「ボルバキア蚊」成果は? デング熱対策の先進国で専門家に聞いた
地道な環境管理と最先端技術でデング熱対策に取り組むシンガポール。国家環境庁のング・リーチン准教授に、デング熱対策の現状を聞きました。

地道な環境管理と最先端技術でデング熱対策に取り組むシンガポール。国家環境庁のング・リーチン准教授に、デング熱対策の現状を聞きました。
デング熱の世界的な流行が続いています。とりわけ東南アジアでの広がりが深刻です。いち早く経済成長を果たした都市国家シンガポールも長年、デング熱に悩まされてきました。デング熱対策を担う政府機関、国家環境庁(NEA)のング・リーチン准教授に、先進的な取り組みなどについて話を聞きました。
――シンガポールでは、どのようなデング熱対策に取り組んでいますか。
デング熱が起きるのは、ウイルス、蚊、人間の存在があるからです。そのいずれかをなくせばデング熱はなくなります。しかし人や物が自由に移動するグローバル化した世界では、人々が持ち込むウイルスを制御するのは難しい。人とウイルスをなくすことができない以上、蚊を駆除することが、デング熱の発生を抑える唯一の方法なのです。
(近年認可されている)ワクチンの接種によって人々の集団免疫を高めることはできます。しかし現状では、ワクチンの有効性のデータは十分ではなく、使用も限定的にならざるを得ません。
――具体的にどのような取り組みをしていますか。
蚊をめぐる対策で最も重点を置くのが、環境管理です。デング熱ウイルスを媒介するのは、主にネッタイシマカと呼ばれる蚊です。その特性として、ネッタイシマカの卵は、乾燥していても長期間生存できるということが挙げられます。ネッタイシマカの起源はアフリカ大陸と言われていますが、(卵は)どこに移動しても水に触れると、そこで孵化(ふか)します。そのため水たまりや水の容器など、蚊の発生源となる場所を地域からなくし、繁殖を最小限に抑えることが必要になります。殺虫剤の噴霧は、デング熱の集団感染が起き、拡大しそうな地区に限定します。
取り組みを確実にするため、わたしたちは症例の監視(サーベイランス)を重視しています。どの時間帯に、どの場所で、感染が起きているのかを把握することがとても大切なのです。その結果を基に、住民と協力して感染源を減らしていきます。その際、住民だけでなく、不動産の所有者、商業施設の運営者、職場で働く人たちなど、すべての関係者の協力が求められます。社会全体の協力やコミュニティーぐるみの参加がとても重要なのです。
――ボルバキアという細菌を活用した対策について教えてください。
ボルバキアは、昆虫の6割以上に自然に寄生しています。ネッタイシマカの場合、ボルバキアを持っていると、体内でのデングウイルスの増殖が妨げられることが分かっています。またネッタイシマカは、ボルバキアとの関係で、二つの特性が知られています。一つは、ボルバキアが母系で伝わるため、感染しているメスから産まれる個体の多くがボルバキアを持っています。もう一つは、オスがボルバキアを持っている場合、ボルバキアを持たないメスと交配が成功しても、卵が孵化しないということです。
ボルバキアを活用した対策には、置換法と抑制法の二つがあります。置換法は、文字通り、ボルバキアを持つオスとメスの蚊を自然に放出することで、野生の蚊の個体群にボルバキアを持ち込む方法です。狙いは、野生の蚊の個体群を、デング熱などの病気を媒介する能力の低いボルバキア保有蚊に置き換えることにあります。これまでインドネシアやブラジル、マレーシアなどで実施され、成果を収めています。
シンガポールでは、抑制法に取り組んでいます。これは、ボルバキアを持つオスだけを自然に放出することで、交配した野生のメスが産む卵が孵化せず、蚊の繁殖そのものを抑制し、個体数を減らすことを目指します。この方法は、米国やメキシコなどでも取り入れられています。
――これまでの成果について教えてください。
ボルバキアを持つネッタイシマカのオスを最初に放出したのは、2016年でした。当時は蚊の生態など未知数のことも多かったのです。どのくらい飛べるのか、地上で放出した場合、シンガポールのような高層ビルが多いところで、住宅の上層階まで到達できるか、などについて、慎重に調べました。その結果、効果的、効率的な放出方法などを早い段階で見いだしました。
先行地域での成果はとても有望なものでした。ネッタイシマカの数を80%から90%減らすことができました。デング熱の感染リスクは75%減少しました。2026年までに、シンガポールの全世帯の半数にあたる80万世帯の地域にボルバキアを持つオスの蚊を放出し、デング熱の大規模な流行が懸念される地域の大部分をカバーする予定です。
――デング熱の発生件数を見ると、2024年は前年に比べて多かったと聞きます。なぜなのでしょうか。
多数の症例が出ているのはボルバキアを利用した対策の対象地域ではないところが多いのです。ですから今後、対象地域を順次広げる必要があります。それによって感染拡大を緩和できると思います。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックの際は、往来の制限などから、デング熱の発生は減っていました。そのため集団免疫がなく、むしろ2023年や2024年は大流行するのではと懸念していました。
――気候変動は蚊の生態に影響を与えていると言います。
デング熱については、最近ネパールでの大規模な流行が伝えられています。気候変動や都市化によって、以前は見られなかった高地でもネッタイシマカが繁殖しています。私たちは、こうした地理的分布に加えて、流行時期の変化も注視しています。またウイルスの進化や変異の可能性もあるかもしれません。
――今後、気候変動が進むと、日本での感染を懸念する声もあります。なにかアドバイスはありますか。
私たちの経験から、環境管理が最も大切だと思います。シンガポールでは例えば、新しい建物について原則として雨どいの設置は認められていません。蚊の繁殖場所になってしまうことがあるからです。そしてサーベイランスなどデータに基づいた対策を取ることです。人々の移動が活発になれば、発生リスクは将来的に高まる可能性があります。そのための備えが大切だと思います。