対話を重ね「自力」を引き出す 農業開発に伴走するNGOの手法とは
セネガルで、村人たちと共に持続的な農業開発に取り組む日本のNGOがあります。彼らは農民たちととことん対話して解決策を引き出します。回り道にも見えるその手法とは?

セネガルで、村人たちと共に持続的な農業開発に取り組む日本のNGOがあります。彼らは農民たちととことん対話して解決策を引き出します。回り道にも見えるその手法とは?
アフリカ大陸の最西端の国、セネガル。日本の途上国援助(ODA)の現場を訪ねるシリーズは、前編「変わるODA、現場はいま セネガルで広める『人間的なお産』とは」、中編「国民皆保険」定着するか セネガルの現場でみるODAの現状と課題」に続き、後編は、当事者が対話を通じた気づきから学びを得る、NGOの新しい国際協力の形を、シニアエディターの藤谷健が報告します。
首都ダカールを離れ、ひたすら南に車を走らせる。外気温は40度近い。乾期ということもあり、周りの緑は次第に少なくなっていく。一路目指すのは、首都から130キロほど南東にあるティエス州ンブール県。街を抜けると、道は、潅木(かんぼく)がまだらに生える赤茶けた大地が広がる中を、ほぼ真っすぐに走る。このままどこまでも行けそうな錯覚に陥る。すれ違う車の数は減り、代わりにロバがひく木製のカートが時々行き交うようになってきた。
高速道路、国道、一般道を走りつなぎ、2時間余りで目的のンディアンダ村に着く。村の入り口には、防砂、あるいは防犯のためか、れんがの塀が連なる。その手前にある小さな広場には、青々と生い茂った大樹がそびえ立ち、その木陰でプラスチックの椅子に座った住民たちが話に興じていた。
私たちを村に案内してくれたのは、日本のNGO「ムラのミライ」(本部・兵庫県西宮市)の現地駐在員、菊地綾乃さん。英国の大学院で開発学を修めた後、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊のプロジェクトで西アフリカ・ベナンの村で活動した。フランス語とセネガルで多く使われるウォロフ語が堪能だ。ダカール暮らしは6年を超える。菊地さんとともに住民の輪に加わった。
約800世帯が暮らすこの村では、多くが農業で生計を立てている。落花生や、タマネギ、ナス、トマト、ピーマン、オクラなどの野菜、ヒエなどの雑穀を栽培している。住民の一人、ジャン・トップさんの話では、何年も前から土壌の侵食や地下水の塩化が起き、作物の成長や収穫に影響が顕著に出るようになっていたという。「農業がジリ貧なので、若者が出稼ぎのために町に出て行くようになり、村の働き手が足りなくなるという悪循環が起きていた」と話す。
若者が村から都市、あるいは海外に出稼ぎにいくーー。万国共通とも言える悩みを抱えていたンディアンダ村とムラのミライの出会いは6年前に遡(さかのぼ)る。ムラのミライが2017年から、この村を含む三つの村の10代から20代の若者60人を対象にした研修を始めた。狙いは、いま自分たちを囲んでいる自然資源を持続的、効率的に活用しながら、農業で生計を立てられるようにすることだった。
ムラのミライは、前身の団体「ソムニード」時代を含め、30年の活動歴のある日本の国際協力NGOだ。同じ分野で活動する国内のNGOの多くが東京や大阪など大都市を拠点にするのに対し、飛驒高山に長い間本部を置き、活動を続けてきた。「地方の疲弊は、何も途上国に限った悩みではない」。ソムニードを立ち上げ、ムラのミライでインハウスコンサルタントを務める和田信明さん(73)の根底にある考え方だ。それゆえ「先進国」側の人間が考える「解決策」を「教える」という、国際協力にありがちな支援とは一線を画し、当事者である住民が主体的、自発的に答えを見つけるまで対話を通じて伴走するというユニークな手法を貫いている。これまでインドやネパール、インドネシアなどで実践を重ねてきた。
セネガルで新しくプロジェクトを始めるにあたり、こうした考え方に共鳴するセネガルのNGO「アンテルモンド」と出会った。代表を務めるママドゥ・ンジャイさん(74)は、西アフリカの最も大きな「老舗」NGOのひとつ、「エンダ・グラフ」のかつての主要メンバーの一人。2011年に派生する形でアンテルモンドを設立した。現場で活動を続ける中、セネガル政府の地方分権の取り組みとは裏腹に、農村の過疎化が進み、人々の暮らしの基盤がもろくなっていることに、ママドゥさんは危機感を募らせていた。「若者が豊かに暮らしていける村に変えていきたい」。こうした切実な思いが、二つの団体を結びつけた。
村民のジャンさんによると、ンディアンダ村は1990年代半ばに米国の政府援助機関、国際開発庁(USAID)から資金提供を受けて、農地改良などを行ったという。だが支援が終わると、農作が振るわない、元の状況に戻ってしまった。降水量が比較的多い北部や南部と比べ、この地域に対するその後の援助は、国内外問わず、ほとんどなかった。20年ぶりの外国からの支援。期待は高かった。
2017年2月から研修が始まった。だが参加した若者たちは拍子抜けした。「ムラのミライの和田さんからは、質問が続くだけで、何も教えてくれないのです」(ジャンさん)。
ファシリテーターを務めた和田さんと農民のやりとりを、ムラのミライのブログから一部引用するとーー。
農民 「僕たちは十分な水がないです。だから、水を節約するとか、ためるとか、ムリです」
和田さん 「 じゃあ、あなたたちはどれだけの水があるのか、知っている?」
農民 「いいえ」
和田さん 「知らなくて、どうやって『足りない』とか『節水できない』とか言えるの?」
ハッキリと答えられなかった農民たち。自分たちの村にどのくらいの水があり、どれだけの水を農業で使っているのかを知らない、ということに気づきました。
次に「太陽が昇ると何が起こる?」という質問が投げかけられました。農民たちは、「なんでそんなことを聞くのだろう」と思っていたかもしれません。けれど、この質問から一日の気温の変化と土中のエネルギー変化と水の動きの関係性へ、さらには作物の水やりに最適な時間帯について……と話が広がっていったのでした。基本原理を理解した農民たちは、今まで自分たちが水やりをしていた時間帯(午後2~3時)では、作物が十分に水を吸収しないため、水を無駄に多く使っていたことに気づいていきました。
和田さん 「 で、植物への水やりは、いつするのが良い?」
農民 「朝です」
こうして水やりの最適な時間は午前の早い時間帯であること、そうすれば水を効率的に使えるため、水を節約することができると気づき、理解したのです。
(中略)
研修後にモニタリングを重ねると、こんな言葉が聞かれました。
農民 「研修が始まる以前は、自分の都合のいい時間にいつでも水やりをしていた。1日2回水やりをしないと水が足りなくなると思っていた。それが、研修で朝に水やりをすると節約できると聞いてから実践してみて、驚いたことに1回の水やりで畑全体の水やりを終わらせることができた。やはり朝に水やりをするのがいいのだと実感している」
降水量が特に少なかった時に、水の節約を試してみた農民もいました。
農民 「藁(わら)のマルチ(筆者注:土壌表面の被膜)をすると手間が省けるーー雑草が少ないし、水やりの頻度も減らせると分かった。マルチで土を覆っておくと、ナス畑だとだいたい3日は水やりをしなくても土に水分が残っているね」
常に和田さんらファシリテーターの問いから始まる研修は、ファーマーズスクールと名付けられ、最初の1年間で5回実施された。1回あたり3日間前後をかける。扱うテーマは、水の保全や循環、土壌の性質と変容、連作障害、作業コストの計算など、多岐にわたった。時には紙に書き起こしてもらい、時には村の中を一緒に歩きながら、対話を続けた。降雨量が少なく、乾燥が進む村の農民たちに対して、農業技術に加えて、水資源や土地といった自然資源を持続的・効率的に管理・運営する能力を高めることを目指した。かつての村の様子を思い出すことで、数十年の間に何が起きているのか、そしてその原因を考えた。農民たちは自らの気づきや実践を通じて、学びを深めていった。
従前の国際協力のプロジェクトだったら、農民から「水がない」と訴えられれば、「井戸を作ってみませんか。その技術を教えましょう」というやりとりになるのかもしれない。ムラのミライの手法は、目の前で起きている現象だけにとらわれず、当事者自らが「なぜ(why)」と「どうする(how)」に気づくまでのプロセスを重視する。提案や助言はせず、対話を重ねることで、思い込みから逃れ、自らの経験からいま向き合っている問題や解決方法に気付くーー。一見すると、回り道に見えるプロセスだが、「自分たちが原因や対策を考え、自分たちでやる。その責任も自分たちが持つ」(和田さん)という行動変容に少しずつつながっていった。この手法は、ムラのミライが各地で実践し、体系化したもので、「メタファシリテーション」として知られる。
農民たちも次第に手応えを感じているようだった。現地駐在員の菊地さんは、モニタリングのため村に通う中で、農民が学びに基づき、新しいことに挑戦したり、これまでの栽培のやり方を変えたり、少しずつ変わっていっていることに気づいた、という。例えば、これまで抜いていた雑草をあえて残すことで土の保水性を上げる、小さな土手を作り、水が流れ出ることを食い止める、あるいは自分の畑に適してよく育つ作物を計画的に栽培するーー。「研修で理解したことを自分のものにしようとしている。こうした積み重ねが、自分たち、そして次世代の子供たちの生活を変えていき、『村の未来』を作っていくのではないでしょうか」(菊地さん)。
JICAの草の根技術協力事業などの支援を受け、3年続いたプロジェクトは、2020年1月にいったん終了した。同年3月からは、多くの学びを得て実践に移した研修生を、今度は農法や経営を普及させる指導員として養成するとともに、モデル農場を作り、点から線、面に広げる新しい取り組みが、外務省の日本NGO連携無償資金協力の枠組みを使って始まった。
第2期プロジェクトの目玉となるモデル農場を整備する背景には、研修を経て多くの学びを得た若い農民にとってモデルとなる農家がないことや、若者だけでは家族の農業方針を変えることが難しいことなどがあるという。農場には、有機農業の専門家と協働して整備した圃場(ほじょう)のほか、研修室や宿泊施設、太陽光発電システムなどが備えられ、持続可能な循環型農業を目指している。
モデル農場では、土壌流出や防風対策として植物が植えられ、連作障害を避けるため計画的な作物の栽培が行われている。また家畜小屋や鶏舎の整備を進め、堆肥(たいひ)づくりとその活用の実践を目指す。雨水の貯水や灌漑(かんがい)池などを造ることで、限られた水資源の効率的な活用を図るという。
「この6年で村の風景が少しずつ変わってきた」と菊地さん。ある若い農民は、土壌に合った木が何かを考え、マンゴーやカシューの植林を積極的に始めた。別の農民は、水やりをほとんどせず有機栽培で質の良いトマトを収穫した。水の管理について学んだことを実践したという。
ママドゥさんは「私もいくつかの村で、多くの事業に関わってきた。お金もかけた。だが村人の行動変容につながったことはあまりなかった。失敗ばかりだった」と振り返る。「ムラのミライの手法はとても簡単に見える。しかし村や人々が、持っているけれど気づいていない、あるいは忘れている知見やノウハウを引き出してくれる」と高く評価する。
ODA、とりわけ地域開発のプロジェクトでは、長い間、「参加型」や「持続性」といったキーワードが掲げられてきた。裨益(ひえき)する住民が主体となり、自分事として取り組むことによって、将来は外部の支援(介入)がなくても自律的な歩みを続けることができるーーこれが大半のプロジェクトが目指してきた姿だろう。だが現実には、官民問わず、組織の活動や人材に登用を続けることが目的化したり、長期の支援でむしろ住民の依存性が強まってしまったり、という事例も決して少なくない。これは別に低中所得国の支援の現場に限らず、私たちも日々、同じような課題に直面している。そこに何が欠けているのかーー。ムラのミライの取り組みは多くの示唆に富んでいる。新しい「オファー型」を含め、ODAが独りよがりに陥らないよう、いま一度、誰のための、何のための援助なのかを考えるきっかけになるのではないか。