一人ひとりに寄り添いながらも、成果を出すことにこだわり、そして「出口」を見据えて――。インドのムンバイに拠点を置くNPO「ラー財団」は、ビジネス出身の創業者が、課題を抱える人びとに共感を寄せながら、かつ戦略的に支援を提供しています。彼らが何をしているのか。いくつかの現場を訪れました。まずは生活の基本となる「水」の支援から。

井戸まで1キロ、毎日最低2往復

インド西部のマハラシュトラ州。州都のムンバイから電車に乗り2時間、さらに車を2時間走らせ、繁茂する木々の間を行った道の先にカンド村があった。

村に住む主婦のディパリ・クタデさんとジョティ・ゴビンドさんは、今年1月に水の供給設備が集落にできるまで、水の確保に追われる毎日だった。家族の飲み水を確保するため、5リットル入る金属製ポットを二つ、時には三つ、手で持ち頭の上に載せ、片道1キロの道のりを井戸まで1日最低2往復しなければならなかった。水の確保は女性たちの役割だ。

インド全土でも水の問題を抱えている。政府が2018年に発表した統計によると、全人口の約4割、約6億人が深刻な水不足に直面しているほか、インドの水資源の約70%が汚染されているという。

カンド村に飲料水の供給設備を提供したのは、ムンバイを拠点に水や農業、女性や若者支援を行うNPOの「ラー財団」だ。最新のフィルター技術で水を濾過(ろか)し、飲料可能にした。クタデさんとゴビンドさんは語る。「水に追いまくられ、疲れ切っていた。まずは休みたい」「水くみに使っていた時間を何に使おうか考えるのが楽しい」「子どもと向き合う時間を増やしたい」

トイレの問題も影響

さらにインドでは家にトイレがなく、屋外で済ませることが珍しくない。「屋外で排泄(はいせつ)すれば、流すための水は必要なく、水の節約にもなる。だが、そのせいでバクテリアを繁殖させ、地下水を汚染する原因になっている」と同財団の創設者でCEOのサリカ・クルカルニさん。

モディ政権は2014年、屋外での排泄をなくそうとキャンペーンを開始。相当の効果を上げたとされるが、まだ屋外で排泄する人は後を絶たない。

ラー財団では井戸や浄水フィルターを設置したほか、村に「委員会」をつくり、水や排泄の問題について人びとが議論するよう促した。すぐにトイレを大幅に増やすことは難しいので、飲み水を取る井戸からは一定の距離で「境界線」を引き、その境界線の内側で排泄することを禁じるルールを作ってもらった。

クルカルニさんはこう意義を強調する。「きれいな水が容易に手に入ることは、特に水くみを担ってきた女性たちにとり、重労働からの解放以上に大きな意味がある。自分たちを『水くみ女』としての価値しかないと思ってしまっていたが、飲料水が提供され、自尊心が回復されたのです」

創業したIT企業を売却し、財団を設立

村人たちは感謝の気持ちを込めてクルカルニさんを「水をもたらした女性」と呼んでいるという。

クルカルニさんはもともと大学でビジネスを教えていた。2001年にはIT企業を創業し、順調に業績を伸ばしてきた。夫のギリシュさんも金融や投資の世界で成功している。なぜ財団をつくったのか。「会社で10人を雇うことにしたとき、貧困のために学校を中退し、良い仕事に就けない若者に来てもらうのはどうかと思いついた」。試しにそうした若者を半年間、雇うことに決めた。そして彼らを前に「これはあなたたちにとって良い機会だ。人生を変えられるかも知れない」と話したという。

彼らの半年間の変化は「目をみはるものだった」という。全員がこの機会を生かそうと頑張り、半年後には本採用に至った。クルカルニさんはそのとき思ったのだった。「彼らに機会を与え、手をとって教え、背中を押せば、やる気が出る。地域のロールモデルにもなれる。私たちは恵まれているが、単にお金を稼ぐ以上のことをしたい。社会に恩返しをしたい」

ラー財団を創設したサリカ・クルカルニさん(前)とギリシュ・クルカルニさん=2024年7月10日、インド・ムンバイ、筆者撮影

そこから財団設立の準備を始めた。会社を売却して夫と共に2011年に財団を設立。彼女は財団運営に専念し、夫は側面支援しつつ投資の仕事を続けている。まずは地域や人びとは何を必要としていてどんな支援ができるかを綿密に調査。ビジネスとは違う非営利の活動で、成果を出す方法を米国の大学でも学んだ。実施に注力し始めたのはこの34年だ。

ラー財団ではキャリアを重ねた多くの女性たちが、自らの専門知識や経験を生かして無償で「プロボノ」として働く。その一人、ビーナ・シャーさんは建築家だ。「クルカルニ夫妻は、社会に報いたいと財団を始め、着実に成果を出すことをめざしている。その理念に心を打たれ、手伝いたいという人が集まっている」という。

今年度の予算は11千万ルピー(約2億円)。15%を家族の資産から、残りを各国の財団や企業からの寄付、政府からの資金などで賄う。米国からも寄付を募るため、財団のオフィスを置く。日本の野村証券も寄付している。

ラー財団ではプロボノとして多くの女性たちが活動する。ビーナ・シャーさん(左端)は建築家、マダビ・ラウリさん(右端)は弁護士、ビドゥヤ・ライさん(右から2人目)は会計士だ。左から2人目は創設者でCEOのサリカ・クルカルニさん=2024年7月10日、インド・ムンバイ、筆者撮影

農業支援で農家の収入は3、4割増

財団では水を上手に使う農業も支援している。同じくマハラシュトラ州にあるクデド村では、これまで自給用の米や豆を主に生産してきたが、現金収入に結びつかず、男性たちは頻繁に都市部の工場や建設現場などに働きに出なければならなかった。いわゆる「出稼ぎ」だ。

そこで、同財団では栽培作物としてジャスミンやマグノリア(モクレン)に注目。ジャスミンはインド人の生活に深く結びついており、宗教行事や祝い事に使われ、女性たちの髪を飾るのにも用いられる。作物としては暑さや乾燥に強い。村の周辺の土壌は石が多いが、そういった荒れ地にも強い。丈もあまり高くならないため、激しい風雨にも耐えられるという。財団では苗や水を供給するための管の敷設などを支援し、肥料にできるだけ頼らない農業を指導してきた。

さらに、農民たちにグループを作ることを提案。そうすることで、市場で売るときなど価格交渉力をつけられる。

ジャスミンが成長して採取できるようになるまでは「本当にもうかるのか」といった疑問の声も上がっていたという。しかし、収穫期を経た今では収入が以前よりも34割上がった。農民たちに話を聞くと「妻や家族を愛しているから、一緒にいられる時間が増えてうれしい」「家の雨漏りを直すことができた」とうれしそうに話してくれた。

ここでも、「支援対象者に当事者意識を持ってもらい、自立を促す」という財団の姿勢は貫かれている。実際、農民たちはジャスミンの出荷を始めて市場に出すようになると、価格交渉の大切さを実感。自ら近隣の村の農民に声をかけ、グループを拡大しているのだという。そうして自分たちの力を増そうと工夫しているのだ。

「彼らは最初は受け身でも、次第に主体的に変化していく。そうするほうが楽しいし、収入にもつながるからだ。いつまでも支援を続けることはできない。こんなふうに機会を提供して自走を促すのが私たちの支援だ」とクルカルニさんは語る。

ジャスミンの畑の手入れをする農民たち=2024年7月8日、インド・クデド村、筆者撮影

「単に施すのではなく、慈善なき変化を」

ラー財団の特徴は「機会」を与え、支援される人びとが「自分ごと」として問題を主体的に考えるようにしていることだ。「慈善なき変化(change without charity)」と呼んでいる。「単なる施しではなく、支援対象者にもできるだけ積極的に関わってもらう。そうすることで、一度きりの支援で元に戻ってしまうのではなく、変化を持続的にしたい」とクルカルニさんは言う。

課題を抱える人びとに寄り添いながらも、成果や「出口」を常に念頭に置いて彼らの自立への道を探り、戦略を練る。新しい支援のやり方ともいえる。そのためにビジネスの手法も用いる。夫で共同創業者のギリシュさんも説明する。「まずは小規模に実験し、修正を繰り返す。これで成果が出るとなれば本格的に行う」

ギリシュさんは、政府との役割分担について「政府はインフラを提供する。でも一人ひとりにきめ細かく向き合いニーズをくみ取り、必要なものを提供するのは私たちNPOのほうが上手だし得意」と話す。もちろんギリシュさんらも自治体と連携し、活動資金を得ることもある。「地域住民の信頼を得るには政府との連携は欠かせない」とも言う。

自治体もまた彼らと連携している。財団の活動地域の一つ同州のナシク県の行政職のトップである執行官、アシマ・ミッタルさんは語る。「政府はNPOの力が必要。インドは巨大で、政府の資金や人員だけではとても足りない」。彼女が就任する際、地域で活動するNPOを集めて地域の課題を議論したという。

とはいえ、NPOだけでは活動できる地域に限りがある。そこで財団では最近、政策提言を担当する弁護士を雇った。クルカルニさんは力を込める。「私たちが実行している課題解決をもっと大々的に行うには、制度や法といった政策にしたほうがいい。今後は政策提言にも力を入れる」。企業や財団から資金を得、ビジネスの手法も採り入れて支援者に寄り添う。政府とも連携して政策化もめざす。ラー財団を核とした社会変革の取り組みだ。