トランプ政権でグローバルヘルスにはどんな影響が? 専門家の見方は
トランプ氏の2度目の米大統領就任が決まり、グローバルヘルス政策へも大きな影響が予想されます。グローバルヘルス・ガバナンスを専門とする詫摩佳代教授に聞きました。

トランプ氏の2度目の米大統領就任が決まり、グローバルヘルス政策へも大きな影響が予想されます。グローバルヘルス・ガバナンスを専門とする詫摩佳代教授に聞きました。
ドナルド・トランプ氏が2度目の米大統領に就任することが決まりました。「自国第一主義」を掲げるトランプ氏の大統領就任は、国際協力が重要なグローバルヘルス分野にも大きな影響を与えそうです。ワクチン懐疑派として知られるロバート・ケネディ・ジュニア氏を保健福祉省(HHS)の長官に指名するなど、就任前から注目されています。懸念されることや、途上国への影響などについて慶応義塾大法学部の詫摩佳代教授(グローバルヘルス・ガバナンス)に聞きました。
――トランプ氏の復権が決まりました。選挙期間中に訴えてきたことや、一次政権での取り組みを踏まえて、就任後どのようなことが起きそうでしょうか。
選挙戦でのトランプ陣営の主張で印象に残っているのは、バイデン現政権がウクライナ支援などに熱心に取り組んできたということを念頭に、国際協力に米国の税金が使われていると批判していた点です。そういう意味では、世界保健機関(WHO)などグローバルヘルスに直結する国際機関への資金の拠出は大きく減ることは間違いないでしょう。
また、人工妊娠中絶をめぐっても、影響は大きいです。一次政権では「メキシコシティー政策」と言って、中絶に関連する活動をするところには予算を与えない、ということをしました。二次政権ではこの問題に取り組む国連人口基金(UNFPA)への拠出額も減らされるのではないかと思われます。
バイデン政権が進めた、がんに関するイニシアチブなど、非感染症疾患も含めた取り組みも次々と切られていくことが予想されます。
また、締結に向けて議論が進む「パンデミック条約」の交渉から脱退することもほぼ確実でしょう。これによって、条約が目指す、パンデミック予防や発生時の対応のための国際的規範を強化する試みはかなり行き詰まる可能性はあります。
――コロナ禍に見舞われた一次政権の後半では、WHOからの脱退を国連に通知するなどしました。大統領に復権すると、国際社会にも大きな影響をもたらす可能性もあります。
米国は独裁国家ではなく、民主国家なので、トランプ氏の意向のままに全てがなるとは限りません。一次政権でも、連邦議会の抵抗にあうケースは目立ちました。実際に、国際機関などへの拠出額をめぐっても、トランプ氏が主張した額よりも削減が小規模に抑えられた例もありました。二次政権になってトランプ氏への権限をどこまで集中させるかを注視したいと思います。
また、トランプ氏は国際機関に猜疑(さいぎ)心を持っている人ですが、かといって孤立主義者ではありません。自分と仲の良いグループでやっていく、というような姿勢をとると思います。
一次政権でも、パンデミックの最中に、ヘルスセキュリティの観点からベトナムなどアジアの国や地域と関係を強化しました。アフリカ諸国とも「グローバルヘルス・セキュリティ・アジェンダ」を通じて関係を強化し、バイデン政権にも引き継がれました。
また、コロナワクチンの開発では、「オペレーション・ワープスピード」として莫大(ばくだい)な公的資金を投入しました。結果的に、ワクチン開発が未曽有のスピードで進んだ点は評価されるべきです。
――注目されるのが政権人事です。ワクチン懐疑派として知られるロバート・ケネディ・ジュニア氏を保健福祉省(HHS)長官に指名したことは波紋を広げています。
ケネディ氏は麻疹のワクチンと自閉症を結びつける言説やフッ化物の添加廃止や低温消毒されていない牛乳の飲用を勧めるなど、非科学的な主張をしてきた人です。非科学的な主張をする人物を高官に据えることは大きく懸念されます。
HHSは食品医療品局(FDA)も所管します。米国の公衆衛生施策は各州の権限が強いのですが、米国の動向は日本やヨーロッパなどの医薬品の承認・審査の動向にも影響を与える可能性があります。HHS長官に就任したら一部のワクチンを禁止する可能性もあります。
目に見える実害の他にも、科学の軽視が広がることも懸念されます。保健分野における国際協力の長い歴史の根底にある、科学や科学者への敬意を覆す可能性があります。こうした協力があってこそ、医薬品やワクチンが生み出されて、人の健康を守ってきました。その意味では、この人事は単なる政権の一つの人事を超えた意味を持つと思います。
――米国はWHOや世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)、Gaviワクチンアライアンスなどへの多額の資金拠出国であり、協力が縮小されれば影響は米国内にとどまりません。
今まで米国が出してきたお金は、すごく大きな額だった、というのは事実です。仮にトランプ政権になって米国がそれを止めるとなったときに、その穴埋めをどこができるのか、というのは大きな問題だと思います。
一次政権でWHOへの拠出額を減らした際には、特にドイツが拠出額を増やし、その穴埋めをしました。ただ、この4年間で各国の状況は変わり、財政赤字やインフレ、右派の台頭など、今回同じようなことができるかは見通せません。
中国が穴埋めする、という見方もありますが、そもそも中国のWHOへの出資割合は低いです。国際協力より、ワクチン外交や「一帯一路」のような、自らが主導権を握る取り組みに予算を充てる傾向にあり、穴埋めになるほどの拠出金の可能性は否定的に見ています。
そういう意味では、今後地球規模で課題に取り組むことが難しくなり、米国グループ、中国グループなど陣営ごとに課題に取り組む「ブロック化」が進んでいくのではないかと見ています。
――途上国や支援を必要とする現場では、どのような影響が懸念されるでしょうか。
最初に思い浮かぶのは、戦闘が続くパレスチナ・ガザ地区です。ポリオワクチンの接種はユニセフやWHOを始めとする国際機関からの支援があって進められてきましたが、今後は状況が変わることが心配されます。ウクライナも同じです。戦争状態にある国や地域で暮らさざるを得ない人々の健康は、国際機関の支援が支えてきた部分は大きい。その部分が立ちゆかなくなる恐れはあります。
また、リプロダクティブヘルス(性と生殖に関する健康)や母子保健の分野でも、UNFPAへの拠出額が減ると、世界的に悪いインパクトをもたらすことが考えられます。救えるはずの命が失われる事態にもなりかねません。
感染症対策でもグローバルファンドが取り組むHIVやマラリア、結核という課題について、トランプ政権の優先順位はさほど高くないと思われるので、支援は縮小していくことが予測されます。これで特に大きな打撃を受けるのはアフリカ諸国です。
――不確実性が増す中で、日本政府や国際社会、業界団体などはどのように対処したらよいでしょうか。
今年2月に米疾病対策センター(CDC)の東アジア・太平洋地域オフィスが東京の米国大使館に開設されました。来春には日本版のCDCと言われる国立健康危機管理研究機構ができます。両者の連携がどこまで進むかは注目されます。トランプ氏は安全保障としての健康課題には敏感なので、「中国発の感染症を防ぐ上で重要」と認識してこの部分は継続するのではないかと見ています。
また、現状あまり機能していませんが、安倍元首相が提唱したASEAN感染症対策センターとも連携をしっかりして、日本がアジア・太平洋地域の国々と協力を固めていくべきだと思います。
一方で、アフリカなど日本から遠い国の問題には無関心でいいかというと、そうではありません。規範やルールを共有する意味で、パンデミック条約をしっかりと前に進めることも大事だと考えます。
パンデミック条約の交渉では、製薬会社やNGOなどの主張も反映される部分がありました。しっかりと声を上げる市民社会組織や業界団体、慈善財団などの役割もますます重要になってくると思います。
たくま・かよ 1981年広島県生まれ、京都市出身。2005年東京大学法学部第三類(政治コース)卒業、2010年東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻国際関係論博士課程単位取得退学。博士(学術)。東京大学東洋文化研究所助教、東京都立大学法学部教授、フランス国立社会科学高等研究院(EHESS:École des hautes études en sciences sociales)訪問研究員などを経て、2024年4月から慶応義塾大学法学部教授。専門は国際政治、グローバル・ヘルス・ガバナンス。著書に『グローバル感染症の行方――分断が進む世界で重層化するヘルス・ガバナンス』(明石書店、2024年)など。