日本ではその患者とほとんど出会うことがない「顧みられない熱帯病」。その一つであるリンパ系フィラリア症は、アジアやアフリカなど亜熱帯、熱帯地域でみられる感染症だ。日本でもかつては各地でみられたが、1970年代を最後に患者が出ておらず、根絶された。「知らない疾患」の苦しみをどのように想像し、理解するのか。一般社団法人Better World Story代表の廣原萌さんは、患者へのインタビューを通して、病気そのものだけでなく、取り巻く社会や生活、心の内に秘めた思いまでをも聞き出し、伝えることがその一助になるのではないか、という。廣原さんがどんな思いで患者に向き合ってきたのかをつづった。

初めての患者へのインタビュー

「どんな物事も良くなるんだと、今は自信を持って言えます。私には、周りに教えていかなければならないことがあります」。熱帯病の患者から、これほど力強く前向きな言葉を聞くことになるとは、インタビューに訪れるまで思ってもみなかった。

2023年3月、私はインド北部ウッタルプラデシュ州のラクナウに来ていた。この地域でコミュニティーヘルスのプロジェクトを展開するインドのNGO、Centre For Advocacy and Research(CFAR)の職員らと共に、この地域の公衆衛生課題の一つであるリンパ系フィラリア症(LF)の患者たちにインタビューするためだ。

LFとは、蚊が媒介する寄生虫が引き起こす感染症で、手足が大きく腫れ、痛みや強いかゆみ、時には発熱などを引き起こして日常生活を困難にする疾患だ。世界保健機関(WHO)によると、世界で約6億6千万人がLFに対する予防的医療を必要としている。インドやアフリカなどの熱帯地域の、衛生設備が不十分な環境に住む貧困層に被害が大きい「顧みられない熱帯病」と呼ばれる疾患群の一つで、社会的・経済的活動にも困難をもたらすため、患者は「貧困の連鎖」に陥りやすい。ウッタルプラデシュ州においても、LFは人々を苦しませてきた。

大学院でグローバルヘルスの研究をした私は、医療アクセスが困難な現場の住民や医療従事者にインタビュー調査をしたことはあったが、感染症に苦しむ当事者たちにインタビューをするというのは初めてだった。今回のインド訪問の初めに、デリーで行われた会議で知り合ったCFARの責任者とテキストメッセージをやり取りし続けること約1週間、LF患者のグループに話を聞きに行ける日取りが決まった時は、緊張感が膨れ上がった。突然インタビューしたいとやってきた外部者に、患者たちは気分を害さないだろうか。

同じ経験を分かち合い、自信と力へ

インタビュー調査の前日、私はラクナウから遠く離れたインド南部チェンナイでNGO運営による診療所の見学を終えたばかりだった。夜のうちにインタビューの質問票を用意し、翌朝10時にチェンナイ空港からラクナウ行きの格安フライトに乗った。3時間弱のフライトののち、午後1時頃空港に到着した。すぐに空港出口へ向かい、車で迎えに来てくれていたCFARラクナウ支所の職員の女性と合流した。このままインタビューへ向かうのだ。

前日に作成した質問票の内容をもとに車内で早速打ち合わせに入った。CFARの職員は物静かかつ的確に、ラクナウ地域のLF対策について説明してくれた。一般的に、LFの対策には「大量投薬(MDA)」と呼ばれる手法が使われる。感染リスクがある地域の住民を、年1回診療所などに集め大々的に予防薬を投与することで、感染拡大を防ぐのだ。

「MDAで使われる予防薬は現在3種類。ジエチルカルバマジン、イベルメクチン、アルベンダゾール……」。聞きなれない用語が次々と出てくるのにめまいを覚えながら、必死でメモを取った。ひととおり話した後、彼女は「お腹が空いていたら食べて」と、ポリ袋いっぱいに入ったお菓子を差し出してくれた。ランチをする時間も取っていなかったので、その気遣いがとてもうれしかった。

車は歴史的建造物やビルが立ち並ぶラクナウ市街を通り抜け、郊外へと走り続けた。中心地を離れて間もなくすると、窓の外の風景は変わっていった。雑多に商店や露店が並び、歩道に人があふれる。車道も渋滞していた。小一時間ほど走ったところで、そんな周囲の喧噪(けんそう)も消え、のどかな緑道が広がってきた。そして、最初のインタビュー地であるカトワラ村へたどり着いた。

カトワラ村のLF患者グループへインタビューする筆者(中央)とCFAR職員=2023年3月20日、インド・ウッタルプラデシュ州ラクナウ、Center For Advocacy and Research提供

カトワラ村の集会所では、12人の女性たちが座って何やら話していた。その日の朝降った雨で蚊が発生しやすくなっていたので、どうやって蚊よけ対策をするかの話し合いだった。彼女たちは口々に、村のどんな場所に、ボウフラの温床となる水たまりができやすいか、村民にとっては高価でなかなか買えない蚊帳の代わりに何を使えば良いか、意見を出し合っていた。MDAのような大規模な手法とはまた違った、毎日の暮らしの中での地道なLF対策に彼女たちは取り組んでいた。

実は、この12人全員がLFにかかっており、今でもその症状に苦しんでいる当事者たちだった。CFARは、地域内のLF患者たちを集め、お互いの健康改善や生活上の課題について取り組む互助グループを組織し、活動を支援していたのだ。

今でこそ熱心に活動をしている彼女たちだが、初めはグループに参加することさえ拒んだり、ためらったりして、なかなかメンバーが集まらなかった。「NGOの人が家まで話しに来たが、彼らが私に一体何をしてくれるというのだろうという疑いの気持ちがあった」と語ってくれた人もいた。

別のメンバーは、LFにかかったせいで小学校の給食調理の仕事を解雇され、家にこもりがちになり、体重が大幅に増えたことでさらにふさぎ込むようになった、という過去を明かしてくれた。その後このグループに参加するようになり、生活が徐々に変わっていった。「グループの活動に参加するようになってから、薬を飲むことを決め、手足の腫れを緩和するための日々の運動も欠かさずやりました。そうしているうちに体重が減っていき、心も体も健康になりました。今では頻繁に外に出かけています」と彼女は語った。

つらかった経験も、複雑な思いも、初めて会う私に包み隠さず話してくれる彼らの様子に、私は少し安心した。この互助グループは誰もが声を上げやすい安心感があった。様々な仕事や家庭の事情を抱えながら、LFという共通点で結びつけられた彼女たちは、にぎやかに話し合ったり、手足の運動や衛生処置を一緒に学んだりして、交流を楽しんでいるようにも見えた。そんな様子を眺めていたら、隣にいたCFARの職員が「この互助グループは、患者同士が苦しみを分かち合える場にもなっている。彼女たちは家族や身の回りの人にも話すけれど、同じ疾患を経験している者同士だからこそ本当に理解し合える。そうして、みんなここで自信をつけていく」と言った。

特大のスニーカーと袋いっぱいの野菜

自分の手や足や皮膚が大きく変わってしまう病気にかかり、その原因も治療法も良くわからないとなったら、どれだけ心細いだろうか。周囲にも偏見を持たれ、疎外されていくだろう。そんな中、自分と同じ経験を持つ人々と語り合い、一緒に日常生活の課題に取り組んでいくことは、身体的な健康や実用的な面での生活向上ももちろんだが、当事者たちの精神的、社会的なエンパワーメントにつながっている。「貧困の連鎖」を打ち破るには、このプロセスがとても大切なのだと見て感じることができた。

カトワラ村を後にした私たちは、再び車に乗り込んだ。次は街中の方へ戻り、住宅が密集するカムラバッド・バダウリ地区へ向かった。道が狭くなってきたところで車を降り、細い道へ入った。タマネギ、トマト、キュウリ、ナスなど色とりどりの野菜が満載された木製の荷車が止められた民家の戸口に立ち止まってあいさつをし、そのまま私たちは中庭に入った。しばらくすると、その家の家主で、八百屋を営むラジェシュさん(仮名)が椅子を持ってやってきて、座るよう勧めてくれた。

LF患者ラジェシュさん(仮名、右端)の自宅の中庭でのインタビューの様子=2023年3月21日、インド・ウッタルプラデシュ州ラクナウ、Centre For Advocacy and Research提供

ラジェシュさんの裸足の両足は、大きく腫れていた。歩くのも痛いのではないかと気になってしまった。しかし、ラジェシュさんは何てことないという様子でさっそうと歩き、椅子に座り、インタビューに応じた。彼がLFの症状に苦しみ始めたのは20年ほど前、37歳の時だった。病院に行ったが原因がわからず、解熱剤や鎮痛剤を処方されるまま飲んでいた。ところが症状は改善せず、やがて靴を履けず歩くことも困難なほど足が腫れあがった。八百屋の仕事もできなくなってしまった。そんなラジェシュさんがCFARの職員からLFについて聞いて知り、MDAで薬を飲み始めたのはほんの2年前のこと。現在では症状がずっと軽くなり、八百屋の仕事にも完全に復帰できているという。そして、「靴も履けるんですよ」と、足を入れる部分が大きく開いた特大サイズのスニーカーを得意げに見せてくれた。

ラジェシュさんの変化はこれだけではない。冒頭に書いたコメント「どんな物事も良くなるんだと、今は自信を持って言えます。私には、周りに教えていかなければならないことがあります」は、ラジェシュさんの言葉だ。彼は、LFの予防薬を飲むことがいかに大事かを周りに説いて回るようになった。薬を飲むことをためらう人に会えば自分の足を見せ、「こんなふうにはなりたくないだろう」と、半ば強引に説得するのだと、彼は笑って話した。

インタビューを終えて帰ろうとした私たちに、ラジェシュさんはあわてて二つのポリ袋を持たせてくれた。その中には、野菜が沢山入っていた。私は温かい気持ちになるとともに、自分が長年苦しんできた病気の原因と対処法を教えてくれたCFAR職員への感謝と信頼が表れているのだろうと思わずにはいられなかった。

患者たちの本当の姿とは?

午後5時、全てのインタビューを終え、私たちはラクナウ中心地へ帰路についた。前日の夜の緊張と不安感は、充実感と静かな感動に変わっていた。熱帯病にかかった当事者がどんな人々かを想像するとき、苦しんでいたり、弱っていたり、ネガティブなイメージが自分の中で先行してしまっていた。

しかし、私が実際に会ったLF患者たちは、日々の仕事をこなし、病気とうまく付き合う方法を探しながら力強く毎日の生活を送っていた。彼らはもはや、ただの患者ではなく、自分の家族や子どもたちをLFに感染させたくないという思いで感染症と闘う活動家になっていた。このことに私は驚きを隠せなかったし、こうしたストーリーをもっと多くの人に知ってほしいと思った。

現在、私はインドで集めた彼らのストーリーをBetter World Storyで伝えながら、世界には「顧みられない熱帯病」で苦しむ人が十数億人もいるということや、予防薬を必要とする人々に行き渡らせることの重要さ、それには日本などの先進国の支援が必要だという話を、政治・政策のリーダーたちや、世界に関心を持つ市民に伝える活動をしている。現地の話をすると、少なくない人たちが興味を持ってくれる。遠い国のことであったとしても、興味を持つと、生活の様子がつぶさに思い描けるようになり、人々の痛みや困難にも、細やかな想像力が働くようになるのではないだろうか。世界が本当につながる、というのはそういうことから始まると私は思う。そして、私はそんな機会を増やしていきたい。日本と世界をつなぐ一助になりたいと願っている。