東南アジア有数の穀倉地帯を抱えるベトナムで、気候変動や世界経済の動向が農業に変化をもたらしている。ベトナムを拠点に農業支援を続ける伊能まゆさん(特定非営利活動法人「Seed to Table」代表)は、地域の特性や環境を維持しながら人々の暮らしを豊かにする方法を、長年にわたり現場で模索している。伊能さんが見た農村の変化、ベトナム社会の変化とは。

農村に見るベトナムの底力とは

これまで幾度となく聞かれた、「なぜベトナムに住み、NGOの仕事をするようになったのですか?」という質問。質問してくださる方の多くは「ベトナムに恋をしたからでしょう?」と思っているし、そういう回答を期待している。しかし、私とベトナムの関係は「恋」という、かわいらしい言葉では語れない、愛憎が入り交じる複雑な関係なのだ。

農村での人々とのやり取りは、日々、真剣勝負である。人々の自我、欲望、プライドが渦巻く中、対象地域で環境保全や社会・経済の発展につながる良い方法を模索して共通の目標を達成し、それが個人の目標達成にもつながることを示さなければならない。近年の気候変動や世界経済の影響は、ベトナムの農村にも確実に及んでおり、状況が変化する中で、私は常に試され、次に目指す方向性を求められ、決定しなければならない。そういう日々を過ごしているうちに、いつしかベトナムは私にとって、ある種の「戦場」となり、第二の故郷となった。そして、気が付いたら長い年月をベトナムの農村で過ごしていた。

ベトナムの農村の魅力とは何か。一言で言うとすれば、人である。

農村に住んでいる人々が織りなす人間模様、協働や意思決定の方法を知ることは、その地域の社会がどのように動いているのかを知る手がかりとなる。特におばちゃんたちと仲良くなり、井戸端会議に加わることで、その地域の社会をより深く理解することができる。ベトナムの農村で出会う女性たちは、どこに行っても元気でたくましく、それでいて、たおやかで繊細である。彼女たちが笑うと、一人ひとり、個性が違う花が咲いているように見えて美しい。それぞれが家庭の事情や経済的な困難を抱えながらも、前を向いて自分の足でしっかりと歩んでいる姿に私自身、何度となく励まされた。

また、おじちゃんたちもおばちゃんたちに負けず、魅力的である。普段はシャツと短パン姿で冗談を言いながらお茶を飲み、くったくのない笑顔を見せる彼らだが、緊急事態になると人が変わったように目が鋭くなり、全身に気迫がみなぎるのである。私はベトナムの農村で、ベトナムの底力を理解した。

もう一点、ベトナムの農村の魅力について特筆すべきは、その風景である。

ベトナムの農村の風景は、その細長い国土から、多様性に富んでいる。長い海岸線と山岳地域があり、気候も北部、中部、南部では異なる。山岳地域には多くの少数民族が暮らし、彼らは独自の生活様式、食文化、農業技術を持つ。稲作を行う民族が住む地域は、遠くに豊かな森が見え、谷底には小さい川が流れている。集落に近い傾斜地には豆類や雑穀、トウモロコシ、果樹などが植えられている他、何世代もかけて築いてきた立派な棚田が続く。くねくねと曲がる山道を行った先に見える光景は、さながら里山を持つかつての日本の農村のようである。

また、穀倉地帯である北部の紅河デルタと南部のメコンデルタは、同じデルタ地帯でも全く様子が異なる。紅河デルタは古くから多くの人々が住み、水利を発達させ、稲作を営み、「王の法も村の垣根まで」と言われるほど強固な村社会を築いてきた。

一方、メコンデルタは母なるメコン川に抱かれ、一年を通じて気温の変化が少なく、広大な大地に対し人口が少ない。そのため、人々は豊かな自然の恵みを存分に享受でき、協働しなくても暮らしが成り立った。このこととメコンデルタでの人々の連帯が緩やかなこととは無関係ではないだろう。

地域発展の「黒衣」として

私の仕事は、対象となる地域の人々と共に、その地域の環境を守りながら人々の暮らしを維持・発展させ、次世代につなげていくために必要な活動を実施することである。これまでにベトナム北部山岳地域に住む少数民族や紅河デルタに住む農家の皆さん、南部にあるメコンデルタの農家の皆さんや中高生らと共に活動を実施してきた。

「よそ者」である私たちが農村に入るということは、その地域の社会・経済状況にわずかであっても影響を及ぼす可能性があるため、「入り方」には十分な注意が必要だ。私たちが入ったことにより、その地域の人間関係が悪化したり、不平等が広がったりすることは避けなければならない。また、地域の自然を守り、暮らしを安定させ、経済を発展させていく主体はその地域の人々である。私たちの役割は、地域の人々が願いや希望をどのように実現できるのかを共に考え、協力していくことである。あくまでも「黒衣」に徹し、地域の人々が主体的に実施できるようサポートする。

活動の実施方法については、ベトナムの政治体制上、外国の団体が農村で支援を行う場合、政府機関をパートナーとする必要がある。私たちの場合、対象地域となる各省(日本の都道府県にあたる)の農業・農村開発局や農業普及センターをパートナーとして、事前調査を行い、その後も二人三脚で活動を実施する。

実際の活動を行う前に現地を訪問し、その地域の人々と話し合い、目標を確認する。活動を実施してからも定期的に現地を訪問し、人々と話し合うことを怠らない。なぜなら、日々の活動において生じる問題に対し、地域の人々と共に知恵を絞って解決していくプロセスこそが真に地域の人々の主体者としての意識を高める。そして地域の人々が協力することの必要性を学び、私たちの活動が終了した後も主体的に活動に取り組んでいけるようになるからである。

「アヒル銀行」、「牛銀行」

具体的な事例を見ていこう。メコンデルタでは2009年から訪問を重ね、2011年からベンチェ省で持続的農業の実践による貧困世帯の生計改善に取り組み始めた。実はベンチェ省との最初の縁は「アヒル農法」であった。アヒル農法は日本でアイガモ農法として知られる、農薬や化成肥料を使わず、アイガモやアヒルを水田に放すことで除草や病害虫の予防をしながら、同じ面積の水田からコメだけではなくカモ肉も得られるという優れた農法である。

環境保全型のアヒル農法を普及することで地域の環境保全と小規模農家の生計向上を目指そうと考え、ベンチェ省に出かけたが、現地の状況は机上で考えたものとは異なった。アヒル農法を実践するには水田が必要だが、水田を所有している世帯は経済的にゆとりのある世帯で、私が支援対象と想定していた経済的に困難な小規模農家ではなかった。小規模農家の多くは農地を手放し、日雇い労働者になったり、出稼ぎに出かけたりしていた。その多くは経済的に困難な世帯であった。私は土地なし層がかなりいたことに衝撃を受けた。なぜなら、私が長く関わっていた北部地域では、世帯あたりの経営面積は小さいが、小さくても土地を維持しており、土地なし層はほとんど存在しなかったからだ。

この現実を知り、急きょ、アヒル農法の普及ではなく、貧困世帯に対する支援を行うべく世帯調査を行った。その結果から、貧困世帯に対し、プランターなどを用いた家庭菜園を紹介し、「アヒル銀行」や「牛銀行」をつくってアヒルや牛を貸し出す活動を開始した。活動の最終評価時には活動に参加した約6割の世帯が貧困から脱却した。この活動は後にベンチェ省の貧困削減政策の柱に据えられ、応用されていった。

変わる消費者の意識

また、ベトナムが経済成長して人々が裕福になるにつれ、食の安全への関心が高まってきた。消費者は誰がどこでどのようにして作った農産物なのか、品質と情報を求めるようになり、生産者である農家も対応を迫られるようになった。こうした状況を鑑み、有機農業と参加型保証制度(Participatory Guarantee System、略してPGS。農産物の品質を保証し、透明で公平な農産物のバリューチェーンを構築するためのシステム。国際有機農業運動連盟より承認されているベトナムPGS有機スタンダードに沿ってPGSに登録している農家グループを検査し、有機認証を出す)をメコンデルタのベンチェ省とドンタップ省の小規模農家へ紹介し、実践している。有機農法で作られた野菜は、通常の農法のものの2、3倍の値段で販売されるため、小規模農家の収入向上につながっている。

この他、学校菜園を設置し、中高生が有機農業を学び、有機野菜を育てて販売する活動も行っている。この活動は若い世代に農業への関心を持ってもらい、将来、環境に配慮した農法を実践する農家や企業を増やすこと、そして、そういう生産者を応援できる消費者を育てることを目的としている。

学校菜園に取り組んだ中学生から活動の記録を受け取る筆者=2022年4月、ドンタップ省ホング郡で。筆者提供

また、学校菜園で採れた有機野菜を活用し、ホーチミン市のシェフグループ、食文化研究家、有機農産物加工業者の皆さんの協力を得て、伝統食を作るワークショップや添加物を使わない食品加工について学ぶ機会を設けている。このような活動を加えた理由は、生徒たちが慣れ親しんでいる地域の食文化が、それを育む地域の自然と農業を守ることにより維持されていることを認識して欲しかったためである。

シェフグループの協力による学校菜園の野菜を使った伝統食づくり=2022年11月、ドンタップ省タップムオイ郡で。筆者提供

気候変動と農業離れ

ベトナムでは人口の35%が農業に携わっているとされているが、農産物の値段が安く、また、気候変動の影響で農業を続けることのリスクが高まっていることから、農業離れが進んでいる。農村での労働力不足は深刻で、各省の農業・農村開発局や農業普及センターなどの専門機関における人材不足もまた深刻である。農学部へ進学する学生も年々、減り続けているという。

日本人専門家によるマンゴー加工研修の様子=2023年8月、ドンタップ省のコミュニティー高専で。筆者提供

このような現象は、経済が進めばどこの国でも見られるが、近年、気候変動のリスクが、農業離れの速度を速めていることを重く受け止める必要がある。これまでメコンデルタは一年が二つの季節、すなわち、雨期と乾期に分かれており、生態系も人々の暮らしも、そのサイクルに適応するよう作られてきた。しかし困ったことに、最近は天候が毎年、異なり、農家は対応に苦慮している。私たちも天候に翻弄(ほんろう)される農家グループをどのように支援していけば良いのか、頭を悩ませている。有機農法を推進し、付加価値をつけていくと同時に加工品を作るなど、農家経営の多角化を促しながら、対象地域ごとに狭い地域で取り組める気候変動対策を考え、実践していく必要がある。

今後も試され、次の方向性を求められ、決定しなければならない日々は続きそうだ。

〈いのう・まゆ〉

特定非営利活動法人Seed to Table代表。1997年にベトナム・ハノイに留学。日本のNGOに勤めた後、2009年にSeed to Tableを設立。ベトナム北部の山岳地域やメコンデルタで農家と共に在来種の保全、環境保全型農業の推進、農産物加工と市場開拓、子供たちへの環境教育などに取り組んでいる。気候変動の影響が農業、農村、農家に顕著にみられるようになり、悩める日々を送っている。