急速な発展の陰で、今も貧困が大きな問題として横たわるフィリピン。厳しい生活を強いられる子どもたちが今、オンラインでの性被害というもう一つの大きな問題に直面しています。子どもたちの現状を、認定NPO「チャイルド・ファンド・ジャパン」の藤井翼さんが、現地を訪問した日本の高校生の感想を交えてお伝えします。

「どうしていつも私を傷つけるの? 本当に私を愛しているの?」

フィリピン・マニラ首都圏のとある事務所。チャイルド・ファンド・ジャパンと連携するフィリピンの団体が支援する若者グループが、歌とダンスにのせてそう訴えた。軽快な曲調とは裏腹に、歌詞には、彼らが直面している極めて厳しい社会課題が反映されている。

なぜ、彼らはこんな訴えをしなければいけないのか。フィリピンの子どもたちに何が起きているのだろうか。

自分たちの訴えを歌とダンスで表現する若者たち=2024年4月、フィリピン・マニラ首都圏、チャイルド・ファンド・ジャパン提供

子どもたちを襲う暴力、性搾取

豊かな自然や文化、国民の明るい人柄が魅力的なフィリピン。経済発展も目覚ましく、首都マニラには高層ビルが立ち並んでいる。しかし、その一方で、いまだ貧困層の人々は2500万人以上いるとされている(フィリピン統計局、2023年)。

フィリピンで暮らす子どもたちは、もう一つ大きな課題を抱えている。それが、虐待や性的搾取といった「子どもたちへの暴力」である。

家の手伝いをするロウェナさん=2017年12月、フィリピン・イサベラ州、チャイルド・ファンド・ジャパン提供

フィリピン北部イサベラ州に暮らす11歳の女の子、ロウェナさん。農業で生計を立てる両親の収入はとても低く、さらに、父親は飲酒癖があり、泥酔して家に帰ると子どもたちを含む家族に暴力をふるい、暴言を吐いていた。ロウェナさんは、夜中に近所に聞こえるような大声で暴言を吐く父親をいつも怖がっていたという。

この話は、チャイルド・ファンド・ジャパンが支援する地域で実際にあった一例である。これ以外にも、残念ながら、女の子が親戚の男性から性的暴行を受けたといった事例もある。

子どもへの暴力の実態は調査結果からも明らかになっている。ユニセフ(国連児童基金)が2016年にフィリピンの13~24歳の子ども3866人を対象に行った調査では、「親や保護者から暴言をはかれたり、脅されたりしたことがあると答えた子どもは5人中3人」「家庭、学校、地域などで暴力を経験したことがあると答えた子どもは80%」という結果が出ている。

親や親戚が仲介することも

近年、急速に深刻化しているのが、オンラインにおける子どもたちの性被害だ。

これは「Online Sexual Exploitation of Children(子どもへのオンライン性搾取、OSEC)」あるいは「Online Sexual Abuse and Exploitation of Children(子どもへのオンライン性虐待・性搾取、OSAEC)」と呼ばれる。オンラインで性的な目的のあるやりとりをさせられたり、性的な画像を要求されたりするものだ。ときには、性的な場面がライブストリーミング(ネット上の生放送)配信されることもある。

画像や動画は、一度ネット上に送信された途端、自分では消せないものとなってしまう。その危険性を知らず、オンライン性搾取の被害者になってしまう子どもが近年急増しているのである。

全米行方不明・被搾取児童センター(NCMEC)によると、オンラインの子どもの性的画像などの通報を受け付ける窓口には、2021年に約318万件の通報があったとされている。前年と比べて約2.4倍の増加だ。また、米国に拠点を置くNGOインターナショナル・ジャスティス・ミッションの推計によると、2022年には、実に47万人以上のフィリピンの子どもたちがオンライン性搾取に巻き込まれているとされている。

オンライン性搾取の加害者の多くは、フィリピン国外の小児性愛者などである。オンラインで子どもと友達のように親しくなった後、性的な画像や動画を撮影したり、要求したりして、それらをインターネット上で販売するのである。そしてそれらをオンラインで購入する人たちも世界中に存在する。

子どもたちは、面識のある大人を介して被害に遭うことが多い。地域や親戚だけでなく、驚くべきことに当人の親たちも仲介者となることがある。青少年期の子どもたちは、お金や教育の保障と引き換えに、小さい子どもは、チョコレートなどのおやつをあげるからと言って、被害に遭うケースもある。写真や動画の撮影自体も、家族と暮らす家などで行われることが多く、したがって犯罪行為が表面化しにくい。

英語、スマホ、そして貧困

なぜフィリピンはこれほどまでに子どもへのオンライン性搾取の問題が広がってしまったのか。その要因はいくつかある。

最も大きな要因は「貧困」である。フィリピンの貧困はいまだ深刻で、親や子どもたちが経済的な利益を求め、オンライン性搾取の被害が起こってしまうのである。

安価な中古スマートフォンが入手しやすく、都度払いのデータ通信が安価で利用できることも理由だ。

町中にも、安価にインターネット接続を購入できる自動販売機がある=2024年10月、フィリピン・マニラ首都圏、チャイルド・ファンド・ジャパン提供

2024年にチャイルド・ファンド・ジャパンとともに現地を訪問した日本の高校生は、フィリピンの貧困の状況と現地の子どもの状況を次のように話している。

「マニラのスラム街に行くと、気温が30度近くあるなか、都市部で出されたゴミをかき分け、売れそうなものを選んでいる人々がいた。しばらく歩くと橋の下にも家があり、中に入れてもらうと、昼なのに家の中は真っ暗で、足元には川が見えた。ここに何組もの家族が暮らしているそうだ。

道中、中学生くらいの子が2人、私たちと一緒に行動してくれたが、片手には常にスマホを持っていた。別の地域でも同年代の子とお互いの趣味のことを話していると、さっとスマホを取り出し、好きな動画や音楽を教えてくれたのには驚いた」

橋の下につくられたバラック=2024年4月、フィリピン・マニラ首都圏、チャイルド・ファンド・ジャパン提供

他にも、英語が通じる国だということも被害が拡大する要因の一つとなっている。世界中の加害者が、フィリピンへアクセスし、子どもたちや大人とコミュニケーションをとることができてしまうのである。フィリピンはオンライン性搾取の問題に関して、「global epicenter(世界の中での震源地)」と言われることもある。

子どもといっしょに子どもを守る

こうした事態に対して、政府も手をこまねいているわけではない。2022年には、OSEC防止のための新たな法律も整備された。しかし、変化が激しいインターネットの世界において、対策が十分に機能しているとは言い難い。

こうした中、私たちチャイルド・ファンド・ジャパンは、早くからこのOSECの問題に対して、子どもたちを守る取り組みを続けてきている。

オンライン性搾取について学ぶ子どもたち=2021年9月、フィリピン・カビテ州、チャイルド・ファンド・ジャパン

その一つは子どもたちへの研修である。オンライン性搾取とは何か、いかに深刻であるか、被害に巻き込まれないようにするためにはどうしたらよいかなどを伝え、子どもたちが自らを守る力を高めている。

一方、親や先生、地域住民など、大人への研修や啓発活動ももちろん重要である。子どもを被害に巻き込まないようにするのはもとより、万が一被害に遭ってしまったときの対応の仕方なども伝えている。

一連の活動の中で、私たちが大切にしていることの一つが、「子ども・ユース(若者)と一緒に取り組む」ということだ。

たとえば、子どもたちへの研修の講師には、自分自身が支援を受けていたという若者もいる。チャイルド・ファンド・ジャパンの支援を通して、OSECに関する国際会議に参加し、そこで得た知見をもとに、講師として子どもたちへ説明を行っている。

また、2023年にフィリピンのマニラ首都圏で行ったプロジェクトでは、子どもたちが主体となり、地域への啓発パレードを企画して実行した。子どもたちは思い思いに訴えを書き、町を練り歩いて、子どもを守ることを訴えた。

冒頭で紹介した歌も、歌っているのはユースたちだ。このグループの演奏を、現地を訪問した日本の高校生が実際にその目で見て、こんな感想を寄せている。

「彼らは、家庭内暴力、貧困問題、ジェンダー平等など、自分たちの抱える問題について声を上げるために音楽活動をしているという。曲調は明るくアップテンポだが、事前に資料としてもらっていた歌詞を見ると、親からの暴力に苦しむ子どもたちや働く子どもたち、お金のために体を売る子どもたちなど、様々な問題をとりあげている。ダンスも、歌詞に関連した振り付けになっていて、途中で殴られるポーズなどが登場した。パフォーマンスから感じたエネルギーと気迫は今でも印象に残っている」

子ども自身が啓発活動にかかわることは、子どもの意識を高める側面もあるが、何と言っても当事者が訴えることによる力強さがある。

グローバル化するオンライン性搾取の問題

日本から約3千キロ離れたフィリピンの問題は、どこかひとごとに感じられるかも知れない。

しかしグローバル化が進む現代においては、世界の問題は自国とも深く結びついている。特にインターネットの普及によって生まれたオンライン性搾取の問題はなおさらである。残念なことではあるが、その加害者が日本人であったケースもある。

私たちチャイルド・ファンド・ジャパンは、フィリピンをはじめとする子どもたちを草の根で守りながら、こうした様々な社会問題を広く伝えていきたいと思っている。