「命の水か、感染症か」 蚊と共に生きる人々の終わらない苦悩
デング熱の感染が広がる中米ホンジュラス。ウイルスの増殖を抑える細菌を蚊の体内に増やすことで、デング熱患者を減らそうとしています。前編に続き、現地からの報告です。

デング熱の感染が広がる中米ホンジュラス。ウイルスの増殖を抑える細菌を蚊の体内に増やすことで、デング熱患者を減らそうとしています。前編に続き、現地からの報告です。
治安の悪さと自然災害により「世界で最も危険な国」の一つとされる中米ホンジュラス。追い打ちをかけるようにデング熱などの感染症が人々を苦しめている。社会の脅威、そして気候変動を含む自然の脅威にさらされる人々を守るため、国境なき医師団が現地の人々と共に取り組む感染症対策「ボルバキアメソッド」を、写真家の渋谷敦志さんが取材。アフリカ・マラウイでのサイクロン被災地取材に続き、「病む地球」の現場を歩いた。
「蚊が媒介して広がるデング熱の感染者を、蚊を増やすことで、減らす」。デング熱の感染者が多いホンジュラスの首都テグシガルパで、特に症例数が突出しているマンチェン地区では、国境なき医師団(MSF)が「ボルバキアメソッド」を用いたプロジェクトを始めている。この一見、よく分からないメソッドについて、MSFのフアン・ベルナレスさんはこう説明する。
「ボルバキアというのは細菌の名前です。このボルバキアに感染した蚊の体内ではウイルスは生きていけなくなります。そのメカニズムはよく分かっていないのですが、ボルバキアの力を借りてデング熱の患者を減らし、コミュニティーの健康を守るのが、プロジェクトの目的です」
ここまで知ったら、ぜひともボルバキアの感染蚊をマンチェンで放出するところまで見届けたかったが、残念ながら、放出時期は訪問時より、少し先だった。プロジェクトを伝えるには、もう少し具体的な活動を知りたいと思っていたところ、救いの手を差し伸べてくれたのが、MSFのロジスティシャン、スタブロス・ディモポウロスさんだった。
「蚊の繁殖場を見ますか? ボルバキアの感染蚊ならそこで撮影できますよ」
願ってもない提案だった。「インセクターリオ(昆虫の家)」とディモポウロスさんが呼ぶ小さな実験室のようなそれは、MSFの事務所の敷地にあった。
室温は蚊の成長に最適な27度から29度の間に保たれ、室内はやや蒸し蒸ししている。棚には透明のプラスチックの容器が陳列されていて、学生ボランティアがスマートフォンのライトで容器を照らすと、水の中にウヨウヨと動き回るボウフラが浮かび上がった。
「ワールド・モスキート・プログラム(コロンビアを拠点とする非営利団体)から提供された感染蚊の卵を成虫まで育てるのに、だいたい1週間から10日間。どういう環境や条件ならうまく育つのか、研究を続けているところです」というディモポウロスさんは、元々はバイオ系の産業エンジニアだったと聞き、合点がいった。主に物資調達を担うロジスティシャンといっても、本当にいろいろな役割があるのだ。
それにしても、蚊は何を食べて大きくなるのだろう。素朴に思って聞くと、基本的には、容器をふさぐガーゼ越しに、糖分を含ませた綿から栄養を取らせればいいという。ただ、蚊の方も最初は要領がつかめないらしく、栄養不足に陥ることがあるのだという。
「そんな時には、こうして血をあげるのです」
そういって学生ボランティアが自分の腕をガーゼに押し当て、蚊に血を吸わせて見せた。
「ええ!そこまでやるの?」
母親が乳児に母乳を与えるかのように蚊に血を吸わせる様子には正直仰天した。当然、腕には蚊に刺された痕がいくつも残った。「ボルバキア持ちの蚊じゃなかったらどうしよう」と冗談交じりに笑いながら、「ほら見て、太った!」と、成長した蚊の姿を凝視しては、ちょっと満足げな表情を浮かべている。若者が体を張って感染症をなくそうとする姿は衝撃的だが、心強く、頭が下がるばかりだ。
とはいえ、こんな方法で感染蚊を増やし続けるわけにはいかないだろう。実際、どのように感染蚊を増やすのだろう。
「このメソッドの第一のメリットは、半年間、週に1度、感染蚊を地域に放出するだけで、感染蚊が自然に増えていくことです。メスがボルバキアに感染していれば、オスが感染していようといまいと、新世代はボルバキアを受け継ぎます。オスはそもそも人を刺さないのでデング熱を伝播(でんぱ)させることができません。ボルバキアを持つメスが増えていけば、ウイルスの居場所は減っていく。2、3年はかかりますが、やがて感染蚊が優勢になって、デング熱の症例はかなり抑えられます。理論的には、ですがね」とディモポウロスさんは説明する。
頭の中がしっちゃかめっちゃかになるばかりだが、僕の理解では、今後、地域に生息する蚊は駆除すべき大敵ではなく、デング熱と共に戦う味方として受け入れていく必要があるということなのだろう。
でも、ボルバキアメソッドがいくら画期的な方法だとしても、それ単独では根本的な解決にはならないだろうし、ひとつの細菌がもたらす変化が、実際に地域の健康問題にどのような影響をもたらすのかは、ビフォーアフターの違いを見ないことにはなんともいえない。であるならば、今はそのビフォーを見ておきたいと思い、感染蚊の放出予定地を案内してほしいとお願いしたところ、現地に詳しいヘルスプロモーターが快諾してくれた。そこでなぜ問題が深刻になっているかの根っこの部分に触れることができ、そこで誰が人の健康を守るために尽力しているのかも見ることができた。
マンチェン保健センターから北に車で10分ほど。傾斜地に身を寄せ合うように並ぶ家々の間を蛇行すると、まもなくアスファルトの道路は終わった。そこからは徒歩だ。案内役はMSFのヘルスプロモーター、サンドラ・エスピナルさん。この地区の元住人で顔が広いと評判の女性だ。僕たちは、マンチェン地区の中の50に区分けされた地域の一つ、カナーンに向かっている。なぜそこに行くのか。一つはそこがボルバキア感染蚊の放出場所であるからなのだが、もう一つは、そこにある共同の「PILA(洗濯場)」と貯水池を見てほしいとエスピナルさんの提案があったからだ。
草木がうっそうと茂る急勾配の坂道を進む。たまにコンクリートで固められた階段がある以外、ぬかるんだ路地が続く。雨水や家庭からの排水がゴミと混じってところどころにたまっている。いかにも蚊が繁殖しそうな環境だ。民家の塀や電信柱などそこかしこに「ボルバキアメソッド」のポスターを見かける。キーメッセージは「PILAS CON EL ZANCUDO」、「蚊と共にある洗濯場」という意味だが、聞けば、PILAには洗濯場の他に「賢明に、生き生きと、用心深く」などのニュアンスもあって、「蚊とそんな気構えで共生してね」という二重の意味になっているようだ。
息を切らしながらやぶの道を進むと、ほどなくテグシガルパの中心部が一望できる見晴らしのいい場所に出た。目的地の共同の洗濯場と、すぐそばに小さなため池があった。この銭湯の浴場ほどのサイズの貯水池が、そこから下方にある多くの家庭の水源なのだという。
エスピナルさんによると、この地域に上下水道のシステムはなく、頼みの給水車が来るのは週に2回、夏だと1回だそうで、水やタンクを買う経済力のない人は、ここに来て洗濯をし、水をくんで家に帰るのだという。
水を得るのは基本、女性の仕事だ。シングルマザーも多い。家事と育児に追われながら週に何度も大量の洗濯物とバケツやポリタンクを持ち、時には子どもも抱え、転びやすい坂道を上り下りして、水を運ぶ。苦労して運んだ水だけに、彼女たちはその一滴一滴を大切に使う。コップや鍋、ペットボトルや洗濯台まで、家の中のさまざまな入れ物に水をためる。
エスピナルさんは、生きていくのに最低限必要な水、すなわち「命の水」が蚊の発生源であり、デング熱流行の主な原因であることを訴えかけているのだった。
水たまりをなくせ。媒介蚊の居場所をつくるな。そういって感染予防を喚起するのは簡単だ。でも、ここに暮らす人々は、水不足と感染症をてんびんにかけなければならない。蛇口をひねればいくらでもきれいな水を手に入れられる僕なんかには見えない事情を知って、はっと胸を突かれたのだった。
人は水なしでは生きていけない。その水が手に入らないとどうなるのか。飲み水や調理の水が確保できないだけでなく、手洗いやシャワー、洗濯や食器洗いもままならなくなる。かろうじて食事に必要な分はまかなえても、清潔な水でなければ病原体が増殖し、衛生環境は悪化する。栄養不良に陥り、体の免疫力が下がれば、命の危険に直結する問題となる。
「ここで起きる健康の問題の多くは水に由来するものですが、デング熱のようなアルボウイルスによる感染症もまた、水不足が主な原因なのです」
重い雲が垂れこめるようなこの状況で、ボルバキアメソッドが一筋の光となってほしいのだが、プロジェクトの実行者でもあるエスピナルさんはどう受け止めているのだろうか。
「地域住人の1人としては不安です。下を向けば、一筋縄ではいかない問題ばかりなので。『指で太陽を隠す』といいますか、あまりにも目立つものを隠そうとすることは容易ではありません。私たちの行動だけでは大きな問題を解決できないのではと思うこともあります」
水の確保一つにも苦労する生活を知る人の素直な思いだろう。だが、エスピナルさんは力強くこうも語った。
「それでも私は地域のリーダーであり、保健センターのボランティアであり、MSFのヘルスプロモーターです。周りには仲間がいます。彼らと共に自分ができることをやるだけです」
急な坂道を歩きながら話すエスピナルさんは、転んでも踏まれても、立ち上がって前に歩き出す人に違いないと思った。そんなレジリエンス、生き直す力を強く感じさせてくれたもう1人のヘルスプロモーター、エルサ・フローレスさんを紹介したい。
フローレスさんにつないでくれたのはエスピナルさんだったが、実は彼女とはマンチェン保健センターでのワークショップで会っていた。後日、カナーンで水不足の現状を見た後、前年にひどい土砂崩れが起きたガジェン地区に立ち寄ったのだが、その際にエスピナルさんから「同僚のエルサはここに住んでいて家を失いました」と聞き、そこで初めてフローレスさんが被災者だと知った。そして日を改めて、フローレスさんにインタビューをお願いし、一緒に被災地を訪れることにしたのだ。
2022年の土砂崩れは、ガジェン地区で100戸以上を破壊したという。その跡地は渓谷の底のような光景だった。発生からすでに10カ月は経っていたが、周辺には押し流された家屋のがれきが撤去されずにそのまま放置されていた。発生箇所は復旧されないまま、土壌流出や落石を防ぐ黒いシートで覆われているのみ。時間が止まったような空間に立って、フローレスさんが口にしたのは、1998年にホンジュラス全土を襲ったハリケーン「ミッチ」の記憶だった。
「10代でしたが、ひどい混乱を覚えています。暴風雨で山があちこち崩れ、土砂が川に流れ込み、町中が洪水になりました。2020年に来た二つのハリケーンも恐ろしかったです。それでも自分が被災者になるとは思わなかったので、とてもつらかったです」
ホンジュラスは少なすぎる水と多すぎる水の両極端の脅威に向き合っている国だ。地球温暖化の影響で水不足や干ばつが起きていると思いきや、ハリケーンや豪雨による洪水や土砂災害も頻発している。災害に強いインフラ整備や減災対策は急務とされてきたが、対策が追いつかないまま次々と災害が発生してしまっていた。
2022年9月。傾斜地に位置するガジェン地区では、どこからか流れてきた大量の雨水が川のように地面を流れていた。自宅にいたフローレスさんは雷のような音を何度も聞く。降り続く雨で地盤や家屋がバリバリときしんでいた。同地区ではハリケーンや大雨の度に小さな土砂崩れが起きていた。「危機が迫っている」と自覚したフローレスさんは、市の職員の避難指示もあって学校へ避難する。その直後、民家が数十軒、「溶岩が流れ出すように」雪崩を起こし、フローレスさんの家はのみこまれた。家族は無事だったが、家や家財はすべて失われた。
「地球が崩壊するような気がして、不安で眠れない日々が続きました。騒音などあらゆる物音がストレスで、私も娘もうつになりました。娘は今も療養中です」
なぜ自分だけ何度もこんな目に。
フローレスさんにはトラウマとなる過去の体験があった。2016年に交通事故に遭い、利き手である右手の指を失っていた。仕事も失った。うつ病を患い、下を向く日々だったが、地元のマンチェン保健センターで、若い時から関心のあったボランティアに参加したことで転機が訪れる。そこでたまたま出会ったMSFのフアン・ベルナレスさんから「デング熱対策のプロジェクトに参加しないか」と誘われたのだった。
プロジェクトの仕事はやりがいがあった。自分には与えられた役割がある。それが誰かのためになる。地域社会とつながっている。そんな手応えがフローレスさんの生きる力を高めていった。障害の残る手も気にならなくなった。コロナ禍の混乱も乗り越え、ようやく上を向いて生きていけるようになった。そんな時に災害に遭い、家が崩壊する。何よりずっと一緒に住んでいた母親と別居を余儀なくされたのがこたえたようで、うつ病が再発した。
心が崩壊する危機に陥ったフローレスさんは、だが、今度は心の寄る辺があった。家族や地域との交わり、MSFの仲間の支えがあって、打ちひしがれた心は再び生きる力をとりもどしていく。
フローレンスさんは言葉をじっくり選んで、こう締めくくった。
「今は上を向いて仕事ができています。いろいろなものごとがもう以前と同じではありませんが、自分の仕事とそれが生み出す成果に喜びを見いだすことで、精神的にも前に進んでいける気がするのです」
テグシガルパの町を見晴らす彼女の、穏やかな表情ににじみ出る生命力は、アフリカ・マラウイの被災地で生き抜く女性たちのまなざしの奥に見たものと似ていた。僕のカメラが、海を隔て、かけ離れた地で「今を生きる」をつないでいる。その感覚を羅針盤として「共にある世界」を切り開く、そのプロセスで見つける課題や、危機の現場でめぐり合った一人ひとりの言葉が「プラネタリーヘルス」への理解を深めるきっかけになると思った。