京都とトーゴを染織でつなぐ 互いの価値の結節点:アフリカと私
第9回アフリカ開発会議(TICAD9)を前に、アフリカ大陸に情熱を傾ける人たちに、その経験や思いをつづっていただきます。第2回は京都とトーゴで活動する中須俊治さんです。

第9回アフリカ開発会議(TICAD9)を前に、アフリカ大陸に情熱を傾ける人たちに、その経験や思いをつづっていただきます。第2回は京都とトーゴで活動する中須俊治さんです。
今年8月、アフリカの開発課題をテーマにした国際会議「第9回アフリカ開発会議」(TICAD9)が横浜で開かれます。冷戦終結後、アフリカに関する関心が薄れつつある中、日本政府の主導で1993年に始まったTICADは、日本とアフリカ諸国がともに行動する場として、30年以上たった今も続いています。地理的、歴史的、文化的には決して近いとは言えないアフリカですが、かの地に魅入られ、起業や支援、交流などの活動を重ねている人たちは確実に増えています。世代を超えた交流や協働を進める企業「GENERYS」の分科会の一つ、アフリカワーキンググループ(AWG)は、こうした人たちのネットワーキングの場となっています。TICAD9に向け、AWGの参加メンバーに「アフリカと私」というテーマでアフリカとの関わりや寄せる思い、将来の夢などを書いていただきます。第2回は、京都とトーゴを染織でつなぐ、アフリカドッグス代表の中須俊治さんです。
大学3年生の春、ぼくはモヤモヤしていた。就職活動が解禁され、企業説明会やインターンシップで、友だちがほとんど大学に来なくなった。ようやく仲良くなってきたところだったのに、シューカツなるものによって離れ離れになった。ゼミでは先輩にエントリーシートの書きかたを教えてもらったり、親身に相談に乗ってもらってアドバイスをいただいたりした。
お世話になった先輩方が世界を股にかけるような商社やメーカーで働いていたこともあって、そんな企業の説明会に行ってみた。「いまはグローバル化社会だ」「みなさんもグローバル人材に」といったことが喧伝(けんでん)されていた。真面目なぼくが「グローバル人材ってどんな人ですか」と質問したら「英語を話せてすぐに海外へ行ける人だ」と教えてもらった。めまいがした。
ぼくの知っている京都の職人さんは、ほとんど京都から出たことがなくて、海外に行ったことはないし、英語も話せないけれど、その方の仕事は海を渡ってフランスのパリコレクションで注目されている。企業の方々が考える「グローバル」とは何かが違うと感じていた。そしてぼくは、シューカツをやめた。みんなにとっての正解が、自分にとっての正解とは限らない。「見たことのない景色を見に行こう」と、ぼくはアフリカ大陸をめざした。
大学のキャンパス内に近江商人の史料館があって「三方よし」という精神に触れていた。商売の力で世の中を面白くしていくことに興味があったぼくは、大学で学んだことを活かせそうな受け入れ先をさがした。そして国際NGOのサイトで西アフリカ・トーゴ共和国のラジオ局スタッフの募集を見つけた。現地の産業や暮らしに迫ることができるかもしれない。アルバイトでお金を貯め、片道切符を握りしめてトーゴへ向かった。初めてトーゴを訪れた2012年当時、在留邦人がわずか2人だったその国で、ぼくはのちに事業を起こすことになる。
トーゴの公用語はフランス語ではあるけれど、家庭では現地のことばが話される。フランス語はもちろん、英語も話せないぼくが大切にしたことは「郷に入っては郷に従え」ということだった。国連や世界銀行の現地事務所で働く人たちから英語でフランス語を学び、近所のおっちゃんやマルシェのおばちゃんに、フランス語で現地語を教えてもらいながら地域に溶け込んでいった。初めて見るアジア人が、なぜか現地語を話している。そんなウワサが町じゅうに広がり、ぼくは破竹の勢いで友だちを増やしていった。この仕事でおよそ3カ月間、トーゴに滞在した。
トーゴでの経験から、確かに海外では言語をはじめ様々なスキルが必要ではあるけれど、それと同じくらい、もしくはそれ以上に、そこで暮らす人たちと豊かな関係を育んでいくことも大切であることに気がついた。そこで、日本に帰国後、生まれ育った京都で、地域に密着して仕事ができる信用金庫に狙いを定めて就職活動を再開、運よく採用してもらうことになった。
そこでぼくは運命的な出会いをする。着物産業で栄えた地域の営業マンとして、担当させてもらうことになった染色の職人さん。その方の技術を求めて、わざわざヨーロッパから有名ブランドの関係者が飛行機とタクシーを乗り継いで相談に来る。ぼくが担当していたときは、ルイ・ヴィトンから担当者が来て、コレクション用の作品を染めておられた。職人さんが半世紀ものあいだ、手を動かしつづけてたどり着いた境地だった。
しかしながら、そのすさまじさが財務諸表には表れていなかった。その方にしかできない技術、その技術を生み出すまでのトライ&エラー、仕事で大切にされていること、そのすべてが勘定科目に計上されていなかった。ぼくは金融機関で働きながら、税理士試験の必須科目をパスした。3期分くらいの財務諸表があれば、それなりにその企業の「状態」を読むことはできる。でも、数字で表せるものは思いのほか少ない。
バンカーとして金融支援やビジネスマッチングだけでは「地域の文化」をつないでいくことは難しいと直感した。奮闘している事業者の営みをとらえ直して、あるいは再解釈して、価値を見落とさないようにする必要がある。ぼくにできることは何か。アフリカに行っていたからこそ、できることがあるかもしれないとひらめいた。
トーゴの染織と京都の染色を重ねる。トーゴの村の子どもたちの絵を図案化して京都の手捺染(てなっせん)で布を開発する。京友禅をトーゴの「仕立て文化」で服にする、西アフリカ地域の布を京都の伝統工芸士と連携して作品をつくる。そんなチャレンジをしてきた。活動はトーゴ以外にも広がり、東アフリカのタンザニアのアートで京都の風景を描くことにも挑戦した。アフリカ大陸との間でいまあるものを輸出入するのではなく、お互いのいいところを持ち寄って交差するポイントを探ってきた。そしてその交差点に、ぼくは活路を見いだしている。一緒に何かを創り出すのは楽しいからだ。
お互いの願いが交わる事業開発で面白い価値を生み出せるはずだ。まずはひざを突き合わせて対話することから始めたいーー。それは信用金庫で働いていた時から大切にしているし、なんならぼくはまだバンカーのつもりでいる。トーゴにおいて、資産家でもなければ市井の人々が融資などの金融システムにアクセスするのは不可能と言っていい。そうした状況を受けて、事業活動で生まれた収益を使って、トーゴでの金融システム構築にも取り組んできた。
融資をすれば、お金を返してもらうのが一般的だ。でも起業してみると、それは至難の業であることを知る。そのためトーゴでは、いわゆる「代物弁済」を採用している。物のときもあれば、サービスのときもある。地域経済が盛り上がれば、ご飯をご馳走になったり、地酒を振る舞われたり、流行りのアフリカンプリントで仕立てたシャツをプレゼントされたりする。それでいいのではないかと思う。
商売を通して、お互いのいいところを持ち寄り、力を合わせる。その経験が次なるチャレンジの原動力になるし、だれかのチャレンジを応援するエネルギーにもなる。大切なことは、一緒に一歩目を踏み出すことだと考えている。