大河の悲痛な乾き アマゾンの異変と「森の守り人」の闘い
世界最大の熱帯雨林が広がる南米ブラジルのアマゾン。広くて果てしない大自然が直面する「のっぴきならない事態」を、写真家の渋谷敦志さんが現地取材しました。

世界最大の熱帯雨林が広がる南米ブラジルのアマゾン。広くて果てしない大自然が直面する「のっぴきならない事態」を、写真家の渋谷敦志さんが現地取材しました。
南米ブラジルを流れるアマゾン川が、2023年10月、この120年間余りで最低の水位を記録した。無残にやせ細った大河は、地球の気候変動と環境異変の象徴だ。コロナ禍を機に、「森の守り人」たる先住民の権利擁護を掲げる政権を選び、気候変動に向き合おうとしたブラジル国民。その現状はどうなっているのか、写真家の渋谷敦志氏が現地で取材した。
大河アマゾンの川底がむき出しになり、フェリーや貨物船は陸に乗り上げ、桟橋は港から遠のいている。
あのアマゾン川でもこうなるのか。
港の船着き場からの光景に胸がギューッと締め付けられた。
南米ブラジルに広がる世界最大の熱帯雨林アマゾン。その中心にある商業都市マナウスを流れるアマゾン川の水位が2023年10月16日、過去最低の13.59メートルを記録した。記録が開始された1902年以降で最も低い数値だという。
「アマゾン川」といっても、マナウスに面するのはその支流ネグロ川だ。その水位が13.59メートルになったと知ったところで、事態がどれほど異常なのか、深刻に受け止める人はブラジル人でもそう多くはないだろう。
アマゾンはスケール自体が広大だ。その途方もない大きさを伝える筆力を持ちあわせていないのでデータを書き連ねるが、アマゾン川本流の長さは、ナイル川を上回る約6800キロと世界一(諸説ある)、流域面積は705万平方キロメートルと堂々世界一、水深は平均50メートル、最深部だと120メートルにもなり、1万トン級の船が航行可能、河口にある三角州は九州よりも大きい。
アマゾン川の支流にすぎないネグロ川でさえ、海かと見まがうほどの大きさだ。雨期であれば川幅は7キロにおよび、対岸の森がかすむほど。それだけに、前例のないレベルで水位が低下したと聞いてピンとこないのも無理はない。ただ、黒褐色の水が満ちた状態を知っている僕は、渇水でやせ細って小さくなったネグロ川から、「これはやばい」という気配を感じた。もしかしたら人類すべてに迫りくるような「致命的な異変」がアマゾンで起きているのかもしれないという考えが頭をもたげてくるのだった。
漠然とした不安を抱きながら港から「川底」に下りた。ぬかるんでいると思った地面は、乾いてビーチのように砂状だ。目の前を車が砂ぼこりを上げて通り過ぎていった。普段なら浮き沈みする桟橋があり、たくさんの船が発着しているのに。川岸までは70~80メートルある。案外悪臭はしなかったが、川底だった地面にはプラスチックなどのゴミが大量に残されていた。
「こんなに水位が下がったのは記憶にない。しかし、雨期と乾期で水位が10メートルぐらい変化することはあるから、特に驚かないよ」。小さな漁船の前で魚の競りに参加していた男性が話した。「でも異常な干ばつで孤立状態になっている集落もあるようですが……」と聞くと、漁師たちは、「確かに異常だが、水量が減って逆に魚影は多くなっている。問題は市場に魚を運ぶ苦労が増えたことくらいだ」と、事態を淡々と受け止めていたのは意外だった。
港の方を見ると、むき出しになった10メートル近い高さの岸壁に、色鮮やかなアマゾンの鳥やマナウスのオペラハウスなどの絵が描かれていた。ここには何度も来ているが、こんな絵があるのは知らなかった。港を普段から利用する人たちにとって、その絵は乾期になれば目にするありふれた風景なのだろう。そこに日本人が地球の反対側からやってきては、やれ気候変動だ、やれ水の危機だと騒ぎ立てるのは「大げさだ」と考える人たちもいるかもしれない。
それでも僕は、「母なる川」の悲痛なまでの乾きを目撃した後で、この異変から感じる危機が杞憂(きゆう)に終わるとはとても思えなかった。それに自分が、アマゾン観測史上で最悪の干ばつを記録するという、地球的規模の危機の瞬間にブラジルに居合わせたのも偶然とはいえない何かを感じていた。
干あがるネグロ川を見たときに抱いた、地球が「のっぴきならない事態」になっているという感覚。
あの時もそうだった。
思い出していたのは、前回ブラジルを訪れた2020年3月の記憶だ。
あの時、あたりまえのように享受していた日常は突如としてガラガラ崩れ去っていった。
「COVID-19」、新型コロナウイルスという名の未知の感染症が急拡大したためだ。僕はアマゾン北部にあるベネズエラ難民のためのキャンプを訪問する予定だったが、計画は目前で頓挫した。
「コロナ、帰れ」
ペルーとコロンビアの国境の町、タバチンガを歩いていると、悪意むき出しの言葉を何度も浴びせられた。僕そのものがウイルスとして見られていた。そんなあからさまな差別を受けたのは、四半世紀ものブラジルとの関わりの中で初めてだった。居心地の悪さからコロンビア側に逃れたが、国境がまもなく封鎖されると知らされ、あわててブラジル側に戻った。
日本への飛行機が飛んでいるうちに帰国しようと考えたが、時すでに遅し。世界中で移動が制限され、日本への帰国便も欠航、ロックダウン(都市封鎖)されたサンパウロで自主隔離を余儀なくされた。友人とも会えず、まさに八方塞がり。隔離された人たちを取材するつもりが、いつのまにか自分が世界から締め出されていた。
コロナは人間がみずからまねいた災いではないだろうか。開発を推進するために経済活動を自然領域に広げ過ぎた結果、ウイルスの宿主である野生動物と人間との接触機会が増え、ウイルスが変異を繰り返し、パンデミックが準備されていったという指摘もある。ならば、これ以上の見境のない自然破壊は止めよう、少なくとも生態系のバランスに配慮した節度ある開発にシフトしていこう、それが次のパンデミックの予防、ひいては人間の命や健康を守ることにつながるーー。そんな軌道修正が働きそうなものだが、ブラジルではならなかった。新型コロナを「ただの風邪だ」と軽視した当時の大統領ボルソナーロ氏は環境保護をも軽視、コロナ禍だからこそ経済活動を優先させよと、アマゾンでの森林伐採や金の採掘など違法行為を放任し、ブラジルの逆走はむしろ加速した。
その反動もあってか、ブラジル国民は次に国のかじ取りをする指導者に、アマゾンの森林保全を含む地球規模の気候変動対策を重視するルラ氏を選出する。2023年1月に始動した新政権は「森の守り人」である先住民族の権利保護を目指す「先住民族省」を新設するなど、大胆な政策を打ち出した。しかし、首都ブラジリアの議会では前政権の与党が依然優勢で、先住民保護区を切り崩して、さらなる農地開拓を可能にする法案が可決される展開となっていた。
アマゾンはいま、どうなっているのだろうか。
開発推進派と環境保護派が一進一退の攻防を繰り広げる不穏な政局をウォッチしていたとき、ひとりのブラジル先住民女性が「環境分野のノーベル賞」とも呼ばれる「ゴールドマン環境賞」を受賞したというニュースを見つけた。
アレサンドラ・コラップ・ムンドゥルクさん(39)。パラ州南西部のタパジョス川沿いに暮らす先住民「ムンドゥルク」の若きリーダーだ。「サウレ・ムイブ」というムンドゥルク固有の土地で銅などの採掘を企てていたイギリスの資源大手アングロ・アメリカンに抗議するキャンペーンを展開し、2021年に認可済みのプロジェクトを多数覆したことなどの活動が評価されたようだった。
アレサンドラさんは授賞式でこう訴えた。
「私たちは先住民の権利を守るために強欲な企業に抵抗します。なぜなら、私たちは地球とつながっているからです。もしお金と権力のある人たちが成功すれば、それは私たちみんなの負けなのです。私たちムンドゥルクの女性は川や健康を失い、私たちの体と子どもたちは水銀に汚染されてしまいます。私たちが闘うのは、自分たちが生きるため、自分たちの土地のため、そして、多大な苦しみを抱える母なる地球のためです」
「なぜなら、私たちは地球とつながっているから」
その言葉が僕の心に静かに響いた。自分自身がとうに失ってしまっている感覚であり、だからこそ、それを取り戻そうとする試みが僕の取材の核心であったことを思い出させてくれたからだ。
何より、「顔」を見たと思った。自分たちの土地が侵されることへの怒りと、それでもなおその土地で生きていく覚悟を持った「闘士の顔」だ。アマゾンという大自然の因果関係や政界で起きている表層の動きをなぞっているうちに、そこに生きる人間の顔を置き去りにしていたとはっとした。
アマゾンで起きていることを知りたいのならば、いまこの瞬間もアマゾンの片隅で闘っているこの人に会いに行けばいいじゃないか。直感がそう告げていた。
彼女に会えばアマゾンの今を理解できるというような単純な思いではない。でも彼女の言動にはアマゾンのさまざまな動きが映し出されているはずだ。彼女の今を裏打ちする経験や思考にじかに触れることで、地球規模で起きている変化を実感できるのではないか。
そんな思いを込めてアレサンドラさんにメッセージを送ったところ、「10月7日はサンタレンにいる。その日は町で大学の勉強があるので」と返信があった。ただ、どこで何時に会えるか具体的な情報はなかった。取材が空振りに終わるかもしれない、と心配した。しかし現地で取材のサポートを頼んでいた旅行会社ATSツールの島準さんから、「真剣に、誠実にあたっていけば必ず道が開けていくのがブラジル」と背中を押され、飛行機を4本乗り継いで、アマゾンへ向かった。