今年8月、アフリカの開発課題をテーマにした国際会議「第9回アフリカ開発会議」(TICAD9)が横浜で開かれます。冷戦終結後、アフリカに関する関心が薄れつつある中、日本政府の主導で1993年に始まったTICADは、日本とアフリカ諸国がともに行動する場として、30年以上たった今も続いています。地理的、歴史的、文化的には決して近いとは言えないアフリカですが、かの地に魅入られ、起業や支援、交流などの活動を重ねている人たちは確実に増えています。世代を超えた交流や協働を進める企業「GENERYS」の分科会の一つ、アフリカワーキンググループ(AWG)は、こうした人たちのネットワーキングの場となっています。TICAD9に向け、AWGとそのプライベートグループ参加メンバーに、「アフリカと私」というテーマでアフリカとの関わりや寄せる思い、将来の夢などを書いていただきます。第3回は、西アフリカのブルキナファソで大豆栽培など「食」を通した支援に取り組む星野紀子さんです。

私を決意させた言葉

ブルキナファソの人々は、モノづくりが好き、清潔好き。そして、うそを嫌う国民性は、アフリカの日本をイメージさせます。国の名前が現地語で「高貴な人々の国」という意味で、観光業のみに頼らず、真面目に農業をしている働き者が多い素晴らしい国です。私自身、そんなところに親しみを感じ、2015年に国際協力機構(JICA)のブルキナファソ事務所の企画調査員として赴任し、2018年からはブルキナファソ農業省の下、大豆プロジェクトの専門家として、主に大豆農家の組織化支援に携わってきました。

活動は順調でしたが、予算の関係で活動が継続されないことが決まり、2018年末に帰任しました。しかし、組織化の芽がやっと出た活動を手離す無念さと、友人がくれた「戻ってきたら? のりこならきっと何かできるよ」という言葉を胸に、翌年ブルキナファソに戻りました。まず会いに行ったのが元上司である農業省の次官でした。

「のりこ、アソシエーション(非営利団体)を作りなさい。農業省は君を応援するから」

次官は、開口一番にそう言って、目の前で農業省の出先機関に、私に協力をして欲しいということを電話してくれました。私は心の中で、彼の厚意に恥じない活動をしていかなくては、と誓い、NPOとして「革新的な農業の開発を推進する会(ADIMA)」を設立することを決めました。

半年分の給食は「寄付」頼み

真面目な国民性が特徴のブルキナファソですが、食料事情はすべての人にとって良いとはいえません。学校では、朝ごはんをあまり食べずに何キロも歩き、午前中の授業の後は十分な昼食もなく、そのまま午後の授業を受ける子どもも珍しくありません。育ち盛りの子どもにとって空腹は苦痛以外の何ものでもなく、それゆえにだんだん学校に通わなくなってしまいます。

国は公立の学校に対して、1年のうち3カ月分の給食(コメ・油・豆類)を支給していますが、夏休みとなる雨期の3カ月を除く残りの6カ月分の給食は、保護者の寄付に頼っているため、毎日給食を提供できない学校がとても多いのです。

毎日学校で給食を食べることができる。そんな、日本では当たり前のことが実現できない国が、アフリカにはたくさんあります。

たんぱく質を補う大豆を学校菜園で

給食を寄付する保護者の多くは、貧しい農家。したがって、高価な肉や魚が提供されることはほとんどありません。育ち盛りの子どもたちの食事なのに、ほとんどが炭水化物と油で、たんぱく質がほとんど含まれていないのです。

そこで私は、大豆を給食に取り入れることを思いつきました。例えば豆腐は、ブルキナファソでも食べられています。でも、給食で提供するには、大量の大豆を安価で購入できて、調理が簡単なメニューが必要です。「どうやったら大豆を給食のメニューに入れられるだろう? 子どもたちに喜んで食べてもらえるだろう?」と、試行錯誤の日々が続きました。そして、思いついたのが日本の戦後でも活用された「学校菜園」と、現地で食べられている「クスクス」でした。 大豆を学校菜園で栽培し、それをきな粉にしてクスクスに混ぜる、というアイデアです。

大豆の実=2023年9月、ブルキナファソ東部バグレ地域、筆者撮影

ADIMAは2019年から学校菜園で大豆を育てています。学校が休みになる雨期に保護者と教員が共に学校の校庭で大豆を栽培しています。地域の農業普及員が大豆の栽培技術と生産性の高い種子を提供し、収穫した大豆を国から支給がない間の給食に利用するという仕組みをつくりました。実際に子どもたちが農業に関わる機会にもなり、食を通じた教育「食育」にもつながります。

子どもたちによる大豆の収穫作業=2023年11月、ブルキナファソ東部バグレ地域、筆者提供

「クスクス」の原料はトウモロコシですが、現地の栄養士と協力して焙煎(ばいせん)した大豆(きな粉)を加えたクスクスを開発しました。きな粉とトウモロコシの甘みがミックスされたクスクスを、子どもたちはみんな「おいしい!」と言って喜んで食べてくれます。この大豆給食で、子どもが1日に必要とするたんぱく質の76%を摂取できるようになっています。そして、給食を作ってくれるのは、保護者の皆さんです。保護者の皆さんも、子どもたちと一緒に栄養について学ぶことができています。

大豆入りクスクスの調理方法を学ぶ研修の様子=2023年11月、ブルキナファソ東部テンコドゴ、筆者撮影

「あげる」「もらう」を脱して自立の道を

第2次世界大戦後、日本では連合国軍総司令部(GHQ)とユニセフが学校給食に脱脂粉乳と小麦粉のパンを配給していた時期があります。確かにおなかを空かせ、栄養が足りない子どもたちには有り難い食事だったと思います。でも、当時の日本人はそれに危機感を持っていました。なぜなら、日本の伝統的な主食は「お米」だからです。それで主要農作物種子法(種子法)を制定して稲作などを奨励し、コメの自給率をほぼ100%とし、給食にお米のメニューを出せるようにしたという経験があります。

私はこれをブルキナファソで実現したいのです。なぜなら、独立して60年以上というアフリカの国の多くが未だに貧しいのは、経済的に自立するのではなく、「あげる」「もらう」という援助の関係が存在するからです。

ブルキナファソには、1984年に初代大統領に就いたトマ・サンカラという英雄がいます。サンカラはこんなことを言いました。「アフリカ人の市場はアフリカ人のためにあるべきで、アフリカのために生産され、アフリカで加工され、アフリカで消費されるべきだ。外国から輸入するのではなく、自分たちに必要なものを自分たちで生産して食べるのだ」。その精神は今もなお、ブルキナファソの人々の心にしっかりと宿っています。だから大豆栽培を通じた食の自立を、きっといつか実現できると信じています。

これからのアフリカと日本

2019年から始めた大豆の学校菜園は自己資金とクラウドファンディングによって活動を続け、最初の3年間で約50の小学校、約1万人の子どもたちに活動を広げることができました。そして2023年からの2年間、学校菜園の活動に加えて、国内避難民の支援事業に取り組んでいます。ブルキナファソでは、武装勢力のテロ攻撃により治安が悪化し、人口の1割(約200万人)に及ぶ人々が国内避難民となっています。私たちは、味の素ファンデーションの「食と栄養支援事業」からの支援を受けて事業に取り組んでいます。

教員向けの堆肥(たいひ)づくりの研修に手伝いに来た子どもたち=2023年12月、ブルキナファソ東部バグレ地域、筆者撮影

日本のアフリカでの強みは、包括的な支援を行ってきた経験とアフリカを植民地支配していない歴史だと思います。無償資金協力、円借款、技術協力、日本での研修、民間連携、国家から草の根的に住民と生活を共にするボランティアに至るまでをカウンターパートとする国際協力は日本の援助の特徴で、とてもクリーンなイメージを持たれています。そして、民間セクターでも、高い技術力と高品質の商品、大企業から若者のベンチャー企業までが「顔の見えるパートナー」として対等な立場で一緒に汗を流して仕事をしています。

ブルキナファソを含め、今、アフリカの国々は、大きな転換期を迎えています。例えば一生懸命にテロと闘って国を立て直そうとしている若いアフリカの人々を見ていると、彼らのしなやかな強さに感嘆するとともに、30年後、大きく成長すると信じることができます。その間、日本はアフリカ諸国と共に、どんな道を歩むべきでしょうか。日本が地道に行ってきた強みをさらに生かして、すべての関係者が協力し、お互いにとって良い結果をもたらすような関係を結んでいくことが、日本の存在価値をさらに飛躍させるカギとなるのではないか、と思います。