「ビジネスと人権」なぜ重要なのか 企業活動に不可欠な取り組みとは
グローバルな経済活動の中で、企業活動が人権を尊重することは不可欠な要素になっています。この問題にNGOとして取り組む若林秀樹さんが解説します。

グローバルな経済活動の中で、企業活動が人権を尊重することは不可欠な要素になっています。この問題にNGOとして取り組む若林秀樹さんが解説します。
私たちが手にする商品やサービスは、どのような企業活動によって生まれたものなのか。近年、消費者が企業活動に社会的な責任を求める傾向が強まっています。グローバルな経済活動では特に、製品の源流で何が起きているのかが見えにくく、企業自身が人権尊重などに自主的に取り組むことが求められ、それが企業の価値にもつながっています。注目される「ビジネスと人権」について、国際協力NGOセンター(JANIC)のアドボカシー(政策提言)部門であるシンクタンク「THINK Lobby」の若林秀樹所長が解説します。
ビジネスにとっての人権問題は、古くて新しい課題だ。今から半世紀前の1976年、経済協力開発機構(OECD)は「多国籍企業行動指針」を策定し、人権をはじめ、情報開示、雇用及び労使関係、環境、贈賄防止など、幅広い分野における責任ある企業行動に関する原則と基準を定めた。さらにグローバル経済が急速に拡大した1990年代前後からは、企業による人権侵害の事例が増え、企業活動をさらに規制すべきだとの機運が高まり、その枠組みや条約の策定が議論された。しかしそれはビジネス界の反対が強く、実現しなかった。
大きく潮目が変わったのは1997年、「人権の主流化」を打ち出したコフィ・アナン国連事務総長(当時)の登場だった。アナン氏は、ハーバード大学のジョン・ラギー教授を事務総長のシニア・アドバイザーに指名し、人権をはじめとする9原則(後に「腐敗防止」を加えた10原則に)への支持と実践を推進するイニシアチブ「グローバル・コンパクト」を誕生させた。
2005年、ラギー氏は「ビジネスと人権」に関する国連事務総長特別代表となり、人権を擁護するための国家や企業の義務を定義した「ラギー・フレームワーク」を作った。これは2011年、最終的に「国連ビジネスと人権に関する指導原則(以降、指導原則)」に結実した。指導原則は、「国の人権保護義務」「企業の人権尊重責任」「救済へのアクセス」の3本柱からなる。これらには拘束力がないが、それにもかかわらず、グローバル経済の厳しい競争の中で多国籍企業がどのように人権擁護という視点を持つか、という課題に取り組み、「ビジネスと人権」に大きな変化をもたらすゲームチェンジャーとなった。指導原則の詳細については、外務省ポータルサイトや、「ビジネスと人権市民社会プラットフォーム」のサイトをご参照願いたい。
国連の指導原則が、「ビジネスと人権」のゲームチェンジャ―になったのはなぜか。それは、政府、企業、ステークホルダーの、それぞれの役割を明文化するとともに、ビジネス活動において人権侵害は起こり得る、ということを前提に「救済へのアクセス」を第3の柱に据えたことが大きい。その結果、全体として人権をめぐる哲学と原理原則の内容とのバランスがとても良く、企業側も反論の余地がない内容になったと考える。さらに、ラギー氏は、ルール作りだけではなく、非営利団体「The Shift Project」に加わり、企業の実践活動を支援するなど、企業活動における人権擁護が表面的な取り組みにならないよう、常に企業の姿勢に対して警鐘を鳴らしてきたのである。
筆者自身、2016年にジュネーブで開かれた「国連ビジネスと人権フォーラム」に参加してラギー氏の基調講演を初めて聞き、本質を突いた話の内容に心が揺さぶられた。特に印象に残ったのは、「企業は、持続可能な開発目標(SDGs)のうち、都合のよいものだけを『いいとこ取り』する傾向が懸念される(「SDGsウォッシュ」と呼ばれるごまかし)。ビジネスと人権とは、ビジネスにとっての経営リスクの有無ではなく、ビジネスが人々に及ぼすリスクという視点で考えるものだということを肝に銘じるべきだ」という趣旨のメッセージだった。それは今でも筆者自身の考えのベースになっている。
指導原則が採択されて今年で12年になる。企業の自主的な取り組みには、一定の前進は見られたものの、まだ不十分であると言えよう。その中で、各国政府の中に、企業の自主的な取り組みに任せるだけではなく、取り組みの義務化(法制化)を目指す動きが出始めた。代表的なものは、英国の「英国現代奴隷法(2015年)」、ドイツの「人権デューデリジェンス(適正評価)法(2021年)」、欧州連合(EU)の「人権・環境デューデリジェンスの義務化指令案(2022年)」などがあり、これからもその流れは加速すると思われる。また、英国やドイツでの国内法であっても、企業のサプライチェーンは世界に広がっており、日本企業も当然、影響を受けている。
ところで国連では、指導原則を実施するために、各国に「国別行動計画(NAP)」の策定を促しており、日本政府も2020年、アジアでは2番目に「行動計画」を発表した。2022年9月には経済産業省が、日本企業向けに「責任あるサプライチェーンなどにおける人権尊重のためのガイドライン」を、本年2023年4月には、さらに詳しい解説資料となる「責任あるサプライチェーンなどにおける人権尊重のための実務参照資料」を発表した。
日本には多くの人権課題があり、これまで国連人権理事会、人権条約の条約実施監督機関、さらには特定の課題に対する特別報告者が、日本が批准した条約などに基づき、人権状況の改善を求める勧告を日本政府に対し幾度となく出してきた。しかしながら、政府はこれまで、勧告や報告が政府の方針を変える法的拘束力がないとして無視してきた歴史がある。
しかし、「ビジネスと人権」については、日本政府はこの問題に対応するために、比較的積極的に取り組んできたともいえる。それは、世界におけるビジネス活動は日本経済にとって死活問題であり、「ビジネスと人権」に取り組まなければ、国際市場から退出せざるを得ない危機感があるからかもしれない。
2023年10月で、日本政府が「行動計画」を発表して丸3年になるが、その3年目の評価をどうするか、私もメンバーである、外務省「ビジネスと人権に関する行動計画推進円卓会議」で議論することになっている。
一方、日本の企業側の取り組みはどうだろうか。2021年経産省のアンケートによれば、52%の企業が「人権デューデリジェンス」に取り組んでいるとの回答だった。しかし、そもそも対象企業の回答率が27%と低く、主に取り組みをしている企業が回答していることを考えると、実態としては「ビジネスと人権」の取り組みは、まだ低調と言えるであろう。
筆者が理事を務めるNPO法人国際協力NGOセンター(JANIC)のアドボカシー部門である、市民社会シンクタンク「THINK Lobby」では、「公正な社会」、つまり社会の格差などの構造的な課題の解決や、市民が自由に活動できる包摂的な社会の実現について企業の役割が大きいと考え、調査・研究活動を行っている。現在、研究成果の中心となる「公正な社会の実現に向けた対話のための企業行動チェックリスト」を策定中であり、今秋には正式発表する予定である。
ビジネスと人権を法制化することは、「企業の経営の自由」に影響を及ぼすこともあり、慎重であるべきだが、一方で人権は何よりも優先すべき価値基準である。企業による取り組みを促すためには、企業にコスト面などで不公平な状態が起きないようにする「レベルプレイング・フィールド(競争条件の均衡化)」が必要であろう。コスト負担は特に中小企業にとって深刻であり、ビジネスと人権に取り組むことが経営への過度な負担にならない配慮が必要だ。
日本企業は、世界のサプライチェーンにつながっており、すでに各国の「ビジネスと人権」関連の法制化に影響を受けている。今後もこの流れが続くと予想される今、日本は国際社会の動きを牽引(けんいん)し、指導原則の取り組みを一層加速させるために、国内での法制化の議論を進めるべきだ、と考える。
〈わかばやし ひでき〉
国際協力NGOセンター(JANIC)理事 / THINK Lobby所長。
外務省JICA評価アドバイザー、政府主催「ビジネスと人権に関する行動計画推進円卓会議」メンバー、国連グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン理事などを務める。ヤマハ(株)入社、ヤマハ労組役員、電機連合役員を経て、在米日本大使館経済班一等書記官。2001年比例区選出の民主党参議院議員として当選し、「次の内閣」経済産業大臣などを歴任。2008年米戦略国際問題研究所(CSIS)客員研究員、2011年からアムネスティ・インターナショナル日本事務局長、JANIC事務局長などを経て現職。著書・編著に「希望立国、ニッポン15の突破口」、「日米同盟:地球的安全保障強化のための日米協力」、「SDGsを学ぶ」など。早稲田大学卒業、ミシガン州立大学大学院修士課程修了(農学)。