新しい薬やワクチンを作ることができるでしょうが、開発途上国にはそういった手段がありません。全人類にとって何が一番いい方法なのか、広い視野で議論して頂きたいです。
新型コロナの日本の対応について、うまくいったこと、いかなかったことをきちんと総括して、世界に対する貢献とともに、今後の日本の進む方向を明快に世界に示してほしいですね。
〈こうの・しげる〉
1950年、長崎県生まれ。1974年、長崎大医学部を卒業後、第2内科に入局。呼吸器感染症の研究に従事。2009年から長崎大学病院長。2017年10月から長崎大学長。