治安の悪さと自然災害により「世界で最も危険な国」の一つとされる中米ホンジュラス。追い打ちをかけるようにデング熱などの感染症が人々を苦しめている。社会の脅威、そして気候変動を含む自然の脅威にさらされる人々を守るため、国境なき医師団が現地の人々と共に取り組む感染症対策「ボルバキアメソッド」を、写真家の渋谷敦志さんが取材。アフリカ・マラウイでのサイクロン被災地取材に続き、「病む地球」の現場を歩いた。

地球の「悲鳴」に導かれてホンジュラスへ

次の行き先が中米のホンジュラスになるのは、自分でも思いがけない展開だった。

2023年5月、アフリカ・マラウイからの帰国便の機内で、史上最大級のサイクロンに襲われた被災地で目撃した「病む地球」を思い返していた。気候変動は人間の生命や健康にも悪影響を及ぼしている。「プラネタリーヘルス」を考える次の現場はどこだろうか。脳裏にふと浮かんだのが、写真家として駆け出しの頃に買った雑誌『ナショナルジオグラフィック』の、ホンジュラスで起きた記録的災害を伝える誌面だった。

帰宅早々、本棚からバックナンバーを見つけた。1999年11月号だった。「洪水の傷跡、中米を襲った20世紀最大のハリケーン」という見出しで始まる特集は、被災から1年が過ぎても復興が進まない首都テグシガルパの様子を生々しく写し出していた。ハリケーンは1998年に中米で起きた出来事であったが、なぜかマラウイで今起きている危機と、時空を超えてつながるものがある。

「ここに来い」

そんなホンジュラスの人たちの声が、写真から聞こえた気がした。

「唐突ですが、ホンジュラスではどんな活動をしていますか?」

国境なき医師団(MSF)日本の広報担当・舘俊平さんに相談したところ、早速、テグシガルパにある現地事務所のラウラ・アセイトゥーノさんにつないでくれた。

「ホンジュラスでは気候変動を背景に、デング熱のような蚊を媒介とする感染症が流行しています。そして私たちは今、ボルバキアメソッドで感染拡大を抑えるプロジェクトを準備しているところで、コミュニティーを視察する機会としてもいいタイミングです」(アセイトゥーノさん)

よかった。それにしても、「ボルバキアメソッド」とは何のことかさっぱりわからなかったが、とりあえず腹は決まった。

それにしてもだ。毎度、「プラネタリーヘルス」の取材では大量の温室効果ガスを出す飛行機を乗りたおす。ご都合主義だなと我ながら思う。「恥知らず」。スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリさんならそう言うかもしれない。

それでも、この待ったなしの問題を見て、伝えなくてはならない。「プラネタリーヘルス」は地球規模の大きな課題だからこそ、自分のいる慣れ親しんだ環境からかけ離れた土地にある地域社会や家族からの視点でも見るべきだと思っている。

少々苦しい名分かもしれないが、そんな思いを胸にメキシコへ飛び、さらにパナマを経由して、ホンジュラスの真新しいパルメロラ国際空港に降り立った。

温暖化による海面上昇で消えたセデーニョのビーチ=2023年7月、チョルテカ県、筆者撮影

ホンジュラスといえば、「戦争中の国よりも殺される人が多い」といわれるほどの治安の悪さをつい考えてしまう。背景にある貧富の格差は世界最悪のレベルだ。都市部の貧困地区での犯罪は日常茶飯事で、貧困と暴力に侵食されてしまった母国を見限って、米国へ渡った人は実に国民の10人に1人、100万人にも上るとされる。

社会の脅威に自然の脅威が重なる。カリブ海側ではハリケーンや洪水が頻発、太平洋側では「乾燥回廊」と呼ばれるほど干ばつ、日照りが常態化している。気候変動による影響はもはや「ニューノーマル」で、避けがたい。すでに脅威のオンパレード状態だが、そこにまた、健康への新たな脅威が覆いかぶさろうとしている。蚊が媒介する感染症、デング熱だ。

社会の脅威、自然の脅威、感染の脅威

テグシガルパ市。手前の緑地はハリケーン「ミッチ」で土砂崩れが起きた場所=2023年7月、テグシガルパ市、筆者撮影

標高約1千メートルの高地にあり、盆地のように周囲を山々に囲まれているテグシガルパ。扇状地と丘陵地が続く市の北部に、マンチェンという地区がある。レンガ造りの赤茶色の粗末な家々が傾斜地に所狭しと並ぶさまは、ブラジルのスラム街「ファベーラ」を思い起こさせる。

マンチェンには、「マラス」と呼ばれる凶悪犯罪を繰り返しているギャング団のアジトもあるというから油断は大敵。どこで誰が監視しているかわからないので、通りで写真を撮ることなどもってのほか。車で移動する際も、窓を開け放って誰が乗車しているか見せないとかえって危険なのだという。そんなピリピリとした空気が漂う場所が、今回の現場だ。

ホンジュラスでは毎年1万人以上のデング熱の症例数が報告されている。既にかなりの緊急事態なのだが、その中でも症例数が突出している地区が、このマンチェンだった。

マンチェンがなぜ「ホットスポット」となってしまっているのか。こう説明できるかもしれない。「気温上昇など気候変動の影響で蚊の生息域が広まり、ウイルスを媒介する蚊が増えたため」と。だがそれで分かったような気になったのでは、大量の温室効果ガスを排出する飛行機を使ってホンジュラスに来た意味がない。理屈はここでは横に置いて、予備知識に頼らない虚心坦懐(たんかい)の目でボルバキアメソッドと呼ばれるプロジェクトを見てみようと考え、最初に「マンチェン保健センター」に訪れた。

マンチェン保健センターの待合室の様子=2023年7月、テグシガルパ市、筆者撮影

そこは9万人強の住民に様々な保健サービスを提供する地域の中核的な施設だ。2階建ての建物に入ると、吹き抜けになった待合室がある。妊産婦や乳幼児などの健康相談をする部屋、新型コロナウイルスのワクチンなど予防接種に使用するブース、子宮頸(けい)がんの予防や検診の部屋などが明るい待合室を囲む。診察の順番待ちの人にあいさつすれば、誰もが「ブエノース(こんにちは)」と笑顔で返事してくれる。アットホームな雰囲気に少し緊張がほぐれてから2階に上がると、人が集まってガヤガヤしている部屋があった。地元住民対象のワークショップが始まるところで、ボルバキアメソッドを用いるプロジェクトがまさに動き出していた。

「ボルバキアとは、奇妙な響きですね。このWolbachiaという単語がドイツ人の名前に由来しているからです。これは細菌の名前なのですが、このボルバキアに感染した蚊の体内ではウイルスは生きていけなくなります」

プロジェクターで映し出された資料を指さし、温厚で優しい話し方で説明するのは、MSFのフアン・ベルナレスさんだ。「アルボウイルス」関連プロジェクトのコーディネーターとして、地域住民に新しいプロジェクトへの認識を広めるのが主な役割だ。彼のすぐ横でパソコンの操作をしているのは、エルサ・フローレスさん。ベルナレスさんの仕事を補佐しながら、住民の健康の増進を図るヘルスプロモーターとして、地域住民とMSFとの橋渡し役を担う。

「なぜウイルスの増殖が抑えられるのか、そのメカニズムはよくわかっていないのですが、とにかく、このボルバキアの力を借りてデング熱の患者を減らし、コミュニティーの健康を守る。それがプロジェクトの目的です」

ボルバキアについて説明するMSFのフアン・ベルナレスさん=2023年7月、テグシガルパ市、筆者撮影

ちなみに、この「アルボウイルス(Arbovirus)」という言葉は、特定のウイルスの名前ではなく、蚊やダニなど吸血する節足動物によって人や動物に伝播(でんぱ)されるウイルスの総称なのだという。その中で比較的知られているのがデング熱、チクングニア熱、黄熱病、ジカ熱なのだが、とりわけ今、ホンジュラスを含む中南米の国々で史上最悪の勢いで大流行しているのがデング熱だった。その発生率はこの半世紀で実におよそ30倍に上がっていて、世界保健機関(WHO)は2019年から、世界で取り組むべき10の健康課題の一つに指定して、警告を発している。

症状は、高熱と体の激しい痛みだ。自分も感染したことがあるのでわかるのだが、体中で悪霊がたけだけしく暴れまわっているような痛苦が3日以上続いた。デング熱には当時、有効なワクチンも治療法もなく、再び感染した場合には重症化することがあるとその時、学んだ。

聞き手は地元の住民20人ほど。多くは女性で、ベルナレスさんに鋭いまなざしを向けている。彼らは地域の健康づくりに従事する医師・看護師・ソーシャルワーカーなどのエッセンシャルワーカーであり、アルボウイルスが引き起こす感染症に苦しんできた当事者でもある。「健康問題における重要参考人」とベルナレスさんが呼ぶ彼らをどれだけ巻き込めるか。そこがこのプロジェクトの効果を高める肝なのだが、「そういうことか」と胸にストンと落ちるのはもう少し全体像をつかんだ後の話だ。

自分自身にデング熱の痛い経験があり、ワークショップ終了直後に僕から参加者に、本人または家族がデング熱にかかったことがある人は手を上げてくださいと質問した。すると、ほとんどの人が手を上げた。その1人、医師のパトリシア・ロメロさんは、デング熱だけでなく、チクングニア熱とジカ熱にも感染したことがあるというから驚いた。

「私を含めてここの人びとは長い間、この病気に苦しめられてきました。もし予防できる方法があるのならば、その方法で家族や友人の健康を守りたいですし、その使命が私たちにはあると思います」

ロメロさんだけではない。ここにいる誰もが「無用な苦しみをなくしたい」という切実な願いを抱えて集まってきているのだった。

デング熱は蚊が媒介する感染症なので、感染対策は基本的には蚊に刺されないように注意するしかない。そのために住民一人ひとりは、虫よけスプレーや蚊帳を使用するほか、幼虫(ボウフラ)が発生しそうな水たまりや、放置された容器類、詰まった排水溝、「ピラ(PILA)」と呼ばれる洗濯用のコンクリートやセラミックの台にふたをするなど、蚊の居場所をつくらない努力を平時から続けている。

保健行政もまったく手をこまねいているわけではない。蚊の駆除のため、殺虫剤を空間噴霧するなどの取り組みは定期的に実施している。ただし、この方法では、殺虫成分に抵抗性を獲得した蚊が出現する度に、効果を増強させた殺虫剤を導入する必要が出てくる。そんないたちごっこを続ける経済的余裕がないのもこの国の課題だった。

そこに追い打ちをかけるような気候変動と気温の上昇の影響である。これはホンジュラスだけの話ではない。今後、蚊の増殖に有利な環境は現在よりもより広範囲になり、日本を含む世界中の熱帯・温帯地域で感染者数の記録が更新されていく可能性が高い。

ホンジュラスでは別の社会的要因も加わる。南米やアフリカから毎日やってくる移民・難民の存在だ。その数は2023年7月時点で、1日平均2千人を上回る。感染対策を国内でいくら徹底しても、ウイルスは人や物の移動に伴っていくらでも国境を越えて入ってくるのだ。

東部の町ダンリに到着したベネズエラからの難民。米国を目指し移動を続ける=2023年7月、エル・パライソ県、筆者撮影

蚊を放出して感染を減らす? 欠かせない地域の理解

「プーン」という蚊の羽音が四方八方から聞こえてきそうな差し迫った事態は、今までのような旧態依然とした対策では乗り越えられそうにない。そんな行き詰まり感に陥っていたところに満を持して登場したのが、「ボルバキアメソッド」だった。

ワークショップでベルナレスさんが終始強調していたのは、ボルバキアに感染した蚊は「安全な蚊」になるとみられるということだ。「ボルバキアは天然のものです。ショウジョウバエ、トンボ、ミツバチなど昆虫類の最大60%の体内に存在する細菌です」

だから、ボルバキアに感染した蚊に人が刺されても病気になることはない、感染した蚊を食べるペットや動物にも影響を与えない、らしいのだが、正直理解が追いつかない。生物の授業で挫折する高校生の気分を僕は思い出していた。

かといってここで質問をして、話の腰を折りたくはない。僕は適当なところで写真撮影を切り上げ、しっかり「授業」に集中することにした。

ボルバキアメソッドの開発の経緯は、ベルナレスさんの話ではこうだ。

初期のチャレンジは、微細な針を使ってボルバキアを蚊の卵に注入し、細菌を世代間で受け継がせて、感染蚊を増やすことだった。これをオーストラリアのモナッシュ大学が成功させる。研究者らは次に、コロンビアのメデジンに非営利団体「ワールド・モスキート・プログラム(WMP)」を設立する。そして2015年、コロンビアのアンティオキア県で行ったパイロット試験で、感染蚊の放出を週1回のペースで続けたところ、しばらくすると試験地域に生息する蚊の大半がボルバキアの保有蚊におきかわっていた。そんな試みをWMPは他国でも続ける。そして、蚊がデング熱に感染することはあるが、ウイルスは蚊の体内で死滅するため、人に伝染することはなく、感染蚊が増加すればデング熱の感染者が減ることを実証していった。

つまりだ。ボルバキアメソッドとは何かとずばりいえば、「蚊で広がるデング熱を蚊を増やして減らす方法」なのだ。そこがとりあえずの僕の学習到達点だった。

「そこで私たちMSFは、ボルバキアの感染蚊を育てる繁殖場をつくり、そこで成虫になった蚊をマンチェン地区に放出することを提案します。やがてそこで生まれ育った新世代の蚊の多くがボルバキアを持つようになり、さらにその効果は持続します」とベルナレスさんは太鼓判を押す。そして「効果は約60年間続くという推定も。実際にはわかりませんが」といってニヤリと笑うのだった。

参加者たちは投げられたボールを次々と打ち返すようにベルナレスさんを質問攻めにした。

なぜこの方法はフランスでは使われないのでしょうか?
この方法がマラリアに効く可能性はあるのでしょうか?
蚊を育てる容器は雨で水があふれ出て、蚊が迷子にならないのか?
北部には蚊を食べるカエルがいるが、彼らは蚊を食べても危険ではないのか?

「コレクト(その通りですね)」

ベルナレスさんは、一つひとつの質問に回答を返す度、「コレクト」という言葉でまず相手を肯定する。医療でいう、インフォームド・コンセント(十分な説明と同意)のプロセスを丁寧に重ねていく。地域の人々に、感染蚊を放出する意味を十分に理解してもらわなければ、大変な誤解を生じる。「お互いを信頼することが重要です」という、ベルナレスさんがワークショップの最初に語っていたことがじわじわと分かってきて、だんだんと「うんうん」とうなずけるようになっていた。

地域の健康を守る。それは結局のところ、革新的なメソッドが守るというよりも、地域に根っこを張る人たちとのつながりがあってこそ生きる技なのだ、と見方を新たにしたのだった。

ワークショップに参加したマンチェンのエッセンシャルワーカーたち=2023年7月、テグシガルパ市、筆者撮影