不足する安全な水、下痢で命を落とす子どもたち キリバスの危機
気候変動により「国が沈む」危機が叫ばれる南太平洋の国、キリバス。海面上昇や干ばつによって安全な水の確保も難しくなり、幼い子どもたちが命の危険にさらされています。

気候変動により「国が沈む」危機が叫ばれる南太平洋の国、キリバス。海面上昇や干ばつによって安全な水の確保も難しくなり、幼い子どもたちが命の危険にさらされています。
南太平洋の島嶼(とうしょ)国・キリバスは、気候変動の影響を最も強く受けている国のひとつとされています。現政権の方針で、海外メディアの受け入れは厳しく規制されるようになったとも聞きますが、今回、日本ユニセフ協会の視察に同行。日本から飛行機を乗り継ぎ、3日かけて首都のあるタラワ島を訪れました。現地の様子をお伝えします。
沖には白い波が立っている。
国連児童基金(ユニセフ)キリバス事務所のスタッフに案内されて向かったのは、30人家族で暮らしているというアロファ・テイビロアさん(26)の自宅だ。
タラワ島は、アルファベットの「L」を裏から見た形をしているが、その底辺部分、南タラワにあるエイタ村。島に1本しかない幹線道路から、両脇に家が立ち並ぶ小道を2分も歩けばすぐ海に出る。テイビロアさんの家は、サンゴのかけらが積み上げられた波打ち際が、すぐ後ろまで迫っている場所にあった。
テイビロアさんは、4歳と8カ月の2人の娘の母親。夫(27)はオーストラリアに出稼ぎに行っているが、親族が寄り集まって大人8人、子ども22人が一つ屋根の下で暮らす。
満潮時には、室内に海水が入りそうなほど海面が上昇してくるという。近くのおじの家は数年前に波にさらわれてしまった。「キリバスは海に沈んでしまうのではないかと心配しています」とテイビロアさんは言う。
夫の出稼ぎ先のオーストラリアは飛行機で十数時間の距離。2回目の出稼ぎは昨年からで、ブロッコリーやカリフラワーを収穫し、手取りで週400オーストラリアドル(AUD、約4万3千円)を稼ぎ、家計を支えている。
テイビロアさんの家には、トイレもシャワーもないという。生活上の大変なことを尋ねると、「水の確保が大変」と話してくれた。
生活には、雨水、井戸水、政府からの配給水を使うが、雨が降らないと、手や食器を洗う水も足りなくなる。
井戸水は汚染されているため、飲み水や料理には配給の水を沸騰させてから使う。しかし、3日に1回程度しかない配給は1回あたり、30人家族全員で小さなバケツに15杯のみ。「足りない」とため息をつく。
井戸水はなぜ汚染されているのか。
タラワ島を歩くと、海岸線に面した家の海側には土囊(どのう)のほか、木々の葉やゴミが積み重ねられているところが、数多くあった。海水の浸入を防ぐためだ。海岸には、人の排泄物があちこちに転がっているところもあった。
貧しく、トイレがない家庭が少なくない。ユニセフによると、キリバスでは3割の人が野外で排便しており、衛生上の大きな課題となっている。
豚を飼っている家も多く、野犬もいる。タラワ島の標高は最大3メートルのため、ひとたび満潮となれば、ゴミとともに人や動物の排泄物も陸に押し寄せる海水にさらわれ、井戸水が汚染される。
キリバスにとって、安全な水の確保は喫緊の課題だ。
ユニセフによると、家で使う水が糞尿で汚染されている割合は91%。さらに5歳未満の子ども1千人あたりの死亡率は48人、というデータがある。日本は1千人あたり2人で、日本の実に20倍以上、世界平均の38人に比べても極めて高い。「キリバスの一番の問題は子どもが下痢で亡くなる率が高いこと。原因は、水」。地域医療を支えるベケニベウ西保健クリニックの看護師マリア・タンロさん(36)はそう断言する。
生活用水はこれまで雨水に頼ってきたが、気候変動の影響で干ばつが頻繁に起こり、それも難しくなってきている。雨が降らなければ水がなくなる。そのため、人々は井戸水や政府からの配給水で、不足分を補う。しかし、そもそも雨水をためるタンクを持たない家庭もある。
看護師のタンロさんによると、クリニックでも、雨水も塩分が多くて手洗いには不適だとわかり、いまは消毒剤を使わざるを得なくなっているという。
水以外にも深刻な問題がある。摂取する栄養の偏りだ。
キリバス国内で生産されているのはココナツや魚くらいで、食料品はほとんどが輸入品。日ごろは米を主食とし、缶詰やインスタントラーメンがよく食べられている。野菜や果物は土地や水の問題もあり、作ることも難しく、ほとんど食べられていないのが実情だ。
ユニセフの調査では、6カ月~2歳未満の子どもで、野菜または果物を全く食べていない割合は51%。ユニセフは穀類や豆類、乳製品、野菜など八つの食品群のうち、少なくとも五つの食品群の食べ物を幼児が毎日摂取することを推奨しているが、2種類以下しか与えられていない割合は34%にのぼる。
高校でキリバスに留学し、その後キリバス国籍を取得、現在は仙台市に住みながら、日本キリバス協会代表を務めるケンタロ・オノさん(47)は、キリバスの人々の暮らしについて「明るい将来を想像しにくいと思うが、人々は驚くほど楽しく生活している。持っていない人に持っている人が分け与えるというのがキリバスの文化。みんな人なつっこくて明るい」と話す。一方で「食事の栄養バランスの悪さは母乳にも影響するし、赤ちゃんの健康にもかかわる。国が海に沈んでなくなる前に健康問題の方が大変になるのではと思うぐらい」と語る。
33の島からなるキリバスは広大な経済水域をもつため、ほかの国からの入漁料が国の経済を支える大きな柱だ。主産業は漁業のほか、ココナツオイルやせっけんの原料となるコプラ(ヤシの実を乾燥させたもの)の生産で、人々が働く場は限られている。
オノさんによると、庶民は棚卸しをしたり、店で働いたりして月200~300AUD(約2万~3万円)を稼ぐのがやっと。失業率は80%、定職がある人も8~9割は公務員が占めるという。
食料だけでなく生活用品も多くは輸入に頼っているため、物価は高い。店に入って品物の値段を聞いてみるとーー。水は2リットルで2.6AUD(約280円)。米は18キロの袋が20AUD(約2100円)。庶民の食の中心になっているという缶詰は、ツナ缶2.45AUD(約260円)、ハム缶3.9AUD(約420円)。立ち寄った店では野菜はジャガイモとタマネギしかなく、それぞれ1キロ6.9AUD(約740円)、6.6AUD(約710円)だった。平均的な収入を考えると、かなり高額だ。
栄養の偏りが大きな課題となるなか、貴重な野菜作りへの挑戦も行われている。60人が働くベケニベウ農園は、2019年に国交を回復した中国政府の援助を受けて政府が運営している。
畑に行くと、炎天のもと、職員が水やりをし、丸々太ったキュウリやナスを収穫していた。大きなメロンもたわわになっていた。働き始めて4年というテブロロ・アロバスさん(43)によると、サンゴ礁の上にある国土のため、生ゴミなどを使った土づくりに苦労しているという。
値段を尋ねると、1キロで、キュウリとキャベツはそれぞれ6.5AUD(約700円)、ナスとトウモロコシは5AUD(約540円)と教えてくれた。毎日40~50人が直接買いに来るという。
アロバスさんの時給は3AUD(約320円)。キリバスの賃金としては悪くないが、「野菜は高いので、あまり食べられない」と漏らす。町の店でもほとんど野菜は売られていなかった。野菜は庶民にとっては、高嶺の花なのだ。
気候変動に強い危機感を抱き、声を上げ始めた若者たちにも会った。22年に設立された「トゥンガル・ユース・アクション」。学生を中心に16~30歳の若者約70人が参加する。砂浜の清掃をしたり、ワークショップを開いたりして活動を続けている。
メンバーのテアオイア・テイカブアさん(22)は建設業に携わる父親の仕事の関係でフィジーで生まれた。12歳のときにキリバスに戻り、シャワーの水がしょっぱいのに驚いた。せっけんの泡立ちも悪かった。「なぜ水がこんなにも違うのか」。そう思ったことがきっかけで気候変動問題に興味を持つようになったという。
いまはハワイの大学で学びながら、トゥンガルに参加する。「マングローブの植林や防潮壁の設置はもちろん、雨水をためるタンクの増設、海水を淡水化する施設、技術も必要」と話した。
トゥンガルでソーシャルメディア担当をするイサベラ・テウエアさん(22)は父親が副大統領。大学で環境マネジメントを学び、いまはNGOで働く。「気候変動の影響で、キリバスでは安全な水が不足している。水は命そのもの。農業にも必要だし、非常に大切な問題だ」と危機感を抱く。
厳しい現状に、自分は将来、子どもは産まない方がいいのかもしれないと思うこともあるという。それでも、どうすれば自分の国を維持していくことができるのかを考えたい、と語った。
テウエアさんらトゥンガルのメンバー7人は昨年ドバイで開かれた第28回気候変動枠組み条約締約国会議(COP28)に参加した。「先進国の人たちには、気候変動の影響についてもっと理解してもらって、問題に直面している国を支援してほしい。対症療法だけではなく、長期的な解決策として自然エネルギーへの移行などに力を入れてほしい」。テウエアさんはそう力を込めた。