気候変動や森林伐採などの開発により、その姿を変える南米ブラジルのアマゾン。その「緩慢な暴力」の最前線で闘う先住民族のリーダーで環境活動家のアレサンドラ・コラップ・ムンドゥルクさんに会うため、写真家の渋谷敦志氏が現地に向かった。

自然の保全と先住民族の暮らし

港湾都市サンタレンを流れるアマゾン川。後方に穀物メジャー・カーギル社の積み出しターミナルが見える=2023年10月、パラ州サンタレン、筆者撮影

ブラジル北西部パラ州の港町、アマゾン川沿いのサンタレンを訪れたのは2023年10月上旬。乾期の真っただ中で、赤道直下の日差しはじりじり肌を焼く強さだが、雨期の体にまとわりつくような湿気がない分、過ごしやすかった。何より、3年半ぶりに吸うアマゾンの空気は格別だった。

「もうすぐ場所を共有します」というメッセージがアレサンドラ・コラップ・ムンドゥルクさんから届いたのは、7日の朝だった。その1時間後、ようやく住所が明かされた。実のところ、肝心の面会のアポがとれていない状態でブラジルに来ていたので、雲間からわずかに青空を見た思いだった。

指定された場所は特徴のない民家だった。無機質なコンクリートの塀に囲まれて敷地の中は見えない。ここでいいのかどうか確証も持てないまま、ドン、ドン、と鉄製のドアをたたく。するとインディオ(先住民)の男性が出てきた。どうやらそこで間違いなかったが、さらにその場で待つよう指示された。警戒されているのがよくわかった。

炎天下で5分ほど待った後、男性に案内されて中に入ると、一軒家の奥の部屋から小柄な女性が姿をあらわした。アレサンドラさんだ。ネット上で見たような民族衣装ではなく、短パンに半袖シャツという普段着姿で、軒先のテラスにかかるハンモックに腰をうずめた。

「それで、私はどうすればいいですか?」。身構えるアレサンドラさんに、「僕は東京から来た日本人の写真家で、あやしいものではありません」と詐欺師でもいわないようなあいさつをした後、単刀直入に「あなたの話を聞きたい。できればあなたの写真を先住民の村で撮りたい」とお願いした。日本から持って来たおみやげの抹茶チョコを差し出すと、彼女はチョコをほおばりながら、身の回りで起きている切実な問題を次々とよどみない口調で話してくれた。

先住民族ムンドゥルクの土地を覆っていた森がどんどん伐採され、大豆畑が急速に広がっていること。

積み出し港となる川沿いの土地が知らないあいだに分譲され、地元の住民たちが川で魚釣りや水浴びが自由にできなくなったこと。

ガリンペイロ(金鉱掘り)が水銀を使って金を掘るため、「ミナマタ」(水銀汚染による健康被害のこと)がいくつかの村で発生していること。

森林伐採に伴って野生の動物がいなくなり、水源も乏しくなり、狩猟や、果物や木の実などの採取といった昔ながらの生業が成り立たなくなってきていること。

そんな状況にあって、アレサンドラさんの闘いが目指すのは、ムンドゥルクを含めた先住民の土地を画定することだ。先住民がその土地で健やかに生きる権利を守ることは、過度な森林破壊からアマゾンの自然体系を保全することにもつながるからで、その逆もまたしかりだった。

開墾のために伐採され、燃やされた熱帯雨林=2023年10月、パラ州ベルテーラ近郊、筆者撮影

森の民の危機感

ちなみに、その先住民の権利は、基本的人権が順守されなかった軍政時代(1964~1985年)の反省に基づいて作られた憲法で保障されている。

第8編第8章第231条:先住民に対しては、その社会組織、習慣、言語、信仰及び伝統並びに伝統的に占拠している土地に関する原始的権利が認められ、この土地の境界画定及びその一切の財産の保護と尊重は連邦の権限に属する。(二宮正人・永井康之編訳「1988年ブラジル連邦共和国憲法」、2019年)

先住民を権利の主体として認めつつ、その先住権をバックアップする責任を政府が負うという、法制度的にはなかなか先進的な内容だと思うが、肝心の「土地の境界確定」が遅々として進まず、生存の権利すらむしばまれつつある現状を先住民たちは粘り強く訴えてきた。

一方でブラジルが経済的にも成長するにつれて、アマゾンの開発は歯止めがきかなくなっていく。憲法の威光が届かないなかば無法地帯で、森林伐採や金の採掘を違法に行うグループが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、時の政府や地方の首長の後ろ盾を得た外国企業や大地主が農地開拓を収奪的に推し進めていった。そうして開発のフロンティアはブラジル中西部のセラード(サバンナ)からアマゾンへと怒濤(どとう)のように広がり、その影響がタパジョス川流域の森とその土地に暮らす人びとの足元にも押しよせていた。

「このままではインディオとして子どもたちに残せるものがなくなってしまう」

そう危機感を抱くようになったアレサンドラさんは、2015年ごろから森の民の権利を守る活動に関わる。そして、タパジョス川中流域にある13のコミュニティーを支援する「パリリ先住民協会」を率いて、外国企業の、一方的で力まかせな開発手法に対する抗議キャンペーンを展開した。その草の根レベルの民衆運動が2023年の「ゴールドマン環境賞」受賞につながった。

「傷ついているのは私たちだけではない」

権威ある賞の受賞でその声はより遠くまで届くようになり、最近では英BBCの取材も受けたというアレサンドラさん。国内外を駆け回る多忙な日々ながらも、国際的にも認知されて、活動家として人生の充実を味わっているのではないかと思い、ひとつ尋ねた。

「この数年で人生が大きく変わったと思いますが、ご自身はどう感じていますか」

すると、アレサンドラさんは表情を曇らせ、「いまはとらわれの身のように感じます」と答えた。

「以前は家族や友人とどこへでも好きなときに遊びに行けました。今は買い物にも行けません。私には息子がいますが、彼の身の安全を考えると、SNSに写真も投稿できません。私に危害を加えるならまだわかりますが、近しい人が危険な目にあうのは耐えられません」

意表を突かれた。そこまで切迫しているとは思っていなかった。さらに聞くと、自宅に2度も泥棒に入られ、その都度、引っ越しをしたという。被害は金目のものではなく、書類、メモリーカードなど情報関係のものが盗まれていることから、政治的な動機が背後にあるのは明らかだった。もしその時彼女が在宅していたら、殺されていた可能性がある。事実、アマゾンでは過去に環境破壊に反対した人が何人も殺されている。アマゾンでは自然保護の活動はまさに命がけの仕事。面識のない外国人の訪問がやすやすと受け入れられなかったのにも、深く納得するところがあった。

だから、彼女の献身が「自分のためではなく、先住民みんなのため、今生きている人たちだけでなく、まだ生まれていない未来の子どもたちのため」だという言葉を、彼女の正真正銘の信念として素直に受け止めることができた。でも、その誰かの人生に捧げる信念が、ほかでもない彼女の人生を手かせ足かせのように縛ってしまっている。

「リアルな生活を失っているというか、バーチャル世界に住んでいるような感覚です」。そう話す彼女の悲哀がにじんだ表情に心が揺さぶられた。

咀嚼(そしゃく)しきれないまま、「なるほど、犠牲は大きかったのですね」と返すと、「はい、大きいです。でも私は、とても幸せです」と、また僕の思い違いを矯正するように、こう続けた。

「深く傷ついているのは、私たちの土地の人々であり、私たちの川であり、私たちの森なのです。私の闘いは私のためだけではなく、そういうものすべての自由のためなのです」

アレサンドラさんの表情には確かに疲れが出ていた。でも、その「土地の人々、川、森」のために闘う時、大きな自由を取り戻しているという充実感に救われているのだろうか。

初対面はあいさつ程度のつもりだったが、彼女の言葉に思わず引き込まれてしまっていた。

「そういう話を、できればあなたが住んでいた村で聞かせていただければ」

その場で村に同行させてもらう約束をとりつけ、アレサンドラさんの隠れ家を後にした。

「日本の皆さんのおかげです」

熱帯雨林の向こうに見えるのがアマゾン川の支流タパジョス川=2023年10月、パラ州ベルテーラ、筆者撮影

2日後、サンタレンからバスで8時間ほどのタパジョス川沿いの町、イタイトゥーバを訪れた。タパジョス川周辺の密林で採れる金で成長した町だ。町に流入する金の多くが政府の許可を得ない違法採掘だといわれる。そんな「汚れた町」の一角で、アレサンドラさんと落ち合った。そこから彼女が子どもの頃からなじみのある集落を目指す段取りだった。

町の中心部を出発し、川沿いに延びる未舗装の道路を南下する。土ぼこりが立つ車窓から、森林が伐採され、牧草地や耕作地に変えられた風景が次々と見える。こうして一本の道ができて、そこから開発業者の手が入り、町が拡張していく過程がありありと伝わってきた。もっとも、アレサンドラさんの感じ方は、「町が大きくなるにつれて、私たちの土地が小さくなっていく」だった。

「私が住んでいたのはプライア・ド・インディオという集落ですが、そこも今ではイタイトゥーバ市の一部です。昔、町は遠いところでした。集落から歩いて3時間はかかりました。今は集落を出たら、そこが町という感じです」

本来、インディオのものだった土地を切り開いてつくられた道路=2023年10月、パラ州イタイトゥーバ近郊、筆者撮影

目的地の集落の少し先へ進んで、ここを見ておいた方がいいとアレサンドラさんが言うところで車を止めた。草木も何もない真っ平な更地に、電信柱が一本、ぽつんと立っている。まだ新しい森林伐採の跡地だ。そこにアレサンドラさんが携帯のカメラを差し向けると、それまでにこやかに話していた彼女の語気が強まった。

「2月ごろここに来た時、私は驚愕(きょうがく)しました。なんてことだ、これはなんなんだ、森はどこに行ったんだって」

元々、バピという先住民が住んでいたその土地は、アレサンドラさんが子どもだった時に、きょうだいやいとこと狩猟や果物狩りをしながら自分の庭のように遊び回った場所でもあった。そんな自由に生きられた感覚と結びついている森が忽然(こつぜん)と姿を消してしまった。

伐採された熱帯雨林の跡地。肥料が入れられ、大豆畑へと「開発」される=2023年10月、パラ州イタイトゥーバ近郊、筆者撮影

変わり果てた風景にアレサンドラさんは落ち込み、怒っていた。

そもそも、タパジョス川の周りの土地はすべて、先住民のものだった。 そこに「ブランコ」が来るようになり、先住民はあれよあれよという間に土地を失い、追われるように集落を出ていった。

「それもこれも日本の皆さんのおかげです」

アレサンドラさんの怒りの矛先は、日本から来た僕にも向けられていた。

「日本は大豆の最大の消費国の一つです。あなたたちが大豆を買わなければ、この森林伐採は起きなかったでしょうし、あなたたちが金を買わなければ、水銀で川を汚す人もいなかったのではないですか。その意味で、森林破壊の責任の一端は日本人にもあるはずですし、日本人は先住民の土地を侵略していると言えます。自分たちにも責任がある、という認識はあるのでしょうか」

アレサンドラさんの言い分に、僕はぐうの音も出なかった。ブラジルから日本に輸入される大豆の多くが畜産の飼料用として消費されているぐらいの知識はあった。だが、豚や鶏の肉を食べることがアマゾンの自然と共に生きる人を危うくする恐れがある、そんな自覚があったかと問われれば、そんな全体像までは描けていなかった。

本来は白人を意味する「ブランコ」だが、ここでは「自分たちに対立する存在」という意味を含む。アレサンドラさんにとっては僕もそんな「ブランコ」の一味に過ぎないのかもしれない。ボルソナーロ元大統領をやり玉にあげていただけに身につまされる思いがした。

命を根こそぎ全部持っていかれたような不毛の大地を、やせこけた牛が4頭、ゆっくりと通り過ぎていく。ここで起きている危機は、自分の想像力の危機でもあるのだなと知った。僕は目の前の悲痛な光景を虚心に受け止めようと、シャッターを切った。

緩慢な暴力との闘い

ムンドゥルク族の集落にある共同の炊事場=2023年10月、パラ州イタイトゥーバ近郊、筆者撮影

先住民族「ムンドゥルク」の集落の中にある学校。高校生になると町の学校に通う=2023年10月、パラ州イタイトゥーバ近郊、筆者撮影

その後、道路脇の雑木林の中に開かれたムンドゥルクの集落に立ち寄った。そのたたずまいは、地平線まで続く大豆畑の広大さと比べて、あまりにぽつんと取り残されたような雰囲気だった。

そこはアレサンドラさんが生まれ育った集落ではなかったが、村での生活から離れた今も、実家に帰るようにしょっちゅう行き来しているという。周りが「アレサンドラは翼かタイヤを持っている」と舌を巻くそのフットワークの軽さで、民族や国籍、男女の違いを越えたネットワークを紡いできたことがよく分かった。

パラボラアンテナと青い貯水槽の周りに、木造の家屋が5、6軒立っている。アレサンドラさんはその中で一番奥行きのある家に入り、「カシッキ」と呼ばれるコミュニティーリーダーへあいさつに向かった。父権的な考えが残る社会で、そういう律義な気配りを忘れない人でもあった。

集落のカシッキに挨拶するアレサンドラさん=2023年10月、パラ州イタイトゥーバ近郊、筆者撮影

カシッキのアドリアーノ・ガブリエル・サル・ムンドゥルクさんが訴えたのも、森が失われ、コミュニティーがぎりぎりのところに追い込まれている窮状だった。

「ここは保護区ではないですが、半世紀以上前に父がつくった古い集落です。今、集落には7家族、40人ほどが残っていますが、外からの支援がなければ生活は厳しい。植物を育てる森はわずかで、マンジョッカ芋の畑も疲弊してしまい、もう何もありません」

農地や牧場に取り囲まれたこぢんまりとした集落では、もはや自給自足の生活は成り立たない。伝統的な生活は自然への敬意を台座にしており、民族としてのアイデンティティーや誇りがすり減っているのだ。

そんな森の民たちの「青息吐息」こそ、まさにブラジリアの議会が待ち望むものだと、アレサンドラさんはいう。

「土地を弱らせれば、人びとは水や食べ物に困りはて、やがて病んでいきます。そこにじりじり食い込み、土地の賃貸借、鉱山開発、農地開発を持ち込む。それが彼らの望むことです」

そんな緩慢な暴力に抵抗する「唯一の方法」が、先住民の土地を画定させて、加速する開発にブレーキをかけることだ。その運動を牽引(けんいん)しながらも、等身大の「私」を生きるアレサンドラさんとの出会いには大いに刺激を受けた。しかし一方で、インディオ(先住民)たちをとりまく「食うや食わずの暮らしぶり」を目の当たりにし、たじろぐ思いがしたのも事実だ。

開発と保護、自然と人間――。それぞれの隔たりは、とりわけアマゾンで際立つ。そんな二項が対立する構図を前提に地球を語るのではなく、すべての人類の「テーラ(ポルトガル語で「地球」や「土地」の意味)」として地球を想像するにはどうすればいいのか。国家横断的で複合的な危機に直面し、その危機と共に生きていくしかない今だからこそ、地球全体を見晴らす視点が必要ではないか。僕は温めていたそんな考えをアレサンドラさんに最後に投げかけてみた。

大風呂敷の質問にアレサンドラさんが語ってくれたのは、僕の想像の上をゆく、「万物」とのコミュニケーションの話だった。

「私たちには森を単なる金もうけの対象ではなく、一つの生きる存在として見る目を持つことが必要です」

それは、生物の集合体である森に対してだけでなく、無生物に思える川にも言えることだという。

「あなたが川の前で立ち止まり、何かを考えるなら、それは川があなたに語りかけていることですから、あなたは川が何を言おうとしているかを想像しなければなりません」

「森や川の身になって考えてほしい」と語るアレサンドラさん=2023年10月、パラ州イタイトゥーバ近郊、筆者撮影

すべては巡り巡ってつながっている。この感覚の欠如が今ある危機を招いているのだとすれば、アマゾンが突きつける課題は、地球温暖化や環境破壊にいかに歯止めをかけるか、という直接的な解決策を必要としているだけでなく、自分とは異質な他者、人間ならざるものの他者をどのように尊重するのか、という根本的で哲学的な問いを突き付けているのかもしれない。

密林の中でイガラペ(小川)に出合った。水に足をつけ森歩きの疲れを癒しながら、かけがえのない光景に心が洗われた=2023年10月、パラ州西部のタパジョス森林国立公園、筆者撮影