フィリピン中部セブ州は日本人にも人気のリゾート地だ。最近はコスパの良い英語習得の留学先として多くの若者らが滞在している。そのセブに拠点を置く日本のNPO法人「DAREDEMO HERO」は貧困家庭の子どもたちを選抜して支援し、将来のリーダーを育てるプロジェクトに挑んでいる。理事長の内山順子さんとともに、その子どもたちが暮らす場所ーー青い海と白いビーチのすぐそばに広がるゴミ山や墓地ーーを訪ねた。(文中敬称略)

夢だった女性パイロットへ

クリスティン・デクラロス(21)はセブ州のパイロット養成学校で150時間の訓練飛行を終え、商業飛行のライセンスを取得したところだ。近く予定される同国最大手の航空会社セブパシフィックのパイロット試験に向けて準備に余念がない。

高校1年生の時に女性パイロットを主人公にした小説を読んで以来、空飛ぶ自分の姿を夢見ていたが、実現不可能な憧れに過ぎないことは痛いほどわかっていた。父はジープニー(フィリピン式乗合自動車)の運転手で母は専業主婦。父の稼ぎは車の所有者に賃料を払えば、1日400ペソ(1千円強)ほどだ。6人きょうだいの長女。この国では兄や姉が弟らの面倒を物心両面でみることが求められる。パイロットはもとより、大学、いや高校で学ぶことさえほとんど無理な状況だった。

パイロットを目指すクリスティン・デクラロスさん=2025年3月24日、フィリピン・セブ州、筆者撮影

小学校でいつも成績がトップだった彼女に手を差し伸べたのがDAREDEMO HEROだった。中学3年生の時に奨学生に選ばれ、高校入学から難関セブ大学への進学までを全面的に支えてくれた。このまま大学卒業まで支援を受けて会計士になるつもりだった。

ところが3年前に「幸運の女神」が舞い降りてきた。DAREDEMO HEROに飛行保険の運営組織から「貧困家庭の子ども2人にパイロット養成学校の学費を出す。適任者を探して」との提案があったのだ。クリスティンは手を挙げて選ばれた。大学を中退し、養成学校に入学した。

飛行保険の運営組織からは、2年間の養成学校の学費約200万ペソ(約520万円)を出してもらえた。でも生活は厳しい。養成学校の他の受講者は外国人も含めたお金持ちばかり。「カフェに行こう」と誘われても付き合えない。寮で自炊し、支出を抑えた。

フィリピンは、世界経済フォーラム(WEF)が男女格差の現状を評価する「世界男女格差報告書」の指数で昨年世界25位。アジアで最も女性の社会進出が進んでいるとされるが、そのフィリピンでも女性のパイロットは希少だ。クリスティンは経済的なハンデだけでなく、男女格差の壁も越えなければならない。

セブパシフィックの試験は合格率が50%ほどとみられる。フィリピンでモノを言う「コネ」がないクリスティンはライバルより良い点数を取って実力で合格しなければならない。「ほかの人の10倍勉強する」と覚悟を決めている。

貧困家庭の子に英才教育

2013年設立のDAREDEMO HEROは活動の柱として、貧困地区への支援、日本などとの異文化交流を掲げるが、最も力を入れているのはその名前の通り、セブの貧困地区から「HERO(ヒーロー)」、つまり未来のリーダーを生み出すことだ。

貧困家庭から選抜した小学3年生から大学生まで57人に、大学卒業までの学費、制服代、教材費、学用品のほか、生活費の補助や学習に必要なインターネット代も支給している。学期中は毎週土曜日に集まり、昼食を提供。教員資格を持つスタッフがパソコン、英語、日本語を教え、道徳教育も実施している。原資は主に日本からの助成金と寄付金だ。

DAREDEMO HEROの事務所で土曜日の授業を受ける奨学生たち=2022年10月22日、フィリピン・セブ州、筆者撮影

スポンサーが見つかれば日本へのスタディーツアーも実施する。2025年には、日本国際博覧会協会から大阪・関西万博への招待を受け、10人が日本へ向かう予定だ。

奨学生になるのは狭き門だ。毎年二つの小学校から成績優秀な児童が100人ほど推薦される。面接で将来の夢について聞き、きちんと答えられること、夢が利他的であることなどを基準に絞り、さらに教育に対する理解が親にあるかどうかを家庭訪問で確認して5人ほどを選んでいる。クリスティンもその1人だった。

今年大学を卒業した3人のうち1人は、外国語指導助手(ALT)として日本で英語を教える。あとの2人は世界最大のコンサルティング企業「アクセンチュア」など大手企業に就職した。クリスティンと同じ組織から支援を受けた男子は米国のパイロット養成学校を修了した。そのほかにも、医大で学んだり、マニラ首都圏の国立フィリピン大学ディリマン校に進んだりする奨学生もいる。

貧困世帯に薄く広くではなく、対象を絞って徹底して支える方針は他の援助団体とは一線を画している。理事長の内山は「がんばれば成功する例を示すことが社会を変えるインパクトになると信じるからだ。やればできる、と私が言っても説得力はないけれど、身近に実例があれば夢がかなうと分かり、多くの子どもたちの希望になるはず。フィリピンの社会を変えるリーダーが生まれることを期待している」と話す。

DAREDEMO HEROの内山順子理事長=2022年10月22日、フィリピン・セブ州、筆者撮影

リゾートの日差しの下で

セブ州マクタン島に林立するリゾートホテルやコンドミニアム、英語留学の学校から運び込まれるゴミが集積する「ラプラプ廃棄物最終処理場」は、廃棄物から金になるものを探して生計を立てる「スカベンジャー」と呼ばれる人々が住むバラックに囲まれている。雨上がりでぬかるむ悪路を内山がずんずんと歩くと、あちこちから「ハロー」と声がかかり、子どもたちが駆け寄ってくる。ここにはDAREDEMO HEROがラーニングセンターを設けており、内山は住民らと顔見知りなのだ。

ラプラプ廃棄物最終処理場の「ゴミ山」で暮らすスカベンジャーの人たち=2025年3月24日、フィリピン・セブ州、筆者撮影

選抜された少数精鋭の奨学生に対し一種のエリート教育を実施するDAREDEMO HEROだが、2020年に始まった新型コロナウイルスの感染拡大の際に支援対象を広げた。すべての学校が2年以上閉鎖され、授業はオンラインが中心となったが、オンラインのツールを持たない貧困家庭の子どもは学ぶ機会が閉ざされたためだ。ラプラプのほか、マクタン島から橋を渡ったセブ市のイナヤワン最終処理場(ゴミ山)、貧困家庭の人々が墓守をしながら住むカレタ墓地にもラーニングセンターを設けた。専任教員を置いて、奨学生にはなれないが勉強をしたいという91人の学習を支援している。対象は小学生だったが、今年日本の会社の寄付を得て中高生まで広げることができた。

貧困家庭の人たちが墓守などをしながら暮らす「カレタ墓地」にあるラーニングセンターで、子どもたちに囲まれる内山理事長=2022年10月22日、フィリピン・セブ州、筆者撮影

ラプラプ最終処理場へのゴミ搬入は2023年に終了した。するとスカベンジャーの住民の生活は一層苦しくなった。運のよい日にはそれまで一家で1千ペソの稼ぎがあったが、いまではゴミを求めて市内や付近の道路を歩き回らざるを得ず、200ペソが精いっぱいという。

ゴミ山はフィリピンの貧困の象徴だ。

処理場が選定されると、ゴミ山ができる。人々が周辺に住み着き、スラムができる。処理場が満杯になると、行政は次の処理場に投棄を始め、新たなゴミ山とスラムができる。この国には焼却施設がないし、無視できない数の人々がゴミの分別で生活をしているので、その繰り返しだ。

私が1990年代に新聞記者としてフィリピンに駐在していたころ、マニラ市トンド地区に有名な大きなゴミ山があった。ゴミから出るガスに火が付き、いつも煙が漂っていたことから「スモーキーマウンテン」と呼ばれていた。そこが閉鎖されると、10キロほど離れたケソン市パヤタス地区に処理場が移った。2000年7月、大雨でゴミ山が崩落し、約500軒のバラックが下敷きとなった。この事故で数百人が犠牲になった。

マニラ首都圏やセブの中心部ではいま、東京や大阪と変わらぬ豪華な高層ビルが立ちあがり、大型の商業モールは食事や買い物を楽しむ中間層の人々であふれている。しかし、あちこちにあるゴミ山の風景はいまも変わらない。

貧困はなくならないのか

フィリピン国家統計局によると、2003年から2015年までの3年ごとの調査では貧困率は25%前後、貧困人口は2千万人から2300万人と横ばいだった。2018年には16.7%、1767万人、コロナ禍の2021年が18.1%、1999万人。最新2023年のデータでは15.5%、1754万人と多少減少傾向にあるようにみえるが、貧困ラインは5人家族で月収が1万3873ペソ。その額で実際に暮らせるのかという疑問は現地でも根強い。

世界銀行によれば、所得格差を示す代表的なジニ係数は2021年で0.407だった。0から1の間で大きくなるほど格差が開いている状態を表すが、フィリピンのジニ係数はアジアのなかでも最悪クラスだ。

なぜ貧困はなくならないのか。クリスティンは「フィリピン人のマインドセット(思考パターン)が問題」という。「お金が入ればその場で使ってしまう。子どもを学校に行かせないで働かせる。うちの親は違っていたので幸運だった。でも私たちの世代はこれまでとは違う。将来を見ていて欲しい」と希望を語る。

クリスティンの言うマインドセットについて内山は「フィリピン人はその日の食事があること、暮らせることを幸せと感じる。現状を抜け出すことは無理だと思い、今日の楽しさを求める。だから諦めているという認識すらない、そんなことだと思う」と解説してくれた。

貧困には複合的な要因がある。16世紀に始まるスペイン統治以来の封建制が引き継がれたような財閥による経済支配、政府や権力者の底知れぬ腐敗、1986年の「ピープルパワー革命」をはじめとする政変があっても根本が変わらぬ政治、絶望的なインフラ不足……。

フィリピンは若い国だ。少子化の兆しが見えつつあるとはいえ、アジアでも最長の人口ボーナス期(人口に対する労働力が豊富な状態)が続くとみられる。これを生かして貧困から脱却できるかどうかは教育と雇用の確保にかかっている。DAREDEMO HEROとクリスティンらの挑戦は果たして実を結ぶだろうか。