フェアトレードが生活を変えた グアテマラのコーヒー農家のいま
日常的に目に触れる機会も増えたフェアトレード認証。こうした商品を選ぶ消費者の行動が、生産地にどんな変化をもたらしているのか。中米のコーヒー農家を訪ねました。

日常的に目に触れる機会も増えたフェアトレード認証。こうした商品を選ぶ消費者の行動が、生産地にどんな変化をもたらしているのか。中米のコーヒー農家を訪ねました。
私たちが日々手にする商品に、人権や環境への配慮、野生動物の保護など、さまざまな目標への取り組みを掲げる認証マークが付いているのを目にすることが増えています。黄緑と青地の円に人のようなシルエットが描かれたマークもその一つ、国際フェアトレード認証の印です。日本のフェアトレード市場は2023年、初めて200億円を突破。うち8割をコーヒーが占めます。こうした商品を選ぶ消費者の行動が、遠く離れた生産地にどんな変化をもたらしているのか。フェアトレードコーヒーの生産に携わる人々を訪ねて9月下旬、中米グアテマラに向かいました。
首都グアテマラ市から車で12時間あまり、くねくねと曲がる山道が徐々に細くなってきた。マヤ系の先住民族が多く暮らす西部の山岳地域ウエウエテナンゴ県の町バリリャス。標高2千メートル前後の山々の斜面にコーヒーの木が青々と葉を茂らせ、細い枝に沿ってびっしりと緑の実がなっていた。
「11~3月の収穫期にはみんな早朝から畑に出て、熟した実を一つずつ手で摘むんだ」。バリリャスのコーヒー生産者組合「アソバグリ」のゼネラルマネジャー、バルタザル・フランシスコさん(47)が、ところどころに交じる赤く熟した実を摘んでみせながら言った。
日本の3割ほどの国土に約1700万人が暮らすグアテマラで、コーヒーはバナナや砂糖と並ぶ主要な輸出農産物だ。国土の7割が山岳地帯で寒暖差や豊富な雨量があり、ウエウエテナンゴを含む8地域は特に高品質な豆の産地として知られる。50万人以上が従事する最大規模の産業である一方、大半を家族経営などの小規模な農家が占める。
「昔は、収穫したコーヒー豆が、地元の市場でとても安く買いたたかれていた。一人ひとりでは太刀打ちできないから、力を合わせようと組合を立ち上げたんだ」。そう話すのは、アソバグリの創設メンバーの一人、ペドロ・ビヤトロさん(77)。1989年に20軒の農家で組合を立ち上げた当時、100ポンド(約45キロ)で十数ドルだったという。
1996年には親米・反米勢力などの間で36年続いた内戦が終結。より多くの農家が加わって安定した生産量を確保できるようになり、1999年にアソバグリとして初めて米国への輸出を実現させた。だが同じころ、世界的な生産過剰で価格が暴落する「コーヒー危機」が発生。生活を守るため、フェアトレード認証の取得に乗り出した。
「公正・公平な貿易」を意味するフェアトレードは、発展途上国の産品を適正な価格で取引することで生産者の経済的自立を目指す取り組みで、1960年代から欧米で広がった。世界共通の基準を定める「国際フェアトレードラベル機構(FI)」の認証を受けた商品では、生産者に最低価格が保証されるほか、「プレミアム」と呼ばれる奨励金が支払われ、農機具の購入、学校や診療所の整備などに使うことができる。
現在、FIが定めるコーヒー豆(アラビカ種、ウォッシュド)の最低価格は100ポンドで180ドル。市場価格と比べて高い方で取引され、それに20ドルのプレミアムが、有機認証の場合はさらに40ドルが上乗せされる。
組合員のソライダ・モンソンさん(54)は、コーヒー畑を切り盛りしつつ、アソバグリの奨学金で高校に通う孫娘とバリリャスに暮らす。夫はコーヒー危機のさなかの2000年代はじめ、出稼ぎのため米国へ渡った。モンソンさんが畑を守り、4人の子どもを育てた。夫はフロリダで建設の仕事に就いて家族を支えたが、非正規滞在のためグアテマラと行き来することは難しく、帰れないまま2017年、がんで亡くなった。今のようにコーヒー農家として安定した収入があれば、そもそも夫が出稼ぎに出ることはなかったかもしれない、とモンソンさんは言う。
フェアトレード認証を受けるには、児童労働や強制労働の禁止、環境への配慮などの基準を満たすことが求められる。アソバグリでも講習会を開いて、学校のある時間に子どもを畑に連れてこないことや守るべき労働条件などを伝えたり、環境にやさしい栽培技術を一軒一軒訪ねて指導したりしてきた。
こうした取り組みは、地域に経済的な豊かさだけでなく、人権や環境に対する人々の意識の変化ももたらしている。
バリリャスからさらに車で2時間、山あいの砂利道をガタガタ揺られ、アソバグリの組合員の子どもが通う小学校を訪ねた。アジア人は珍しいようで、昼休みに校庭で遊んでいた子どもたちが次々と駆け寄ってきた。
アソバグリに参加するコーヒー農家のホセファ・ペドロさん(31)は、4~10歳の4人の子どもをもつ母親だ。長女と次女がこの学校に通う。「フェアトレードのおかげで、子どもたちの選択肢は格段に広がった」と話す。
朝、遅れて登校してくる児童がいれば、畑仕事などにかり出されていないか、教師が確認するのが当たり前になったという。「私が子どものころは集落に小学校しかなく、勉強を続けたかったけど、コーヒー農園で働くしかなかった。子どもには同じ苦労をさせたくない」。集まったほかの母親たちもうなずいた。
アソバグリ創設メンバーの一人、イザベラ・ドミンゴさん(60)は、「私が子どものころ、女の子は学校に行かせてもらえなかった。でも今は人々の意識が変わった」と、現地の言語の一つ、アカテコ語で語った。
傍らでスペイン語に訳してくれたのは、息子のロセンドさん(34)。奨学金を得て大学で学び、いまはアソバグリの若手リーダーの一人として、主にオンライン通販や情報発信を担当する。2歳の娘の父親でもある。「子や孫の世代に大きな変化をもたらせたことを幸せに思う」とイザベラさんはほほえんだ。
アソバグリは、現在約1250軒が加盟する県内最大の組合に成長した。年間の生産量約1500トンのうち60%を米国に、14%を日本に、ほかカナダや欧州に輸出している。ジェンダー平等の一環として、2010年には女性生産者を支援する「ウーマンズハンド」ブランドを立ち上げ、商品を販売。日本の「カルディコーヒーファーム」でも買うことができる。
一方で、以前より生活水準が向上したとはいえ、より良い仕事を求めて地元を出ていく若者も後を絶たない。アソバグリでは、町に直営のカフェをつくったり、オンライン通販を広げたりして、農園を引き継いでいける環境づくりにも力を入れる。
創設メンバー、ペドロさんの末っ子で五男のセサさん(28)も、次世代を担う一人だ。フェアトレードを通じ、より高品質のコーヒーを消費者に届けたいと意気込む。「私たちのコーヒーの香りや味わいから、グアテマラの美しい山々を思い浮かべてほしい」
2012年に48億ユーロ(約7900億円)だった世界のフェアトレード認証商品の市場規模は、2018年には2倍以上の98億ユーロにのぼった。FIの日本組織「フェアトレード・ラベル・ジャパン」によると、欧米と比べるとまだまだ少ないものの、国内市場も右肩上がりで、2023年に200億円を超えた。うち、8割をコーヒーが占める。
アソバグリの日本の取引先の一つ、小川珈琲(京都市)は、2004年からフェアトレードコーヒーの販売を始め、日本の企業で売り上げトップを誇る。ホテルやオフィス向け商品での需要も高まっており、取扱量はこの10年で倍以上に増えたという。
学校で持続可能な開発目標(SDGs)を学んできた若い世代でも関心が広がっている。採用で、フェアトレード商品を扱う企業であることを志望理由に挙げる学生が増えているという。
入社2年目の鈴木琴楓さん(24)は学生時代に読んだ本で、バングラデシュの縫製工場の崩落事故を知り、身の回りのものがどこで、どうつくられているか意識するようになったという。「自分の消費が知らないうちに誰かを苦しめていたら、悲しいし、怖いですよね。つくり手がちゃんと幸せじゃないと」。就職活動でもそんな意識を重視した。「できる範囲で、消費を少しずつ変えていけたら。その仕組みづくりも担っていきたい」
コーヒーが生産者から消費者のもとに届くまで、栽培から収穫、加工や卸、輸送や焙煎(ばいせん)など多くの人が携わっている。「一部の人にだけ都合がいい仕組みでは、持続的なサイクルとして成り立ちません」と、小川珈琲取締役の小川雄次・経営企画室長(40)は言う。「おいしいコーヒーを提供し続けるため、生産者と消費者をつなぐのが、私たちの役割。フェアトレードもその一つです」