ODA指針案の問題点は? 専門家が指摘する政府の本音
政府が4月5日に公表した開発協力大綱の改定案。立命館アジア太平洋大学の山形辰史教授は、時代に合わない自国第一主義への回帰だと指摘します。

政府が4月5日に公表した開発協力大綱の改定案。立命館アジア太平洋大学の山形辰史教授は、時代に合わない自国第一主義への回帰だと指摘します。
政府は4月5日、途上国援助(ODA)の指針となる「開発協力大綱」の改定案を発表しました。大綱の改定は2015年以来8年ぶりです。外務省によれば、2022年の日本のODA実績は約175億ドルで米国、ドイツに次ぐ第3位ですが、国民総所得に対する割合は国連の目標に達していません。厳しい財政状況の中、どのようにODAを拡充するのか。新案に示されたメッセージを、外務省のODA評価にも携わっていた山形辰史さんが読み解きます。
本音を言って何が悪い。それが、この新「開発協力大綱」案から筆者が読み取ったメッセージである。
もともと国際協力は、「援助する側」の様々な動機に基づいてなされてきた。それらは、
①同じ人間としての共感
②歴史的な支配・被支配関係から生じる責任
③「ウィンウィン」という語で表現される援助供与国・受け入れ国の共通利益
④援助供与国だけの自己利益
ーーのように分類される(D・ヒューム『貧しい人を助ける理由』日本評論社、2017年)。
ここで①と②を「理念」、③と④を「利益」と総称しよう。
実際の国際協力においては、①~④の動機が全て込められるが、その割合は、時代や国や人によってまちまちなのである。理念が重視される時代もあれば、利益がむき出しにされる時代もある。理念を重視する人もいれば、利益を重視する人もいる。そんな中、どの援助供与国もその「本音」とも言える利益動機に傾きがちになる性向があるので、それを抑制するために、様々なルールが作られてきた。
その一つは、日本を含む先進国の間の政策協調を担う「経済協力開発機構開発援助委員会 (Oraganisation for Economic Co-operation and Development, Development Assistance Committee: OECD/DAC)」 が2005年に定めた「援助効果向上にかかるパリ宣言(パリ宣言)」である。
この宣言は、援助受け入れ国の発展を促し、援助効果を最大にするための行動原則について加盟国が合意したものである。その第一原則が「オーナーシップ(主導権)」で、援助する側の自己利益ではなく、援助される側の利益や主導権を優先すべきことを掲げている。このような宣言をしなければ、どの援助供与国も利益(国益)目的の協力になってしまいがちなので、それを抑える意図がこの宣言に込められている。
「利益目的の援助になりがち」という性向は、当然、日本にも該当する。
1970年代まで日本政府のODAは、資材の調達先を自国(この場合は日本)企業に限定する「ヒモ付き援助」の割合が多い、とOECD/DACにおいて批判された。例えば1972年に日本の援助のヒモ付き比率は72%であった(日本を対象にしたOECDの『開発協力レビュー』1996年版を参照)。
ヒモ付き援助は、より安価で品質の高い資材が他にあったとしても、それらではなく日本製の資材を使うことを求めていたため、日本企業を利する援助として批判を受けたのである。その批判を覆すために日本の援助機関が努力を重ねた結果、1990年代までにヒモ付き比率はかなり下がった。
それと同時に日本政府は、日本のODAが一定の理念に基づいて行われていることを示すため、1992年に政府開発援助大綱を定め、ODAの理念を「要請主義」と表現した。これは「日本のODAは、日本のために行うのではなく、相手国が要請するニーズに基づいて行う」という姿勢を示したものである。
このように日本や他の援助供与国が、利益動機を抑制しようとして理念を打ち立ててきた歴史を振り返ると、新「開発協力大綱」案で驚かされるのは、利益動機が解き放たれたかに見えることである。
新案では、日本の国益が、開発協力の目的として初めて構造的に位置付けられている。「国益」という言葉はそれまでのODA大綱にはなく、2015年に定められた開発協力大綱で初めて用いられた。しかしそれは長い文章の中にちりばめられた単語に過ぎず、注意して読まなければ読み飛ばしてしまいそうなほど、存在感は薄かった。
これに対して新案では、「2.開発協力の目的」として、
(1)責任ある主要国としての在り方の体現
(2)国際社会の一員として生きる我が国の繁栄の実現
(3)我が国自身の国益の増進
ーーの3点が挙げられている。
また、それらを集約した「開発協力の目的」としては、
(ア)平和で安定し、繁栄した国際社会の形成 (イ)我が国の国益の実現
ーーの2点が掲げられている。
(1)~(3)にも、(ア)(イ)にも、必須要件として日本の国益が明記されていることに注目したい。このような国益の必須要件化は、2015年開発協力大綱には見られなかった、新案の特徴である。
ここで読者は、「国益という言葉は(1)~(3)のうちの一つ、そして(ア)と(イ)のうちの(イ)に入れられているのみであって、他の理念的観点も挙げられているのだから、日本の国益達成の適用はごく一部に限られるはずだ」と、考えるかもしれない。
しかし、筆者はそうは思わない。なぜなら1992年・2003年の政府開発援助大綱には日本の国益に資することなど全く記されていなかったにもかかわらず、それでも国の利己心とも言うべき国益指向を抑えきれないことが、ままあったからである。それが2023年開発協力大綱には複数の目的の一つとはいえ明記されるのであれば、国益追求の指向性が、より高まることは察するに余りある。
この新案にはさらに懸念すべき概念が新たに導入されている。それはオファー型協力である。
前述のようにこれまで日本は、「パリ宣言」のオーナーシップ原則と整合的な「要請主義」を、日本の援助原則として誇りにし、前面に押し出してきた。これに対して「オファー型協力」とは、「日本が実施したい援助案件のメニューをオファー(提示)し、その中から援助受け入れ国が選択する」方式の援助を意味している。つまり、「日本が実施したい援助」を先に示すことになり、相手国のニーズの尊重の度合いは下がらざるを得ない。
要請主義は、実際には貫徹されておらず、
①相手国政府の要請を受けた後で、日本政府が実施したい援助案件を推進することが往々にしてあった
②相手国が要請する前に、日本企業が実施可能な案件リストを相手国政府に暗示することもあった
③相手国政府の要請が、真に相手国の人々のニーズを反映するとは限らない
ーーという問題点があった。
このように、要請主義はかなり形骸化しているとして、取り下げるべきだとする意見もある。それが新案でオファー型協力が提示された背景にある。オファー型協力が導入されたのは、現在の慣行に近いことに加え、日本の国益を反映させやすいからであると考えられる。
しかし筆者は、要請主義が貫徹されないことを理由として、要請主義を撤回し、より現場の実情に近いオファー型協力を掲げることに反対である。なぜならば、要請主義を掲げている今でさえ、日本政府や企業がしたい援助を行うという実態が一部にあったのだから、それを取り下げたら、日本がしたい援助を受け入れ国に押し付ける性向はさらに強まると考えられるからである。
日本と援助受け入れ国などが協働して案件形成する「共創」といった新しい概念が新案には盛り込まれているが、これも要請主義と比較すれば、援助する側の日本の発言権を高める指向性を持つので、日本の国益を強調する方向の提案でしかない。
全体として新「開発協力大綱」案ににじみ出ているのは、「他の援助供与国も国際協力に国益を反映させているのだから、日本も同じことをして何が悪い」という、開き直りとも取れる姿勢である。この考え方は、2010年代後半に世界的広がりを見せた「自国第一主義」と同根である。
しかし2020年代に入り、多くの国が政権交代を経験して、国際社会は再び、サステイナビリティー(持続可能性)や感染症対策のための共同行動といった理念を重視する度合いを高めているように見える。そんな時代に、日本は国際協力を自国第一主義に回帰させるというのが、筆者にはとても理解できないし、賛成できない。
〈やまがた・たつふみ〉
立命館アジア太平洋大学教授。1986年、慶応義塾大学経済学部卒業。2000年、米国ロチェスター大学より博士号(経済学)取得。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、バングラデシュ開発研究所客員研究員などを経て現職。元・国際開発学会会長。主著として『入門 開発経済学:グローバルな貧困削減と途上国が起こすイノベーション』(中公新書)中央公論新社、2023年。