「知ることがワクチン」 岸谷五朗さんがエイズ啓発に取り組む理由
四半世紀にわたり、エイズ啓発のチャリティーコンサートを主催してきた、俳優・演出家の岸谷五朗さん。活動を始めたきっかけは、HIV陽性の少女から届いた一通の手紙でした。

四半世紀にわたり、エイズ啓発のチャリティーコンサートを主催してきた、俳優・演出家の岸谷五朗さん。活動を始めたきっかけは、HIV陽性の少女から届いた一通の手紙でした。
俳優・演出家の岸谷五朗さん(59)は、1993年からエイズ啓発のチャリティーコンサートAct Against AIDS「THE VARIETY」を主催してきた。岸谷さんの思いに共鳴した、数多くのミュージシャン、俳優、タレント、お笑い芸人などが出演。集まった寄付金は、ルーマニアの未成年のエイズ患者への支援や、HIV感染者も受け入れるラオスの小児病棟建設などに使われてきた。長くこの問題に取り組んできた思いを語ってもらった。
――長くエイズ啓発のチャリティーコンサートを主催してこられましたが、エイズの問題に関わるきっかけは何だったのでしょうか。
エイズの問題に関わり始めたきっかけは、当時MCを務めていたラジオ番組に、HIV陽性だという14歳の女の子から手紙が届いたことです。手紙には「何が怖いかというと、病気ではない。差別が怖い」とありました。HIVやエイズは、人間が最も大切にする友情や愛情を壊すんです。
まずは、正しい情報を知らせることが必要だと思いました。治療法がまだ確立していない時代でしたが、「知ることがワクチンになるのではないか」と。
――当時はエイズやHIVについて、誤った認識も広まっていました。
そうですね。同じラジオ番組に、別の中学生からこんな話も寄せられました。
食卓で親にエイズのことを尋ねたら、「ご飯の時にそんな話をしないの」と怒られた、というのです。当時のとんでもない状況が分かりますよね。
エイズやHIVをタブーにしていては、この病気、ウイルスが理解されず、差別につながると考えました。
日本で最初にエイズ患者が報告されたのは1985年。その後各地でHIV感染やエイズ診断が伝えられると、エイズパニックと言われる社会現象も起きた。「同じ食器を使うとうつる」「理髪店のカミソリは大丈夫か」など、不正確な情報や不安が広がり、HIV感染者やエイズ患者への深刻な差別につながった。
――チャリティーコンサートという形にした理由は。
実は初めは大学の先生やHIV陽性の方を招いたシンポジウムを開いたんです。でも一番伝えたかった中高生や若者が全く来ない。当事者がパラパラといるだけで、これはダメだと思いました。
それで1993年から始めたのが、Act Against AIDS「THE VARIETY」という、啓発を目的としたチャリティーコンサートです。
好きなアーティスト目当てで来てもらえばよい。後から「エイズのことを話していた」と気づいてもらえばよいと考えたのです。
――コンサートでは、どのようにしてエイズの問題を伝えたんでしょうか。
HIV陽性の方に登壇してもらい、手をつないだり、肩を組んで話したりして、日常生活ではHIVは感染しないことを伝える工夫をしました。
チャリティーの寄付先の様子も伝えます。必要な医療が整っていなかったラオスに、HIV感染者も受け入れる小児病棟を建てました。余命宣告されていた子がここで治療を受けて、こんなに大きくなりました、とかね。
人間どうしのつながりで、この病気と差別とを克服したいと考えたんです。25年続けてきて、本当に大変でした。でも、役者である自分に「人に伝える才能」があるとしたら、それを1年に1日、本当に苦しんでいる人のために使うべきではないか。そう思ってやってきました。
――2016年には、エイズで亡くなった芸術家、キース・ヘリングの生涯を描くミュージカル「ラディアント・ベイビー」日本版の演出も担当されました。
キースをはじめ、エイズはたくさんのすばらしい才能を持った人の命を奪ってきました。キースがまだ生きていたら、どんなにおもしろかっただろう、と感じてもらえるよう演出しました。
実はキース・ヘリング財団の方が協力してくれて、Act Against AIDS「THE VARIETY」のポスターに、キースのイラストを使わせてもらったこともあるんです。「ラディアント・ベイビー」の演出をして、キースにやっと恩返しできたな、と思いました。
日本では、「薬害エイズ」という大問題も起き、深刻な被害を生んだ。一方で薬害エイズ訴訟の和解成立は、支援策の整備が大きく進む契機になった。現在では保健所で無料で、氏名を明かすことなくHIV検査ができる。抗HIV薬を感染予防のために使う「曝露(ばくろ)前予防(PrEP)」も今年8月に承認された。国内でのHIV新規感染者数は、2013年の1590人(エイズ発症者を含む)をピークに減少傾向にあり、2023年は960人だった。
――Act Against AIDS 「THE VARIETY」は2018年に一区切りを迎えました。
2020年からは、支援の対象を広げ、「Act Against Anything」として新たにスタートしました。やはり大事にしたいのは、子どもの笑顔。難民、紛争地、地震被災地の支援もしています。もちろん、エイズの問題には今後も関わり続けたいと考えています。
今年は12月1日に日本武道館でチャリティーコンサートを予定しています。ぜひ皆さんにも駆けつけてもらいたいです。
――岸谷さんがこの問題に関わるきっかけになった女の子のその後はご存じなんですか?
残念ながら、その手紙以降、その女の子とのやりとりはできていません。
今、45歳ぐらいでしょうか。元気でいてほしいですね。「あなたが勇気を持って手紙を出してくれたおかげで、差別はだんだんと小さくなっているよ」と伝えたいです。
きしたに・ごろう 1964年生まれ、東京都出身。NHK大河ドラマ「光る君へ」に紫式部の父親、藤原為時役で出演中。