「よし君」との約束 映画を通じて伝えたい、世界で今起きていること
非暴力と休戦を呼びかける「国際平和デー」に毎年、映画を通じて世界と日本をつなぐ映画祭を開いているユナイテッドピープルの関根健次さん。その思いを聞きました。

非暴力と休戦を呼びかける「国際平和デー」に毎年、映画を通じて世界と日本をつなぐ映画祭を開いているユナイテッドピープルの関根健次さん。その思いを聞きました。
9月21日の「国際平和デー(ピースデー)」をご存じだろうか。たった一日でいいから「人と人が争わない日」をつくり、敵対する状況をやめ、すべての国、すべての人々が平和について考え、行動する日にしたい、として国連が定めた平和の記念日だ。以前は9月の第3火曜日とされていたが、国際女性デー(3月8日)や世界環境デー(6月5日)のように日付を定めようという提唱を受けて2001年9月7日の国連決議で制定された。この精神に賛同し、ピースデーを知ってもらおうと日本で国際平和映像祭(UFPFF)を主催している関根健次さんに、国際協力に詳しい玉懸光枝さんが話を聞いた。
毎年9月、国連が定めた「国際平和デー」にあわせた映画祭が、日本で開かれている。主催するのは、「人と人をつないで世界の課題解決をする」というミッションを社名に掲げる「ユナイテッドピープル株式会社」を創業した関根さんだ。
海外の映画祭に頻繁に出向き、気候変動や食糧危機、労働搾取など、世界で起きている社会問題を扱った映画を2009年から日本で配給するかたわら、2011年からは毎年9月にUFPFFを開催している。平和を願う世界中の若者が映像によって互いを知り、国を超えたつながりを持ってほしいという願いが込められた映像祭は回を重ねるごとに評判を呼び、13回目の今年は、地中海をボートで渡る難民を描いたアニメーション作品や、日本の技能実習生問題に関するドキュメンタリー作品など、55カ国から平和をテーマにした258作品の応募があったという。
さらに今年は、ピースデーを提唱し、国連に働きかけたイギリス人の元俳優で映画監督のジェレミー・ギリー氏が主宰する「ピースワンデー」が開いた国際平和デーのイベントにも関根さんがオンラインで登壇し、こう訴えた。
「第2次世界大戦中、日本は東南アジアを侵略して人々を苦しめた一方、日本自身も2回の原子爆弾投下により大きな傷を負いました。日本には、平和のメッセージを伝える責任があります」「映像を通じて若者にピースデーを知ってもらい、行動を促し続けます」「ゆくゆくはピースデーを日本国民の祝日にするのが夢です」
2010年に初めてドキュメンタリー映画『ザ・デー・アフター・ピース』を見た時の衝撃を、関根さんは今も忘れない。「文字通り、あの映画で僕の人生が変わりました」と振り返る。さまざまな人々を訪ね、時に怒りを買い、いぶかしまれながらも、たった1人でピースデーの構想を訴え続けたギリー氏が、徐々に賛同を集め、2001年の国連決議にこぎつけるまでの紆余(うよ)曲折や、決議から4日後、ピースデーの決定を世界に向けて発表予定だったその日の朝に同時多発テロ事件が発生し、混乱に陥るニューヨーク市民の姿がギリー氏自身の手で記録されており、ただただ圧倒された。
中でも、記念日が制定されても「誰も行動しない」ことにしびれを切らしたギリー氏が2007年に自らアフガニスタンに出向いたエピソードは、関根さんを大いに鼓舞した。
ギリー氏は、タリバン勢力と交渉し、その年のピースデーに村の子どもたちにワクチン接種を行う1万人のユネスコ職員を攻撃しないという約束を取り付けた。実際、一人の犠牲も出すこともなく140万人へのワクチン接種を成功させたのだ。一人の人間が決意を固めれば世界を変えることができる、と確信するようになった関根さんは、これを機に、始めたばかりだった映画の買い付けと配給のペースを加速させていく。2011年には、冒頭の国際平和映像祭も立ち上げた。人の心に感動を届け、行動を促すことができる映画の力を再確認したことが、関根さんの心に勇気を与えたのだ。「決して大げさでなく、あの映画によって僕の人生は変わりました」
関根さんには、折に触れて心の中で語りかける友人がいる。4歳の時、一緒にボール遊びをしていて目の前で車にひかれて亡くなった幼なじみの「よし君」だ。当時、自分だけ生き残った事実を受け止められず、強いショックを受けていた関根さんは、母親から「あなたが生きていることには意味がある」「よし君の分も生きなさい」と、繰り返し言われたという。いつしか「自分の命はたまたま失わずにすんだもの。大人になったら、よし君や、よし君のような誰かのために生きるんだ」という考えが関根さんの胸に芽生えていた。
「世界」を初めて意識したのは、高校に入学した夏、両親と一緒に、カナダに留学していた姉を訪ねた時だった。あいさつの仕方から日常のルールまで日本とは習慣も尺度も違うことを知り、世界の広さを実感した。その後、自身も米国の大学に留学した関根さんは、交換留学や休みを利用していろいろな国を回り、さまざまな出会いを経験した。
中国に滞在したのは1990年代後半。中国内陸部で乗り合わせた船の乗客に「日本鬼子」とののしられたり、宿泊施設から「日本鬼子を泊める部屋などない」と断られたりしたが、「かわいそうに」と食事をおごってくれた食堂のお姉さんや、「泊めてやれ」と宿に掛け合ってくれたおじさんに助けられた。中東のガザ地区では、国境から検問所まで乗ったタクシーの運転手が降りる時になり急に往復料金を要求してきたため、イスラエルとパレスチナの境界線で大喧嘩したが、最後はなぜか2人とも大笑いし、ハグを交わして別れた。「どの出会いも、最後は人と人が心を通い合わせて分かり合えることを実感する、魂がふるえるような交流でした」と、関根さんは振り返る。
その一方で、ガザ地区では、憎しみの連鎖が続く現実も目の当たりにした。街角で一緒にサッカーをして遊んだ少年に何気なく将来の夢を尋ねた時、「爆弾を作ってユダヤ人を皆殺しにしたい」という答えが返ってきたのだ。叔母が目の前でイスラエル兵士に撃たれ、血だらけで息絶えた。少年の悲しみと憎しみが響く言葉に何も言えなかった関根さん。この経験から、「子どもたちが子どもらしい夢を描けない世界を、いつか変えることができたら」という思いがわき上がったという。
アメリカの大学を卒業後、帰国して大手スーパーやIT企業で勤務したが、旅先の出会いや決意が忘れられず、2002年にユナイテッドピープルを設立した。創業日は、7月5日。よし君が生きていると感じ続けるために、あえて亡くなった前の日にした。
創業後はまず、国際協力のために活動するNGOやNPOを一覧にして誰でも簡単に寄付できるサイトを立ち上げた。当時は現在のようにクラウドファンディングが普及しておらず、社会課題の解決に資金を流す仕組みは画期的だったが、開始当初は資金が思うように集まらず、試行錯誤が続いた。並行して2009年に日本での映画配給を開始。2015年に寄付サイトのサービスを終了して以降は、映画を事業の核に据えて世界の問題を伝え、行動を呼びかけるための活動を展開している。
たとえば、映画の上映を通じて集まった人々が鑑賞後に作品のテーマについて語り合い、新たな出会いを広げることができるように、有志で上映会を企画できる仕組み「cinemo」を開始したり、冒頭の映像祭を立ち上げて「映画人」の育成に取り組んだり、ユナイテッドピープルとして映画の制作にも取り組んだりしている。「映画を通じて人の心を動かすことで、ポジティブな連鎖を広げたい」と、関根さんは語る。寄付サイトの運営と、映画を届けるための活動。一見、まったく違う事業のようだが、「一人ひとりの力を持ち寄って、組織や国、人種、宗教など、あらゆる壁を超え世界の課題解決に向けて前進したい」という思いは一貫していた。
世界では今日もどこかで争いにより人の命が奪われ、平和とは正反対の状況が続いている。それでも関根さんが行動し続けるのは、かつてガザ地区で、爆弾によって人が殺され、すべてが破壊される様子を目の当たりにしたためだ。それ以来、生きる権利さえ奪われた渦中の人々より先に自分が絶望してはいけないと考えるようになったと言う。
「たとえば、一人の教師が平和の大切さを教え続ければ、生徒の一人が将来、NGO職員や政治家として世界に貢献する大人になるかもしれません。諦めそうになる時もありますが、それでもできないことよりできることの方がはるかに多いのです」
そんな関根さんは最近、新たな挑戦を始めた。昔から好きだったワインと世界の社会問題をつなげる事業だ。人種や宗教など、さまざまな理由で対立している者同士がブドウの栽培や醸造の工程に一緒に取り組みながら友情を育むワイナリーを設立し、「ピースワイン」を作ることで平和な世界を広げていくことを目指す。約10年前、南アフリカで黒人と白人が協力して作ったという、アパルトヘイトの終焉(しゅうえん)を象徴するようなワインを友人からプレゼントされたことに着想を得た。今年6月には、パレスチナとイスラエルの人々が共に働くワイナリーの立ち上げに向けて現地を訪ね、ワインの作り手も発掘した。
そのパレスチナが今、未曽有の人道危機に見舞われている。
関根さんは、「パレスチナ人民連帯国際デー」である11月29日に合わせ、オンライン映画上映シンポジウムを緊急に企画。自由を求めてサーフィンに興じる若者たちの姿をとらえたドキュメンタリー映画『ガザ・サーフ・クラブ』の特別先行上映を予定している。
上映後には東大大学院特任准教授でパレスチナ研究者の鈴木啓之さんによる解説があり、NPO・日本国際ボランティアセンターの並木麻衣さん、NPO「パレスチナ子どものキャンペーン」の手島正之さん、国連広報センターの根本かおる所長らが登壇する。
ギリー氏から学んだ一人の人間が持つ力の大きさを胸に、関根さんは平和な世界の実現を目指してこれからも走り続ける。