気候変動対策として脱炭素を迫られている航空業界で、「切り札」と呼ばれているのがSAF(Sustainable Aviation Fuel、持続可能な航空燃料)です。既存の機体を改造せずに使え、石油からつくる従来のジェット燃料と比べ8割ほど二酸化炭素(CO₂)を減らせるといわれています。航空会社の需要が高まりSAF市場は活況になるなか、SAFをつくる原料の獲得競争が各地で繰り広げられています。熱を帯びる東南アジアの現場を取材しました。

「金のなる木」ポンガミアとは?

インドネシアの首都ジャカルタから車で約3時間。激しい渋滞を抜け、ジャワ島西部のバンテン州の海岸にたどり着いた。スマトラ島を望む遠浅のおだやかな海。海岸には南国らしいバナナやココナツ、パーム(アブラヤシ)の木が生い茂る。

日本から訪れたベンチャー企業「P2X」取締役の宝沢賢寿さん(43)は、ある木がここに自生するという情報を聞きつけてやってきた。砂浜のそばで見つけたその木の高さは10メートルほどで、手のひら大の深緑の葉を広げる。枝からぶら下がる6センチほどの実を観察した宝沢さんがつぶやく。「実がたくさんついている。これは良いかも」。地面に落ちたさやを開き、種子の数や大きさを確かめていた。

SAFの原料として期待されるポンガミア=2024年1月14日、インドネシア・バンテン州、筆者撮影

ポンガミアと呼ばれるこの木を知る人はインドネシアでも少ない。一部でアイアンツリーと呼ばれ、堅い材質を生かした舟や家具をつくる地域があるほか、沖縄などで防潮林として植えられているケースはある。ただ、商業目的で栽培されることはほとんどなかった。ところが、いま「金のなる木」としてにわかに注目を集めている。SAFの原料になる可能性があるからだ。

原料としての可能性を感じた宝沢さんは数年前からタイ、インドネシアなど東南アジアを飛び回っている。ポンガミアは成長の速さや種子の油の含有量の差が大きいため、より大きく成長し、たっぷりと油を含む「エリート株」を探している。

国連の専門機関「国際民間航空機関(ICAO)」は2024年から先進国の航空会社を対象に、国際線のCO₂排出量を2019年比で15%削減することを義務づけた。電気や水素燃料の旅客機はまだなく、脱炭素の手段は限られるだけに、SAFは重要な役割を担う。だが、SAFは2020年の供給量が世界の需要に対し1%未満で、将来の需要増加に備えるために、新たな原料の開拓は不可欠だ。

マメ科のポンガミアは、さやのなかに親指より少し大きい茶色の種子が1~3個入り、油分を豊富に含む。P2X社の計画では、1ヘクタールあたり約5トンの油がとれるという。

SAFの原料として期待されるポンガミアの種子=2024年1月14日、インドネシア・バンテン州、筆者撮影

ポンガミアの利点は、その性質にある。

SAFの原料にはトウモロコシやサトウキビもなり得るが、「食べるものを燃料にしていいのか」という批判がある。EUは児童労働の問題などが指摘されるパーム油も制限している。一方、ポンガミアの種子には毒性があるため、食べられない。種子は海を漂い、たどり着いた海岸に根を下ろすことも多い。塩害にも強く、荒れ地でも育つため、野菜などを育てる畑の転作も避けられる。

2017年に事業を始めたP2X社はタイとインドネシアに計4カ所の育苗場を持ち、ポンガミアの株の販売を手がけている。昨年初めてポンガミアの売買契約を結び、本格的に売り上げが立った。契約した国内外の2社はいずれもSAFの原料として栽培する計画だ。国内の石油元売り企業からも引き合いが来ているという。

社長の岡部威さん(41)は「事業開始当初は詐欺だと思われた。燃料にまつわる投資詐欺は少なくなく、疑いの目でみられた」と振り返る。ただ、ここ数年、SAFの市場が広がり始めたことで、状況は一変。現在のところポンガミアを商用に栽培する企業は米国などを除いて見当たらず、「ブルーオーシャン」といえる環境だ。エリート株の販売事業に加え、ゆくゆくは自前で搾油事業に乗り出すことも考えている。搾油後の実の搾りかすは家畜の飼料に、剪定(せんてい)した枝やさやは、石炭由来のコークスの代替となるバイオコークスに活用するアイデアもある。「いま来ている話がすべてまとまれば、年間500億円の売り上げも夢ではない」と期待する。

こうした食料と競合しない「非可食燃料」の栽培に、企業が続々と乗り出している。米カリフォルニア州に本社を置くタービバは、ハワイなどでポンガミアの研究・栽培を手がけている。食品メーカーのJ-オイルミルズと出光興産は、豪クイーンズランド州でポンガミアの実証栽培を始める計画だ。バイオ燃料を手がけるレボインターナショナルはベトナムで、「ジャトロファ」と呼ばれる非可食植物を、2008年から試験栽培している。

SAF市場の成長を見据え、「金のなる木」の開発競争も加速している。

捨てる油がお金に変わる

私たちの生活に身近な料理に使った後の油も、SAFの原料として争奪戦の様相を呈している。

マレーシアの首都クアラルンプール郊外のショッピングセンター。フードコートにはバナナの葉で三角形に包まれた郷土料理ナシレマやホットドッグなどを提供する17店舗が並び、店ごとに仕切られたキッチンスペースがある。

昼下がりのキッチンで各店舗の調理人たちがせわしなく働くなか、施設の運営会社の従業員ファイズ・イムブロンさん(27)のスマートフォンにアプリの通知が届いた。「request successful(受け付け完了)」

ほどなく陽気なキャラクターの絵が描かれた小型タンクローリーが、フードコートのテラス席が並ぶ車寄せに到着した。料理に使われた廃食油が詰まったコンテナを、作業員たちが車のそばまで運ぶ。車のタンクにホースでつながった吸引器をコンテナに突っ込み、バキュームカーの要領で廃食油をタンクに移していく。作業完了の証拠として空のコンテナの写真を撮り、ものの15分で作業は終了。タンクローリーは次の店に向け、走り去っていった。

フードコート運営会社オペレーションマネジャーのナズミ・アフェンディさん(37)は「ゴミになるはずの廃食油がお金にかわり、運営費用の一部に回せる。こんなに良いことはないね」と満足げだ。各店舗から出る油を集めると、月間で2~3トンにのぼる。全量を回収業者に買い取ってもらっていて、月6000~9000リンギット(約19万~28万円)の収入になるという。

回収を手がけるファットホープス・エナジー社の創業者で最高経営責任者(CEO)のビネシュ・シンハさん(35)は「回収した廃食油は石油元売り業者に販売しているが、元売りはそれをSAFなどの原料にしている。SAFの需要の高まりで廃食油の量は全然足りていない。いまの100倍に回収量を増やしても、残さず売り切れる」と説明する。

マレーシアなどで廃食油の回収を手がけるファットホープス・エナジー社のビネシュ・シンハCEO=2024年1月16日、マレーシア・セランゴール州、筆者撮影

現在、SAFの主要な原料である廃食油は世界で争奪戦になっている。日本の全国油脂事業協同組合連合会によると、廃食油の取引市場はないため国ごとに価格の差が大きいが、現在の世界での取引価格は1トンあたり12万~18万円台に達しており、2年前の2倍以上の水準だという。高値で売れる廃食油を集めようと、日本では銀座などの繁華街で店先に置かれた廃食油入りの一斗缶が盗まれたり、海外では新品のパーム油が廃食油として売られたりする有り様だ。

ファット社の回収網は自国にとどまらない。シンガポール、インドネシア、ブルネイ、タイ、フィリピンの40拠点に拡大している。回収量はコロナ禍の2020年を除き、前年比8~10%のペースで伸ばしている。

自社開発したアプリも強みだ。ファット社はマクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどの店舗だけでなく、屋台や家庭からも廃食油を回収している。回収量が多い事業者からはアプリを通して回収依頼を受け付け、タンクローリーで引き取りに行く。個人事業主や家庭には、ファット社の各拠点に持ってきてもらい、置いてあるタンクに自分で移してもらうが、回収量はアプリで管理する。廃食油の買い取り価格はパーム油の市場価格と連動しているため、売る方ももらえる金額が分かりやすく納得感があり、好評だ。

シンハさんが事業を始めたのは2007年。「当時は廃食油なんて見向きもされなかった」。当時、自動車向けのバイオ燃料の原料は、パーム油や大豆が主流だった。廃食油の処理技術はまだ確立されておらず、既存の自動車や飛行機のエンジンに使えるかどうかもはっきりしていなかった。

起業のきっかけは、10代のころに見た英BBCの人気テレビ番組「トップ・ギア」。自動車を使った様々な実験にチャレンジする番組で、あるとき自動車に廃食油を入れて英国内を走行する企画が放映された。それを見たシンハさんは、父親から譲ってもらった20年ものの三菱パジェロに、廃食油とディーゼル燃料を混ぜ給油すると、無事走った。不純物が原因か数日後に不具合もあったため、濾過(ろか)技術を高めることにした。家族や友人にも頼まれるようになり、「これはビジネスになるのでは」と感じた。

英国留学から帰国後、シンハさんは友人たちと事業を始めた。自らトラックを運転して朝から街を回って廃食油を集め、夕方に戻ったあとは夜通し濾過などの処理作業にあたり、処理を終えたものを業者に売った。当初は自転車操業だったが、赤字だったのは創業1年目だけで、廃食油の需要の高まりを追い風に以降は成長を続けている。

シンハさんは力を込める。「かつて鯨油が原料だったように、エネルギー源は置き換わっていく。人口密度の高い東南アジアでは、廃食油が重要な資源の一つだ」

最大手の強みは60カ国500社以上の調達網

そんな廃食油が世界中から集まるところ、それがシンガポールだ。SAF製造で世界最大手のフィンランド企業「ネステ」が工場を構え、航空機を飛ばすSAFに生まれ変わらせている。

船形の展望デッキで知られる統合型リゾート「マリーナベイ・サンズ」がある中心部から車で40~50分の海岸沿いに広がるジュロン工業地区に、その工場は立つ。敷地内には「FEEDSTOCK(原料)」と書かれた真新しい巨大なタンクが8基並ぶ。昨春に拡張工事を終え、配管が銀色に輝いている。世界中から集められた廃食油や獣脂などが混ざり合った独特のにおいが漂う。

持続可能な航空燃料(SAF)製造の最大手ネステの工場=2024年1月12日、シンガポール西部、筆者撮影

ネステの工場を、アジア太平洋地域のSAF事業を統括するサミ・ヤウヒアイネンさん(44)が案内してくれた。ここで製造したSAFは、工場のそばに接岸するタンカーで輸出される。世界の他の工場で製造されたものとともに、英ヒースロー、オランダのスキポール、羽田・成田など世界中の空港に送り出しているという。

2023年の世界全体のSAF生産量は50万トンとされ、その多くをネステが担う。シンガポールの工場だけで年100万トンの生産能力をもち、オランダのロッテルダムの拡張工事が終われば、世界全体で220万トンになる予定だ。

SAF製造最大手のネステでアジア太平洋地域のSAF事業を統括するサミ・ヤウヒアイネンさん=2024年1月12日、シンガポール西部、筆者撮影

ネステはもともとフィンランドの国営石油会社だった。第2次世界大戦後に設立され、国内向けにガソリンなどを販売してきた。ロシアなどから原油を仕入れていたが、品質は良いとはいえず、製油技術を磨くことで対応してきた。その後、さまざまな油脂から不要な成分を取り除き、高品質な燃料や化成品の原料を生み出すことができる技術を開発。1997年に特許を取得したが、当時は使い道が見いだせず、しばらく眠っていた。

その技術が日の目をみたのは、2000年代に欧州連合(EU)がバイオ燃料の利用目標を示したことがきっかけだ。当初2%の利用が目標とされ、段階的に引き上げるものだった。米カリフォルニア州でも同様の動きが見られた。ネステはこの技術を使ったバイオ燃料事業への投資を決め、2007年に完成したフィンランドの小規模なバイオ燃料工場を皮切りに、シンガポール、ロッテルダムにバイオ燃料工場を建設。2011年にはSAFの製造に着手した。

2013年ごろにSAFを含むバイオ燃料事業は黒字転換。仏エールフランス、独ルフトハンザ、米ユナイテッドといった世界の主要航空会社など70社が供給先だ。供給量が限られる廃食油の確保が、SAF製造のカギを握る。ネステは先駆者のアドバンテージを生かし、獣脂などの原料も含め60カ国500社以上から調達するネットワークを持つ。

SAFの価格は現在、従来のジェット燃料価格の3~5倍にのぼる。生産量の増加によって製造コストは下がると航空会社は期待するが、SAFの供給量を高めるには新しい技術開発も不可欠で、それには初期投資も必要だ。結果的には「SAFは既存のジェット燃料より高いままとどまるだろう」とヤウヒアイネンさんはみる。

ネステは祖業である石油精製事業から2030年代半ばまでに撤退することを決めた。SAFなどバイオ燃料の製造に集中することになるが、ヤウヒアイネンさんは「コロナ禍を経て、以前よりもフライトの必要性と経済性を考えるようになっている。だからといって、我々の社会は飛ぶことを止められるわけではない。様々な手段で環境負荷を低減しなければならないが、その中でSAFは重要な役割を果たし続ける」と自信をみせる。