かつて死の病と恐れられ、著名人も多く亡くなったエイズ。今では治療法も進歩し、原因ウイルスHIVの増殖を抑えて日常生活を送ることが可能になった。それにもかかわらず、発見・報告以来「40年間のパンデミック」が続いている。感染が急増するフィリピンの現状と、最前線の人々の努力を取材した。

フィリピンの首都マニラから南にバスで2時間のところにある港町バタンガス市。教会や行政機関が集まる市中心部の広場で、アリス・アムモジエさん(21)はベンチにくつろぐ若者たちに声を掛けていった。自分の身分を説明した上で、無料でHIV検査が受けられることを説明した。

話を聞いていた4人組の若者は近くの高校に通う友人で、うち2人が性的マイノリティー、残り2人はその理解者だという。当事者の男性(18)は「地元にはこのようなサービスはなかった。まだ私は検査も受けたことはないけれど、知ることができてうれしい」と無邪気に語った。

放課後の時間に合わせて活動を始める。時にはHIV検査キットを持参し、広場や近くの教会のベンチで検査をすることも。アムモジエさんによると、こうした活動を通じて、7月の1カ月で3人のHIV陽性が分かったという。

放課後に広場でくつろいでいた若者に声をかけるアリス・アムモジエさん。HIV検査が無料で受けられることなどを説明した=2024年8月、フィリピン・バタンガス、筆者撮影

若い男性間で拡大するHIV

フィリピンでは近年、若い男性の間でのHIV感染が拡大している。国連合同エイズ計画(UNAIDS)の試算によると、2023年のフィリピンのHIV新規感染者数は2万9千人。2010年の4400人から6.6倍に急増している。

何とかくいとめようと活動するのが、バタンガスを拠点とするNGO「Wagayway Equality(WE)」。アムモジエさんもメンバーの一人だ。HIV検査や予防啓発活動に加え、性的マイノリティーを支援するコミュニティーセンターの運営も、地元保健当局と連携して担っている。

フィリピンのHIV感染状況を説明するバタンガス市保健所のアレン・サントスさん。WEとも連携してHIVの予防や検査に取り組む=2024年8月、フィリピン・バタンガス、筆者撮影

性的マイノリティーが安心して過ごせる空間

市の中心部から車で10分ほどの雑居ビルの3階に、WEが運営するコミュニティーセンターがある。日当たりがよく、壁には性的マイノリティーの人が描いたアート作品が飾られていた。当事者が安心して過ごせる工夫を凝らしている。終業後や放課後に立ち寄れるようにと、午後7時まで開館。利用者はエアコンの利いた室内で、テレビを見たり、宿題をしたりして過ごしているという。

コミュニティーセンターの大切な役割が、HIV検査だ。不安を抱えた人、相談したいことがある人は、他人の視線にさらされない「カウンセリングルーム」で、無料・匿名の検査を受けることができる。日に数人、多い日には10人以上の検査をすることもあるという。

WEが運営するコミュニティーセンターで受けられるHIV検査のデモ。検査は小さなブース「カウンセリングルーム」で行われ、事前説明も丁寧にしていた=2024年8月、フィリピン・バタンガス、筆者撮影

WEが運営するコミュニティーセンターで受けられるHIV検査のデモ。指先から血液を数滴採取する=2024年8月、フィリピン・バタンガス、筆者撮影

結果が陰性の場合でも、その後も定期的に検査をする必要があることと、感染予防のためコンドームを使うことの重要性を説明する。陽性と判明した場合には、スタッフが付き添い、医療機関などでの精密検査や治療につなげていくという。

スタッフのジョラム・アスナルさん(37)は「検査をした人には、次には友達も誘って来てくれるように促している。予防や検査は命を守るために非常に大切だから」と話す。

パーティーでHIV感染「どうすれば自分を守れるのか知っていたのに」

2022年9月。アスナルさんの携帯が鳴った。ジェリー・アコスタさん(40)からだった。「発熱が続き、せきも出る」。HIV感染初期の症状に似ていることが気になったので、すぐに彼を家に呼んで検査した。

パートナーの男性とともに簡易テストを受けたアコスタさんはHIV陽性、一方、パートナーは陰性だった。パートナーからの感染ではない。少し前に参加したパーティーで酒を飲み過ぎ、面識のなかった参加者とコンドームを使わずに性交渉した際に感染したようだ。

アコスタさんは「理性的な判断ができる状態でいなければいけなかった。どうすれば自分を守れるのか知っていたのに」と悔やむ。

マッチングアプリの影響も 予防のカギを握る教育

フィリピンでは、抗HIV薬を感染予防のために使う「曝露(ばくろ)前予防(PrEP)」が2016年ごろから全土に順次拡大。HIV検査や抗レトロウイルス治療も原則、自己負担なしで受けられるようになっている。

予防や検査、治療が自己負担なく、日本以上に簡単に受けられる体制が整っているとも言えるフィリピンだが、それでもHIV感染の急増がとまらないのはなぜなのか。

抗HIV薬を予防目的で用いるPrEP。日常的に服用しているという錠剤を見せてくれたトランスジェンダーの女性=2024年8月、フィリピン・バタンガス、筆者撮影

WEのスタッフが口をそろえるのが、予防に関する知識の不足だ。国民の8割強がカトリック信者のフィリピンは、性に対して保守的であるため、性教育を充実させることへの反発が根強い。スタッフの一人で、HIV検査を担当するトレビー・アルカンタラさん(38)は「十分に性教育を受けないまま、多くの若者が性的にアクティブな時期を迎えてしまっている」と危惧する。

こうした状況に追い打ちを掛けるのが、マッチングアプリだ。匿名で登録できるゲイコミュニティー向けのアプリも存在し、そうして知り合った、よく素性を知らない人と性交渉をしてHIVに感染する例が急増しているという。

WEでは行政や州議会、学校などに働きかけ、大学や高校で性教育の重要性を伝える活動に取り組む。またマッチングアプリでも、「無料HIV検査」というアカウントを開設し、そこでマッチングすると、HIV検査を受け付けられるようにする取り組みもしているという。

WEの活動を支援するクロデット・アンビット州議会議員。「彼らの活動を支援するのは、性的マイノリティーがコミュニティーに貢献しうる存在であると信じているから」と語る=2024年8月、フィリピン・バタンガス、筆者撮影

バタンガスの市立図書館の入り口付近に設置された性的マイノリティーの特設コーナー。ミラ・シラン館長(左)は「公共の場である以上、全ての人が歓迎されなければならない」と語る=2024年8月、フィリピン・バタンガス、筆者撮影

WEの中心メンバーであるジラ・サンソンさん(20)は言う。「とにかく教育。予防や検査、治療の総合的な対応も、教育の土台があってこそだ」。検査の重要性を知ってもらい、早期治療と感染拡大防止につなげなくては、充実してきた医療も宝の持ち腐れになってしまう。

HIV陽性が分かったアコスタさんの場合は、感染から検査、治療へと迅速に進んだため、ウイルスの量は検出されないレベルまで半年以内に下がった。治療を続けながら、WEの活動にも参加している。「このコミュニティーがなかったら、私は孤立していたはず。今、私は自分がHIV感染者であることを恥じていない」と語る。

HIV陽性者への偏見を乗り越えて、顔を出して取材にまで応じるには勇気が必要だったはずだ。彼の言葉は彼自身のことでもあるが、それ以上に他のHIV陽性者へのメッセージのようだった。

HIVの陽性が分かったジュリー・アコスタさん(左)と、彼を自宅に呼んで検査したジョラム・アスナルさん=2024年8月、フィリピン・バタンガス、筆者撮影