内と外から見た日本の発展 スリランカ人記者が語る「新しい価値観」
スリランカ生まれ、日本在住30年以上のジャーナリストが、今思う日本と途上国の新しい関係とは。そして「魅力的な謎」に満ちていた日本はどう変わったのかを考えます。

スリランカ生まれ、日本在住30年以上のジャーナリストが、今思う日本と途上国の新しい関係とは。そして「魅力的な謎」に満ちていた日本はどう変わったのかを考えます。
スリランカ最大都市・コロンボで生まれ、留学を機に来日。30年以上日本に暮らし、ジャーナリストとして活動するスベンドリニ・カクチさんが、内と外から見た、日本と途上国の発展のあるべき姿をつづります。
1970年代の末にスリランカから日本へ来たわたしは、大学を出たばかりの20代の若者だった。わたしは不安に満ち、多くの若者同様に世界を変えたいという意欲に燃えていた。
当時アジアで最も豊かな国であった日本は、わたしにとってさまざまな新しい考えや経験を探す場所だった。わたしは日本の近代都市や、素晴らしい工業技術に感銘を受けた。わたしが知りたかったのは、次のことだった――第2次世界大戦が終わった1945年、西側諸国に敗北した日本が、いかにして世界の強国の一つとして、しかもかつての敵国と肩を並べて返り咲くことが出来たのか。好奇心旺盛なわたしの世代にとって、日本は魅力的な謎だった。
南インドから約55キロの位置にあるスリランカは、豊かな文化と、教養ある国民と、スパイスと紅茶の島国だった。また西洋の植民地化の長い歴史を持ち、1948年2月4日の独立まで150年間、大英帝国の支配下にあった。
西洋化された最大都市・コロンボに住むわたしの家族は、英国で教育を受けた。法廷弁護人であるわたしの父はオックスフォード大学、やはり弁護士であるわたしの叔父はケンブリッジ大学の卒業生だった。子供時代のわたしが通ったのは、英国人が始めた英国国教会系の私立学校だった。わたしはコロンボ大学で法律を学んだが、それは英国の高等教育のカリキュラムに則っていた。わたしは友人たちと何不自由なく英語で話したが、同時に土地の言葉であるシンハラ語と、インドにルーツを持つタミル語に愛着があった。
わたしの青春期はスリランカのポスト植民地化の世代に属し、わたしたちの生活は英国の強い影響を受けると同時に、そこからの脱却を模索していた。社会的に異なる背景を持つコロンボ大学の学生たち――洗練された都会人と教養ある地方出身者――や、教授との議論や討論は、もっぱらこうしたテーマに集中した。スリランカは、西洋の工業化に追いつく新しい経済的なモデルとなることを目指していた。わたしたちは、その指導者になりたかったのだ。
ジャーナリストとしての仕事を始めて以来、今年で30年余りとなる。東京に来た時、わたしは上智大学で日本語と日本の歴史を学んだ。その後、日本のメディアで働くようになったわたしは、この国の経済的発展に寄与した人々と知り合いになる機会に恵まれた。
当時の日本は海外における最大の援助供与国で、アジアはその最大の受け手だった。日本人の公的・私的投資は、アジアの国々のインフラや工業技術を発展させた。これらの国々の輸出が拡大するにつれ、国内総生産(GDP)の数字は上昇し、地元の生活水準は高まった。
スリランカの経済も、同様にして向上した。橋、大規模なダム、道路は、主として日本の援助によって完成した。国民は日本人の勤勉さと、常に高い品質を求める意欲に称賛を惜しまなかった。彼らは英語の代わりに日本語の勉強を始め、日本の大学の科学技術のコースに進学した。生産に優先順位をつける日本の成長戦略は、進んで受け入れられた。
アウトサイダーであると同時にインサイダーでもあった日本での貴重な経験を、今わたしは思い起こしている。
時間は瞬時にして過ぎ、世界は変わった。わたしが生まれたコロンボは、今や東京の巨大な近代都市のミニ版と言っていい。事実、アジアの大部分の都市は、近代化され、豊かになった。もはや日本と、大して違わないくらいだ。そして同時に、日本と同じようにアジアは経済成長のマイナス面である収入の格差、環境破壊、非常識なライフスタイル、といった難題にも取り組んでいる。
わたしは今、発展が最終的に目指すべきものは、物質的な幸福ではない、と思っている。むしろ、現在の世界中がつながる情報社会では、新しい発展のモデルは、人類全体の幸福をめざすことだ。たとえば、スリランカでは「トヨタ」や「新幹線」といった名称は、日本の優れた技術を象徴しているが、同時に人々は今、こうした成功例から過労死や低出産率も連想する。
豊かな「北(先進国)」と貧しい「南(途上国)」として分断するのではなく、お互いが手を結び、経済的な平等、ジェンダー平等、人種的正義や環境保護といった新しい価値観を共有して努力しなければならない。新たな発展を実現するために、日本とスリランカが固く手を結び、お互いの国が持つ多様な経験や能力を認め合い、学び合うことが必要だ。
発展途上国であるスリランカの人々は、日本の工業化の成功を見習うだけではなく、新しい発展のあり方を自らの経験や能力を提供しながら、パートナーとして一緒に模索したいと考えている。そして、そのときに大事なことは、日本人もスリランカ人も、よりよい世界に向かって一人ひとりが行動を起こし、誰もが尊重されるべきだということだ。わたしもその一人として、日本とスリランカの懸け橋になりたいと思っている。
〈スベンドリニ・カクチ〉
ジャーナリスト。スリランカ出身。コロンボ大、上智大を卒業。日本に30年以上在住。日本とアジアをテーマに、教育問題、環境と気候変動、開発と人間、マイノリティー問題、紛争と平和などの取材活動を続ける。2022年8月まで、公益社団法人日本外国特派員協会会長を務める。著書に「私、日本に住んでいます」「あなたにもできる災害ボランティア 津波被害の現場から」(いずれも岩波ジュニア新書)。