トイレがなく失われる命をなくす「再発明」 リクシルが描く解決の道
安全で管理されたトイレを世界に――。「LIXIL(リクシル)」は、簡易式トイレを途上国に提供しています。朝日新聞の木村裕明記者が取材しました。

安全で管理されたトイレを世界に――。「LIXIL(リクシル)」は、簡易式トイレを途上国に提供しています。朝日新聞の木村裕明記者が取材しました。
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安全に管理されたトイレを使えない人が世界中にどれぐらいいるか、ご存じだろうか。
ユニセフ(国連児童基金)によると、昨年時点で約34億人。世界の人口の4割に上る。うち4億人余が家や近所にトイレがなく、道端や草むらなどで用を足す「屋外排泄(はいせつ)」をしている。うんちが安全に処理されなければ、生活用水などを通じて細菌が体内に侵入し、免疫力の弱い子どもは下痢を起こす。世界には下痢で命を落とす5歳未満の子どもが1日に700人以上もいるという。アフリカやアジアの多くの国々には、日本で暮らしていると想像もできないような現実があるのだ。
こうした衛生課題の解決に向き合う日本企業がある。150以上の国・地域で水回り製品や住宅設備の事業を展開する「LIXIL(リクシル)」。先進的なシャワートイレのメーカーとして知られる一方、人の命を救う簡易式トイレ「SATO(サト)」を途上国に提供する事業も手がけている。
SATOは「Safe Toilet(安全なトイレ)」の略という。どんな製品なのか。東京都品川区のリクシル本社を訪ね、実物を見せてもらった。
青色のプラスチック製で、手に取るととても軽い。底についたふたのような弁が、パカパカと開閉する。実にシンプルな構造だ。
くみ取り式のトイレのように、うんちをためる穴に設置して使うというのだが、どうやって使うのだろう?
「用を足すときにパカッと弁が開き、排泄物や水が流れるとピタッと閉まる。『ししおどし』のような仕組みです」
コーポレートコミュニケーションズ室長の高田雅子さんが教えてくれた。日本庭園でよく見かける仕掛けと言えば、お分かりになるだろうか。竹の筒に水が入ると、その重みで筒が頭を下げて水がこぼれ、軽くなった筒が元に戻るときに風流な音を出す「ししおどし」。あの仕掛けに似た構造というわけだ。
うんちをした後に少量の水を流すと、その重みで弁が開く。うんちと水が下に流れると弁が閉まり、病原菌を媒介する虫の侵入や悪臭を防ぐ。弁の開閉に動力源は要らない。安全な排泄環境を安価に提供できる優れものだ。
低所得国の農村部など、下水道が整備されていない「オフグリッド」と呼ばれる地域向けの製品だが、国や地域によってトイレ事情はさまざまだ。座って用を足す人が多い国向けに洋式便器に似た形状の製品を開発したり、フットレストつきの製品をつくったり……。バングラデシュで開発された初代モデル「SATO101」の発売から10年余り。SATOは多様なニーズにあわせて進化を重ね、ラインアップを広げながら、45カ国以上に約750万台を出荷してきた。いまでは約4500万人に利用されている。
SDGs(持続可能な開発目標)の17のゴールの6番は「安全な水とトイレを世界中に」。国連はこの中で、2030年に屋外排泄をなくす目標を掲げる。SDGsに対するリクシルの貢献は大きい。
SATOの開発にあたっては、「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」が初代モデルから助成を重ねてきた。米マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏が、元妻と巨額の私財を投じて設立した世界最大規模の慈善団体だ。
同財団の柏倉美保子・日本常駐代表は「地球全体を見渡して、取り残されている人々の課題の解決にゲイツ財団は重点を置いています。トイレの整備も、財団が非常に力を入れているテーマのひとつです」と話す。
屋外排泄を強いられることは、とくに女性や子どもたちの生活の質に悪影響を及ぼす。
人目につかないよう、夜が明けぬうちに集落から離れた草むらに行って用を足す。昼間は用を足せないので水や食べ物を取らずに過ごし、夜暗くなってから用を足しに行く。こんな地域が世界にはたくさんあるのだ。
安全なトイレがないために性的暴行を受けたり野生動物に襲われたりすることもある。
思春期を迎えた女の子が、トイレがない学校に通えなくなり、学びの機会を失って職に就けない。そんな負の連鎖も起きている。
トイレがないことが男女格差も広げてしまう現実。途上国の衛生問題は実に根が深い。
リクシルはユニセフの支援を得て、アフリカの学校にSATOを設置するプロジェクト「STEP」も展開し、子どもたちが学校に通いやすい環境整備にも取り組んでいる。
ケニアのキツイという町にある、障がい児が通う学校にもSATOが設置された。16年に発足したSATO事業部で製品開発のリーダーを務める石山大吾さんは、この学校を訪ねて大歓迎を受けた。1人で用を足せなかった子どもがトイレを使えるようになったと先生に喜ばれたという。
「SATOが子どもの尊厳を守り、自信を育んだ。素晴らしいことだと思います」
そう話す石山さんの表情から、仕事への誇りが伝わってきた。聞いているこちらまでうれしくなる。
SATOの製品群は1台数ドルで買えるものばかりだ。それでも、リクシルはSATOを商品として販売することにこだわっている。
ボランティアでも、寄付でもない。
貧困層にSATOを提供して衛生市場を確立し、生活水準や所得水準を底上げして、より上位の製品を買ってもらうことをめざす。そんな長期視点の事業ととらえている。
「寄付だとお金が切れたら続けられなくなります。SATOは事業活動を通じてやっていくことに意義がある。これは信念です」
石山さんはそう言い切る。
普及をめざす国々には、トイレを買うなんて考えたこともなく、トイレがもたらす効果に半信半疑の人も多い。コミュニティーの有力者にインフルエンサーになってもらい、「トイレは健康と命を守る重要なもの」という理解を広げる活動に力を入れている。
1台数ドルといっても、現地の所得水準を考えれば、安い買い物ではない。オランダに拠点を置く国際NGOと組んで、貧困層向けのマイクロファイナンス(少額融資)も提供する。
そして、持続可能なビジネスに育てるために何より大切にしているのが、普及をめざす地域ごとにバリューチェーン(価値の連鎖)を築くこと。プラスチック製品を作る現地の業者を探し、製造技術を教えて生産を委ねる。SATOを売ってくれる店も探す。「メイソン」と呼ばれる施工職人を育てる……。地道な活動には、苦労がつきもの。ネット検索しても業者が見つからず、現地で売られているバケツの裏を見て製造元を探し出し、交渉に出向くこともあるそうだ。
製造から販売、施工、保守までを現地で回せる仕組みを築くことで新たな雇用も生み出せる。女性の活躍の場も増えているという。
もちろん、ビジネスである以上、いつまでも赤字続きというわけにはいかない。バングラデシュでは一時、黒字化を達成。石山さんは手応えも感じている。「現地のパートナーの活動がさかんな国は量産効果が出ている。黒字化の兆しが見えてきた国もあります」
米国のグループ会社が小さく始めたSATOにビジネスの可能性を見いだしたのは、経営トップの瀬戸欣哉氏だ。首脳人事を巡る対立を制し、19年の株主総会でCEO(最高経営責任者)に返り咲いた後も、ぶれずにSATOを育ててきた瀬戸氏は「1台数十万円の最新機能を搭載したトイレだけでなく、1台数ドルで買えるSATOのトイレを提供できていることは私たちの誇り。事業活動を通じて社会課題の解決に貢献できることを従業員が実感し、それが一人ひとりの原動力となってより大きな力が生まれ、ひいては長期的な競争力につながると確信しています」と話す。
リクシルとゲイツ財団は5年前、世界初の家庭向け「Reinvented Toilet(再発明されたトイレ)」の開発や実用化に向けて協力していくと表明している。電力や下水処理システムに接続していなくても、排泄物を安全に処理する「オフグリッド」仕様のトイレの開発や実証実験に取り組んでいるという。次はどんなトイレを「再発明」してくれるのか。わくわくしている。