急速に高齢化が進む中進国タイ 「学び合い」による国際協力の試み
高齢化が急速に進み、大きな社会課題になっているタイでは、自治体がネットワークをつくり、学び合う自律的な動きが始まっています。東京都市大の沖浦文彦さんの解説です。

高齢化が急速に進み、大きな社会課題になっているタイでは、自治体がネットワークをつくり、学び合う自律的な動きが始まっています。東京都市大の沖浦文彦さんの解説です。
若年層の人口に占める割合が多い開発途上国も、今後多くの国が少子化や高齢化に直面します。高い経済成長を遂げ、中進国となった東南アジアのタイでは、すでに高齢者ケアが大きな社会課題となっています。いまなお3世代が同居する「拡大家族」の割合が一定程度あり、家族や親族で高齢者をケアするという考え方が残ります。しかしこれからも対応できるのか、不安があることから、最近になり、高齢化に対応する新しい制度や取り組みに中央政府や自治体が力を入れ始めました。いち早く高齢社会となった日本が蓄積する介護やリハビリ技術の経験を参考にしながら、自治体がネットワークをつくり、自律的に学び合う、政府の途上国援助(ODA)によるユニークな国際協力プロジェクトが立ち上がりました。「国際協力で何を達成するのか」「日本の役割は何か」といった点が、これまでの日本のODAプロジェクトとは一線を画す、と言います。ODA研究・プログラムマネジメントの専門家、沖浦文彦さんが現地から報告します。
7月に「高齢者ケア」に関するタイと日本の協力の現場を訪問する機会を得た。国際協力機構(JICA)の「草の根技術協力」の枠組みを利用した「タイ国自治体ネットワークによるコミュニティベース統合型高齢者ケアの普及モデル構築と人材循環プロジェクト」(通称・SMART&STRONGプロジェクト)という協力である。本稿では、タイの高齢化対応の課題と、それに対応する日本を含む「学び合い」アプローチの特徴や可能性などについて紹介したい。
世界的に見て、日本は「高齢社会」のトップランナーである。一方タイは、国連の推計で2050年には人口の30%が65歳以上となるとされるなどその高齢化の進展は急であると同時に、1人当たりGDP水準が1万〜1万3千ドル程度の「中進国」に分類される国のなかで最も高齢化の速度が早い。すなわち、十分に備える時間や資源がないまま、高齢社会に突入することが高い確度で予見されている。
在タイ日本国大使館にて専門調査員を務めていた三好友良氏の論文などによると、高齢者介護について、日本では核家族化などにより2000年の介護保険制度導入により「社会化」していった。それに対し、タイでは都市化の進展はあるが、核家族世帯比率は4割半と一番大きな家族構成割合を占めるも減少傾向にあり、3世代同居などの拡大家族世帯が3割半と一定の割合を維持しており、高齢者の介護にて家族や親族の果たす役割が大きく、「社会化」された公的な制度はあくまでその補助にとどまっているという。
日本はこれまでもタイの高齢化社会対応に関する支援を、JICAなどを通じて実施してきた。その経験を踏まえ7月にJICAタイ事務所で議論した際に「タイでは既に『高齢化対応』から『高齢社会のあり方』へと、議論がシフトしてきている」との指摘が、JICA事務所の川合優子所員よりあった。
この見方は大変重要である。つまり本当に追求すべき「目的」は望ましい「(高齢)社会のあり方」である。その実現には「社会化された制度」と「家族や親族、地域」による対応、それらが活用する技術について、地域の実情に合った組み合せが必要となる。それを考慮せず特定の「高齢化対応」の介護などの技術や制度を支援しても、うまく機能しない懸念が強い。このような課題に、日本の国際協力はいかに関与すべきであろうか。
「SMART&STRONGプロジェクト」は今でこそ、JICAのプロジェクトに位置付けられるが、2019年の開始当初は、タイと日本の自治体、それをつなぐタイの大学と日本の非営利団体という草の根ネットワークだった。立ち上げに加わったのは、首都バンコクの北に位置する、人口約3万人のブンイトー市、神奈川県湯河原町、国立タマサート大学、日本と途上国双方でまちづくり支援をおこなう野毛坂グローカル(横浜市、代表・奥井利幸氏)。
その後、2021年に自治体国際化協会、2022年8月にJICAの支援をそれぞれ得る中、タイ国内から参加する自治体数は9に増えた。今年7月には、中部ホアヒンでプロジェクトの会合が開かれ、17自治体の首長らが新たに覚書に署名、ネットワークに参加する自治体数は26まで拡大した。
このプロジェクトの最大の特徴と言えるのが、湯河原町の高齢者ケアの取り組みを紹介するだけでなく、タイの自治体が自らの取り組みを共有し、学び合うことで、各自治体の身の丈に合った取り組みにつなげていく点だ。対等の立場が原則で、他の経験から学ぶとともに、自らの経験も共有する、そして議論し、自らのすべきことを明らかとする。これが活動の原則となる。これは従来ある日本のODAプロジェクトには見られないアプローチである。
ODAによるプロジェクトは原則として、開始前に設定した目的を達成する「目的達成業務」である。「日本の技術の移転」が目的となることもある。これに対して、「SMART&STRONGプロジェクト」では、各自治体が自ら判断し、その実情に合わせた取り組みを進める。
実際、プロジェクトでは、これまで「認知症カフェ」や「デイケアセンター」を設立したり、それらにおけるボランティアの活動や地域の保健センター整備などを実施したりしてきたが、いずれもプロジェクトに先立って設定された目的ではない。「学び合い」を通じて各自治体が必要と感じて、自らの決定で実施したものである。ゆえに「デイケアセンター」と言っても内容や運営は、自治体により異なる。
またプロジェクトで日本は「学び合い」の機会を支援するが、施設整備などの直接的な財政支援は行わない。例えば、7月のホアヒン市での会合にも、各自治体は学びたいから自らの予算や時間を割いて来ている。
またこのプロセスへの参加は、湯河原町など日本側にとっても学びの機会となっている。日本は高度に社会化・制度化された高齢者ケアが確立しており、湯河原町など自治体の業務もそれら制度をいかに適切に執行するかが、どうしても業務や関心の中心となる。そのような中、タイにおける家族、親族、そして地域における保健ボランティアや当事者同士による取り組みを見るにつけ、有償によるサービス提供以外の高齢者ケアの可能性や「地域の力」について再度認識を深めてきたと、プロジェクトマネジャーを務めている湯河原町の内藤喜文参事はいう。
「学び合い」とその実践に終わりはない。異なる文脈を持つ日本の経験は、タイの自治体相互では得られない貴重な学びがある。その過程で参加者は互いにそれぞれの課題や取り組みに共感し、何かを実現しようとする。常に「自分ごと」として考え、取り組んでいるため、JICAの協力が終了し、たとえ日本からの共有がなくなったとしてもタイ側の学び合いは続くことが期待される。「支援の予算がなくなったら実施していた活動も止まってしまう」といった国際協力にありがちな問題は想定されず、支援「する側」と「される側」という分断はない。異なる知識や経験の共有と共感をベースに、自らのすべきことを考え実践していく。そのようなプロセスこそ、「高齢社会のあり方」のような複雑な課題には必要ではないか。
首長らが集まった署名式では、ホアヒン市の高齢者クラブの皆さんが、ダンスや体操を披露して場を盛り上げられた。南国らしい派手な色合いの服装で、実に明るく元気なパフォーマンスであった。会合に参加していた湯河原町地域政策課の木村修太副課長は改めて「高齢者の活動の捉え方など、タイから学ぶことは多い」という感想を述べた。
小さなエピソードだが、国をまたぐ「学び合い」により望ましい社会のあり方をともに考える仲間をつくることは、お互いの国や自治体間の信頼関係、先行きが見通しにくい中で多様な考え方の獲得、そして何より仲間がいることの心強さなど、数値では測れない大きな価値がある。これは、国際協力が目指すべき新たな地平ではないだろうか。
〈おきうら・ふみひこ〉
東京都市大学都市生活学部教授
1966年、大阪府生まれ。大阪大学大学院環境工学専攻修了後、住信基礎研究所において都市開発に関する調査などに従事。国際協力事業団(現・国際協力機構、JICA)に移り、地球環境部、国内機関、タイ事務所、ベトナム事務所などで政府開発援助(ODA)実務に約25年携わる。JICA在職中に千葉工業大学大学院マネジメント工学専攻にて博士(工学)取得。2019年4月から現職。ODAなどで取り扱う不確定で複雑な社会的価値を実現するための事業のマネジメントやそれを通じた国際協力などを研究・教育の関心としている。