世界保健機関(WHO)は5月5日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の終了を宣言した。2020年の宣言以来、世界で7億6500万人の感染や「少なくとも2千万人の死者」(テドロス事務局長)を数えた感染症のパンデミック(世界的な大流行)では、ACTアクセラレータ(ACT-A)という国際的な協力の枠組みが速やかに立ち上がる一方で、保健システムが脆弱(ぜいじゃく)な低中所得国にとりわけ大きな負担を強いたほか、「ワクチン格差」に象徴される世界の不公正な現実をも浮き彫りにした。医療の現場などで対応にあたった医師や専門家らに、この3年余りの経験や今後の教訓について話を聞いた。 

インドネシア:官学、医療、宗教の連携が奏功、結核対策には課題

米ジョンズ・ホプキンス大学が今年3月10日まで集計を続けた世界の感染者数データで、670万人余りの感染と16万人を超える死者が記録されたインドネシア。デルタ株とオミクロン株による感染爆発を2021年7月と22年の2月に経験した。

同国の結核対策で中心的な役割を担う専門家、エルリーナ・ブルハン医師は、感染者の急増によって当時の勤務先がCOVID-19の専門病院に指定されたことから、新型コロナ対策に追われたという。オンラインインタビューに、エルリーナ氏は「感染の急拡大で、医師や看護師らの医療従事者や治療に必要な医薬品や資器材などの医療資源を集中させざるを得なかった。患者が殺到したり、医療用酸素が足りなくなったりすることも当初はあったものの、他国に比べても、感染のコントロールはうまくいったのではないか」と振り返った。

Zoomでインタビューを受けるエルリーナ・ブルハン医師

しかしエルリーナ氏は「結核対策の観点から、さまざまな学びや課題が見えてきた」と話す。背景には、多剤耐性結核(注:治療薬が効かない結核)が広がる中、同国の結核感染者は世界で2番目に多いという現状がある。エルリーナ氏はまず、社会に起きた前向きな変化を挙げた。「パンデミックを通じて、人々はマスクの着用や手洗い、他人との距離を取ることなど、衛生面での習慣を身につけるようになった。インドネシアでは、マスクは病気にかかっていることを意味し、それまで予防のためにマスクを着用することはなかった。これは結核の感染を防ぐという点から、とても良い変化だ」と評価する。

その一方で、「コロナの感染を恐れて、結核患者が病院を避けるようになった」と指摘した。エルリーナ氏は「罹患(りかん)者が治療を受けないことで、家族やコミュニティーで感染を広げている。2019年の新規罹患者は84万5千人だったが、2021年には96万9千人に増えた」と指摘し、今後さらに増えることを懸念する。

またコロナとの闘いでは「政府や大学、医療関係者、宗教指導者、当事者らの緊密な連携や協力があり、それが功を奏した」と指摘した上で、「こうした成功例を踏まえ、結核対策でも、こうした枠を超えた連携が進むことを心より望んでいる」と話した。「コロナに関しては、イノベーションやテクノロジーを集約させることでワクチンの早期開発が実現した。結核対策では見られなかったことだ。BCGに代わるワクチンの必要性は長く言われているが、いまだに実現していない。コロナ同様の取り組みをぜひお願いしたい」と期待を寄せた。

マレーシア:「リスクコミュニケーション」の重要性を認識

隣国マレーシアでも、パンデミックの初期段階で、医療資源をコロナ対策に集中させる一方、厳しい移動制限を課して、感染拡大を抑えようとした。サバ州(ボルネオ島)の保健省幹部は、「マラリアや結核など他の感染症の専門家をはじめとする医療関係者をコロナ対策に動員し、対応にあたった」と振り返った。また移動制限の結果、結核やマラリアなど他の感染症の罹患報告は一時的に減少したという。「すでに移動制限は解除され、今後、感染症の患者数が増加するのは避けられないだろう。今後、感染の動向を注視しながら、適切な対応を取っていきたい」と話した。

またこの当局者は、今回のパンデミックを通じて、COVID-19に関するリスクを行政や専門家、市民らが共有し、相互理解を促す「リスクコミュニケーション」の重要性を改めて認識したと述べた。「当初は、ウイルスそのものや感染の仕組み、予防方法など、未知なことばかりで、市民がパニックに陥る可能性も十分にあった。新しい病気が発生した時には、WHOや政府発の正しい情報のタイムリーな提供によってパニックを起こさないことがとても大切であることを学んだ」と強調した。

セネガル:過去に経験した感染症の脅威が教訓に

パンデミックの宣言直後から、経済や医療の水準が他の地域と比べて低いアフリカでの爆発的な感染を危惧する声が多くあった。しかし英オックスフォード大の研究者らが運営するデータベース「Our World in Data」によると、地域別の人口100万人あたりの感染者数(累計)は、欧州が33万人と最も多く、続いて北米(20万人)、南米(15万人)、アジア(6万人)だったのに対し、アフリカは9千人にとどまっている。無症状の感染者が多いというCOVID-19の特性に加え、検査や報告の体制の不備から、必ずしもアフリカ各国の実際の状況が統計に反映されていない可能性はある。ただ、英紙テレグラフが伝えた、「アフリカで死者が続出し、その結果、世界全体の死者数を押し上げる」とするマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏の予測は、少なくとも外れた格好だ。

人口100万人ごとの地域別感染者数(累計) (Our World in Dataから)

なぜ、アフリカでは実際に懸念されたほどの感染が広がらなかったのか。西アフリカの主要国の一つ、セネガルのアワ・マリー・コル・セック国務相(元保健・社会活動相)は3月9日、首都ダカールで、「国内や隣国でコレラやエボラ出血熱といった感染症が流行した際の教訓を踏まえ、レジリエンス(強靱さ)の高い保健システムに整備したことが、今回うまく機能した」と述べ、過去に感染症の脅威に直面した経験やその後の対応策が背景にあると指摘した。

セネガルのアワ・マリー・コル・セック国務相(元保健・社会活動相)=ダカールの日本大使館、中野智明氏撮影

セネガルでは2020年末から2021年初めにかけて第2波、2021年7月から8月にかけてデルタ株による第3波を経験した。ダカールの中心部にあるガスパール・カマラ保健センターは、第2波の兆しが見え始めた2020年12月、医師と看護師、スタッフの3人で構成する機動班を3チーム発足させた。センターの責任者、ママドゥ・ンバエ医師によると、各チームには他の省庁から派遣された運転手が同行し、無症状や軽度の感染者の自宅を訪ね、在宅療養を支援した。患者の病状を定期的に観察し、万が一悪化した場合は、専門病院への入院を手配するなど、感染者の急増によって医療システムの崩壊が起きないような仕組みを整えたという。

「自宅療養支援の体制は2014年にエボラ出血熱が流行したことをきっかけに、公衆衛生危機時の対応策として検討された。今回は新しい感染症だったが、私たちのセンターがまず最初に機動班を稼働させ、その直後に中央政府の施策となって全国展開された」(ンバエ氏)。感染者が急増した第3波では、60歳以下を原則として自宅療養とするなどトリアージを行い、機動班がフォローアップする態勢で「乗り切ることができた」(同)。

セネガルの感染者数の推移(Our World in Dataから)

ワクチン配布の国際枠組み「COVAX」、先進国のナショナリズムがむき出しに

ガスパール・カマラ保健センターのママドゥ・ンバエ医師=ダカールの同センター、中野智明氏撮影

ACT-Aでは、ワクチンを各国に平等に分配する枠組み「COVAX」が立ち上がった。COVAXは、ワクチンをまとめて購入し、低所得国向けには、日本をはじめ、高所得国が資金を拠出し、無償で提供するという野心的な目標を掲げていた。しかし現実には、当初の資金不足に加え、欧米や日本が製薬会社と直接交渉し、優先的に購入したため、アフリカ各国をはじめとする低中所得国への供給が遅れた。コル・セック国務相は「先進国のナショナリズムがむき出しになり、COVAXはほぼ機能不全に陥った」と批判する。Our World in Dataによると、アフリカ全体で接種完了率は30%にとどまった。

世界の地域ごとのワクチン接種完了率(Our World in Dataから)

ワクチン接種率が低いにもかかわらず、アフリカでは感染者が爆発的に増えることはなく、さらに欧米や日本などで感染者が爆発的に増えたオミクロン株の流行の際も、感染者数ではデルタ株の際を下回る国が多かったとされる。セネガルの保健省関係者によると、同国で実施された疫学調査で抗体保有率が極めて高かったことが分かっている。若年層が多く、軽症や無症状のまま治癒した人が多い可能性がある。コル・セック国務相は「結果的には(重症の)感染者は予想よりも少なかったかもしれない。しかし今後、新しい感染症に備えて、国内や国際社会のコラボレーション(協力・連携)とコミュニケーションを一層強化する必要がある」と指摘する。

(この記事は、日本国際交流センター(JCIE)が発行する「ACT-A ウォッチ」に掲載された記事を一部加筆したものです)