海水が家の中に 南太平洋に浮かぶキリバス 気候変動の最前線
気候変動が世界にもたらす危機の最前線、といわれる小さな国があります。南太平洋の島嶼(とうしょ)国・キリバス。地球温暖化がもたらす海面上昇によって、家を失った人たちがいます。

気候変動が世界にもたらす危機の最前線、といわれる小さな国があります。南太平洋の島嶼(とうしょ)国・キリバス。地球温暖化がもたらす海面上昇によって、家を失った人たちがいます。
キリバスは南太平洋の島嶼国で、人口約13万の国です。サンゴ礁の上にある島々の標高は平均2~3メートルほど。前大統領が「国が沈むのは時間の問題」と発言するほど、気候変動の影響を最も強く受けている国のひとつとされています。一方で、温室効果ガスの排出量は世界の0.0002%に過ぎません。日本ユニセフ協会の視察に同行し、現地を訪ねました。
「私はとても恐怖を感じている」
ブエナ・リモンさん(56)が急に泣き出したのは、記者が気候変動についての考えを質問したときのことだ。キリバスの首都タラワ。リモンさんは、ベケニベウ西小学校の教頭先生を務めている。
「家も木々もすべてなくなってしまったんです」
リモンさんのふるさとは、タラワから飛行機で20分のマラケイ島にある。海岸沿いにあった実家は海面上昇の影響を受けて海にのみ込まれ、島内の別の場所への転居を余儀なくされたという。
「私たちは何かしないといけない。地球温暖化を止めなければ」
リモンさんは声を詰まらせながら、言葉を継いだ。「私はこの国に住み続けたい」
海面上昇は、各国が出す温室効果ガスによって地球温暖化が進み、氷床の融解や海水の熱膨張が起こることで生じる。
国土がサンゴ礁でできているキリバスにとって事態は深刻だ。首都のあるタラワ島の最高標高は3メートル。国連開発計画やキリバス政府などがまとめた報告書によると、2080年には2000年と比べて最大60.2センチの海面上昇が予想されている。
ベケニベウ西小学校も海辺に立つ。海側には5メートルほどの防潮壁が設けられているが、最近は大潮のときには海水が防潮壁を越えてくることがあるという。
子どもたちも気候変動の影響をじかに感じている。
4年生のテイラ・クリフさん(9)は自宅の前にある防潮壁が壊れ、これまでに3度、海水が家の中まで入ってきたという。「海岸線に住んでいるので、とても怖い」
変化は海水面の上昇だけではない。
海から少し離れたところに住む6年生のシナオン・タボラさん(11)は「嵐のときに、すごく強い風が吹くようになった」と話す。「妹たちが怖くて泣き出すほど」。気候変動の影響で、島を襲う嵐も激しさを増しているという。
ナテリ・セムさん(11)も「家の周りの大きな木が倒れるんじゃないかととても心配になるよ」と不安そうに語った。
タラワ島でも、実際に家を流された人がいる。
小学校から数キロのところにあるエイタ村。メーレ・カロスさん(47)が、夫のエステマ・エシエタさん(51)とかつて自宅があったという場所に案内してくれた。
記者の目の前には、サンゴ礁の海が広がり、白い砂浜が続いているだけだ。ここで何があったのか。
2008年。ある日の夕食前のことだったという。カロスさんによると、午後5時ごろ、強い風が吹いてくると、あっという間に海面が防潮壁を越え、海水が家の中に入ってきた。慌てて土囊(どのう)を積み、海水の浸入を防ごうとしたが、どうすることもできなかった。
夫は外国船の船員として働いていて不在だった。「近所の人にも助けを求め、貴重品など大切なものをまとめて持ち出し、幼い子ども2人を連れて逃げました」
原因は大潮だった。
結局、潮位は2メートル以上高くなり、自宅と、食料品などを売っていたすぐ隣の店は海に沈んだ。雨水をためるタンクや周辺の木もすべて流されてしまったという。
「まさか、家がなくなるとは思っていなかった。本当にショックだった」。カロスさんは当時の状況をそう振り返る。
夫のエシエタさんは「戻ってきたら何もなくなっていた。言葉にならなかった」と言いつつ、「でも、妻は子どもたちの命を守ってくれた」と妻への感謝の言葉を口にした。
あの日から16年。2人の危機感は募るばかりだという。「毎年、だんだん嵐が激しくなってきているのを感じる。雨や風が強く、波も高くなっている」とエシエタさん。
現在はかつての自宅があった場所から数十メートル奥に入った教会所有の土地に住むが、満潮のときには裏のマングローブ林の潮位があがり海水がひざの高さぐらいまでくることもあるという。カロスさんは「ずっと続いている問題なので、慣れてしまった。でも、どこにも行くところがないの」と頭を抱える。
いまは長女の夫が大工として働くほかは、年老いた母親の年金、月200オーストラリア・ドル(AUD、約2万1500円)と夫妻の失業手当(1人月50AUD=約5400円)などでなんとか暮らす。シャワーは隣人に借り、トイレはマングローブ林ですます。
「フィジーで勉強したこともあるが、そのころはいつもキリバスに帰りたかった。ここは私のふるさとで、私の住むべきところだと思う」。カロスさんは祖国への思いを口にした。
しかし、同時に、こうも言う。「若いころはふるさとにいる祖母への深い思いがあった。でも、いまは自分の家族がいる。家族の安全を考えると、もし海外で仕事を得ることができるのならば、家族を連れて海外に移住することも個人的には考えている」
海面上昇に対して、キリバスの人々は防潮壁を作ったり、土囊を海岸線に積み上げたりして対策をとっている。しかし、土囊はもって4カ月。中の砂は流され、役に立たなくなる。
防潮壁も大潮が来て壊れることもしばしばだ。貧しい人たちは、木々の葉やゴミを海岸線に積み重ね、少しでも海水が自宅などに入り込むのを食い止めようとするものの、一時しのぎでしかない。
ユニセフのキリバス事務所の所長、ニック・シュドーさん(40)は「キリバスは気候変動が世界にもたらす危機の最前線にいる。しかし、彼らが原因を作っているわけではない。だからこそキリバスの人々と子どもたちを支援する必要がある。キリバスがこの危機に対応できれば、それはほかの国々にとっても見習うべき先進例になるはずだ」と話した。
世界銀行のデータによると、最も気候変動の影響を受ける国のひとつであるキリバスの温室効果ガスの排出量は世界の0.0002%に過ぎない。
気候変動を引き起こしているのは、彼らではなく、先進国に住む私たちだ。
最近は、全世界のあちこちで異常気象が続いている。気候変動の問題は、決してひとごとではない。