援助を超えて創造的なエネルギーの交流を:アフリカと日本
TICAD9を前に、長年アフリカ大陸に向き合ってきた専門家の皆さんのコラムを連載します。第3回は、名古屋大学教授の山田肖子さんです。

TICAD9を前に、長年アフリカ大陸に向き合ってきた専門家の皆さんのコラムを連載します。第3回は、名古屋大学教授の山田肖子さんです。
with Planetでは、8月に横浜で開かれる「第9回アフリカ開発会議」(TICAD9)を前に、「アフリカと日本」と題した専門家によるコラムを掲載しています。これまでの歩みを振り返りつつ、なぜアフリカと関わるようになったのか、アフリカの現状や未来、日本との関係をどのように捉えているのか、提言も交えながらつづっていただきます。第3回は、名古屋大学教授で、同大学Skills and Knowledge for Youth (SKY) Project代表の山田肖子さんです。
日本政府のイニシアチブによってTICADが1993年に開始してから、既に30年以上が経過した。「アフリカの開発に関する国際会議なんて日本政府がやる意味ある?」。読者の中にはそんな風に思う人もおられるかもしれない。
TICADが始まった1990年代初頭は、日本政府が拠出額で米国と肩を並べるトップ援助国に躍り出て、貿易だけでなく外交やグローバルな課題解決にもリーダーシップを発揮しようという機運に満ちていたが、それから国内外の環境も大きく変わった。
日本経済は「失われた30年」からいまだ脱却しきれず、国内の格差と少子高齢化も深刻度を増すばかりである。国債を乱発し、未来の世代から借金をしつつ財政支出を膨らませている日本で、限られた財源を海外支援に回すより、国内課題を優先した方がいいという内向きのナショナリズムが出るのも無理はない。これは日本ばかりでなく、途上国への二国間援助としては長らく最大の拠出額を誇ってきた米国は、ポピュリズムにおされた極右的なトランプ政権の発足早々、政府の途上国援助(ODA)実施機関である国際開発局(USAID)の解体を宣言したのである。
経済協力開発機構(OECD)開発援助委員会(DAC)のメンバー国を中心とする少数の先進国が「世界のリーダー」を自任し、そのリーダーのたしなみとして、自国の損得を顧みず、人道主義的な途上国支援を行うという理念は、主要20カ国・地域(G20)、BRICSといった新興援助国の存在感の高まりも相まって、多くの人には色あせて見えるのかもしれない。
私はここで、国際協力はあくまで人道主義に基づくべきか、いや国益に資するべきか、といった「人道vs.国益」の議論を蒸し返すつもりはもちろんない。むしろ、TICADを機に、そうした長年続くODA論と、その対象としてのアフリカという発想を超えて、南アジアなどとともに、今後の世界の活力の源となるであろうアフリカとの関係を、もっと自由に創造的に議論できたらと思う。
さて、下図は、1990年代以降に域外からアフリカに流入した資金の変遷を、種類別に示したものである。1990年代当初は、外資企業による海外直接投資(FDI)も、出稼ぎ者などによる個人送金も非常に限られており、海外からの資金流入の大半はODAであった。しかし2000年代に入り、ODAだけでなく、民間企業による直接投資や海外からの送金が大幅に増加していることが分かる。これは、長らく政情不安と経済停滞に苦しみ、ほとんど成長しないのでは、とみられたアフリカ諸国が、急激な成長を見せ始めた時期とも整合する。民間企業の直接投資は2000年代から増加し続け、2010年代終盤に、アフリカの成長スピードが若干鈍化したのに伴って一時減額したが、コロナ禍の終焉(しゅうえん)とともに大幅に復活している。
一方、アフリカ出身で世界中に広がっている移民(いわゆる「ディアスポラ」)の国内への還元も著しい。不安定な社会からは、多くの人々がやむを得ず、もしくは機会を求めて能動的に流出する。しかし、彼らは故郷への思いや地縁血縁から切り離されるわけではない。アフリカの農村で、都会や海外で成功した人々からの送金により、村のインフラが整備されたり子どもの就学支援がなされたり、といったストーリーは枚挙にいとまがない。こうしたミクロな事例のほか、成功した移民の故郷への投資を積極的に奨励し、経済成長のきっかけをつかんだルワンダなど、ディアスポラの関わりはアフリカの経済成長において無視できない影響力を持つ。
このように、アフリカとグローバル経済との関わりが活発になってきたこの二十余年、ODAは引き続き海外からの資金流入の大きな部分を占めるものの、民間及び市民レベルでのグローバル経済とのつながりが重要度を増しているのである。
アジアやラテンアメリカを含めたグローバルサウス全体では、FDIと個人送金はODAをはるかにしのぐ額になっていることから、アフリカでも、こうした民間・個人レベルでの資金流入が更に増えていくことが想定される。
ODAは、国どうしの契約であるため、手続きが煩雑で時間もかかる。そして、中央政府から貧困層や本当に支援を待っている人々にサービスが届くまでの段階が多く、汚職などのリスクも高い。それに対して近年では、ITの発達によって、携帯端末さえあればお金の送受、商品やサービスの購入、さらには販売も可能となり、国家という単位でまとめなくても人々が国境を越えてつながり、社会経済活動を営むことができるようになった。アフリカのような後発地域ほど、制度が確立されていない分、流動性が高く、才覚と創造性があれば新しいビジネスチャンスも多いと言える。アフリカの高学歴の若者による起業なども増えており、彼らの野心とアイデアが、社会の弱者に対する早くてきめ細かいサービスにつながる可能性も十分にある。
日本では民間企業や一般の感覚として、「まだまだアフリカは文化的にも地理的にも遠く、気心も知れて付き合いやすいアジアとうまくいっていれば、アフリカにわざわざ関わらなくてもいい」と、消極的になりがちだ。しかし、世界の中でも人口増加率が高く、平均年齢も若い国々はアフリカと南アジアに集中している。若い旺盛な消費意欲を持った人口の多いアフリカは巨大なマーケットであり、同時に、彼らはダイナミックな労働人口でもあるので、生産地としても大きな可能性を秘めている。
こう考えれば、大小を問わず日本の企業がアフリカに進出することは極めて重要だろう。また、少子高齢化であらゆる業界が人手不足になっている日本とは対照的に、アフリカからは多くの人が海外に出て送金で故郷を支えていることから、彼らの移住・就労先やミクロな個人事業のパートナーとして、日本がもっと魅力的になれば、両者にとって望ましい道も見えてくるのかもしれない。
つまり、ODAなどの方法で引き続きアフリカの成長を側面支援しつつ、その上向きで創造的なエネルギーを日本に取り込んでいくことが出来るのではないだろうか。
私は、アフリカが貧困や紛争など、問題ばかりが多く発展が遅い停滞した地域と言われていた1990年代からずっとガーナやエチオピアなどの国を定期的に訪れてきた。前述のように、2000年代に入ってから、浮き沈みはありつつ、アフリカ経済は成長してきている。経済の成長というと、数字上のことのように見えるかもしれないが、その過程を見てきた者には、それは多くの「人の関わりの集積」なのだと分かる。私にとってその「人」とは、著名な政治家や大企業ではなく、市井の、多くはインフォーマルセクターと言われる、法的な手続きを取らずに経済活動を行う企業で雇用されたり、個人事業を行ったりしている人々である。
インフォーマルセクターのような不安定な雇用形態から脱却するためにも、また、社会全体の経済基盤が強固になるためにも、一人ひとりの労働者の能力が高まり、付加価値の高い仕事をしていくようになることが重要だと考えている。武田信玄の言葉を借りれば「人は城、人は石垣」、つまり人に投資することが全ての基盤だと思う。
私が訪れたアフリカの国々では、多くの若者が学校教育は中学ぐらいまでしか受けずに働き始める。こうした社会で研究を続けるなかで、学校教育制度だけ見ていては、本当の意味で、この社会の人々が学び、知識を仕事や生活に生かしていくことの意味を考えられないと思い、働く若者の知識や能力に目を向けるようになった。
この10年ぐらいは、Skills and Knowledge for Youth (SKY) Projectとして、企業の労働者の技能評価に基づいて政策提言をしたり、労働者のソフトスキルを向上するためのボードゲームを使ったトレーニングなどを実施したりしている。一研究者の小さな活動ではあるが、私もアフリカの若者と関わって、そのエネルギーから日々刺激をもらっている。
知識やスキルを身につけた若者たちが、それらを生かし内包するエネルギーを思う存分発揮できるよう、これからも取り組んでいきたい。