牧畜を諦めない 「空に浮かぶ目」が支えるアフリカ最古の生業
アフリカの乾いた大地で2億5千万人が従事するという牧畜が、気候変動や紛争などでかつてない厳しさに直面しています。ジャーナリストの舟越美夏さんが取材しました。

アフリカの乾いた大地で2億5千万人が従事するという牧畜が、気候変動や紛争などでかつてない厳しさに直面しています。ジャーナリストの舟越美夏さんが取材しました。
世界最古の職業の一つ、牧畜。乾燥・半乾燥地帯が大陸の3分の2を占めるアフリカでは、約2億5千万人が従事し、牧草や水を求めて家畜と共に移動しながら放牧をしている。牧畜は、予測不可能な事態に伝統の知恵と技術で対処し、新たな技術を受け入れながら幾千年も続いてきたのだ。だが近年、世界的な気候変動とそれに起因する紛争、過激な武装勢力の台頭などでかつてない厳しい時代に直面している。牧畜民が食料生産を続け、未来への道を開いていくために、どんな技術や視点が有効なのか。危機の現状と人々の模索を東西のアフリカで見た。(文中敬称略)
物心ついた頃から、ディバ・ワコは牛やヤギの後ろをついて回っていた。東アフリカ・ケニア北部の村の牧畜民一家に生まれた彼には、動物は生活の一部で、とりわけ牛の美しさに夢中だった。母親の目を盗んでは家を抜け出し、放牧に向かう牛を追いかけた。
5歳ごろにはもう、子牛の世話ができた。10歳になると、牛や羊、ヤギの面倒をみられるようになった。誰かに教わるのではなく、家族や村の大人を観察しながら覚えていったのだ。ライオンに母親を殺されたヤギの赤ちゃんは、ミルクをやるディバになつき、どこにでもついてきた。
ディバの一家は牧畜が主な生業だが、小さな畑もあり、学校や病院に近い場所に定住住宅を構えていた。ディバの父が、子ども6人のうち1人は学校に行かずに「牧畜をやるように」と言った時、ディバは父の期待を理解していた。
きょうだいが学校へ行く間、ディバは、ラクダや牛、ヤギや羊の世話をした。近所の家族の家畜も引き受けたから、30頭から100頭を連れ、季節によってはテントを持って数百キロを歩いた。動物が大好きなディバには嫌な仕事ではなかったし、両親の目が届かない自由を満喫できた。放牧中は、自分で搾った牛乳とお茶だけの食事だが、長距離を歩き新鮮な草を食べる牛の乳は栄養価が高く「素晴らしい食事」だった。
「牧畜は天国と地獄の繰り返し」とディバは言う。ケニアでは年に2度の雨期が来るが、数年に1度は干ばつになる。
雨期は「天国」だった。草原は緑になり、牛やヤギが草をはむのを見ながら、木陰で寝そべっていられた。
乾期には、地獄に変わった。炎天下、水と牧草を求めて何十キロも歩いた。ディバののどはからからで口の中に一滴の唾液(だえき)もない。そんな極限の渇きに耐えながら歩き続け、ようやく見つけた水たまりは動物の尿の匂いがした。それでも生きるために飲んだ。
だが、少年だったディバの心を傷つけたのはそんな経験ではない。干ばつで草も水もない大地に牛や羊の死体が累々と横たわる、その光景が何よりもつらかった。ディバの村では、死んだ家畜に「最後の敬意を示す」意味で、その皮をはぐのが伝統だった。大人に教えてもらいながら、ディバは愛していた牛やヤギの皮をはいだ。何頭も何頭も。使い慣れないナイフで左腕を傷つけてしまい、その大きな傷痕は干ばつがもたらした死の記憶と共に、今も消えていない。
「あんな思いを私たちの子どもにはさせたくない」。現在、獣医疫学者となったディバは言う。勉強にも熱い思いを抱いていた彼は、15歳で兄に連れられて初めて学校へ行った。ナイロビ大学に進み獣医学を専攻した後、ドイツのベルリン自由大学に留学。2011年に越境性動物疫病管理で修士号を取得した。2023 年から米国を拠点とする国際NPO「マーシー・コー(Mercy Corps)」で、「地域畜産プログラム」を率いている。
ディバは開発援助の会議で「牧畜には未来がないのでは」というニュアンスの質問を何度も投げかけられた。
気候変動は、深刻な干ばつや豪雨、洪水を発生させる。私有地の増大で牧畜民の移動が制限され、紛争が増えた。政府や開発機関も農耕民支援を優先し、牧畜を「時代遅れ」と決めつけ定住化を進めようとした。天候や植生、家畜の特性を見極め、道中の危険を想定し、進む方向の情報を入手して、どの方角へ向かうかを決断するといった、牧畜民が培ってきた知恵と技術は知られていない。
「まったく不当だ」。ディバは怒りを隠さない。「牧畜は、ケニアで国土の80%を占める乾燥・半乾燥地域に適合する唯一のシステムで、利益を生む産業だ。なぜ移動しなければならないのかさえ、理解されていない」
ただ、研究者らの見解は変化している。
家畜は移動時にフンを落とし、大地を踏みしめる。これが乾燥地の再生に有益だとする説は、「牧畜は環境に悪い」との説を抑え、有力になりつつある。「農耕ができない地で食料生産を続ける牧畜は重要性を増す」と、食の安全保障の観点から予見する欧州の農業社会学者らもいる。国連食糧農業機関(FAO)は、牧畜は「過小評価され、誤解されている」と指摘した上で、「気候変動の中、持続可能な開発目標に取り組む上で大きな可能性を秘めている」と述べている。
「牧畜が将来、消えるかどうかを考える時ではない」と、ディバは力説する。「干ばつの影響を軽減し、どうしたら持続可能な産業にできるか。その方法を模索する時なのだ」
それには、人工知能(AI)といった「最先端技術は必要ではない」という。家畜の健康を維持するには。どうすれば疫病の流行を予防するワクチンの接種率を上げられるか。飼料を長期間、保管するには。「求めるべきは、牧畜の基本に立ち返った技術なのです」
もうかる産業のはずなのに、牧畜民の多くが貧困の中で暮らしているのは、なぜなのか。
大規模な援助が関係している、とディバは指摘する。「困難な時期に援助が牧畜民を支えたことは間違いない。だが予期しない副産物も生んでしまった」というのだ。
人々が援助物資に過度に依存するようになった。民間や公的部門の成長を援助が妨げ、牧畜民が市場に参入する仕組みが育たなかった。そのために、ブローカー(市場との仲介者)が示す値段で家畜を売るしかないケースが大半だ。ディバが「牧畜民が容易に市場で家畜を売って収入を得るシステムの開発」に取り組んでいるのは、このためだ。
「牧畜は経済活動」とディバが念を押すのは、牧畜を伝統文化として美化して語る人が少なくないからだ。牧畜民にとって家畜は結婚の儀などに欠かせない文化的資本である。だが、「食事と安全に暮らす場所、という生きる上での基本が満たされなければ、文化の維持もできないでしょう? 生計を立てられなければ、すべてが危機に陥る。経済的観点が優先されなければなりません」。そのためには行政と民間企業、開発機関と牧畜民の連携が欠かせない。
目標までの道は険しい。だが、脳裏から消えることがない少年時代の痛みの記憶が、ディバの原動力なのだろう。
気候変動と紛争で、東アフリカの牧畜民は毎年、4分の1から3分の1の家畜を失っているという。その分、新たな家畜をまた購入しなくてはならない。
どこに水場があり、良い牧草があるか。避けるべき私有地や農耕民の畑がどこにあるかーー。牧畜にとって最も重要な情報を入手するために、牧畜民は現地を確かめるためにバイクを借りたり、金を払って人を派遣したりしてきた。情報を基に目指す地に到着しても、植生がすでに変わっていたこともある。
この情報収集を衛星を利用してできないだろうか。国際NPO「グローバル・コミュニティーズ(Global Communities)」のデジタルサービス「アフリスカウト」の開発は、そんな疑問から始まった。
「Shepherd’s eye in the sky(空に浮かぶ羊飼いの目)」とも呼ばれるこのサービスは当初、衛星から得た情報を紙に印刷する方法で試された。牧草地や土壌を緑や茶、黄色などに色分けした地図を、地方行政の畜産担当官を通じて牧畜民に配布した。ケニアとエチオピアでの試験的実施だった。
時間とお金が節約され、草や水を確実に得られたことで家畜の健康状態も改善された。「非常に良い結果が出た」と、「アフリスカウト」チーム最高責任者のトム・モーティモアは振り返る。しかし、問題はあった。紙の地図では、行政の畜産担当官の意欲と行動力に頼らざるを得ないし、情報が古くなりがちだった。
そこで開発したのが、スマートフォン用アプリである。作成には、牧畜民の意見も聞いた。ケニアでは、携帯電話の電波が隅々まで届いている。スマートフォンは日本円で4千円ほどのものもあり、普及している。
アプリを立ち上げると、豊かな牧草や水場、公共地や私有地の境界線などが色と線で示される。文字が読めなくても「猛獣出没」などの注意喚起マークが認識できる。目指す牧草地までの距離も簡単に分かり、計画を立てられる。
地図は、電波が弱い地域でも使える軽いデータに変換されており、10日ごとにアップデートされる。ユーザーが投稿するリアルタイムの情報が非常に貴重で、アプリの価値を高めている。ユーザー登録者はケニア、エチオピア、タンザニアで約5万人。情報は年配者や周囲の人と共有されるため、最終的には数十万人が利用しているとみられる。
アプリを担当するエンジニアのビクターは29歳。「故郷の友達には牧畜民が多く、都市化で彼らの生活が壊されるのを見た」と言う。「だからこそ、テクノロジーで彼らを支援できるのはうれしい。改良を重ねたい」
10月初旬。ケニア西部オルデペの先住民族マサイの村では、朝焼けの中で放牧の準備が始まっていた。
「アプリは毎朝、チェックするよ。放牧に欠かせない」。赤と黒のチェック柄の民族布を羽織ったピーター・キラニ(30)が言う。使い始めて7年。情報は55歳の父と近隣の人々に伝える。収入に直結する家畜の健康に関する情報は、特に貴重だ。「家畜が健康であれば、子どもを学校にやれるし、家族を病院に連れて行けるし、他の人を助けられる」
ニコラス・テンケス(30)は「行政はアプリと連携してほしい」と言う。「例えば10人が家畜の疫病が発生している、と投稿したら、それは病気がかなり広まっているということだ。行政担当官はすぐに現場に入ってほしい」
ピーターもニコラスも大学卒の高学歴で他の仕事も持っているが「牧畜は最も重要な仕事だから、やめるなんてあり得ない」と口をそろえる。2年前のひどい干ばつで、2人とも多くの家畜を失った。それでも、他の仕事でお金をつくって牛を買い、牧畜を続けている。「これが我々の生き方なんだ」と2人は言う。
西アフリカの「サヘル諸国」と呼ばれるサハラ砂漠南部の国々では、牧畜民はより厳しい環境にいる。世界平均を上回る気温上昇率に加え、豪雨や洪水が頻発。農地の80%は荒廃したとされ、土地利用をめぐる牧畜民と農耕民との衝突も深刻だ。
さらに、牧畜民たちの地域で、国際テロ組織「アルカイダ」や過激派組織「イスラム国(IS)」に関係する武装組織と、各国の政府軍や国際部隊が戦闘を繰り広げ、人身売買や違法薬物密輸の組織も暗躍している。武装勢力に勧誘される若者も少なくない。2020年以降は軍事クーデターも連鎖的に起きている。
国連は、2024年9月末までに国内避難民は約312万人に上ったとし「世界で最も急速に拡大し、最も忘れられている人道危機」と、支援を呼びかけている。政治社会が不安定な背景の一つには、資源獲得競争で各国が押し寄せ、現地の文化社会や環境を考慮せずに資源開発を進めたことがあると指摘されている。
2023年7月、サヘル地域の中でも欧米諸国と緊密な関係にあったニジェールでクーデターが起きた。新たな軍事政権はフランス軍と米軍に撤退を求め、ロシアと軍事協力の強化で合意し、欧米諸国を驚かせた。
ニジェールは原子力発電の燃料であるウランや金など天然資源が豊かな国。旧宗主国フランスにはウランの主要な調達先だが、市民の間では「我々を長年、搾取してきた」とフランスへの怒りが高まっていた。地元の40代男性は「過激派を抑えるためにロシアは軍事面で頼りになる」と軍事政権の選択を支持する。
ニジェールでは今年、豪雨による洪水も起きた。首都ニアメーには、武装勢力や紛争から逃れて苦しい生活を送っている牧畜民がいる。
60代の牧畜民の男性は、隣国マリの国境近くにある村の代表格だった。3年前、自宅に来た武装勢力に「政府軍が仲間を殺害した報復」として拉致され、隣国ブルキナファソにある基地で拷問された。4カ月後に自力で脱出したが、かつての村は無人になっていた。首都の反テロセンターで事情を聴かれ、わずかな支援金をもらったがすぐに底をついた。妻子と再会したものの家畜を買う資金はなく、トラウマにさいなまれながら苦しい生活を送っている。
別の男性(47)は数十人の一族とともに、戦闘を避けて首都に来た。先祖から受け継いできたブロックを積み上げた住居の周囲には、数十頭の牛が通りをたむろし、購入した牧草を子どもたちが牛に与えている。いつ草原に戻るかは一族の長である彼の父が決める。男性は治安情報を収集しているが、見通しは明るくない。「街中の暮らしはつらい。健康な家畜を育てるには移動が欠かせない。牧草や水の購入で経済も厳しい」と言う。
「人間と動物、環境の健康状態はつながっている」。獣医師のアフメト・アミト(44)が男性の嘆きを補足する。自身も北部の牧畜民一家の出身で、ハウサ語やアラビア語、トゥアレグ語など複数の言語を操りながら、武装勢力らの戦闘に巻き込まれる危険を覚悟で地方に出かけ、家畜のワクチン投与や衛生指導をしている。クーデター後に国際支援が激減して活動は苦しいが、牧畜民の苦しみを知るアフメトがやめる訳にはいかない。
オランダのNGO「SNV」がサヘル地域で進める、衛星データによる牧畜民支援プロジェクト「ガルバル(GARBAL)」は、地元の電話会社やNGO、行政の協力を得ながら続いている。
東アフリカの「アフリスカウト」に似ているが、使うのはより基本的な技術だ。サヘル地域の牧畜民にはスマートフォンは普及していないが、安価なフィーチャーフォン(スマートフォン以前の携帯電話)を誰もが持っていることに対応した。
特定の番号にかけると、ガルバルのコールセンターにいる農業の専門家につながる。「今、あなたがいるのはどこ?」。農業の専門家が、牧畜民の居場所を確認し、衛星画像を見ながら複数の言語で対応する。草地や水場へ安全に行くには。これからの天気は。近くの市場はどこか。家畜を売ればどんな値段がつくか。
ガルバルはマリ、ブルキナファソで先行し、ニジェールの一部でも2023年から始まった。ブルキナファソでは2023年には200万回の利用があったという。
「とても助けになる。このプロジェクトに感謝している」。ニジェールで、牧畜民の啓発活動をする地元NGO「ガジェル(GAJEL)」のブーバカル・アルズマ事務局長は語る。ガジェルは、地上情報でガルバルに協力している。
ガルバルから2日ごとに受け取る衛星情報を確認する。画像にある牧草は、牛や羊が食べられる種類か。水場までの道は安全か。各地にいる関係者に連絡し確認してもらうのだ。
もう一つは、牧畜民に集まってもらい利用方法を教える。ニジェールではコールセンターの番号は「777」だ。「牧畜民は好奇心が強く、新たなテクノロジーを積極的に取り入れる」。ただ首都から離れた地域の治安悪化が著しく、危険は覚悟だが「牧畜民の生活向上に貢献する技術だ。先日は、オランダから関係者が視察に来たよ」。アルズマはうれしそうだ。
気候変動がもたらす苦難は、人々を争いへと駆り立ててしまう。ガルバルは始まったばかりだが、人々の苦難を和らげ、紛争や武装勢力に参加する若者を減らすことにつながるかもしれない。
実は、サヘルと日本はつながっている。サヘル地域で大雨が降ると、日本が猛暑になるーー。三重大学大学院の立花義裕教授(気象学)が39年間にわたる観測値の分析と数値シミュレーションで発見し、2021年にドイツの学術雑誌「気候力学」に発表した説だ。サヘル地域での雨雲の発達が、日本上空の高気圧の引き金となり猛暑の一因になるという。2024年の気候は、まさにそれに相当した。
「乾燥地でも、地中にはたくさんの命が埋まっている。雨が降ればあっという間に緑になるんだ」。ケニア中部サンブル県。牧畜民のデビッド・レスダ(28)は驚くような大地の力を話してくれた。だが彼も、3年前のひどい干ばつでつらい経験をした。牧草を求めて家畜と共に移動し続け、たどり着いたケニア山のふもとは、気温が低過ぎた。草の種類も合わず、牛は130頭のうち18頭しか生き残れなかった。
そんな時に、干ばつ時の家畜被害を補償する「インデックス牧畜保険」(IBLI)を知った。この保険の市場調査などを行っていた企業「AIID」の取締役、フィレモン・チェランガらと知り合ったのだった。
IBLIは、干ばつ被害に特化しており、衛星データを利用して地上の植生を追跡し、家畜の死亡率を予測する。保険金は、地域全体の被害額の代替指標(インデックス)に基づいて支払われるのだ。保険契約者は、損害を申請する必要がない。
米コーネル大学のクリス・バレット教授のチームと国際畜産研究所(ILRI、ケニア・ナイロビ)の共同事業で、2010年にパイロット事業が開始された。干ばつ対策は、牧草がある場所を探して移動するか、水や草を購入することぐらいしかなく、大きな損害が出ると、牧畜民は食費を削ったり、子どもが学校をやめたりしていた。しかし、支払われた保険金で教育費や食費がまかなわれるなどの成果が確認され、牧畜保険は隣国エチオピアでも始まった。ケニアでは現在、政府が保険料を補助している官民連携プロジェクトで、フィレモンによると約13万5千世帯が加入している。世界食糧計画(WFP)や世界銀行も関心を示し、コーネル大学のウェブサイトは「IBLIはアフリカ以外の世界各地にも広がっている」とうたっている。
デビッドは勉強し、保険の説明をしたり加入を手伝ったりする「普及員」になり、「2年で376人を加入させた」という。
だが、契約者に話を聞きに行ってみると不満も多く、保険の普及が容易でないことがうかがえた。理由はいくつかあるようだ。
そもそも保険の仕組みは分かりにくい。保険会社と契約者との仲介をするエージェントや普及員の役割は重要だが、デビッドのように意欲的に勉強し理解している者は多くない。また、家畜の損害の原因は豪雨や洪水、紛争と、多様化しているのに、保険金は干ばつに対してしか支払われない。「保険料が高い」と契約を更新しない人も多い。「保険は希望になり得る。だが、補償対象を増やしてほしい」と、行政職員のメシャック(30)は言う。
それでもフィレモンは「保険の未来は明るい。現在も改良が重ねられている」と楽観的だ。「気候変動対策に関する議論では、保険は適応策や緩和策の最前線と位置づけられている」というのが、大きな理由のようだ。
法政大学の池上宗信教授(開発経済学)は「保険を買って支援」を提案している。ILRIに所属していた時に牧畜保険の調査研究に関わった池上教授は、運営や普及の方法にハードルがあるものの「保険は干ばつに備えるための選択肢になる」とみている。NGOが仲介するなどして、保険契約を贈る仕組みができれば、牧畜民の子どもたちの教育費や食費を長期的に支援する、新しい方法になるかもしれない。
「牧畜を続けていきますか」。牧畜を生業とする人に会うたびに、こう聞いた。
「もちろん続ける。私たちの体の一部だから」。何人もがそう答えた。「あなたが存在するから私が存在する」という相互扶助の伝統は、アフリカの東西で消えていなかった。助け合いがなければ、牧畜は不可能な職業なのだ。そこには自然との助け合いも含まれる。「我々は自然なしには存在していない。だからライオンやハイエナが来ても追い払うだけで、殺さない」と20代の男性は言った。
だが「従来のやり方だけではダメだ」とも誰もが考えていた。より良い選択と決断で道を開くために「牧畜の専門知識を大学で学んで欲しい」と子どもに望む親たちも少なくなかった。
天候が読めなくなった。紛争の行方も不透明だ。だが数千年の間、新たな危機には新たな技術を取り入れ、進化しながら牧畜は続いてきた。
「私たちには、諦めるという言葉はないんです。諦めは災いを意味するから」。デビッドの口調に迷いはない。牛の飼料のためにと、試行錯誤しながら耕した畑で、トウモロコシの葉が風に揺れていた。「たとえ干ばつで全ての家畜を失ったとしても、友人に羊を譲ってもらってまた、前に進むだろう」
アフリカの牧畜は消えない。ディバの確信に満ちた声を思い出した。