低い就職率、若者にチャンスを 起業で雇用創出に貢献:アフリカと私
第9回アフリカ開発会議(TICAD9)を前に、アフリカ大陸に情熱を傾ける人たちに思いをつづっていただきます。第5回は起業家の西郡琴音さんです。

第9回アフリカ開発会議(TICAD9)を前に、アフリカ大陸に情熱を傾ける人たちに思いをつづっていただきます。第5回は起業家の西郡琴音さんです。
今年8月、アフリカの開発課題をテーマにした国際会議「第9回アフリカ開発会議」(TICAD9)が横浜で開かれます。冷戦終結後、アフリカに関する関心が薄れつつある中、日本政府の主導で1993年に始まったTICADは、日本とアフリカ諸国がともに行動する場として、30年以上たった今も続いています。地理的、歴史的、文化的には決して近いとは言えないアフリカですが、かの地に魅入られ、起業や支援、交流などの活動を重ねている人たちは確実に増えています。世代を超えた交流や協働を進める企業「GENERYS」の分科会の一つ、アフリカワーキンググループ(AWG)は、こうした人たちのネットワーキングの場となっています。TICAD9に向け、AWGの参加メンバーに「アフリカと私」というテーマでアフリカとの関わりや寄せる思い、将来の夢などを書いていただきます。第5回は、起業を通してアフリカに雇用創出を目指す西郡琴音さんです。
私がアフリカに関心を持つようになったのは、小学5年生の時に「ハゲワシと少女」の写真を見たことがきっかけだった。その写真は、1993年にスーダンで撮影され、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたもので、倒れた少女をハゲワシが背後から見ているというものだ。その少女の姿は、干ばつや飢えに苦しむスーダンの子どもたちを象徴していた。
私は衝撃を受け、今私が当然のように考えている「学校に行ける」「ご飯が食べられる」「やりたいことができる」といったことが、当たり前でない世界があることを知った。今ある環境に自分がいるのは「運」でしかないと思った。紛争がない国に生まれ、両親が働いてくれて、学校で勉強ができる。しかし、紛争地域で生まれ、勉強がそもそもできなかったり、勉強をしても仕事がなかったりしたのは、自分だったかもしれない。
私は「たまたま」生きたいように生きることができる環境にいる。逆にどれだけ頑張っても生きる選択肢が限られている、やりたいことができない人もいる。それは彼らのせいではなく、理不尽な社会の仕組みが貧困を作り、貧困を長引かせているのだと思った。そこで私は「本人のせいではないことによって苦しむ人を少しでも減らしたい」と強く思うようになり、「生まれた場所がここでよかった」と胸を張って言える人が、アフリカにもっと増えてほしいと願うようになった。
その思いを胸に、大学では植民地主義とその現代への影響を学んだ。卒業後、ベンチャー企業で働くかたわら、日本人や日本に住むアフリカ出身者と定期的に交流するイベントを企画し、そこでの議論などからアフリカへの理解を深めていった。一方で私は、社会起業家育成のためのプログラムに参加した。学生時代から、アフリカの国々が豊富な資源を旧宗主国や中国へ輸出し、逆に加工された製品を高額で輸入する経済構造や、通貨が外部から管理されている仕組みに強い違和感を覚えていた。起業は、その違和感を解消する事業創出の機会になる。
私は現状を知るため、ルワンダへ渡ることを決めた。
ルワンダではまず、開催されていたテックカンファレンスを訪れた。ルワンダは、「ICT(情報通信技術)立国」を掲げており、国外の企業や学生たちが参加するこうしたカンファレンスがよく開かれていた。そこで出会ったのが、アサナーゼ・アバーヨさん(26)だった。彼は地方出身で、幼い頃から勉強が大好きだった。先生からパソコンを借り、インターネットのつながる教室で放課後も熱心に学び続けた。彼はやがて都市に出て働き、家族を支えたいと考えるようになった。そして、努力を重ねた結果、大学入試のための国家試験で好成績を収め、大学入学が決まる。しかし、家族には十分な学費がなかった。そこで父親はなけなしの財産であった小さな土地を売り、アバーヨさんの学費を捻出した。
途中で学費が払えなくなり、必死になって奨学金を探すなど苦労をして大学を卒業した彼だったが、そこで待っていたのは「仕事がない」という現実だった。ルワンダでは、大学卒業後の就職率は3割未満だという。国内トップの大学で1日20時間勉強し、首席を取っても、仕事がない。貧困から抜け出すために努力してきたはずなのに、結局また貧困のサイクルに閉じ込められてしまうのだ。
アフリカでは実際に訪れたルワンダ、ケニア、トーゴ以外にも多くの国々の若者たちと話をし、その勤勉さに驚かされた。朝5時には起床して勉強、さらには効率的に学習するための「睡眠の方法」まで研究している姿に衝撃を受けた。それにもかかわらず、仕事がないのはあまりにも理不尽だ。その強い思いが株式会社Ready to Bloomを起業するきっかけとなった。
Ready to Bloomは、日本企業の労働力不足の解決と、ルワンダをはじめとするアフリカの雇用創出を同時に実現することを目的としている。ソフトウェア開発、建築系3Dパース、バックオフィスサポートなど、オンラインでの仕事を日本企業から請け負うアウトソーシングサービスを提供している。
目指すは2060年までにアフリカで1千万人の雇用を創出することだ。
現在は、イギリス、フランス、ルワンダ、ガーナ、ベナン、ジンバブエ、日本という多国籍かつさまざまな領域の経験を持つメンバーと一緒に、日本企業向けのサービス向上に取り組んでいる。
オンライン環境さえあればアフリカの若者は実践的なスキルを学ぶことができる。現在は彼らの技術レベルを可視化・評価し、世界中の案件とマッチングできるアプリを開発中だ。
ルワンダでは、輸血をドローンで運ぶ取り組みや、携帯電話を使ったモバイルマネーのサービスなどがある。新たな技術が多くの人々の生活を変化させる可能性を持っているのがアフリカの面白いところだと思う。そしてデジタル技術の発展により、アフリカの若者が自ら起業し、グローバル市場で活躍する時代が訪れている。
アフリカは、新しい変化が起きる可能性がある場所だ。単なる労働力や資源の供給地ではなく、世界をリードするイノベーションの拠点へと変わっていくだろう。今後30年で、アフリカは世界の経済成長の中心の一つとなり、世界がアフリカを必要とする時代が来ると確信している。
アフリカとの関わりは、単に「支援」ではなく、「共に未来を創る」ことであるべきだと、私は信じている。労働者が足りない日本と、働き先が不足しているアフリカという経済状況一つとってみても、お互いに助け合える部分があるのではないだろうか。