生きる希望の実例マークとアーニャ 骨髄移植でHIV検出限界以下に
HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染しても、薬を使わずにHIVが検出されない状態になった人たちがいます。HIV治療の希望になっている2人に、ドイツで話を聞きました。

HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染しても、薬を使わずにHIVが検出されない状態になった人たちがいます。HIV治療の希望になっている2人に、ドイツで話を聞きました。
白血病とHIVの両方を克服するために骨髄移植を受けたドイツの男性に会った。以前は匿名で、「デュッセルドルフの患者」として知られていた人物だ。今では実名で学会に出席したり、メディアの取材を受けたりもする。その彼を静かに見守る女性がいた。
エイズは「治す」ことができる――。そんな希望が近年、最新の治療で生まれ始めている。
7月、ドイツ・ミュンヘンで開かれた国際エイズ会議で、それを身をもって示している男性に会った。ドイツ・デュッセルドルフに住むマーク・フランケさん(55)。医学界ではかつて匿名で「デュッセルドルフの患者」として知られたゲイの男性だ。
フランケさんがHIVの感染を知ったのは2008年。2010年から3種類以上の薬を併用する抗レトロウイルス治療を受け始めた。
だが、2011年に急性骨髄性白血病を発症した。一度は良くなったものの、2012年に再発。もはや打つ手がなくなったとき、世界で1例だけ行われたことのある新しい治療法を知った。「CCR5」という遺伝子の変異によってHIVに耐性がある人の骨髄幹細胞を移植し、HIVの広がりを抑えるというものだ。
2007年にこのやり方で、米国人のティモシー・レイ・ブラウンさんが「世界で初めてHIVを克服した」といわれていた。「1度できたのなら、もう一度同じことができるのではないかと思った」とフランケさん。やがてこの遺伝子を持つドナーが見つかり、2013年、フランケさんは骨髄移植を受けた。世界で2人目だった。
その結果、現在ではHIVは「検出できないレベル」にある。ただ、主治医のビョーン・ジェンセン医師は、「完治した、という言葉は使っていない」と慎重だ。「HIVはどこに隠れているかわからない。体内に全くいないという証明ができない限り、『治った』とは言えない。ただ、様々な定期検査をしても、今もってHIVが検出されていないのは確かだ」
適合する遺伝子を持つドナーを見つけるのは簡単ではなく、だれもが受けられる容易な治療ではない。だが、国際エイズ学会のシャロン・ルーウィン前会長は「HIVの治療の未来に期待をもたらすもの」と語る。
フランケさんはこの治療を通じて、思いがけない出会いも得た。骨髄移植で幹細胞を提供したドナーのドイツ人アーニャ・プローズさん(58)だ。
フランケさんによると、ドイツでは骨髄移植から一定期間を過ぎると、提供者の情報を知ることができるという。フランケさんはある日、提供者のプローズさんに手紙を書いた。「あなたのことを家族と呼ばせて下さい。私の命を救ってくれたからです。いつかお会いしてお礼を言いたい」
届いた手紙を開封した日、プローズさんは病院で初めての化学療法を受けようとしていた。フランケさんへの骨髄移植からしばらく後に、乳がんと診断されていたのだ。
プローズさんは、航空会社の客室乗務員として各地を飛び回る生活をしていた。がんの告知はそんな生活を一変させ、死を意識するようになっていた。そんな時に届いたのが、フランケさんの手紙だった。
「彼の手紙を読んで、ああ、私の人生は幸せだったんだ、と思った。もし今がんで死んだとしても、一人の命を残すことができたのだから」
プローズさんの治療が落ち着いた2016年、2人は互いの家族と共に会い、ケルンのレストランで時間を忘れて語り合った。そのときに撮った写真をフランケさんは大切にしている。笑顔のフランケさんの肩越しに頰を寄せるプローズさん。一人っ子のフランケさんは「この年にして姉ができるとは思わなかった」と話す。
フランケさんは最新治療によって「エイズを克服した患者」として、医学雑誌やメディアに取り上げられるようになった。だが、長く顔や名前を出すことはなかった。そんなフランケさんの背中を押したのは、プローズさんだった。「あなたが実名で出ることで、たくさんの人の希望になる。私も一緒に自分の体験を話せば、ドナーの意義を広めることができると思う」
プローズさんに励まされ、フランケさんは少しずつ、実名でメディアにも出るようになった。
今では2人で学会にも招待される。ミュンヘンの会議でも、取材を受けるフランケさんをプローズさんは静かに見守っていた。「ヒーローはマークで、私ではないから」
ジェンセン医師によると、同様の治療を受けた患者は2024年7月現在、世界で7人になった。フランケさんは移植後、もっとも長く生きている患者として、HIV治療の新たな光になっている。