大気汚染の原因である微小粒子状物質(PM2.5)。その濃度が「世界最悪」とされるのがバングラデシュだ。スイスの空気清浄機メーカー「IQAir」の2023年の調査によると、データがある134カ国・地域別でワースト1位だった。現地の病院を訪ねると、子どもたちの健康への影響を指摘する声が上がりました。

親子連れでごった返す子ども病院

警報が出るほどの熱波に見舞われた5月上旬、バングラデシュの国立ダッカ子ども病院の受付で、ぐったりとした赤ちゃんが家族に抱かれ、順番を待っていた。私立病院に比べて格段に費用が安く、優秀な医師が集まるとあって、連日、受診に訪れる親子連れで廊下や建物の外までごった返している。

隣県からやってきた母タフミナさん(26)と父シシールさん(29)の長男タシュリフちゃん(7カ月)は、生後3週間から咳(せき)が止まらず、地元の病院で肺炎と診断された。いくつも病院を転々としてきたが、一向に症状は良くならず、ここならば治るかもしれないと訪れたという。

「顔色が変わるほど、死んでしまうのではないかと思うくらい咳がひどく続き、眠れずミルクも飲めない。心配でたまらない」とタフミナさん。「良くなるよう、祈ってください」と我が子を見つめた。

IQAirによると、バングラデシュのPM2.5の濃度(2023年)は、人口を加味した年間平均で、1立方メートルあたり79.9マイクログラムと、世界最悪だった。パキスタン(同73.7)、インド(同54.4)と南アジアの国が続く。

呼吸器疾患や脳卒中、心臓発作などにリスク

PM2.5は、肺の奥深くまで入り込みやすく、ぜんそくや肺炎などの呼吸器疾患や、脳卒中や心臓発作などのリスクを高めるとされる。世界保健機関(WHO)は、大気汚染によって年間700万人が亡くなっていると推計する。

米シカゴ大エネルギー政策研究所は同年の報告書で、バングラデシュでは寿命が国平均で6.8年、ダッカ近郊では8.3年、大気汚染で短くなっていると推計した。

臓器や免疫システムが未発達の幼い子どもは、特に影響を受けやすい。ダッカ市内にある山形ダッカ友好総合病院の呼吸器内科医アブドゥラ・マスードさん(37)は「ぜんそくや気管支炎など大気汚染に関連する疾患で受診する子どもは、年々増加傾向にある」と話す。

患者の一人、マビシャ・ザマンさん(8)は、5歳のころからアトピーやアレルギーに悩まされてきた。特に乾期(113月ごろ)は、咳やくしゃみ、皮膚のかゆみが出やすく、ひどい時には呼吸が苦しくなるという。砂ぼこりや煙の原因となっている街中や道路脇のごみを指摘し、「街をきれいにする必要があると思う」と訴えた。

ダッカ市内に住むマビシャ・ザマンさん(右)は、5歳のころからアトピーやアレルギーに悩まされてきたという=2024年5月5日、ダッカ市内の病院、荒ちひろ撮影

激しい渋滞、かすむビル群

ダッカ首都圏の人口は2400万人近くで、この20年で倍増。道路には車やバス、バイクやオートリキシャがあふれている。激しい渋滞で「車で20分の距離に2時間かかった」ということも日常茶飯事だ。

5月9日、幹線道路の陸橋から車の群れの先を眺めると、遠くにかすんだビルが見えた。最も大気汚染がひどい乾期を過ぎ、雨が降ったばかりだったが、IQAirのアプリで周辺のPM2.5の濃度を調べると109.7マイクログラム/立方メートル。大気質指数は189で「健康に良くない」と表示された。撮影で20分ほどいただけで、のどがガラガラしてきた。

バングラデシュ独立大のムハマド・アブドゥル・カレク教授=2024年5月1日、ダッカ市内、荒ちひろ撮影

バングラデシュ独立大環境科学・マネジメント学部のムハマド・アブドゥル・カレク教授(49)は、大気汚染の要因について、こうした交通の状況や、主要な建設資材であるれんがを焼く窯から出る煙、無計画な都市の拡大や建設ラッシュなどを挙げる。

政府は対策として2019年、れんが工場の立地条件や認可の厳格化を発表。2025年までに道路を除く公共事業で、従来の製法のれんがの使用を禁止するとしている。

家庭内でも深刻な大気汚染

大気汚染は屋外だけでなく、家の中でも深刻な問題となっている。主な原因は、木や石炭などを使う調理や暖房器具だ。

家の外にある台所で、枝を燃やして調理するモモタジュ・ベグンさん=2024年5月6日、ダッカ近郊、荒ちひろ撮影

WHO2023年、世界人口の約3分の1にあたる約23億人が、木材やわら、動物のふんなどのバイオマスや灯油、石炭などを燃料とする非効率な調理ストーブやたき火を使っており、家庭での有害な大気汚染の原因となっていると発表した。健康被害を防ぐには、電気や天然ガスなどを利用したより効率的な調理器具への転換が不可欠だとしている。

ただ、人々の行動を変えるのは簡単ではないようだ。

3年前に長男一家とダッカ近郊に越してきたモモタジュ・ベグンさん(50)の家には、室内と、家の脇に建てたトタン小屋の二つの台所がある。室内では圧縮天然ガスのコンロを使うが、屋外では木の枝などが燃料の古いコンロで調理する。

長男の妻は室内の台所を使う一方で、ベグンさんは「ガス代を節約するため、たいてい外の台所を使っている。煙で頭が痛くなったり咳が出たりするけど、火力が強いし、昔からのやり方だから、私は外の方が好き」と話した。

 

バンガバンドゥシェイク・ムジブ医科大のムハンマド・カリクザマン助教=2024年5月2日、ダッカ市内、荒ちひろ撮影

室内の大気汚染と健康への影響に関する論文があるバンガバンドゥシェイク・ムジブ医科大のムハンマド・カリクザマン助教(54)は、「こうした古い調理器具を使う家庭では、換気を徹底することと、5歳以下の子どもを台所に入れないことが必要だ」と対策を述べた。

無関係ではない先進国

大気汚染は、決して途上国だけの問題ではない。先進国で消費するものの多くは、コストの安さなどから途上国でつくられている。そのための経済活動が、途上国で大気汚染を引き起こす。私たちは製品を輸入する代わりに、汚染源を「輸出」しているとも言える。

日本の国立環境研究所などが2021年に発表した論文は、主要20カ国・地域(G20)のうち欧州連合を除く19カ国の消費活動で生じたPM2.5で、世界で年間約200万人が平均寿命より早く死亡していると推計。バングラデシュは、G20以外で最も影響を受ける国だった。