大気汚染はみんなの問題 東欧で進む、意識高める「仕掛け」とは
大気汚染といえば、途上国の問題。そんな人々の意識を変えたい。東欧のルーマニアやセルビアで、ユニークな「仕掛け」が登場しています。

大気汚染といえば、途上国の問題。そんな人々の意識を変えたい。東欧のルーマニアやセルビアで、ユニークな「仕掛け」が登場しています。
欧米や日本など先進国で、大気汚染は既に克服した「過去の問題」と捉えられがちだ。だが、世界保健機関(WHO)の目標値から見ると、先進国も含む世界のほとんどの人々が基準を超えた空気の中に住んでいる。実際に、人々の生活に影響を与えているケースもある東欧では、大気汚染への意識を高めようと、NGOなどによる取り組みが始まっている。
2019年には世界人口の99%が、WHOの定めるPM2.5の目標値(年間平均1立方メートルあたり5マイクログラム以下)を超える「不健康」な空気の中に住んでいた。
大気の状況は、先進国の中でも「格差」がある。シカゴ大エネルギー政策研究所は、2023年の大気汚染と寿命に関する報告書で、欧州内でも、ドイツやフランスなど西側16カ国(2021年、同9.5マイクログラム)より、ポーランドやルーマニアなど東側25カ国(2021年、同15.5マイクログラム)のほうがPM2.5の濃度が約1.6倍高く、汚染によって失っている寿命は西側の約2.3倍にあたる1年になると指摘した。
スイスの空気清浄機メーカー「IQAir」の2023年の調査では、PM2.5のデータがある134カ国・地域のうち、汚染度の高い上位はアジアやアフリカの国や地域が占めた一方、欧州ではボスニア・ヘルツェゴビナ(27位)、アルメニア(31)、北マケドニア(32)、モンテネグロ(41)、セルビア(43)と東欧の国々が並んだ。EU加盟27カ国の中では、ギリシャ(57)、ルーマニア(67)と続く。(ちなみに中国は19位、韓国50位、ロシア94位、日本96位、米国102位だった)
欧州における大気汚染の「東西格差」の要因には、法整備や執行の問題のほか、特に冬場の低品質の石炭暖房などが挙げられる。
AP通信によると、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは2023年12月、IQAirの大気汚染のリアルタイムの都市別ランキングで、「世界で最も汚染された都市」に2日連続でランクインした。
同通信は、地元住民の声として、「仕事に行くために外へ出て毒を吸わなければならず、泣きたい気分だった。当局の対応は遅すぎで、(汚染が)私たちを殺している」と伝えた。
大気汚染の主な原因として、汚染物質をより多く排出する古い自動車の利用や、暖房用の石炭やまきの使用、大気の流れを遮る高層ビルの増加などが指摘される。
国連児童基金(ユニセフ)セルビア事務所などが支援する、大気汚染に関するセルビアの若者のネットワーク「Youth4Air」のメンバーは、地元である西部の都市ウジツェの冬について、「人々は家庭の暖房のために石炭や湿った木材、古い皮革、さらにはタイヤまで燃やす。それらによって生じるスモッグは、30メートル先の視界ですら遮り、言葉で言い表せないほどのひどい悪臭を放つ」と説明。このような状況が、毎年11月から3月ごろまで続くという。
英紙ガーディアンなどによると、ベオグラード市は2023年8月、子どもたちを有害な大気から守るための試みとして、学校や幼稚園に設置する空気清浄機1万1500台の入札を行ったという。
そんな中、欧州では、人々の意識を高めるさまざまな「仕掛け」も動き出している。
ルーマニアの首都ブカレストから鉄道で東へ2時間あまり。黒海沿いの港町コンスタンツァのビーチを4月下旬、訪ねた。
目指したのは巨大な壁画。高台との高低差約10メートル、幅200メートルほどのコンクリートのキャンバスは、黄色やオレンジ、水色など柔らかな色合いで彩られ、中央には双眼鏡をのぞく人物の顔が高さいっぱいに描かれている。観光客なのだろうか、リゾート風の装いにも見える。視線の先、レンズに映る黒海には、プラスチックのゴミや瓶が浮かんでいて――。
ルーマニアの環境NGO「Act for Tomorrow」(AfT)が2021年9月に制作した、世界最大の「空気をきれいにする壁画」だ。
光触媒の技術で空気をきれいにするという特殊な塗料「エアライト」で描かれた。欧州連合(EU)の研究・イノベーションへの資金助成プログラムのもと開発されたイタリア企業の製品で、窒素酸化物を化学反応で無害化したり、硫黄酸化物を吸収したり、ベンゼンやトルエンなどの揮発性有機化合物を分解するなど、「大気汚染物質を最大90%除去する効果がある」とうたう。
コンスタンツァの約2千平方メートルの壁画では、年間112キログラムの窒素酸化物を無害化するなど、樹木88本分に相当する空気浄化の効果が期待できるとされる。
きっかけは2019年。AfTの代表が、エアライトを使ったローマの壁画をニュースで知り、ルーマニアでもと考えた。北部の都市バカウで地元のアート系NGOと進めていたプロジェクトで国内発の空気をきれいにする壁画を制作。2021年にはコンスタンツァで、水質保全を訴えるキャンペーンの一環として「世界最大」を手がけた。
作者でコンスタンツァ出身のアーティスト、アレックス・バーチューさん(38)は「表面的には見えにくい環境問題についても、一歩踏み出して考えてほしい。そんなメッセージを込めた」。メディアやSNSでも大きく取り上げられたという。
同様の壁画はイタリアや英国、メキシコなどでも描かれているが、ルーマニアで数多く誕生している。AfTはこれまでにバカウで10作品、コンスタンツァと西部アルバ・ユリアで各1作品の計12作品を手がけ、他の団体による取り組みも出てきている。
AfTの広報担当アンドレア・ペトルツさん(34)は背景として、第2次世界大戦後、1947年から1989年まで続いた共産主義体制時代に造られた無機質なコンクリートの建物群の存在を指摘する。
「壁画プロジェクトは灰色の街に彩りを与え、コミュニティーをつくり、きれいな空気を生み出す。建て替えるお金や木を植えるスペースがなくても、壁を塗ることはできる。様々な社会的メッセージを発信することもできるし、おのずと大気汚染を考えるきっかけにもなる。最善の解決策の一つだと思う」
ルーマニアの西隣、欧州連合(EU)入りをめざすセルビアでは、大気汚染に対抗する策として、「液体街路樹」が登場した。
首都ベオグラード中心部を訪ねると、大通りの歩道の端に、バス停のような、ベンチのついた緑色の大きな水槽が現れた。木を植えるスペースがない都市部で街路樹の代替案として開発された「Liquid3(リキッド・ツリー)」だ。
水槽に炭素の固定化や酸素生成に優れた微細藻類を入れ、外気を送り込む。光合成で二酸化炭素から酸素を生みだし、同時に、鉛やカドミウムといった大気中の汚染物質を吸着する。
「2平方メートルの設置面積で、樹齢20年ほどの木と同じくらい光合成する上、PM2.5などの浄化にも効果的だ」。開発チームの一人で、微細藻類を研究するベオグラード大のイヴァン・スパソイェビツ教授(47)がツリーの前で説明した。
月1回、メンテナンスとして水槽内の水の95%を、藻ごと取り換える。徐々に藻が成長し、水槽全体が明るい黄緑色から暗く濃い緑色に変化する。この日は「水を取り換えて10日目くらい」だという。
研究では、1カ月で大気中から0.4~0.9キログラムの炭素を固定化し、鉛158マイクログラムやアルミニウム2万5305マイクログラムなどを除去した。藻が集めた重金属類は土中の濃度と比べるとわずかなため、古い水は植物にまくなど再利用することができるのだという。
国連開発計画(UNDP)の大気汚染対策プロジェクトを募集する呼びかけに、微細藻類を街中に置いてみようと着想。建築など他分野の研究者らとチームをつくり、議論や実験を重ねた。
普通の水で育ち、水槽にへばりつかず、丈夫で成長が速く、見た目やにおいも悪くない最適な藻はどれか。光合成のために光が必要だから、透明なガラス製にしよう。制作費がかさむから水槽は円柱ではなく立方体に。街中に溶け込み、人々に使ってもらえるよう、ベンチや電源機能をつけよう……。
「私だけだったら、デザインなんて考えず、道ばたにタンクを置いておしまいだっただろう。学際的なチームでデザインや機能性について議論を重ね、リキッド・ツリーを生み出すことができた」
2021年9月に試作モデルを設置。ソーラーパネルも備えたガラス製の水槽はこの2年半、壊されることなく街の中心部で、携帯電話の充電場所として、街灯として、ベンチとして、そして大気をきれいにする装置として、動き続けている。息子と一緒に通りかかったドラギッツァ・バラチさん(44)は「空気をきれいにし、見た目も美しい。良いアイデアだと思う」と誇らしげに言った。
今年1月、国内で新たに2台を設置した。EUへの輸出の準備も進め、世界銀行の支援でさらなる効果測定や会社設立も視野に入れる。スパソイェビツ教授のもとには、日本からの問い合わせもあるという。
「大気汚染が重要な問題であるという気づきや、解決策があるという希望につながればと願っている」