地球規模の課題解決に最前線で取り組む人たちに、with Planetの竹下由佳編集長がその思いを聞きます。今回は、エイズをはじめとした感染症対策における「人権とジェンダー」を専門とする瀬古素子・叡啓大学准教授です。

エイズ対策の「障壁」とは

世界で多くの人の命を奪う、「3大感染症」の一つであるエイズ。

ヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染によって全身に起こる病気で、国連合同エイズ計画(UNAIDS)によると、2022年には世界で130万人が新たにHIVに感染。およそ3900万人がHIVとともに生きており、63万人がエイズ関連の病気で亡くなった。

患者の多くは、サブサハラアフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)に集中。早期に薬を服用すればエイズの発症を抑えられるが、途上国では薬が手に入りにくい現状もあるほか、早期発見や治療へのアクセスの遅れも指摘されている。

この3大感染症に取り組む国際機関「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」(グローバルファンド)の2023年の報告書は、エイズ対策支援を実施している国での死者数は減少し、予防サービスを受けた人も増加しているものの、世界の多くの地域で感染率が上昇している、と分析。報告書は、この傾向を覆すには「保健サービスにおける人権やジェンダー関連の障壁を排除するための活動に投資を継続する必要がある」と指摘している。

感染症対策における、人権やジェンダーに基づく障壁とはどのようなものなのか。どのようにして解決を目指すのか。グローバルファンドで人権とジェンダー分野の技術審査委員を務め、感染症対策における人権とジェンダーを専門とする瀬古素子・叡啓大学准教授に話を聞いた。

ネグレクトされてきた人たち

――エイズ対策における人権とジェンダーの障壁とはどのようなものなのでしょうか?

「やっと時代が私たちに追いついてきた」という実感があります。背景からお話しさせてください。

私は1990年代、アメリカの大学院で女性学を専攻し、リプロダクティブヘルス・ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の考え方と出合いました。その後、外務省が若手を国際機関に派遣するための「Junior Professional Officer(JPO)」制度で国連人口基金(UNFPA)の職員になりました。

2000年にジェンダーの専門家としてカンボジアに派遣されたのですが、ちょうどカンボジアが初めて国家エイズ政策を作ろうとしていたときでした。それを国連の立場として支援したのが、HIVと関わるきっかけになりました。

HIVの仕事に携われば携わるほど、「これ『ジェンダー』じゃん!」という思いが強くなりました。なぜなら、当時はコンドームが唯一の予防法でしたが、「コンドームをつけて」と女性から言い出せるのか。もし男性が「持っていない」と言ったら(性行為を)拒否できるのか。こうしたことが課題でした。例えば、家庭内暴力を受けていたり、生活費を夫から得ていたりする女性だった場合、家庭内でも「ノー」と言えない。相手がたとえ感染者であっても、です。エイズ対策の背景にあるのが、ジェンダーに基づく課題だったのです。

インタビューに応じる瀬古素子・叡啓大学准教授=東京都港区、筆者撮影

その後、2002〜2005年には、国連女性開発基金(現UN Women)でジェンダーとHIVの専門官として働きました。エイズ対策の支援プログラムを検討すると、「HIVの感染予防が大事だ」とみんな言うのですが、そこにジェンダーの視点はなかなか盛り込んでもらえませんでした。なぜかと言うと、「ウイルスは男性も女性も差別しないから」。ですが、レイプなど、傷をより作りやすく、より感染力が高まる行為を受けやすいのは女性たちです。私は「それは違う」と言い続けていたのですが、当時の感染者は男性の方が多かったのです。アフリカで女性の感染者が圧倒的に多くなったことで、ジェンダーや人権の視点に注目が集まり始めました。

しかし、限られたエイズ対策の資金の中で、検査・予防・治療に加え、エイズで親を失って遺児になった子どもの支援などもするとなると、なかなかジェンダーに基づく暴力の対策などにまで手が回らない。優先順位としては低いままという状況でした。

しかし今、世界でHIVとともに生きる3900万人のうち、半数以上の53%が女性と女の子です(2022年)。これまでネグレクト(放置)されてきた、ジェンダーや人権の問題でサービスが届かない人たちです。HIV / エイズのパンデミックを終わらせるためには、ジェンダーや人権の観点からの取り組みが必要だと叫ばれているのです。

――ジェンダーの観点の障壁という意味では、決して女性だけではないのですよね?

そうなんです。「男らしさ」を重んじる「マッチョイズム」による障壁もあります。

「エイズはゲイがなるものだから俺には関係ない」「男らしくない」などのマッチョイズムに基づく考えが、検査に行くのを遅らせ、さらに発症してから病院に行くので死亡率も高くなります。HIVに感染しているのに検査に行かずに性行為をすると、さらに感染を広げてしまいます。

女性は妊娠すれば、妊産婦検診で定期的に病院に行きます。エイズ検査も受けるのでそこで感染がわかることもあります。もし陽性だった場合、パートナーも感染している可能性が高いので、検査して治療しましょう、と呼びかけますが、夫の側から拒否されるケースもありました。

こうしたケースは特に2000年代のアフリカで見られました。「自分はかかっていない」と言うだけではなく、ひどい場合は、「妻が感染しているのは浮気をしたからだ」と決めつけ、妻を追い出すこともありました。

アフリカでは、2023年5月にウガンダで成立した反同性愛法など、同性愛者への刑罰が存在する国もあります。そのため、HIVに感染したとわかれば、「ゲイなのではないか?」「セックスワーカーなのではないか?」などの偏見によりさらされますし、治療を受けに行った病院でも「違法なことに手を染めているのではないか?」と見られ、差別的な扱いを受けやすい。こうした人権の問題もあります。

日本国際交流センター(JCIE) / グローバルファンド日本委員会(FGFJ)主催の公開セミナーで、若い女性のHIV予防についての研究で著名な南アフリカのカライシャ・アブドゥル・カリム博士(右)と対談する瀬古素子さん。アフリカにおけるHIV感染予防の現状や対策について話し合った=2023年11月30日、東京都港区、JCIE / FGFJ提供

新型コロナを経験した今だからこそ

――エイズ撲滅に向けての「カギとなる人々」として、セックスワーカーや男性とセックスをする男性、注射薬物使用者などが挙げられています。一方で、こうした人々への差別や偏見につなげないためには何が必要でしょうか?

20年くらい前から言い続けていることがあります。「2人前に付き合っていたパートナーの、2人前のパートナーはわからない」です。

例えば、私には今恋人がいて、2人とも浮気はしていないし、安全なパートナーだと思っている。だけれども、同じように安全なパートナーだと思って2人前に付き合っていた人の、2人前のパートナーが、リスクのある行為をしていたかどうかなんて誰もがわからない、ということなのです。

なので、「HIVに感染した」ということだけで、その人はセックスワーカーであるなどと思い込むことは間違っていますし、自分はセックスワーカーではないし、麻薬もやっていないから安全だと思っていたとしても、起こり得ることだと理解することが重要ではないでしょうか。

グローバルファンドでも長年、「カギとなる人々」やHIV感染者の生の声がエイズ対策に反映されるよう、また予防や検査を担う人材となるよう支援を続けています。こんな差別や偏見があり、その弊害がどのように出ているかを適切に捉え、医療従事者への研修や予防メッセージに反映させることも、とても大事なエイズ対策の一つです。

――新型コロナウイルスのパンデミックを経験した今だからこそ、「感染症と差別・偏見」を身をもって感じられる気がします。

「明日は我が身」だと思うことが大事ですよね。

新型コロナの感染が広がり、自分だけがどれだけ予防してもしきれないこともあるということは、今回とても身に染みたと思いますね。

「どこでかかったの?」なんて聞かれても、「あの時の会食だったのかな。でも、ほかの人は発症していないし......」など、特定することは難しいですよね。どんなに対策をしっかりしていても、どこかで感染してしまう可能性がある。感染したのは「自己責任」だと思わせてはいけないと思います。

HIVに置き換えても、感染したのは「自己責任」だとする見方は間違っています。「あなたが悪いわけじゃない」「だから病院に行こう」というふうにサポートできることが大事だと思います。

政策決定の場に多様性を

――世界経済フォーラムの「グローバル・ジェンダー・ギャップ・リポート」の2023年版では、日本のジェンダーギャップ指数は125位でした。男女格差指数の大きさと感染症の拡大に関連性はあるものなのでしょうか?

はっきりと関連があるとは言えないですね。

例えばルワンダでは政治参加している女性の比率は高く、男子に比べて女子が教育を受けている率も高いため、日本よりもジェンダーギャップ指数は高い。しかし、ドメスティックバイオレンスなどのジェンダーに基づく暴力はとても多いのです。エイズ対策でみても、男性が支配的な地位にあるような男女の関係が若い世代にも引き継がれていて、HIVの新規感染者数が下火になっているかというとそうではないところもあります。

――「男性だから」「女性だから」という性別に基づく役割の押しつけや思い込みをなくすことが重要ということでしょうか?

それもありますし、各国のHIV対策を決める場に多様性を持たせることが大事だと思います。男性も女性もセックスワーカーもゲイの人たちもいるべきだということです。どのような介入をすると効果があるかは、その立場にある人たちが最もよく知っていますから。

その意味では、ジェンダーギャップ指数の順位とも相乗効果はあるかもしれません。政策決定に関わる政治家や医療・政策の専門家の中に、様々な経験を持った人や多様なジェンダー・年代の人がいることによって、効果的な感染症対策につながると思います。

「偉い人は男性」と思っていた女性たちの前で......

――瀬古さんご自身がジェンダーに関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

様々なきっかけはあるのですが、一つは就職活動ですね。

私が就職活動をしていたのは、バブル崩壊後のいわゆる就職氷河期時代でした。同じ大学で勉強している男性たちがたくさんの会社の資料をもらえるのに、女性たちは少ししかもらえない。そんな時代でした。

1995年には、北京で世界女性会議が開かれました。そこで打ち出された「ジェンダー平等」の考え方に、就職活動での差別や女性への暴力など、さまざまな不条理の理由が腑(ふ)に落ちた気がしました。

――その後、アメリカの大学院で女性学を学び、国連職員に。「感染症とジェンダー」の専門家として、カンボジアのほか、ザンビアやパキスタンなどで勤務し、途上国の課題と向き合ってきました。途上国で目の当たりにしたジェンダーの課題から、日本も学べる点はありますか?

日本がそうであるように、発展の度合いを問わず、ジェンダー格差はあるんですよね。なぜこんなことになっているのか、とよく考えていますが、やはり「刷り込み」が原因の一つだと思います。

お父さんや周りの大人が「女のくせに」と言い続けていたら、子どもたちは「女のくせに」と思いながら育っていくのです。これを止めていく必要があると思います。

2016年ごろ、国際協力機構(JICA)専門家として活動していたパキスタンでのことです。定期予防接種を強化するプロジェクトに携わっていました。「偉い人は大体は男性だ」と思っているパキスタンの地方の女性たちが、その偉いはずの男性の医者たちに向かって私が英語で対等に話し、仕事をさせている姿を見て、ものすごくびっくりしていました。

国際協力機構(JICA)の専門家として、パキスタンでポリオや麻疹などのワクチンの予防接種を進めるため、地域の女性らへの啓発活動をする瀬古素子さん(左)=2017年5月、パキスタン北西部カイバル・パクトゥンクワ州、朝日新聞社

「偉い人は男性」だと思い込んでいる女性たちが、自分たちの「ボスのボスのボス」と思っている人と対等に話す女性の姿を見て、「そういうこともあり得るんだ」「外国からやって来て働く女性がいるんだ」と思ってくれる。女の子たちは「私も医者になる」「外国で働く」と思うようになる。どこかで不自由を感じた人たちが、これから先はジェンダーに基づく役割にとらわれることをやめよう、と自分自身も感じ、他の人たちにもその姿を見せることができたらいいと思っています。

――日本では女性首相が誕生したことがないですし、様々な場に女性がいる姿を見せていくことは重要ですね。

ドイツで史上初めて女性の首相となったアンゲラ・メルケル氏は2021年まで16年間首相を務めました。ジョークのように言われていますが、ドイツの子どもたちはメルケルさんの後に男性が首相になって、「あ、男性でも首相になれるんだ」と言ったというんですね。

生まれた時からずっと女性首相を見てきた子にとっては、首相は「she」なんです。それが「he」でもいいんだ、と思ったように、日本でもそうなるといいなと思いますね。